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**[[5月8日]] - 管理会社となる[[日本電波塔]]株式会社を創立。
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**[[7月24日]] - この日にアナログテレビジョン放送が完全に終了するため、アナログテレビジョン放送の送信が終了する。
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**春ごろ - 放送大学学園を除く地上デジタルテレビジョン放送8局の送信所が[[東京スカイツリー]]に移転予定。その後はNHKと民放キー局5社については東京タワーを予備電波塔として使用する予定。
**春ごろ - 放送大学学園を除く地上デジタルテレビジョン放送8局の送信所が東京スカイツリーに移転予定。その後はNHKと民放キー局5社については東京タワーを予備電波塔として使用する予定。
=== 構想 ===
=== 構想 ===
東京タワーの建設前、放送事業者は個々に高さ150~165mの電波塔を建設して自局の塔から放送を行っていた。しかしこの高さだと放送電波は半径70km程度しか届かず、[[銚子]]や[[水戸]]では満足に電波を受信することができなかった。また放送電波には[[指向性]]があるためチャンネルを変える毎に[[アンテナ]]の向きを各電波塔の方向に変えなければいけないという不便が生じ、鉄塔の乱立は都市景観においても好ましい状況ではなく当時[[郵政省]]の電波管理局長であった[[はまだしげのり|浜田成徳]]を初めとする関係者の中で電波塔を一本化する総合電波塔を求める機運が高まっているところ放送事業の将来性に着目した[[前田久吉]]<ref>「[[大阪]]の新聞王」と呼ばれ、当時は[[産業経済新聞社]]・[[関西テレビ放送]]・[[大阪放送]]の社長を務めていた。現在の日本電波塔、[[マザー牧場]]社長・[[前田伸]]の父。</ref>と[[鹿内信隆]]<ref>[[ニッポン放送]]の事実上の創業者。後のフジテレビジョン・産業経済新聞社社長、[[フジサンケイグループ]]初代議長。</ref>によって計画された。
東京タワーの建設前、放送事業者は個々に高さ150~165mの電波塔を建設して自局の塔から放送を行っていた。しかしこの高さだと放送電波は半径70km程度しか届かず、[[銚子]]や[[水戸]]では満足に電波を受信することができなかった。また放送電波には[[指向性]]があるためチャンネルを変える毎に[[アンテナ]]の向きを各電波塔の方向に変えなければいけないという不便が生じ、鉄塔の乱立は都市景観においても好ましい状況ではなく当時[[郵政省]]の電波管理局長であった[[はまだしげのり|浜田成徳]]を初めとする関係者の中で電波塔を一本化する総合電波塔を求める機運が高まっているところ放送事業の将来性に着目した[[前田久吉]]<ref>「[[大阪]]の新聞王」と呼ばれ、当時は[[産業経済新聞社]]・[[関西テレビ放送]]・[[大阪放送]]の社長を務めていた。現在の日本電波塔、[[マザー牧場]]社長・[[前田伸]]の父。</ref>と[[鹿内信隆]]<ref>[[ニッポン放送]]の事実上の創業者。後のフジテレビジョン・産業経済新聞社社長、[[フジサンケイグループ]]初代議長。</ref>によって計画された。
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テレビ局が現・東京タワーから放送施設の殆どを撤去した場合、しばらくはFMラジオ波など東京スカイツリーに移行しなくても電波を送信できるものについては引き続き送信を続ける方針であり一部放送施設はこれからも恒久的に存続する。また放送大学はテレビ放送も東京スカイツリーに移設せず引き続き東京タワーで放送を行い、災害などで東京スカイツリーから電波が送れない場合の予備電波塔として利用することが決まった<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100927-00000908-yom-bus_all スカイツリー開業後の東京タワー…結んだ契約は]</ref>。しかし、放送施設としては主な役目は終わる。観光施設として残す場合は老朽化や耐震問題を考慮し、補強や構成材の交換なども継続していかなければならないため日本電波塔社も「放送局の電波料収入が途絶えた場合、観光収入だけでは経営は難しく'''取り壊しもあり得る'''」と発言している。また、[[京都タワー]]のように下層部分にホテル施設を新設するなどの案もあがっている。
テレビ局が現・東京タワーから放送施設の殆どを撤去した場合、しばらくはFMラジオ波など東京スカイツリーに移行しなくても電波を送信できるものについては引き続き送信を続ける方針であり一部放送施設はこれからも恒久的に存続する。また放送大学はテレビ放送も東京スカイツリーに移設せず引き続き東京タワーで放送を行い、災害などで東京スカイツリーから電波が送れない場合の予備電波塔として利用することが決まった<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100927-00000908-yom-bus_all スカイツリー開業後の東京タワー…結んだ契約は]</ref>。しかし、放送施設としては主な役目は終わる。観光施設として残す場合は老朽化や耐震問題を考慮し、補強や構成材の交換なども継続していかなければならないため日本電波塔社も「放送局の電波料収入が途絶えた場合、観光収入だけでは経営は難しく'''取り壊しもあり得る'''」と発言している。また、[[京都タワー]]のように下層部分にホテル施設を新設するなどの案もあがっている。


日本電波塔は2010年9月27日、地上デジタル放送への移行後、災害時などの予備電波塔として利用する契約をNHKおよび民放キー局5社と結んだ。
日本電波塔は2010年(平成22年)9月27日、地上デジタル放送への移行後、災害時などの予備電波塔として利用する契約をNHKおよび民放キー局5社と結んだ。


== 観光施設としての東京タワー ==
== 観光施設としての東京タワー ==

2010年10月2日 (土) 07:58時点における版

東京タワー
Tokyo Tower
東京タワー
情報
用途 電波塔、展望台、科学館
設計者 内藤多仲日建設計
施工 竹中工務店
建築主 日本電波塔
構造形式 S及びRC造
敷地面積 15,577.143㎡ m²
建築面積 4,470.34㎡ m²
延床面積 24,874.87㎡ m²
階数 地上16階 地下2階
高さ 332.6m(海抜高351m)
着工 1957年昭和32年)6月29日
竣工 1958年(昭和33年)10月14日
所在地 105-0011
東京都港区芝公園4丁目
座標 北緯35度39分31秒 東経139度44分44秒 / 北緯35.65861度 東経139.74556度 / 35.65861; 139.74556座標: 北緯35度39分31秒 東経139度44分44秒 / 北緯35.65861度 東経139.74556度 / 35.65861; 139.74556
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東京タワー(とうきょうタワー、Tokyo Tower)は東京都港区芝公園4丁目にある東京地区の集約電波塔である。1958年昭和33年)10月14日竣工、同年12月23日に完工式が開かれた。一般的に東京のシンボル観光名所として知られる、日本で2番目に高い建造物である。

昼間障害標識として、頂点より黄赤色(インターナショナルオレンジ)と白色を交互に配した塗装となっている。

地上アナログデジタルテレビジョン放送VHFUHF)及びFM放送のアンテナとして放送電波を送出、また東日本旅客鉄道(JR東日本)の防護無線用アンテナとして緊急信号を発信する他、東京都環境局の各種測定器なども設置されている。管理、運営しているのは民間会社である日本電波塔株式会社である。

概要

アンテナの配置

この塔の正式名称は建築主に因み「日本電波塔」である。

  • 1:特別展望台
  • 2:大展望台
  • A:広域アナログテレビ放送アンテナ(NHK、関東広域民放5局、放送大学)
  • B:広域デジタルテレビ放送アンテナ(NHK、関東広域民放5局、放送大学)
  • C:都域テレビ放送アンテナ(TOKYO MX、アナログ・デジタル共用)
  • D:VHFデジタル音声放送アンテナ
  • E:FM放送アンテナ
  • F:マイクロ波中継設備アンテナ

歴史

  • 1957年昭和32年)
  • 1958年(昭和33年)
    • 10月9日 - 審査会において愛称「東京タワー」を決定。
    • 10月14日 - アンテナ(80m)を取り付けて竣工。
    • 12月7日 - 公開開始(プレオープン)。
    • 12月23日 - 完工式挙行、正式オープン。
    • 12月24日 - 午前9時より一般公開。
  • 1959年(昭和34年)
  • 1960年(昭和35年)
    • 1月17日 - ラジオ東京(現在のTBSテレビ)が赤坂の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF6ch)。
    • 5月16日 - NHK教育テレビジョンの送信所を紀尾井町より移転(送信は移転前からVHF3ch)。
  • 1963年(昭和38年) - 東京都小笠原村に高さ411.48mの南鳥島ロランタワーが竣工し、日本で2番目に高い建造物となる。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1965年(昭和40年)12月24日 - イルミネーションが連夜の点灯となる。
  • 1966年(昭和41年)1月2日 - 来塔者数が3000万人となる。
  • 1967年(昭和42年)7月28日 - 特別展望台オープン。
  • 1970年(昭和45年)
    • 3月20日 - 東京タワー蝋人形館が3階にオープン。
    • 3月23日 - 蝋人形館経営者のジョージ・ドラッカーとヴィッキー・クロフォードが、特別展望台で和装にて結婚式を行う[2]
    • 4月26日 - FM東海から事業を譲り受けたエフエム東京が80.0Mc(現在はMHz)で本放送開始。
    • 10月3日 - NHK-FM放送の送信所を紀尾井町より移転(送信は移転前から82.5Mc)。
    • 11月10日 - 日本テレビ放送網が麹町の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF4ch)。これにより東京都のテレビ局の送信所が一本化される。
  • 1971年(昭和46年)8月18日 - 来塔者数が5000万人となる。該当者は都内の23歳の男子学生で自分が5000万人目になれないかと思って来塔し、記念品として冷蔵庫・カラーテレビ・ギフト旅行券・オートバイなどの記念品を贈られた。
  • 1973年(昭和48年)
  • 1975年(昭和50年) - 長崎県上県郡上対馬町大増(現・対馬市上対馬町大増)に高さ455mの対馬オメガ局ができ、日本で4番目に高い建造物となる。
  • 1977年(昭和52年)
    • 7月11日 - タワー大神宮創建(23区内で最も高い場所にある神社)。
    • 6月1日 - 電波の日のこの日に「電波塔の維持運営を通じて放送の普及と重要無線通信の疎通に多大の貢献」をしたとして当時の郵政大臣、小宮山重四郎より表彰される。
  • 1978年(昭和53年)4月28日 - 東京タワー水族館オープン(世界初の観賞魚水族館)。
  • 1984年(昭和59年)11月1日 - 放送大学学園が大学開学に向けてテレビ放送をUHF16chで、同時期にFMラジオ放送を77.1MHzで試験放送開始(翌1985年(昭和60年)4月1日に本放送開始)。
  • 1986年(昭和61年)
    • 航空法改正により黄赤色と白色の塗り分けを11等分から7等分へ変更し、黄赤色の赤みを強くした。
    • 南鳥島旧ロランタワーが解体され、日本で3番目に高い建造物に返り咲く。
  • 1988年(昭和63年)
    • ロゴマークを変更。
    • 10月1日 - エフエムジャパン(現在のJ-WAVE)が81.3MHzで本放送を開始。
  • 1989年(昭和64年/平成元年)
    • 1月1日 - ライトアップ開始。
    • 7月25日 - 来塔者数が1億人となる。
  • 1991年(平成3年)
    • 3月3日 「平成3年3月3日」で3が重なることを記念して記念展望券の発売、バッジや絵はがきのプレゼント、エッフェル塔へ招待するクイズなど数々のイベントが行われる。
  • 1994年(平成6年)
    • 4月 - 「東京タワートリックアートギャラリー」がタワービル4階に登場する。
    • 10月 - 硫黄島ロランタワーが運用停止、解体され、日本で2番目に高い建造物に返り咲く。
  • 1995年(平成7年)
    • 1月 - 来塔者数が1億2000万人となり、日本の総人口に相当する人数が来塔したことを記念してキャンペーンを行う。
    • 11月1日 - 東京メトロポリタンテレビジョンが東京都初の都域民間放送テレビ局としてUHF14chで本放送開始。
  • 1996年(平成8年)
  • 1998年(平成10年)
    • オメガ塔(対馬オメガ局)が解体され、日本一高い建造物に返り咲く。
    • 12月23日 - ノッポン誕生
  • 2002年(平成14年)
    • 3月19日 - 特別展望台・大展望台をリニューアルオープン。営業時間を年間を通して22時までに延長。
  • 2003年(平成15年)
  • 2005年(平成17年)
    • 3月19日 - タワービルをリニューアルオープン(名称を「フットタウン」に変更、外壁色を濃いブラウンに変更)。
    • 12月25日 - 大展望台にハート形のイルミネーションを始める。
  • 2006年(平成18年)
    • 9月29日 - 来塔者数が1億5000万人となる。
    • 12月1日 - 放送大学学園が地上デジタルテレビジョン放送をUHF帯域で開始。
  • 2009年(平成21年)
    • 5月8日 - ロゴマークの変更[3]
    • 10月16日 - 来塔者数が1億6000万人となる[4]
    • 12月31日 - 開業以来営業してきた、タワー大食堂(タワーレストラン)が営業終了。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月29日 - 建設中の東京スカイツリーが高さ338mに到達したため、「日本一高い建造物」の座を降りる。エラー: {{予定}}は廃止されましたので使用しないでください。
  • 2011年(予定)
    • 7月24日 - この日にアナログテレビジョン放送が完全に終了するため、アナログテレビジョン放送の送信が終了する。
  • 2012年(予定)
    • 春ごろ - 放送大学学園を除く地上デジタルテレビジョン放送8局の送信所が東京スカイツリーに移転予定。その後はNHKと民放キー局5社については東京タワーを予備電波塔として使用する予定。

構想

東京タワーの建設前、放送事業者は個々に高さ150~165mの電波塔を建設して自局の塔から放送を行っていた。しかしこの高さだと放送電波は半径70km程度しか届かず、銚子水戸では満足に電波を受信することができなかった。また放送電波には指向性があるためチャンネルを変える毎にアンテナの向きを各電波塔の方向に変えなければいけないという不便が生じ、鉄塔の乱立は都市景観においても好ましい状況ではなく当時郵政省の電波管理局長であった浜田成徳を初めとする関係者の中で電波塔を一本化する総合電波塔を求める機運が高まっているところ放送事業の将来性に着目した前田久吉[5]鹿内信隆[6]によって計画された。

建設場所

建設地は安定した電波を供給するために巨大な電波塔の建設が可能な広さと強固な地盤を有していること、魅力ある展望台のために工場などの煙が景観を妨げないことなど厳しい条件が求められた。当初は上野公園付近への建設も検討されたが海抜18mの高台にある港区芝公園地区は基礎を打ち込むための東京礫層地盤もより浅いところにあり、国の中枢機関や各放送事業者との距離が近いなど報道と観光の両面に恵まれた立地であった。土地の買収は増上寺の檀家総代に前田が日本工業新聞の社長時代から親交があった池貝庄太郎がおり、増上寺との間を取り持って用地買収を成功させるよう働きかけた。また芝公園4丁目地区の周辺一帯は建物倒壊危険度、火災危険度、避難危険度を示す地域の危険度特性評価(東京都2002年平成14年)実施)において「相対的に危険度の低い町」を示すAAAの評価を得ており防災面でも電波塔の立地に適していることが後に判明した。

設計

この塔の建設に先立ち日本電波塔株式会社が設立され、建築設計の構造学を専門とする学者の内藤多仲日建設計株式会社が共同で塔の設計を行う。内藤は当時話題を提供していたドイツシュツットガルトテレビ塔を参考に鉄筋コンクリートの塔を想定した検討を行うが、特に基礎に関して敷地の関係などかなりの困難が伴うとの判断から鉄塔で計算を進める方針となった[7]。塔はフランスパリエッフェル塔の312m(現在は324m)より21m高く、当時の自立式鉄塔としては世界最高だった。前田久吉は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。三百余年も前に既に高さ五十七メートル余もある立派な塔(五重塔)が日本人の手でできたのである。ましてや科学技術が進展した今なら必ずできる」と高さの意義を強く主張した。そもそも本来東京全域に電波を送るには380mの高さが必要とされていたが風の影響でアンテナが揺れ画像が乱れる可能性があったため、影響を受けず且つ関東地方全部を守備範囲に出来るぎりぎりの寸法として全高333mと偶然「3」が続く語呂合わせのような高さになった。当初は最上部で風速90m、下部で風速60mの強風と大地震(同タワーの耐震設計で考慮された水平震度は0.99Gで関東大震災時に小田原付近で推定された加速度の約2倍に相当)に遭遇しても安全な様に軽量化に有利な電気溶接ではなく、重量がかさむが当時は確実な技術としてリベットによる接合での構造設計がなされた。風力係数は当時建築研究所の亀井勇教授に依頼し、風洞実験を行った。地震力はまだ静的解析の時代であり、鉄塔では風圧力の方が支配的であったこともあり基準法の地震力算定法通りk=0.16+h/400を水平震度として適応した。解析、計算は全て手計算でトラスの解法として一般的であったクレモナ図解法とカスティリアーノの定理が使用された。構造計算書の最終チェックは自身の設計事務所の田中彌壽雄、日建設計の鏡才吉とともに熱海にある早稲田大学保養所双柿舎」に3日間缶詰状態で行われた。後にFRANで立体解析を行い耐力を検証しているが、かなりの精度で一致していた[8]。また、加藤勉氏(東京大学名誉教授・(財)溶接研究所理事長)による「東京タワーの構造安全性について」(2007年(平成19年))によって東京タワーの構造の信頼性は高いという第三者評価を受けている[9]。当時の建築基準法では建築物の高さは最大100(約31m)以下と決められていたが、タワーは工作物と見なされ建築が可能となった。当初、地上約66m付近にビアレストランを設置する計画だったが結局、実現される事はなかった。これはレストランにすると建築基準法に引っかかったためと考えられている。

建設

1957年(昭和32年)5月から6月末までの約45日間でボーリング調査を行い設計は未完成であったが、短期間に完成させなければならないため6月29日増上寺の墓地を一部取り壊して既に設計の決まっていた基礎部の工事が開始された。7月15日に最終的な設計図が完成し、9月21日には鉄骨の組み立てが始まった。

施工竹中工務店。塔体加工は新三菱重工(現在、三菱重工業)、松尾橋梁。鉄塔建築は宮地建設工業が請け負った。現場でのヘルメットの色は白:監督管理関係、黄:竹中工務店の社員、緑:鉄塔建方関係、灰:設備関係で色分けされた。

基礎は海抜0mの砂利層まで掘り下げてコンクリートを打ち込み直径が2m、長さ15mで底の直径が3.5mのコンクリート製の円柱を1脚に8本打った(後のデジタルアンテナ増設時に2本ずつ増設)。塔脚にはカールソン型応力計を埋めておき脚を支えるための支柱をオイルジャッキで持ち上げて脚の傾きを調節する際など、各塔脚に加わる重量の計測に利用している。

高さ40mのアーチライン最上部までは長さ63mのガイデリックを使用し次に80mまで組み立てるためガイデリックを地上53mのマンモス梁までせり上げ、鉄骨を組み立てていった。80mからの組み立てはエレクターを用いて、鉄骨はエレベーターシャフト内を持ち上げていった[10]

塔脚4本が地上40mでアーチ形に組まれたのは1957年(昭和32年)12月だがアーチ中央部が加工の段階で設計より15mm沈んでおり、梁の結合ができずに1週間原因究明に時間を費やした。しかしこの問題は、鉄骨に開けられていたリベットを差し込む穴を15mmずらすことで解決した。

高所までの移動は、80mの足場まで4分で昇る2m四方のゴンドラ3台で対処した。

高さ141m地点まではリベットで組み立て、それ以上は塗装の関係でボルト接合になっている。ボルトは締めた後に溶接して固めるが夏場の鉄塔は40~50度まで上昇し、とび職達を苦しめた。リベットは168,000本、本締めボルトは亜鉛メッキ部材の現地接合に45,000本使用している[11]

アンテナの設置は当初、名古屋テレビ塔東京スカイツリーのように塔体内を吊り上げる予定であったがアンテナ工事は台風の多い9月に開始されたため工事が遅れてしまいアンテナを上げる前にエレベータ設置工事を始めないと工期に間に合わなくなってしまった。そのためにアンテナは塔本体の上に30mの仮設鉄塔を組んで仮設鉄塔の一面を開けておき、8つに分かれたアンテナ部材(最大14トン)を下の部材から順に塔の外側から吊り上げていった。塔体内では吊り上げた部材に順次ボルト接合を施して組み立てていき1958年(昭和33年)10月14日15時47分、アンテナが塔頂部に据え付けられた。

現場鳶職人は初期に20人。仕事が増えるにつれ常時60人、上に6~7人で組み立てを行っていた。若頭は当時25歳の桐生五郎。渡り職人も参加している。当時の鳶の日給は500円、タワーでは750円だった。建設中の1958年(昭和33年)6月30日には昇っていた鳶職1人が強風に煽られて高さ61mから転落死し、麓にある増上寺葬儀を行っている。

着工から1年3か月後(543日間)の1958年(昭和33年)12月23日に延人員219,335人にて完成し、その後、特別展望台の真上にタワーの建設に携わった96人の技術屋たちの名前が刻まれた金属製の銘板が据えられた[12]。総工費は当時の金額で30億円であった。

結果的に約4.2kt(4200t相当)の一般構造用鋼材SS41(旧JIS)とSS400(現JIS)が使用されたが、その中でも特別展望台から上の部分に使用されている鉄材の原料には朝鮮戦争後にスクラップされたアメリカ軍の戦車が使われている。これは当時の日本では良質の鋼材に恵まれず、またアメリカにとっても旧式戦車を売却して新型戦車を製造した方がメリットが高かったためである[13]

地上0メートル地点

タワーの高さは標高18.000mを地盤面(G.L・Ground Line)としているため、東京湾中等潮位(T.P・TOKYO Peil)からの値を使用している[14]。タワーは丘陵地に建っており、正面は1階が出入り口で駐車場出入り口は2階に位置している。そのため地上333mと言われてもどの部分を基準としているのかがわかりにくく、タワーを訪れても基準となる目印は特に見あたらない。一方、タワーの立面図[15]を見ると地盤面はフットタウン1階の床と同一に見える。

名称

「東京タワー」の名称は完成直前に開かれた審査会で決定した。事前に名称を公募し、最終的には86,269通の応募が寄せられた。一番多かった名称は「昭和塔」で、続いて「日本塔」「平和塔」だった。他には当時アメリカとソ連が人工衛星の打ち上げ競争をしていたことから「宇宙塔」、皇太子明仁親王今上天皇)の成婚が近いということで「プリンス塔」という応募名称もあった。しかし名称の査会に参加した徳川夢声が「ピタリと表しているのは「東京タワー」を置いて他にありませんな」と推挙し、その結果10月9日に「東京タワー」に決定した。「東京タワー」での応募は223通(全体の0.26%)であり、抽選で神奈川県の小学校5年生の女生徒に賞金10万円が贈られた。

電波塔集約

この塔の完成に先行して開局していたNHK総合テレビジョン日本テレビ放送網(NTV、以下「日本テレビ」と表記)・ラジオ東京テレビ(TBS、現在のTBSテレビ)はそれぞれ自局の敷地(NHK:紀尾井町、日本テレビ:麹町、TBS:赤坂)に170m程の電波鉄塔を建設してテレビ放送を行っていた。そのため当初は1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて新たに開局したフジテレビジョン(CX、以下「フジテレビ」と表記)・日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)・NHK教育テレビジョンが利用していた(NHKは直後総合と教育を交換)。後にTBSも合流した。

当初はNHKと民放6局のアンテナを一本化するはずだったが、調整の段階で日本テレビが「採算が合わない」「アンテナの配分が不満だ」という理由で不参加になった。しかし、実際は(テレビ業界の覇権を競う産経新聞)フジテレビ・前田久吉と(読売新聞中興の祖であり)日本テレビ創設者・正力松太郎との対立といわれる。この塔の完成後も日本テレビは麹町の自社敷地内のアンテナから電波を発信し続けていたが、他局に比べて放送エリアが劣るのは否めなかった。そこで同局は自社の所有地である新宿(現在の東新宿駅付近)にこの塔の2倍もの高さを持つ電波塔「正力タワー」の建設を計画して発表するが、莫大な建設費用が掛かることからその計画は頓挫した。同社は正力没後の翌1970年(昭和45年)になって麹町の本社からこの塔へメインアンテナを移転することになった。その際、TBSが自社の予備スペースを日本テレビに譲ることでメインアンテナのスペースを確保している。これにより全放送局がこの塔に揃った。

塗装

ファイル:2002東京タワー塗装作業中.jpg
第8回塗替塗装中のタワー。2002年7月撮影

建設時の塗装は地上からH.14(地上141.1m)までは鋼材を工場にてサンドブラストしてから下塗りまで塗装し、現地搬入時に2回目の下塗りをした。接合部のリベット頭・部材エッジ部は予め下塗り塗装による増し塗りが行われ、中塗り、上塗りにはフタル酸樹脂系塗料を用いて6行程行われた。H.14からH.27(地上252.65m)までは工場にて鋼材を酸洗いしてから溶融亜鉛メッキを施し現地搬入、建方、本締めボルト接合後にジンククロメート系さび止めペイントを塗装した。中塗り、上塗りは鉄鋼材と同様である。また建築当時はインターナショナルオレンジがさび止めの鉛丹と間違えられ、完成した後も最終的にはどのような色になるのかまだペインティングの途中だと思っている人がいた。

東京湾からの潮風による腐食の防止とインターナショナルオレンジの白化現象が目立ち、美観を保つ上でほぼ5年に1度の周期で約1年かけて外観塗装を補修しており1回目(1965年(昭和40年))は磯部塗装が担当し、2回目(1970年(昭和45年))以降は平岩塗装が一貫して請け負っている。鉄塔本体の塗装工区は大展望台を境に2つに分け上部は秋に、下部は翌年の春に施工している。作業時間は日の出から営業を開始する9時までに限定されていたが、現在は7時を過ぎると通勤者が増えるため午前2時から7時までの5時間で作業を行っている。最上部のアンテナを除くH.27の塔体の上から順に木製の丸太で足場を組み、まずケレン落としと呼ばれる下作業をして下塗り、中塗り、上塗りと3工程が行われるがこれは全てハケを使い人の手によって塗られる。総塗装面積94,000㎡に使うペンキの量は34,000リットルとなり、延べ約4,200人が作業に当たる。使用する塗料は石油缶(18リットル缶)に置き換えて縦に積み重ねると、東京タワーの2倍の高さになる。金属ではなく木製の丸太を使用するのは近隣への防音対策と電波への影響を避けるためであり、丸太の総数は1万本以上となる。以前にグラスファイバーのパイプを使用しようとしたことがあったがジョイント部分のクランプの使い勝手が悪く、木製の丸太に落ち着いている。塗装工事の最終日には、タワーのマークと職人一人ひとりの名前が刻まれた五百円玉大の記念メダルが職人に手渡される。全面塗替は第1回が1965年(昭和40年)、第2回が1970年(昭和45年)、第3回が1976年(昭和51年)、第4回が1980年(昭和55年)、第5回が1986年(昭和61年)、第6回が1991年(平成3年)、第7回が1996年(平成8年)、第8回が2001年(平成13年)、第9回が2007年(平成19年)に行われている。

航空法によりストロボのような白色航空障害灯を常時点滅させれば現在のペイントを変更することは可能だが、周囲には住宅や高速道路があり住民への迷惑、運転者への安全を考えるとペインティングの変更は考えにくい。2008年(平成20年)現在は7等分の塗り分けだが、建設当時から1986年(昭和61年)までは11等分に塗り分けていた。また大展望台の部分は現在は白色だが、1996年(平成8年)までは赤色だった。

航空障害灯

1958年(昭和33年)3月、国際航空運送協会太平洋・アジア地区技術会議にて離陸直後にエンジンが一つ故障した場合、コースがずれて塔にぶつかる恐れがあるため高さを70メートル低くするか航空障害灯などの設備を完全にするようにと要求があった。この時代に航空障害灯を設置する規則はなかった。航空障害灯は空の明るさが500ルクス以下になると自動で点滅するようになっており、日中でも急に曇ったり濃霧になった場合には点滅する。障害灯は21灯あり上から塔頂部、アンテナゲイン部、塔本体最上部(H.27/252.65m)、H.22/216m、H.17/171.7m、大展望台上部(H.13/130m)、H.7/88mに見ることができる。最上部の500W電球の交換は年に1回。NHKのSTアンテナを点検する際に、古河電気工業の社員が行っている。アンテナは精密機械であり保守点検をとび職に任せられないため、アンテナ部門の普通の社員が登っている。登る時間帯は放送が終了する深夜であり、日中では強力な電波が出ており高周波焼けをしてしまう点と地平線の彼方まで見えてしまい恐怖心から動けなくなってしまう社員がいることから夜に登っている。恐怖で降りられなくなった場合は、すぐ真下に別の社員がついて一緒に一段ずつ降りる。

地上デジタル放送開始

地上デジタル放送用の送信アンテナをどこに設置するかについては多摩地区、上野地区、秋葉原地区などから誘致提案が出された。しかし、サービスエリア航空路との関係などの面でいずれも決定的ではなく2003年(平成15年)12月1日からの関東地区での地上デジタル放送開始に対応する仮の措置として従来アナログテレビ放送を行って来たこの塔の施設を拡張する形で設置されることになった。このため大展望台の直下、地上135~145mの高さに送信設備室を増築し特別展望台の上の塔体最上部に直径13m、高さ11mの筒型のアンテナを設置した。

地上デジタル放送完全移行

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2009年(平成21年)現在、この塔では現在でも地上デジタル放送波の送信を行っているがこれは暫定的な側面が強い措置であり前述したように2011年7月24日までに地上デジタル放送に全面移行した場合、この塔では高さが足りないなどの問題から(2009年(平成21年)の時点では)一般論として首都圏域すべて(アナログテレビの放送区域)をカバーし切れないと言われている(首都圏において放送受信障害がどの程度出るかについては電波を管轄する総務省でも正確には把握できていない模様)。

この問題は2000年代初頭から既に想定されていたため地上デジタル放送開始には間に合わなかったが、その頃からこの塔に代わる新しい電波塔の建設が検討され始めた。候補地については東京23区及び近隣の数都市が名乗りをあげNHKと民放キー局を交えて協議を重ねた結果、2006年(平成18年)には新塔の建設予定地が墨田区押上にある東武鉄道の貨物操車場跡地に決まりここに新塔「東京スカイツリー」(以前は仮に「第2東京タワー」や「新東京タワー」などと呼んでいた模様)を建設することとなった。2008年(平成20年)7月14日に着工し、地上デジタル放送への全面移行後の2011年末の完成・2012年春の開業を予定している。高さは約634mで世界一を更新し途中450m地点に特別展望ロビー、350m地点に展望ロビーを設置する。事業費は約500億円。

一方、東京タワーを管理する日本電波塔社は2007年(平成19年)9月21日、放送局各局のデジタルテレビ完全移行後に塔頂部にある現在のアナログテレビ用スーパーターンスタイルアンテナを撤去してデジタルテレビ用アンテナに交換すると共に高さを80~100m伸ばす方針を主軸とした東京スカイツリーへの対抗案を打ち出し各テレビ局に打診した。改修案の費用は約40億円で済むと言われ、各局の放送設備もそのまま流用できるなど東京スカイツリーの設置に比べると圧倒的にコストを低く抑えられる。なお材質に軽量の炭素繊維などを用いた場合、大掛かりな補強工事の費用は必要なく改装費用はさらに減額することが可能である。

上記の通り2011年以降の現・東京タワーの状況は現在のところまだ明確にはなっていないが、基本的には以下の未来が考えられる。

テレビ局が現・東京タワーから放送施設の殆どを撤去した場合、しばらくはFMラジオ波など東京スカイツリーに移行しなくても電波を送信できるものについては引き続き送信を続ける方針であり一部放送施設はこれからも恒久的に存続する。また放送大学はテレビ放送も東京スカイツリーに移設せず引き続き東京タワーで放送を行い、災害などで東京スカイツリーから電波が送れない場合の予備電波塔として利用することが決まった[16]。しかし、放送施設としては主な役目は終わる。観光施設として残す場合は老朽化や耐震問題を考慮し、補強や構成材の交換なども継続していかなければならないため日本電波塔社も「放送局の電波料収入が途絶えた場合、観光収入だけでは経営は難しく取り壊しもあり得る」と発言している。また、京都タワーのように下層部分にホテル施設を新設するなどの案もあがっている。

日本電波塔は2010年(平成22年)9月27日、地上デジタル放送への移行後、災害時などの予備電波塔として利用する契約をNHKおよび民放キー局5社と結んだ。

観光施設としての東京タワー

東京タワー入り口。
チケット等を購入できる。
大展望台1階には一部にガラス張りの床(ルックダウンウィンドウ)があり、足下を眺めることができる。
ファイル:2010東京タワー大展望台ルックダウン下から.jpg
下から見るルックダウンウィンドウ
Club333

この塔の売り上げは観光による収入が5割を超えている。東京近辺を目的地とする修学旅行などにおける定番の行き先として定着している。

  • 2008年(平成20年)12月23日の開業50周年に併せ、以下の事業を行った。
    • 2007年(平成19年)12月から2008年(平成20年)8月にかけて、フットタウンと大展望台を結ぶエレベーターを順次改修した。3基それぞれにテーマがあり最初に行った3号機は「光のルービック・キューブ」、2号機は「UNIVERSE」、1号機は「UFO」というテーマとなっており天井には移動時に色が変わる仕組みが施されている。また運行速度を少し速め、所要時間を1分から45秒に短縮した。
    • フットタウン1階にあり、来塔者の休憩所や食事スペースとして使用していたタワーホールを「東京タワーホール」に改称すると共に全スペースを多目的ホールに改装した。
    • 2008年(平成20年)8月5日よりフットタウン3階の一部を改装して「タワーギャラリー3・3・3」としてオープンし、展示スペース・ショップ・カフェの3施設を併設した。

展望台

地上120mより上に2層の大展望台、さらに地上約223mには特別展望台(当初設置されていた作業台がそのまま残されたもの)があり都心を始め都内の街並みを一望できる。さらに天候が良ければ神奈川埼玉千葉の各県の街並みや富士山などの山々も見ることができる。なお特別展望台については開業から10年間程、放送設備や機材の倉庫として使われ、オープンは1967年(昭和42年)7月になってからである。特別展望台の入場料は大展望台の入場料に加算して支払う必要があり、大展望台2階で特別展望台の入場料を支払う形式を取っている。特別展望台は、天候その他の理由により営業を中止することがあり、大展望台から階段とエスカレータを使って特別展望台行きエレベータホールまで行くため、車いすで特別展望台へ行くのは困難である。

またフットタウンと大展望台を結ぶ階段(590段)は土曜・休日に一般開放されている。段の途中に段数の表記の他、一休みの看板も設置している。階段を昇り切ると、シリアルナンバー入りのノッポン公認昇り階段認定証が手渡される。なお、大展望台と特別展望台を結ぶ階段は非常用である。

大展望台1階では毎週水、木、金曜日に「Club333」というコンサートやリクエストプログラムを開催しており、ホームページよりリクエストできる。

営業時間と入場料については東京タワー TOKYO TOWER 料金表-営業時間を参照のこと。大展望台は2002年(平成14年)4月のリニューアルまで眺望地点の看板の下部に広告を入れていた。

フットタウン

タワーの下にある5階建ての観光・娯楽施設で、以前は「タワービル」と呼び科学館でもあった。タワーのおもりとして設計されている。過去にはTEPCOタワーランドやフジテレビタワープラザといった東京電力やフジテレビのショールームも入居していた。

  • 屋上
大展望台への直通階段や、チケット売り場が設けられている。晴天時には大展望台から降りてきたエレベータは屋上で客を降ろす。
  • 屋上遊園地
  • ガラスの広場 - 屋外イベント広場
以前はマンモス望遠鏡が存在した。
  • 5階 - テレビ・ラジオの送信所。部外者は立ち入り禁止。
  • 4階
  • ノッポンスクエア
  • ゲームコーナー
  • テレビ元気ですか - 実際に放送しているテレビの画質がどう乱れるかを実験する装置が設置されている。
  • 3階
  • 展示スペース
  • 直営売店(タワーショップ)
  • マザー牧場カフェ
  • 懐かしの東京タワー
以前は実際に塔の上部で使われているアンテナが展示[17]されていたり、トリックアートギャラリーがあった。
  • 2階
駐車場直通の出入り口と、マクドナルド側に西出入口がある。
  • 各種土産物屋
  • 飲食店
  • 似顔絵コーナー - 以前は大展望台にあったが、フットタウンに移動している。
  • 1階
正面入り口があり、チケット売り場は外にある。
2009年(平成21年)までタワー大食堂(タワーレストラン)があった。
  • 地下 - 管理事務所。部外者立ち入り禁止。地下2階は職員食堂。

ライトアップ

以前は鉄塔の四隅に一定の間隔で電球を配置していたが、球切れのために所々光が途切れている部分が目立っていた。ある芸能人から「地方から東京に帰ってきてタワーを見ると、電球が切れていて気になる」と指摘を受けている[18]

  • ランドマークライト
タワーに直接光を当てることで、塔体を浮かび上がらせる方式を採用したライトアップ日没から深夜0時までの間にライトアップされる。開業30周年記念により、照明デザイナー石井幹子に依頼。1989年(平成元年)元旦より実施している。照明はデジタルアンテナ部分12灯、特別展望台上部16灯、特別展望台から大展望台まで40灯、大展望台下部16灯、大展望台からタワービル屋上まで84灯、塔脚部12灯の計180灯で構成[19]され、以前は1日あたりの電気料金は2万4000~2万5000円程であった。季節に合わせてライトの色も変化させており、春・秋・冬(10月2日の夜~)は暖光色の高圧ナトリウムランプのライトアップ、夏(2010年(平成22年)は7月17日[20])は涼しげな白色のメタルハライドランプの照明になる。また、イベントなどで違う色にライトアップする場合もある。
  • ダイヤモンドヴェール
2008年(平成20年)12月1日より実施している新たなライトアップで、50周年プロジェクトの一貫。ランドマークライト同様石井幹子によるデザイン。17段ある光の階層それぞれが7色に発色することができるLEDを使用し、色にはメッセージが込められている。20時~22時までの2時間限定のライトアップであり、ライトアップスケジュールはホームページにて確認できる。日没からはランドマークライトが点灯して20時に消灯。ゆっくりダイヤモンドヴェールがライトアップされて22時に消灯。再度ランドマークライトが点灯される。

電気料金は2008年(平成20年)12月時点では投光器の精度がアップしたことと中間部照明器具に消費電力の少ないLEDを使用していることにより、約1万8520円と約25%の省電力となっている[21]

過去に「乳がん撲滅キャンペーン(ピンクリボンデー)」で桃色、映画マトリックス・リローデッド』のプロモーションアイルランドと日本の外交関係50周年の記念として緑色、地上デジタル放送のプロモーションや世界糖尿病デーで青色のライトアップになったこともある。

2000年(平成12年)から年末年始に大展望台の窓ガラスの外側に西暦の数字を装飾しているが、最近はクリスマスにハートの絵文字が装飾されるようになった。

2005年(平成17年)12月の地上デジタル放送のプロモーションで「地デジ」の文字や、2016年東京オリンピック招致オリンピックの色を使った「Tokyo」「2016」の文字を装飾していた時期があった。

2007年(平成19年)の第58回NHK紅白歌合戦では、総合優勝を決めるにあたり従来のそれぞれの審査カテゴリー別の得票最多チームをボールで数える「玉入れ方式」を行わず、東京タワーのライトアップに拠って最終成績を決めるという試みを行った。

2009年(平成21年)にはワールド・ベースボール・クラシック侍JAPANが連覇を決めた時、並びにサッカー日本代表FIFAワールドカップ南アフリカ大会出場を決定した時に祝賀のライトアップを行った。

ライトダウン

設備の点検・工事などの夜間作業が行われる場合を除き、ライトアップの照明は午前0時に消灯されていたが「東京タワーのライトアップが消える瞬間を一緒に見つめたカップルは永遠の幸せを手に入れる」との噂が広まり、午前0時前になるとライトダウンの瞬間を見ようとする多くのカップルが集まるようになった[22]。ライトダウンは施設管理部電気課の職員がスイッチを操作するがアンテナの設備点検や工事があるために0時以降もライトダウンしないと「なぜ今日は消えないのか」と毎回問い合わせがあるため、現在は0時に消灯して再度0時半頃に点灯することになっている。スイッチは回転式で、大展望台の上と下を別々に操作することができる。

放送施設としての東京タワー

日本電波塔
送信所名 東京タワー
局名 東京放送局
送信波 地上デジタルテレビジョン放送
地上アナログテレビジョン放送
FMラジオ放送
地上デジタル音声放送(実用化試験局)
送信塔 1塔
空中線形式
凡例
ST6段(NHK-TG・NHK-TE)
2D8段4面(EX-A、CX-A、TBS-A、NTV-A、TX-A、UD-A)
3素子2L2段14面(MX-A・MX-D)
3素子2L5段15面 2系統(NHK-DG・NHK-DE・EX-D・CX-D・TBS-D・NTV-D・TX-D・UD-D)
SG8段4面(NHK-FM・TFM・J-WAVE)
2L1段4面(InterFM)
2L4段4面(UD-FM)
送信放送局 NHK東京(テレビ・FM)
日本テレビ
TBSテレビ
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京
TOKYO MX
放送大学(テレビ・FM)
InterFM
TOKYO FM
J-WAVE
空中線電力 デジタル:10kW、5kW(UD)、3kW(MX)
アナログ:50kW、10kW(MX、FM各局)
指向性 無し
放送区域 関東平野一帯
受信世帯 約14,000,000世帯、約6,900,000世帯(MX)
開局 1959年1月10日
設置場所 105-0011 東京都港区芝公園4-2-8
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アンテナ配置
デジタル放送用アンテナと特別展望台

放送区域

発信される電波は関東エリアの半径100km圏を範疇とする。

  • テレビ・FMとも基本的には関東平野一帯。それ以外の地域は近隣中継局やケーブルテレビ等で受信する。TOKYO MXは受信できる範囲が限られる。
  • そのほかは受信感度が劣るものの、山梨県長野県新潟県宮城県福島県静岡県中東部のそれぞれ一部地域でも受信ができる。
  • 災害などによって 東京スカイツリーから放送電波を送信できない場合に備えて東京タワーを災害時の予備の電波塔をとしてバックアップする契約が2010年(平成22年)9月27日に日本電波塔株式会社とNHKや在京キー局5社との間で結ばれた[23]

施設

建設当初からのアナログテレビ放送送信所送信機室)はタワービルの5階にある。但し5階は各放送局の送信設備などが置かれた機械室となっているため関係者以外は立入禁止であり、保安上や安全上(感電事故等防止)の面からも一般人の見学はできない。尚、2008年(平成20年)9月にフジテレビONE(当時:フジテレビ739)で放送された『ばら・す』ではフジテレビのアナログテレビ送信施設の一部が放送された。

地上デジタル放送用送信機

送信機は2層を使って設置されており上階にNHKのテレビジョン放送2波分、放送大学と地上デジタル音声放送の実用化試験放送用、下階に民放テレビジョン放送5局分、それぞれの送信機を設置。なおTOKYO MXは単独設置(アナログ送信機と共用)である。送信機は共通仕様に基づき設計された固体化水冷式で最大出力10kWが得られる。

地上デジタル放送送信設備室はフットタウンと大展望台を結ぶ階段からでないと入ることができない。

地上デジタル放送用アンテナ

特別展望台とアナログ放送用アンテナ部分の中間、高さ260~280mのところに直径13m・高さ12mの円筒形をしたアンテナを設置した。これは「3素子型2L双ループアンテナ5段15面4系統」といわれるもので、ループ型アンテナを構成するエレメントを10段30面に配置している。そして赤に塗装された上5段分から3波、白に塗られた下5段分から4波が送信される。なお地上デジタル音声放送用のアンテナは特別展望台の直下、高さ約245mのところに設置されている。これらの設備追加により塔は420tも重量が増加したとの案内が行われていた。2001年(平成13年)、タワーへのアンテナおよび送信機室の設置に伴って構造安全性が再検討され2003年(平成15年)から2005年(平成17年)春にかけて塔の構造材に鋼板による補強[24]と塔脚一本につきコンクリート杭(アースドリル工法・直径3m、深さ約18.5mの基礎杭)が2本ずつ増設[25]された。

2003年(平成15年)の運用開始当初はアナログテレビの混信を避けるため出力の抑制・指向性が掛けられていたが、アナアナ変換による対策がこの地域で完了した2005年(平成17年)までに無指向性・所定の出力となった。

地上アナログ放送用アンテナ

アナログ放送のアンテナは塔頂部からNHK総合と教育(STアンテナ6段にて二重給電)、テレビ朝日、フジテレビ、TBSと日本テレビ(併設)、テレビ東京と放送大学(併設)(以上広域放送、NHK教育のみ全国放送)の順で、塔頂部からH.27(地上27番目の鉄骨の水平材、桁)までのゲイン塔に設置されている。但し、TOKYO MXは開設が放送大学より後なのと県域放送(東京都のみでの放送)のため一段低い場所にある。保守、管理をしているのは電気興業。設計は同社の鈴田豊次(当時25歳)ら新米ばかりの若いチームだった。アンテナは送信波長の関係から太くできないため、直径17センチメートルのステンレス丸棒を溶接したものを使用している。

FM放送用アンテナ

これらの放送局のアンテナは特別展望台の直下からNHK-FM・TOKYO FM・J-WAVE(1つのアンテナを共用)、放送大学、InterFMの順に設置されている。但しInterFMだけは開局時期が遅いこともあり地上150mの大展望台の直上という低い位置、ラジオNIKKEIの中継アンテナと同じ場所にある。また、以前は大展望台の直下にAMラジオのニッポン放送の中継アンテナがあった。

テレビ中継回線設備

一般視聴者向けの放送アンテナ以外に、テレビ局は素材を遠方の取材先から演奏所に送るためのマイクロ波による中継システムを持つ。この塔には送られて来たマイクロ波を受信するアンテナがFM用送信アンテナ群の直下から大展望台にかけて設置され、遠隔操作で取材地方向に向けることができる。また、タワー自体による死角ができるので対向する2個所1組で運用。これらのアンテナで受信した電波は、映像専用回線を通じて各放送局の演奏所に送られる。

また共同取材で素材を融通し合う場合があるが、ここで各局に分配できるようになっている(いわゆる「タワー分岐」と呼ばれる作業)。ただしハイビジョン映像に関しては株式会社ネクシオンの提供する映像伝送サービスをキー局が共同利用して素材交換を行うため、タワー分岐は利用されない。

なお、光ファイバーによる大容量の伝送回線網が日本全国をカバーしたため放送局相互用マイクロ波回線(NTT中継回線)は廃止された。

地上デジタルテレビジョン放送送信設備

ID 放送局名 コールサイン 物理チャンネル 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域内世帯数
1 NHK東京総合テレビ JOAK-DTV 27ch 10kW 48kW 関東広域圏
(茨城県を除く)
約1400万世帯
2 NHK東京教育テレビ JOAB-DTV 26ch 全国放送
4 日本テレビ JOAX-DTV 25ch 関東広域圏
5 テレビ朝日 JOEX-DTV 24ch
6 TBSテレビ JORX-DTV 22ch
7 テレビ東京 JOTX-DTV 23ch
8 フジテレビ JOCX-DTV 21ch
9 TOKYO MX JOMX-DTV 20ch 3kW 5kW 東京都 約690万世帯
12 放送大学 JOUD-DTV 28ch 5kW 19kW 関東広域圏 1319万6862世帯
※局名は略称・愛称で表記
※コールサインは主放送に対するもののみ
※放送大学は2006年(平成18年)12月1日、それ以外は2003年(平成15年)12月1日放送開始

地上アナログテレビジョン放送送信設備

ch 放送局名 コールサイン 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域内世帯数
1 NHK東京総合テレビ JOAK-TV 映像50kW
音声12.5kW
映像240kW
音声60kW
関東広域圏 -世帯
3 NHK東京教育テレビ JOAB-TV 映像270kW
音声69kW
全国放送
4 日本テレビ JOAX-TV 映像370kW
音声94kW
関東広域圏
6 TBSテレビ JORX-TV 映像380kW
音声95kW
8 フジテレビ JOCX-TV 映像370kW
音声92kW
10 テレビ朝日 JOEX-TV 映像370kW
音声91kW
12 テレビ東京 JOTX-TV 映像370kW
音声93kW
14 TOKYO MX JOMX-TV 映像10kW
音声2.5kW
映像17kW
音声4.2kW
東京都 -世帯
16 放送大学 JOUD-TV 映像50kW
音声12.5kW
映像330kW
音声81kW
関東広域圏 -世帯
コールサインは主放送に対するもののみ
※TBSテレビのコールサインはラジオ分社化以後のもの(それ以前は東京放送・「JOKR-TV」)

FMラジオ放送送信設備

周波数(MHz) 放送局 コールサイン 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域内世帯数
76.1 InterFM JODW-FM 10kW 11.5kW [26] -世帯
77.1 放送大学 JOUD-FM 38kW 関東広域圏 -世帯
80.0 TOKYO FM JOAU-FM 44kW 東京都 -世帯
81.3 J-WAVE JOAV-FM -世帯
82.5 NHK東京FM放送 JOAK-FM -世帯
※局名は略称・愛称で表記
※コールサインは主放送に対するもののみ
免許人 コールサイン 周波数(MHz) 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域内世帯数
社団法人
デジタルラジオ推進協会
JOAZ-FM 190.214286[27] 2.4kW 3kW 南関東の一部 約490万世帯
※コールサインの「JOAZ」は当初NHK旭川放送局ラジオ第2名寄ラジオ中継放送所に、その後はNHK佐世保放送局に割り当てされ現在は試験局・臨時局用に確保されており何度も再利用されている

特徴

ギャラリー

東京タワー周辺

夜景・ライトアップ

「東京タワー」の名称を使用した企業

1963年(昭和38年)4月15日に東京タワーを使用した社名として「東京タワー観光バス」が設立された。同社は1969年(昭和44年)10月2日国際興業に買収され、1972年(昭和47年)4月1日に合併された。

関連会社

東京タワーが登場する作品

東京タワーはその時代や東京という地理的背景を説明する為のシンボルとして、建設以来実に様々な小説や映像作品の中に登場している。本項では、数多の作品の中からその一部を紹介する。

テレビドラマ・映画・小説

漫画・アニメ・特撮

怪獣もの

怪獣と東京タワーは縁が深い。現実感と怪獣の巨大さ、破壊力を誇示する効果があるからだと思われる。最初に東京を襲った大怪獣はゴジラであり、実際には東京タワーを破壊していない(第1作の公開は1954年(昭和29年)であり、竣工すらしていない)。しかしその後東京タワーを倒す怪獣が数多くなり、特にテレビで怪獣ものが流れるようになってからは頻繁に倒されるようになった。

なお日本の怪獣映画のスターであり、最初の怪獣映画でもある初代ゴジラが東京タワーを倒したとの印象が広く浸透している。たとえば、下記の小松左京の小説にも「型通りに」東京タワーを壊したと書かれてある。同様の例として、清原なつのの少女漫画作品である『ゴジラサンド日和』ではリバイバルのゴジラを見に行ったかつてのカップルを描写したシーンでゴジラが「うりゃっ」というかけ声とともに東京タワーを叩き折っているシーンが出てくる。これらは少なくとも「怪獣は東京タワーを破壊するもの」とのイメージが実在したことを示すものである。

その他にも『三大怪獣 地球最大の決戦』『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』『キングコングの逆襲』『ゴジラ FINAL WARS』など多くの怪獣映画で東京タワーが登場し、かつ破壊されている。

音楽

関連商品

大展望台カフェ・ラ・トゥールにある東京タワー2007

東京タワーは開業当初から観光施設としての性質を持ち、ミニチュア(タワー模型)やプラモデル、テナント、絵葉書等のおみやげ品が用意されていたが、近年上記の『Tokyo Tower』や『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』、『ALWAYS 三丁目の夕日』等で別の意味で注目されるようになり一般の店舗での関連商品が登場した。

  • 東京タワー2007 - 2007年(平成19年)6月に発売されたセガトイズの東京タワー1/500模型で高さ66.6cm、LEDによりライトアップを再現する機構を持つが航空障害灯やエレベータの明かりは再現されていない。定価1万3330円。同年11月には限定クリスタルバージョンを発売。設計は同社社員の加藤武彦。実物は想像以上にとがった形のため、地上からタワーを見上げる場合の見え方とはズレがあり、すそを広げた形に設計し直している。製品をタワー建設に携わった職人の桐生五郎に見せたところ、目を細めて「姿の美しいものは良いものだ」とため息を漏らした[28]
  • 東京タワー物語 - 2008年(平成20年)4月にタカラトミーから発売された1/2000のクローズドボックスフィギュアで、1958年(昭和33年)建設時など様々な東京タワーの形態を再現。レアアイテムにはLED内蔵の発光機構を備えたものもある。

アクセス

鉄道

ファイル:2009東京タワー赤羽橋駅前.JPG
赤羽橋駅前のタワー表記
浜松町駅

路線バス

  • 東京タワー(東京タワー敷地内、徒歩0分)
  • 東京タワー(道路沿い、徒歩1分)
  • 東京タワー入口(桜田通り、徒歩3分)
    • 都営バス
      • <渋88> 新橋駅前(虎ノ門経由)/渋谷駅前(六本木駅前経由)
      • <橋86> 新橋駅前(御成門経由)/目黒駅前(天現寺橋経由)

  • 東京タワーパーキングセンター(50台、最初の60分580円、以後30分200円)
ほか近辺駐車場に計100台以上駐車可

注釈

  1. ^ 財団法人日本動物愛護協会は「二度とこのような事件が起きて欲しくない」という思いから「動物愛護」のシンボルとして、当時開業したばかりで話題の場所だった東京タワーに記念像を造った。
  2. ^ タワーでの結婚式はこの一度きりであり、その後、他にも申し入れがあったがタワーでの結婚式サービスは行われていない
  3. ^ 弧を描くように「TOKYO TOWER」の文字が配置しており、東京タワーがある小高い丘(芝公園)や地球をイメージしている。中央のTだけオレンジ色で大きく、東京タワーを思わすデザイン。文字の上に並んだ緑色の丸は、地球環境への貢献や自然との共存をイメージしている。デザインは尾村匡昭、竹鶴孝太郎。当日は来塔者のうち先着1000人に、新ロゴをデザインしたクリアフォルダがプレゼントされた。
  4. ^ 東京タワー来塔者1億6千万人達成 - 産経ニュース(2009年平成21年)11月1日閲覧)
  5. ^ 大阪の新聞王」と呼ばれ、当時は産業経済新聞社関西テレビ放送大阪放送の社長を務めていた。現在の日本電波塔、マザー牧場社長・前田伸の父。
  6. ^ ニッポン放送の事実上の創業者。後のフジテレビジョン・産業経済新聞社社長、フジサンケイグループ初代議長。
  7. ^ 建築雑誌Vol.105,No.1305 1990年10月号
  8. ^ 小林紳也・建築雑誌 121(1546), 29, 2006-04-20・社団法人日本建築学会
  9. ^ 2007年(平成19年)12月 東京タワー未来懇談会
  10. ^ 重厚長大・昭和のビッグプロジェクトシリーズ 偉大なる建設 東京タワーの建設記録 ASIN:B000QTCYZO
  11. ^ 大澤悟 日本建築学会退会学術講演 鋼構造物の維持管理・東京タワー 2002年(平成14年)8月
  12. ^ 戦後復興シンボル、天高く YOMIURI ONLINE 2008年1月1日
  13. ^ 『東京今昔探偵』(中公新書ラクレ ISBN4-12-150012-1)「東京タワー~米軍戦車をつぶして鉄骨に」の項や『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』でもとり上げられた。
  14. ^ 竹中工務店東京支店 池田末造東京タワーの施工について 建築雑誌 74(869), 13-18, 1959-04-20
  15. ^ 早稲田大学理工学部建築学科・田中 弥寿雄 Tanaka Yasuo こぼればなし:東京タワーの基礎(<特集>関東の土質と基礎)[in Japanese] Soil mechanics and foundation engineering 40(3), 86, 1992-03-25
  16. ^ スカイツリー開業後の東京タワー…結んだ契約は
  17. ^ 東京タワー 日本電波塔
  18. ^ 東京電波塔研究会・東京タワー99の謎―知らなかった意外な事実!・二見書房(2006/07) ISBN:978-4576061177
  19. ^ 東京タワーの秘密
  20. ^ http://www.tokyotower.co.jp/cgi-bin/reg/01_new/reg.cgi?mode=1&no=1360 東京タワーライトアップ
  21. ^ 省エネ対策もバッチリ! 東京タワー開業50周年「ダイヤモンドヴェール」開始 日経トレンディネット
  22. ^ 東京タワー ライトダウン伝説
  23. ^ スカイツリー開業後の東京タワー…結んだ契約は 読売新聞 2010年(平成22年)9月28日 13S版10面
  24. ^ 竹中工務店・半世紀にわたる維持保全
  25. ^ 竹中eレポート2006
  26. ^ 東京特別区さいたま市千葉市横浜市川崎市成田国際空港
  27. ^ VHFテレビ7chに相当する周波数帯
  28. ^ いつも我が家の一部 YOMIURI ONLINE 2008年1月8日

関連項目

外部リンク

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