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2005年11月15日 (火) 08:36時点における版
三宅 康保(みやけ やすよし、1831年(天保2年) - 1895年(明治28年))は、江戸時代後期の大名。三河国田原藩の第12代(最後)の藩主。第10代藩主・三宅康明の弟・三宅友信の子。妻は第11代藩主・三宅康直の娘・おけい。官位は従五位下。備前守。
天保2年2月1日生まれ。第11代藩主・康直が家督を継いだとき、渡辺崋山の尽力で次の藩主の座を約束され、1850年11月、義父の康直の隠居に伴って家督を継いだ。幕末・明治維新の混乱期に際しては、家老であり、砲術家として全国で著名もあった村上範致の補佐を得て、難局を乗り切った。維新後は華族となって東京に移住した。
明治28年正月23日、65歳で死去した。法号:大康院殿寿岳保亀大居士。墓所:愛知県渥美郡田原町北番場の霊巌寺。