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アイルランドのチェス全国大会で準優勝の経験がある。 |
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== 来歴 == |
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ボノ (Bono) | |
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![]() ボノ(2009年) | |
基本情報 | |
出生名 | Paul David Hewson |
別名 | Bono |
生誕 | 1960年5月10日(64歳) |
出身地 |
![]() |
ジャンル | ロック |
職業 | 歌手、作詞家、作曲家 |
担当楽器 |
リードボーカル、ギター、 ハーモニカ |
活動期間 | 1976年 - 現在 |
公式サイト | http://www.U2.com/ |
著名使用楽器 | |
グレッチ・アイリッシュ・ファルコン |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5f/U2_21081983_01_800b.jpg/250px-U2_21081983_01_800b.jpg)
ボノ(Bono, 1960年5月10日生まれ)は、アイルランドダブリン出身のロックバンド、U2のリードボーカルであり、バンドのフロントマンとして知られる。本名はポール・デイヴィッド・ヒューソン KBE(Paul David Hewson KBE)。国際的な慈善活動家としても知られ、ノーベル平和賞の候補に3度選ばれている。
U2の歌詞のほとんどはボノによって書かれたものであり、政治や宗教などの社会的なテーマが書かれることが多い。特に初期の活動で宗教的なことについての歌詞を書くことが多く、ボノの歌詞はU2を宗教的なイメージ付けをするものとなった。バンドが成熟するにつれて、彼やU2のメンバーの個人的な体験について歌われることが多くなった。
ボノとは地元の親友がつけたニックネームであり、補聴器店の店名「ボナ・ヴォックス」(Bona Vox:ラテン語で「いい声」の意)が由来で、「やかましいほど声が大きい」ことを喩えたものである。
アイルランドのチェス全国大会で準優勝の経験がある。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第32位。
来歴
U2での活動
アイルランドのダブリンで生まれ育ち、高校 (Mount Temple Comprehensive School) 時代にU2のメンバーや後に妻となるアリソン・ヒューソンと出会う。ドラマーであるラリー・マレン・ジュニアの呼びかけにより、U2の前身となるバンド(ラリー・マレン・バンド)の活動を開始する。最初はギター志望だったが、ギターを所有していないためボーカル担当になったという逸話がある。1979年にU2としてメジャーデビューした後は、荒削りなボーカルや激しいライブパフォーマンス、大胆な発言などで注目を集める。作詞面では、国内外の社会・政治問題を強く問題提起し、社会派バンドとしてのU2のイメージをリードした。「WAR TOUR」のステージでは非暴力主義と不偏を表明する「白い旗」を振るパフォーマンスを見せている。
1985年のライヴエイドには、1983年の初来日時に入手した詰襟の学生服を着て登場。途中で観客席から引っ張り上げた女性と踊り始めたため、3曲演奏の予定が2曲で終わるというハプニングがあった。ボノが観客の女性を抱き寄せて歌うという演出は、U2のライブの定番になっている。
1990年代にはバンドと共に大きくイメージチェンジする。ライブではサングラスに黒装束の「ザ・フライ」、メフィストフェレスをパロディー化した「マクフィスト」などのキャラクターに変身し、トリックスターの如き奔放なパフォーマンスを見せた。歌唱法も声量豊かな直球派から、ファルセットを駆使する技巧派へ変わった。
2000年代にはかねてより関心のあったアフリカの発展途上国支援プロジェクトに積極的に取り組み、ミュージシャンと慈善活動家を兼ねる多忙な生活を続けている。
その他の活動
U2以外の個人活動では、他のミュージシャンとの共演、カヴァー、楽曲提供、ライブへのゲスト参加などを行っている。尊敬するボブ・ディランのライブに参加した時には、「風に吹かれて」の歌詞を知らず即興で歌ったこともある。
- 1984年、アダム・クレイトンとバンド・エイドのチャリティーシングル「Do They Know It's Christmas?」に参加。
- 1985年、クラナドと共演した「In A Lifetime」をシングルリリース。
- 1985年、アルバム『Sun City』で「Silver and Gold」をキース・リチャーズ、ロン・ウッドと共演。
- 1989年、ジ・エッジと共作した「She's A Mystery To Me」をロイ・オービソンに提供。
- 1992年、映画『ハネムーン・イン・ヴェガス』のサントラで、エルヴィス・プレスリーの「Can't Help Falling in Love(好きにならずにいられない)」をカヴァー。
- 1993年、フランク・シナトラと「I've Got You Under My Skin(あなたはしっかり私のもの)」を共演(録音は別録り)。
- 1994年、映画『父の祈りを』のサントラで「In The Name Of Father」をギャヴィン・フライデーと共演。
- 1995年、クインシー・ジョーンズのアルバム『Q's Juke Joint』でレイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダーと共演。
- 1995年、ジ・エッジと共作した「GoldenEye」をティナ・ターナーに提供、映画『007 ゴールデンアイ』の主題歌となる。
- 1996年、カール・パーキンスのアルバム『Go Cat Go!』で「Give Me Back My Love」をウィリー・ネルソン、ジョニー・キャッシュ、トム・ペティと共演。
- 1996年、ドーナル・ラニーがプロデュースしたアルバム『Common Ground(魂の大地)』に、アダム・クレイトンと共に参加。U2の「Tomorrow」(『アイリッシュ・オクトーバー』収録曲)をアイルランド音楽にアレンジしたセルフカヴァーを歌う。
- 1997年に自殺した友人マイケル・ハッチェンスとの共作「Slide Away」は、死後発売された『Michael Hutchence』に収録された。U2の『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』の収録曲「Stuck in a Moment You Can't Get Out Of」はハッチェンスへの鎮魂歌。
- 2001年、ミック・ジャガーのアルバム『Goddess In The Doorway』で「Joy」を共演。
- 2001年、映画『ムーラン・ルージュ』のサントラで「Children Of The Revolution」(T・レックスの楽曲)をギャヴィン・フライデーとカヴァー。
- 2003年、ネルソン・マンデラのチャリティーイベント「46664」にジ・エッジと参加し、ビヨンセ、デイヴ・スチュワートらと共演。
- 2006年、トニー・ベネットのアルバム『Duets:Amerivan Classic』で「I Wanna Be Around」を共演。
- 公開予定のミュージカル版『スパイダーマン』の楽曲をジ・エッジと共作中。
2000年にはかねてより温めていた原案を製作し、ヴィム・ヴェンダース監督の『ミリオンダラー・ホテル』として映画化する(ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞)。主題歌やサントラ制作も手掛けた。
2003年には娘2人とイラストを描いた『ピーターとおおかみ』(セルゲイ・プロコフィエフ原作)を出版した。付属CDのナレーション・音楽担当は親友のギャヴィン・フライデー(日本語版ナレーションはジョン・カビラ)。
慈善活動家
1985年、エチオピア飢餓救援コンサートライブエイドに参加した後、同国の孤児院で6週間、夫婦でボランティアをした。このとき、自分の知名度と影響力をアフリカの貧困撲滅のために使おうと決意した。米英独仏のトップに会い、協力を呼びかけた。
1990年代末よりスポークスマンとしての積極的な活動を始め、アフリカ貧困国の対外債務帳消しを唱えるジュビリー2000運動に参加。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世やアメリカ合衆国大統領ビル・クリントンに面談し、運動への理解を求めた。2000年には朝日新聞の『論壇』に寄稿している。
2001年にはチャリティーシングル「What's Going On:All Star Tribute」を企画(マーヴィン・ゲイの楽曲のカヴァー)。R.E.M.のマイケル・スタイプ、ブリトニー・スピアーズ、クリスティーナ・アギレラ、デスティニーズ・チャイルド、バックストリート・ボーイズ、イン・シンク、ジェニファー・ロペス、ネリー、ジャ・ルールなど様々なアーティストが参加した。エイズ治療・研究基金を募る目的だったが、発売後にアメリカ同時多発テロ事件が発生したため、収益の半分をテロ犠牲者の家族支援基金へ贈った。
2002年にはジュビリー2000の延長として、DATA(Debt(債務)、AIDS(エイズ)、Trade(貿易)、Africa(アフリカ)の頭字語)を共同設立した。また、2004年よりONE Campaignの活動にも深く関わる。
2005年7月のG8サミットでは、アフリカに500億ドルの援助と最貧困国18ヵ国の債務免除をする事を約束させた。同月にはボブ・ゲルドフに協力しLIVE 8開催に貢献。同年10月にはアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ大統領と昼食をし、聖書の一節を引用しながら援助の約束を取り付けた。
2006年1月の世界経済フォーラム年次会合では、売り上げの1%がエイズ対策基金に回るREDを新設した。同年11月の来日時に安倍晋三首相を表敬訪問した際、自らの活動に関連してリーダーシップの発揮を求めたほか、日本の発展途上国 (特に東南アジア)への援助と、2000年に日本が提案した基金によりエイズ患者の手に治療薬が渡っていることを賞讃した。この際、REDとエンポリオ・アルマーニのコラボレーションモデルのサングラスを贈り、安倍首相がこれを掛けるという場面もあった。
2006年7月にはYahoo!グループと提携し、各国の情報掲示板で「貧困をなくすために何が出来ますか」という質問をして回答を募った(日本ではYahoo!知恵袋で行った[1])。
グリーンピースを支持しているため、基本的に捕鯨には批判的である[要出典]。
2008年5月27日、アフリカ貧困撲滅運動など人道支援活動の功績により、慶應義塾大学から名誉博士号(法学)を受ける。
人物評価
活動スタンスはロックスターとしての知名度や話題性を活用し、世界各国の首脳や財界人にアプローチして、通常レベルの意識啓蒙も図ろうとするもの。2002年のTIME誌の報道によると、当時米国の財務長官だったポール・オニールが初めはよくあるセレブリティの売名行為と考えボノに会いたくなかったが、実際に会話をしてみると、アフリカの経済問題をよく理解していることに驚いたと語っている。その後2人は、共にアフリカへ視察へ行った。
米国の共和党タカ派筆頭として国連を敵視しリベラルな政策にことごとく異議を唱えてきたジェシー・ヘルムズが、ボノに説得されアフリカ支援を表明したことは話題となった。
慈善活動が評価され、2003年、2005年、2006年にはノーベル平和賞候補になる。
2005年末、TIME誌が選ぶ「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に、「善きサマリア人」(弱者を助ける人の意)としてゲイツ夫妻と共に選ばれた。
2006年12月23日に、英国大使館は、音楽界への貢献と人道活動を評価し、名誉ナイト爵位を叙位することを発表した。 ただし、英国民ではないので「サー」の敬称はつかない。他にも、2003年に、フランスのシラク大統領からレジオン・ドヌール勲章を授与された。
逆に、そのイメージが政治的に利用される場合もある。2005年3月、当時のアメリカ国防副長官で代表的ネオコンとしてイラク戦争を推進したポール・ウォルフォウィッツが、ブッシュ大統領より世界銀行総裁に指名され物議をかもした。自分に人望が無いことを自覚していたウォルフォウィッツは、批判をかわすために、一部で『もっとも世界銀行総裁にふさわしい男』との声が高かったボノに電話を入れて助言と協力を仰いだ。
ブッシュ大統領のイラク政策やシラク大統領の核実験強行に反対する立場ながら、交渉に臨もうとする姿勢については批判の声もある[誰によって?]。一方で、各国の政府から援助などを引き出すための現実的な姿勢として評価する意見もある[誰によって?]。
また、アイルランド出身であるが、アイルランド政府に海外援助を要請しつつもアイルランドの法律の抜け穴を利用して節税した後、法律が変更されるとU2の版権管理会社をアイルランドから税率の極端に低いオランダに移動させ、毎年数十億円の節税を行っている。[1]母国に納税せず援助だけを要求する行為については、アイルランドの音楽家からも非難されている[2]。
家族
カトリックとプロテスタントの深刻な宗教的対立下のアイルランドにおいて、カトリックの父とプロテスタントの母の間に生まれる。宗派を超えた両親の愛で育まれたことが、人種や宗教を超えた理想主義者というパーソナリティーにつながる。14歳の時母が急死し、痛手から荒れた時期もあったという(U2初期には母について触れた曲も幾つかある)。
2001年には父が亡くなり、直後の地元公演で父に捧げる「Out Of Control」を歌い感動を呼んだ。アルバム『原子爆弾解体新書~ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』には、父とのぎこちない関係を振り返る「Sometimes You Can't Make It On Your Own」を収めている(のちの本人談では、和解を1986年まで待たねばならなかったと話している)。
妻アリソン・ヒューソンも慈善活動家であり、夫と共同でファッションブランドEDUNを設立している。シングル「Sweetest Thing」はボノが妻に捧げた曲で、PVにはアリソンが出演し、「誕生日をすっぽかしたことに立腹する彼女を、ボノがあの手この手でご機嫌取りする」というシナリオを演じている。
使用機材
- ギター
- グレッチ G6136I アイリッシュ・ファルコン
- ボノ自身のシグネチャ・モデル。
- ギブソン エルヴィス・プレスリー・ダヴ
ほか
- エフェクター
- アンプ
- ヴォックス AC30