「クアウテモック」の版間の差分
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2011年3月18日 (金) 10:35時点における版
クアウテモック(Cuauhtémoc、1495年頃 - 1525年2月28日)はアステカ11代王(トラトアニ)。名の意味は「急降下する鷲」。エルナン・コルテスと戦ったアステカ帝国の11代王、かつ最後の王(在位1520年 - 1521年)であった、モクテスマ2世の従兄弟にあたる[1]。
経歴
1520年、アステカ人はモクテスマ2世(モテクソマ・ショコヨティン)のあとに彼の甥にあたり、モクテスマ2世に次いで位が高かった新王クィトラワクを選んだが、スペイン軍が持ち込んだ天然痘が蔓延して、在位わずか80日でクイトラワクは死亡し、25歳でトラテロルコ区長であったクアウテモックを王に推戴した。クイトラワクの妃であったモクテスマ2世の娘もクアウテモックに嫁いだ。
1521年、エルナン・コルテスがアステカの首都テノチティトランを包囲すると3ヶ月の攻防戦に耐えて勇敢に立ち向かったが、8月13日、脱出を試みる途中にスペイン軍に捕らえられて降伏しアステカは滅んだ。クアウテモックはコルテスの短刀を指さして自分を殺すように言ったが、コルテスは彼を殺さず、勇者として手厚くもてなした。しかしそれは始めのうちだけで、黄金の場所をつきとめるためにコルテスは彼を拷問にかけた。
1525年2月28日、反乱を企てたとの疑いによりクアウテモックはコルテスによって絞首刑に処された。
その他
- 彼が王に即位した際のスペイン側の記述では「貴族と勇者のすべての特性を備えた25歳の若者。きわめて美しいモクテスマの娘と結婚した人物」と記されている[2]。
脚注
- ^ モーリス・コリス「コルテス征略誌」金森誠也訳 講談社学術文庫(2003)ISBN 4-06-159581-4
- ^ モーリス・コリス(288p)
関連項目
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