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「戸田忠能」の版間の差分

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2005年11月15日 (火) 08:37時点における版

戸田 忠能とだ ただよし1586年天正14年)-1647年2月7日正保4年1月3日))は、三河国田原藩の第2代藩主。父は初代藩主・戸田尊次。母は萬松院(松平氏)。正室は久昌院(九鬼氏)。官位は従五位下。因幡守。

1615年に父が死去したため、その後を継いで藩主となった。藩政においては野田村などの検地を実施して藩政の基礎を固めたが、1642年から藩内で飢饉が起こるは、その後に来た台風で舟が破損するはと、晩年の治世は多難を極めた。1647年正月3日に62歳で死去。嗣子が無かったため、弟の戸田忠継の嫡子である戸田忠昌(忠治)が後を継いだ。法号:道林寺殿一機全通大居士。