コンテンツにスキップ

「志村亮」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
長期間出典が提示されない記述の削除とそれに伴う出典タグの除去
2行目: 2行目:


== 人物・来歴 ==
== 人物・来歴 ==
[[神奈川県]][[平塚市]]出身。[[桐蔭学園中学校・高等学校|桐蔭学園高校]]3年時に[[第66回全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]に出場、一躍好投手として注目を浴びる。卒業後は[[慶應義塾大学]]に進学、[[東京六大学野球連盟|六大学野球リーグ戦]]では1年時の[[1985年]]秋季リーグ戦で慶大26季ぶりの優勝に貢献している。4年時の[[1988年]]春・秋にかけ53イニング連続無失点、特に1988年春 早大1回戦、同年秋 東大回戦、明大回戦、回戦、立大回戦と試合連続完封しており、東京六大学野球において、この5試合連続完封の記録は今なお、破られていない。通算31勝17敗、防御率1.82、295奪三振の成績を残す(31勝は慶大の大先輩で元[[読売ジャイアンツ|巨人]]監督の[[藤田元司]]と並びリーグ歴代13位タイ)。
[[神奈川県]][[平塚市]]出身。[[桐蔭学園中学校・高等学校|桐蔭学園高校]]3年時に[[第66回全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]に出場、一躍好投手として注目を浴びる。卒業後は[[慶應義塾大学]]に進学、[[東京六大学野球連盟|六大学野球リーグ戦]]では1年時の[[1985年]]秋季リーグ戦で慶大26季ぶりの優勝に貢献している。4年時の[[1988年]]春・秋にかけ53イニング連続無失点、特に1988年春 早大1回戦、同年秋 東大1回戦、明大1回戦、2回戦、立大1回戦と5試合連続完封しており、東京六大学野球において、この5試合連続完封の記録は今なお、破られていない。通算31勝17敗、防御率1.82、295奪三振の成績を残す(31勝は慶大の大先輩で元[[読売ジャイアンツ|巨人]]監督の[[藤田元司]]と並びリーグ歴代13位タイ)。


プロ野球選手とはならなかった。もし、プロ入りを表明していたら、複数球団によるドラフト1位競合が目されていたため、'''幻のドラフト1位'''と呼ばれることもある<ref>[[澤宮優]], 『ドラフト1位』, [[河出書房新社]]</ref>。
プロ野球選手とはならなかった。もし、プロ入りを表明していたら、複数球団によるドラフト1位競合が目されていたため、'''幻のドラフト1位'''と呼ばれることもある<ref>[[澤宮優]], 『ドラフト1位』, [[河出書房新社]]</ref>。

2010年12月6日 (月) 02:00時点における版

志村 亮(しむら りょう、1966年 - )は、日本の元大学野球選手(投手、左投左打)。

人物・来歴

神奈川県平塚市出身。桐蔭学園高校3年時に夏の甲子園に出場、一躍好投手として注目を浴びる。卒業後は慶應義塾大学に進学、六大学野球リーグ戦では1年時の1985年秋季リーグ戦で慶大26季ぶりの優勝に貢献している。4年時の1988年春・秋にかけ53イニング連続無失点、特に1988年春 早大1回戦、同年秋 東大1回戦、明大1回戦、2回戦、立大1回戦と5試合連続完封しており、東京六大学野球において、この5試合連続完封の記録は今なお、破られていない。通算31勝17敗、防御率1.82、295奪三振の成績を残す(31勝は慶大の大先輩で元巨人監督の藤田元司と並びリーグ歴代13位タイ)。

プロ野球選手とはならなかった。もし、プロ入りを表明していたら、複数球団によるドラフト1位競合が目されていたため、幻のドラフト1位と呼ばれることもある[1]

『プロ野球ドラフト史』[2]に掲載されたインタビューで「高校1年の時の様な地獄の苦しみは二度と味わいたくない」と発言し、聞き手の楊順行は「プロに入ったら少なくとも『地獄』を経験することになるだろう」と記している。また、『慶應塾生新聞』の『人物列伝』では、「プロ野球は、実力を試したいとかいう気持ちだけで、入れる世界ではない。大学生になって、段々と現実が見えてきた」と振り返っている[3]

脚注・出典

  1. ^ 澤宮優, 『ドラフト1位』, 河出書房新社
  2. ^ ベースボール・マガジン社 2002年版
  3. ^ 慶應塾生新聞 [【人物列伝】潔く野球から退いた男 志村 亮氏]