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* 最速九段昇段(5年7ヶ月)
* 最速九段昇段(5年7ヶ月)
* 竜王戦連覇 7期 ※継続中
* 竜王戦連覇 7期 ※継続中
* 竜王最多在位 7期


=== 珍記録 ===
=== 珍記録 ===

2010年12月15日 (水) 13:18時点における版

 渡辺明 竜王
名前 渡辺明
生年月日 (1984-04-23) 1984年4月23日(40歳)
プロ入り年月日 2000年4月1日(15歳)
棋士番号 235
出身地 東京都葛飾区
師匠 所司和晴七段
永世称号 永世竜王(就位は原則引退後)
保持タイトル 竜王
段位 九段
棋士DB 渡辺明
戦績
タイトル獲得合計 7期
一般棋戦優勝回数 4回
2009年12月5日現在
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渡辺 明渡邊 明、わたなべ あきら、1984年4月23日- )は、将棋棋士永世竜王の資格を保持。所司和晴門下。棋士番号は235。

東京都葛飾区出身。

棋歴

15歳でのプロデビュー

1994年、4年生(出場時は3年生)で第19回小学生将棋名人戦に出場し、優勝。4年生での優勝は史上初である(その後、複数名の例がある)。その年に所司和晴に入門し、6級として奨励会入り。1年間で2級まで昇級する。1級で足踏みをするも、初段、二段をそれぞれ1年で通過し三段リーグ入り。

2000年3月、第26回三段リーグで13勝5敗で1位となり、同年4月に15歳で四段昇段(プロ入り)。四段昇段を決めたのが中学3年の3月であるため、史上4人目の「中学生棋士」とも呼ばれた[1]河口俊彦は奨励会時代から「あの子は大物」と語っていた[要出典]

2002年度の第61期順位戦C級2組で9勝1敗の成績を挙げC級1組へ昇級。

2003年9月、王座戦において、史上3番目の若さ(19歳)でタイトル挑戦者となり、棋界の第一人者である羽生善治に挑んだ。第3局までで渡辺の2-1で羽生をカド番に追い込んだが、そこから2連敗しタイトル獲得には至らなかった。この活躍により、将棋大賞の新人賞を受賞。

20歳竜王

2004年、第17期竜王戦の4組で阿久津主税橋本崇載塚田泰明ら有力棋士を破って優勝し、本戦トーナメントに進出。本戦トーナメントでは森けい二谷川浩司屋敷伸之に勝ち、挑戦者決定三番勝負では森下卓を2-0のストレートで破り、無敗の10連勝で挑戦権を得る。

そして森内俊之との第17期竜王戦七番勝負でフルセットの末に勝ち、2004年12月28日、名人とともに将棋界の二大タイトルの一つ[2]である竜王位を弱冠20歳で獲得した。4組から竜王挑戦し、奪取に成功したのは藤井猛以来2人目である。また、20歳でのタイトル獲得は、屋敷(18歳・棋聖)、羽生(19歳・竜王)に次ぐ史上3番目の年少記録であった。なお、竜王奪取の前々日には、渡辺を追ったテレビのドキュメンタリー番組(毎日放送制作・TBS系『情熱大陸』)が放送されていた。

2005年11月30日、第18期竜王戦第4局で木村一基の挑戦を4勝0敗のストレートで退け初防衛、史上最年少九段(21歳7ヶ月)となる[3]

第13期(2005年)銀河戦で森内を撃破し、タイトル戦以外の全棋士参加棋戦で初優勝。さらに第36期(2005年度)新人王戦三番勝負で、千葉幸生を2連勝で破り優勝。この年度は41勝を挙げ、将棋大賞の最多勝利賞を受賞。記録部門での受賞は、これが初。

2006年3月、初めてNHK杯(2005年度)の決勝に進出。相手は丸山忠久であったが惜しくも敗れる。この将棋は渡辺の先手となったが、初手は非常に珍しい▲3六歩(袖飛車戦法)であった。局後のインタビューで「決勝戦なので一発派手なことをやってやろうかと」と語った。また、63手目▲3三桂不成と捨てた手についても、「魅せてやろうかと(思って)」と語る。第64期順位戦C級1組を8勝2敗でB級2組に昇級。

第19期(2006年度)竜王戦はフルセットの末、佐藤康光の挑戦を退けて防衛に成功(2006年12月21日)。藤井猛と並んで最多タイ記録となる竜王位3連覇を達成した。この竜王戦では第1、2局で連敗し、第3局も途中まで劣勢に追い込まれていたが、終盤でまるで作ったような逆転の一手(本人談、124手目△7九角)があって逆転勝ちした。これで七番勝負の流れが変わり、続く第4、5局も勝って3連勝とした。第6局では渡辺の初手▲7六歩に対し、佐藤が2手目△3二金と指し渡辺を挑発した(3二の金は、相手が振り飛車の場合には適さない位置とされるため、2手目△3二金は居飛車党の棋士に対し「振り飛車も指せるか」と挑発する意味がある)。渡辺はこの挑発に乗って不慣れな振り飛車を指して負け、勝負の行方は最終局に持ち込まれる。そして第7局で、佐藤はまたしても2手目△3二金を採用したが、今度は渡辺は挑発に乗らず矢倉(相居飛車)になり、渡辺が勝利して竜王位を防衛した。

2007年3月21日、大和証券杯ネット将棋の特別対局で、第16回世界コンピュータ将棋選手権優勝のボナンザと対局し、112手で勝利。この対局の直前に渡辺は珍しく震えていたという(2007年のNHK将棋講座で講師をした際、番組中で明かした)。

第65期(2006年度)順位戦B級2組を10戦全勝で終え、2期連続昇級でB級1組へ昇級。

第15期(2007年)銀河戦・決勝戦で森内俊之を139手で下し、2年ぶり2回目の優勝。

同年、第48期王位戦では白組プレーオフを制し、挑戦者決定戦に進出したが、深浦康市に敗れる。

同年、第78期棋聖戦で、竜王としてようやく初めてのタイトル挑戦者となるが、佐藤康光に1勝3敗で敗れ二冠を逃す。

一方、第20期(2007年度)竜王戦では逆に2年連続で佐藤の挑戦を受け、4勝2敗で防衛に成功し、竜王戦の連覇新記録となる竜王位4連覇を達成。佐藤とは、互いに自分のタイトルを防衛・連覇し合う結果となった。この竜王戦第6局では前年に引き続き、後手番となった佐藤が渡辺の初手▲7六歩に対し2手目△3二金を採用。渡辺はこの竜王戦の前に、将棋世界の「イメージと読みの将棋観」の中で「この手に対しては中飛車で指せば先手がいい。今度指されたら中飛車にしますよ」と語っており、その予告通りに渡辺は飛車を中央に転回。その結果、佐藤も飛車を中央に振って相中飛車の力戦となり、最終的に渡辺が勝利した。

2008年8月24日、第2回ネット将棋・最強戦の決勝で鈴木大介を破り優勝。

初代永世竜王

2008年、第21期竜王戦七番勝負で竜王通算6期の羽生善治を挑戦者に迎え、勝者が初代永世竜王となる注目の七番勝負となった(永世竜王の条件は、連続5期または通算7期)。渡辺は第1局から3連敗したが、第4局では両者ともに入玉模様の壮絶な終盤戦を制した。続く第5局も制し、第6局では後手急戦矢倉で新手[4]を繰り出して完勝。第7局も第6局に続いて渡辺が後手急戦矢倉を採用したが逆転に次ぐ逆転となり、最後は1分将棋を渡辺が制して、第4局以降の4連勝で竜王戦5連覇を達成した(この最終第7局で、将棋大賞の「名局賞」を羽生とともに受賞している)。七番勝負のタイトル戦での3連敗4連勝は将棋界では初めての出来事であった(9か月後の王位戦でも深浦康市が達成)。これによって渡辺は竜王在位連続5期となり、初代永世竜王の資格を取得。現行の三段リーグ出身者として初の永世称号を得た。

渡辺が永世竜王の資格を得るまでに獲得したタイトルは竜王のみであるが、ほかのタイトルを獲得しないまま1つのタイトルの永世称号を手にしたのは、名人戦以外のタイトル戦がなかった時代の木村義雄のケースを除けば、渡辺が初めてである。

なお、5年の間に他のタイトルを獲得せず棋界最高峰(賞金額も最多)のタイトル1つだけを獲得・5連覇して永世称号を得たケースは囲碁界にもあり、藤沢秀行棋聖戦(囲碁)において5連覇で名誉棋聖の称号を獲得している(最終的に6連覇、第1期(1977年)- 第6期))。ただし、藤沢の場合は棋聖獲得の前に名人王座の獲得歴がある。

2009年度の第22期竜王戦では、永世名人の資格を持つ森内俊之が挑戦者となり、タイトル戦として史上初の「永世竜王対永世名人」(資格者)という戦いとなったが、第4局(2009年11月25 - 26日)まで渡辺が4連勝のストレートで防衛に成功(6連覇)。そして次年度(2010年度)の第23期は、羽生善治の2年ぶりとなる挑戦を4勝2敗で返り討ちにして7連覇を達成、竜王7期も6期の羽生を抜いて歴代単独トップとなった。

A級へ

2009年9月24日、第56期王将戦の二次予選決勝で勝ち、棋界随一の難関(定員7名、残留4名)である王将リーグに初めて入る。しかし、リーグ戦では負け越して(同年12月1日)、即陥落となった。

第68期B級1組順位戦は、渡辺(竜王)、久保利明棋王)、深浦康市(王位)という3名のタイトル保持者によるA級昇級争いとなる。2010年2月5日に行われた第12回戦で苦手の深浦との直接対決を制し、順位戦初参加から10年目・B級1組3年目にして、ついにA級昇級を決める。

棋風

  • 居飛車党で、固い玉形、特に居飛車穴熊からの攻めを得意にしており、矢倉、対振り飛車、角換わりとあらゆる戦型において駒を繰り替えて『穴熊』にする戦い方を用いることが多く、特に先手番における矢倉穴熊の勝率が高い。また、少々強引でも自玉が安全なため結果的に攻めが成功する、いわゆる「Z(ゼット):絶対玉が詰まない形にして攻めまくる」と呼ばれるパターンが多く、現代的な実戦感覚に優れているとされる。
    • ただし、第21期竜王戦第1局では挑戦者の羽生善治に得意の穴熊を採用したが羽生に巧みに攻め潰されて完敗したので、第2局以降は穴熊を敢えて採用せずに急戦将棋で飛車切りを含めた攻撃的な将棋を積極的に指して、竜王5連覇を達成した。
  • 2004年の竜王奪取時までは、後手番では横歩取り8五飛を多用していたが、2005年以降は採用数が極端に減った。このことについて、本人は将棋世界の中で「横歩取りばっかり指していると進歩が無い」とコメントしているが、この他にも研究が進んで後手が勝ち辛くなってきたことが挙げられる。その「棋風変更」のため、後手番の初手にはほとんど飛車先の歩を突く、現在の棋界では少数派である「居飛車正統派」となり、そのため「後手番で苦戦している」といわれていた。しかし、第21期竜王戦では後手急戦矢倉を採用し、かつ新手を繰り出すという趣向を見せ、それまで戦法の単調さに苦言を呈すことの多かった谷川浩司も「評価が大きく変わった」と絶賛した。[5]
  • 序盤の研究戦術にも熱心で、中学生時代からコンピュータを使ってデータベースを構築している。第21期竜王戦第6局の後手急戦矢倉(対羽生戦)の新手で一気に完勝したように、研究将棋が炸裂すると無類の強さで圧勝する。羽生善治をして「渡辺将棋は、現代の若者らしく多くのデータの中から良質のものを選び出す能力が高い。棋譜、定跡、研究、手筋などあふれかえるほどの情報量をうまく質に転換できている。」といわしめた[6]
  • 四段時代から「大山の再来」といわれるほど、終盤の逆転術に長けている。プロになった頃は谷川浩司の将棋を並べていると答えていた[7]が、谷川将棋のように最善の寄せを探求して一気に最短手で寄せるというよりは、大山将棋のような終盤の粘りと泥沼の中で逆転をみせる終盤術である。
  • 封じ手については、残り時間や局面、指し手の幅などを考慮して、自ら封じるか、あるいは対局相手に封じさせるかまで計算しているという。また「自身が封じる場合には相手の意表を突く手を選ぶ場合もある」と語っている。

人物

  • 「魔太郎」「魔王」という愛称がある。魔太郎の由来は藤子不二雄A作『魔太郎がくる!!』のキャラクターに似ていることであり、本人も似ていると認めている[8]
  • 同門には松尾歩宮田敦史がおり、渡辺と合わせて所司門下スーパーカートリオと呼ばれている。
  • 打倒羽生世代を掲げ、時に歯に衣着せぬ酷評や過激な言動を見せるが、そのためか解説は解りやすいと定評がある。
  • 羽生善治は、30代頃から終盤戦になると手が激しく震える癖が出るようになったが、この癖が有名になったのは、2003年の王座戦第5局における渡辺との対局である。この対局の終盤で羽生は右手が震えて駒をまともに掴めなくなり、この事件から渡辺は「羽生を震えさせた男[9]として衝撃的に報道された。しかし、後にこの震えは、羽生が勝利への手順を確信したときに出る癖であることが浸透し、「羽生を震えさせた男」の異名は使われなくなっている。
  • 2004年に伊奈めぐみ(棋士の伊奈祐介の妹で元女流育成会員。詰将棋作家)と20歳のときに結婚。同年、長男が生まれた。
  • 趣味はゲーム(特に桃太郎電鉄シリーズ)と競馬
    • 競馬についてはG1レースのテレビゲストに呼ばれたこともある。2006年竜王戦前にコメントした「私は下馬評を裏切るだろう」は競馬好きの一端を表わしている(ただし「下馬評」は競馬とは関係のない語句である)。2008年竜王戦第1局はパリで行われたが、その際もサンクルー競馬場に向かい馬券を購入したほど。将来の夢は「フルタイム競馬ジジイ」とのことで、競馬雑誌のインタビューでは「現役を引退して、月曜日の朝からレースを全部見るのが、今から楽しみなんですよ」と語っている[10]
    • ゲームについては、2010年1月にアーケードで稼動された「天下一将棋会」で、実際にプレイして、このゲームを高く評価した。また、本人のインタビューもこのゲームのホームページで視聴することができる。
    • また、天下一将棋会の続編として開発されている、天下一将棋会2のロケテストにおいて、イベントの一環である、プロ棋士対決のその一人として登場。駒落ち+多面指しと言うハンデにも関わらず、全戦全勝を記録している。この情報は、本人のブログにて見ることが出来る。
  • 近年はブログを始めており、掲載されているgooブログにおいてはアクセスIP数ベスト10の常連となる人気である。このブログは2007年6月25日にgooブログのオフィシャルブログになった[11]。同年7月19日には管理人がつけられ、コメントの書き込みはgoo IDを持つものに限定されるようになった[12]。さらに2008年9月9日からは、コメント受け付けが停止された[13]
  • 竜王戦の挑戦者になった際に記念扇子を作ることになっていたが、書道が大の苦手だったらしく、将棋界の書道の達人で渡辺とは旧知の仲である石橋幸緒に指導を受けて腕を上げた(NHKトップランナーにて紹介される)。
  • チェスは指さないが、国際チェス連盟の日本人のレーティング上位にHabu, Yoshiharu、Watanabe, Akira、Moriuchi, Toshiyuki、と名前があるため、チェスのトッププレイヤーでもあると誤解されることがある(羽生と森内は将棋棋士本人であるが、Watanabe, Akiraは同姓で同音の渡辺暁であり別人)。
  • ソフトやアマの棋力向上を真剣に受け止めているプロの一人であり、ボナンザとの真剣勝負を受けたことにもそれが現れている。しかし一方で、プロに勝ちを収めるアマトップを「プロの底辺以下」と評し、ソフトに対して「ソフトがトッププロを超えるとは思えない」と発言するなど、プロ棋士としての強い矜持を持っている。

昇段履歴

  • 1994年 6級(奨励会入会)
  • 2000年4月1日 四段(プロ入り) = 史上4人目の中学生棋士[1]
  • 2003年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 2004年10月1日 六段(竜王挑戦)
  • 2005年10月1日 七段(竜王獲得)
  • 2005年11月17日 八段(竜王1期、昇段制度改正による)
  • 2005年11月30日 九段(竜王2期、史上最年少九段[3]

主な成績

タイトル・永世称号

タイトル 番勝負 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 永世称号資格
竜王 七番勝負
10-12月
04(第17期)-10 7 7期
(歴代1位)
7
(歴代1位、継続中)
永世竜王
名人 七番勝負
4-6月
王位 七番勝負
7-9月
王座 五番勝負
9-10月
1
棋王 五番勝負
2-3月
棋聖 五番勝負
6-7月
1
王将 七番勝負
1-3月
登場回数合計9回、 獲得合計7期南芳一升田幸三と並ぶ歴代10位タイ

(番勝負終了前は除く。最新は、2010年度の竜王防衛。)

一般棋戦優勝

優勝合計 4回

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞

  • 第30回(2002年度) 新人賞
  • 第31回(2003年度) 敢闘賞
  • 第32回(2004年度) 殊勲賞
  • 第33回(2005年度) 優秀棋士賞、最多勝利賞
  • 第34回(2006年度) 敢闘賞
  • 第36回(2008年度) 優秀棋士賞、名局賞(第21期竜王戦第7局・対羽生善治名人)

記録(歴代1位のもの)

  • 最年少九段(21歳7か月)[3]
  • 最速九段昇段(5年7ヶ月)
  • 竜王戦連覇 7期 ※継続中
  • 竜王最多在位 7期

珍記録

  • 七番勝負のタイトル戦における序盤3連敗後の4連勝でのタイトル獲得(史上初、2008年12月18日 - 第21期竜王戦7局)
  • 他のタイトルを1つも取らずに永世称号の資格を獲得(同上)[14]
  • A級未経験棋士の永世称号資格獲得
  • 2か月の間に昇段3回(史上初 = 2005年10月1日に七段昇段、同年11月17日に八段昇段、同年11月30日に九段昇段)- 竜王戦の昇段規定改定も伴ったため
  • B級2組未経験棋士の八段昇段(屋敷伸之に続き史上2人目、後に日浦市郎も「達成」)

著書

脚注

  1. ^ a b 渡辺自身は、将棋世界の企画では谷川浩司との対談で、中学校卒業後なので、中学生棋士なのかどうかと言っていた。
  2. ^ 竜王と名人は将棋界における最高位であり、棋士番号が小さい方が序列トップで、もう一方が序列2位である。
  3. ^ a b c それ以前の九段昇段の最年少記録は、谷川浩司の21歳11ヶ月だった。なお、谷川が名人になった当時の昇段規定では、名人位獲得当日(谷川は当時、21歳2ヶ月)の日付での九段昇段ではなく翌年4月1日であった。したがって、仮に谷川が名人位獲得の日付で昇段していたとすれば、記録は破られていなかった。加えて、渡辺は2005年の10月1日から11月30日の僅か2カ月で六段から九段まで3つ昇段したが、竜王戦の規定でのみ1年以内に2つ以上昇段できるように規定が変更されたのは、渡辺が昇段する直前のことであった。
  4. ^ 渡辺明ブログ 第21期竜王戦七番勝負第6局
  5. ^ 『光よりも速く』光速ノート152
  6. ^ 「勝負師向き、立ち直りの早さ」 読売新聞 2005年1月24日
  7. ^ 「渡辺明五段に聞く 3年目で開眼、「プロらしい将棋」に」日経ネット 2003年6月23日
  8. ^ 渡辺明ブログ 明日NHK杯戦決勝。のコメント欄参照。
  9. ^ 「勝負師向き、立ち直りの早さ」 読売新聞 2005年1月24日
  10. ^ 競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2009年4月号・pp.126 - 127
  11. ^ gooブログアクセスランキングおよびgooオフィシャルブログ一覧参照。
  12. ^ 渡辺明ブログ 管理人からのお願いに、いきさつやお願いが掲載されている。
  13. ^ 渡辺明ブログ 管理人より、コメントについて。に、いきさつや渡辺本人のコメントが掲載されている。
  14. ^ タイトル戦が1つ(名人戦)だけだった時代の、木村義雄のケース(永世名人)は除く。

関連項目

外部リンク