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ko:정난정 2010년 9월 28일 (화) 23:42を翻訳の上出典に基づき加筆。
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{{朝鮮の人物
'''鄭蘭貞'''(チョン・ナンジョン ? - [[1565年]])は、[[張禧嬪]](チャン・ヒビン)、張緑樹([[張緑水]]、チャン・ノクス)と並び、「朝鮮三大妖女」と称される人物。
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'''鄭蘭貞''' (チョン・ナンジョン、てい・らんてい、[[ハングル]]: {{lang|ko|정난정}}、? - [[嘉靖]]44年 ([[1565年]][[11月13日]]<ref name=koreanp>
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|title= 〈続 朝鮮史を駆け抜けた女性たち⑭〉 奴婢から貴族夫人に-鄭蘭貞
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)) は、[[李氏朝鮮]]第11代国王・[[中宗 (朝鮮王)|中宗]]の第3王妃[[文定王后]]尹氏の姻族であった女性。


中宗に仕える武官であった[[鄭允謙]]と[[側室|側女]]との間に生まれ、長じて文定王后の弟[[尹元衡]] ([[:ko:윤원형|윤원형]]) の側女となり、正妻死去後は継室となった。文定王后の[[垂簾聴政]]を支え、「[[女人天下 (朝鮮)|女人天下]]」と称される栄華の時代を送ったが、後に自殺した。
蘭貞は[[賤民]]を母として生まれ、父の第一夫人とその子らに虐待される苦しい生活を送ってきていたが、幼い頃から聡明さと蘭の花にたとえられるほどの美貌を備え、通りすがりの人を含む多くの男性を虜にしたといわれる。


== 生涯 ==
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== 関連テレビドラマ ==

*[[女人天下 (テレビドラマ)]]
== 評価 ==
[[朝鮮王朝実録]]においては、鄭蘭貞は文定王后や尹元衡、また多くの男たちを惑わせ、仕えるべき相手である正妻を毒殺して後釜に納まり、朝鮮の身分制度を覆そうとした悪女、妖婦であるとされている。また[[張禧嬪]]・[[張緑水]]と共に「'''朝鮮三大悪女'''」のひとりと数えられる場合もある。

[[朝鮮新報]]で鄭蘭貞についてコラムを執筆した[[朴珣愛]]は、尹元衡の、人材登用において貴賎を問わず能力に基づいて行うべしとする上奏に際し、鄭蘭貞の存在が何らかの影響を与えているのではと述べている<ref name=koreanp/>。

== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
*[[文定王后]]
*[[朝鮮王朝実録]]
*[[女人天下 (テレビドラマ)]] - 鄭蘭貞の生涯を題材としたテレビドラマ。


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2010年11月18日 (木) 07:54時点における版

鄭蘭貞
各種表記
ハングル 정난정
漢字 鄭蘭貞
発音: チョン・ナンジョン
日本語読み: てい らんてい
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鄭蘭貞 (チョン・ナンジョン、てい・らんてい、ハングル: 정난정、? - 嘉靖44年 (1565年11月13日[1] )) は、李氏朝鮮第11代国王・中宗の第3王妃文定王后尹氏の姻族であった女性。

中宗に仕える武官であった鄭允謙側女との間に生まれ、長じて文定王后の弟尹元衡 (윤원형) の側女となり、正妻死去後は継室となった。文定王后の垂簾聴政を支え、「女人天下」と称される栄華の時代を送ったが、後に自殺した。

生涯

幼い頃に家を出て妓生となったが、後尹元衡と出会いその側女となった。尹元衡には正妻 (朝廷の実力者であった金安老の姪) がいたが、この正妻は尹家より追い出され、朝鮮王朝実録によると、後鄭蘭貞によって毒殺されたと記されている[1]

文定王后と親密な関係にあった鄭蘭貞は、その弟である夫を支えた。尹元衡は後財産を増やして巨万の富を築いた他、朝廷において出世して行き、最終的には領議政の地位にまで登りつめた。妻である鄭蘭貞も、尹元衡が吏曹判書に就任した時には貞夫人に、そして明宗8年 (1553年) には外命婦最高の地位である従一位貞敬夫人に命ぜられた[1]。しかし文定王后の死後は後ろ盾を失う形となり、貞敬夫人の地位を失った他、前妻殺害の罪に問われる事となったが、義禁府に連行される前に「人に制裁を受けるくらいならば自ら死をえらぶ[1]」と言い残して服毒自殺を図った。この際、尹家の10人の使用人が取調べを受けた末、全員が拷問によって死亡したが、ひとりとして鄭蘭貞が毒殺犯だと認めなかったという[1]。夫尹元衡も官職を失った後流刑に処せられた後に自殺して鄭蘭貞の後を追った。

評価

朝鮮王朝実録においては、鄭蘭貞は文定王后や尹元衡、また多くの男たちを惑わせ、仕えるべき相手である正妻を毒殺して後釜に納まり、朝鮮の身分制度を覆そうとした悪女、妖婦であるとされている。また張禧嬪張緑水と共に「朝鮮三大悪女」のひとりと数えられる場合もある。

朝鮮新報で鄭蘭貞についてコラムを執筆した朴珣愛は、尹元衡の、人材登用において貴賎を問わず能力に基づいて行うべしとする上奏に際し、鄭蘭貞の存在が何らかの影響を与えているのではと述べている[1]

脚注

関連項目