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* [[警察官]]の父親・邦治(くにはる)と母親・マス子の長男として、1956年9月7日、当時の鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)にて生を受けた。上に姉がいる2人姉弟。兄がいたが乳児期に病死している。
* [[警察官]]の父親・邦治(くにはる)と母親・マス子の長男として、1956年9月7日、当時の鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)にて生を受けた。上に姉がいる2人姉弟。兄がいたが乳児期に病死している。
*鹿児島南高校の情報処理学部の2期生として入学した長渕は、「ある意味模範生徒」だったらしい。というのも髪型が学校の風紀に違反しており、校長から「長渕君みたいな髪型にしてはいけないよ。」と全校生徒の前で注意を受けたという。高校は最初のうちは成績も良かったが、徐々に落ちていき、卒業するころには、下から数えた方が早い成績まで落ちたという。また、毎日伊集院町から1時間近くかけて通っていた。
*鹿児島南高校の情報処理学部の2期生として入学した長渕は、「ある意味模範生徒」だったらしい。というのも髪型が学校の風紀に違反しており、校長から「長渕君みたいな髪型にしてはいけないよ。」と全校生徒の前で注意を受けたという。高校は最初のうちは成績も良かったが、徐々に落ちていき、卒業するころには、下から数えた方が早い成績まで落ちたという。また、毎日伊集院町から1時間近くかけて通っていた。
* 子供のころのあだ名は「レオン」。
* 子供のころのあだ名は「レオン」。
* 愛犬はホワイト・スイス・シェパードの「レオ」「アエラ」とトイプードル「チビ」。愛犬を歌った曲もある。
* 愛犬はホワイト・スイス・シェパードの「レオ」「アエラ」とトイプードル「チビ」。愛犬を歌った曲もある。
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* 音楽が長渕の楽しみであった。[[吉田拓郎]](長渕と同郷)や[[加川良]]、[[友部正人]]、[[遠藤賢司]]等の[[フォークソング]]を好んで聴いていた。「自分もいつかはミュージシャンになりたい」と言う願望もあったのか、中学3年の正月に3000円の[[クラシック・ギター|ガット・ギター]]を購入し、鉄弦を張り思いのままに好みの楽曲をコピーしていったのである。
* 音楽が長渕の楽しみであった。[[吉田拓郎]](長渕と同郷)や[[加川良]]、[[友部正人]]、[[遠藤賢司]]等の[[フォークソング]]を好んで聴いていた。「自分もいつかはミュージシャンになりたい」と言う願望もあったのか、中学3年の正月に3000円の[[クラシック・ギター|ガット・ギター]]を購入し、鉄弦を張り思いのままに好みの楽曲をコピーしていったのである。
* シンガーソングライターとしての道を歩むきっかけとなったのは、高校時代に生で観覧した、拓郎のコンサートであった。これを境に拓郎、更には加川や友部と言った、当時売れっ子だった[[日本のフォークシンガー|フォークシンガー]]の歌に傾倒していく事になる。大学進学後は洋楽も聴くが、基本的には1960~70年代の、日本のフォークシンガーからの影響を強く受けている様である。
* シンガーソングライターとしての道を歩むきっかけとなったのは、高校時代に生で観覧した、拓郎のコンサートであった。これを境に拓郎、更には加川や友部と言った、当時売れっ子だった[[日本のフォークシンガー|フォークシンガー]]の歌に傾倒していく事になる。大学進学後は洋楽も聴くが、基本的には1960~70年代の、日本のフォークシンガーからの影響を強く受けている様である。
*同じ[[福岡県]]でアマチュア時代に活動し、当時ポプコンに長渕とともに出場していた[[CHAGE and ASKA]]がプロデビューするにあたりきっかけを作ったのは長渕の一声があったとされる。(先にデビューしていた長渕が「九州に面白い人組がいる。」とレコード会社に後押ししていたらしい。)
*同じ[[福岡県]]でアマチュア時代に活動し、当時ポプコンに長渕とともに出場していた[[CHAGE and ASKA]]がプロデビューするにあたりきっかけを作ったのは長渕の一声があったとされる。(先にデビューしていた長渕が「九州に面白い2人組がいる。」とレコード会社に後押ししていたらしい。)
* [[1980年]]代半ば頃にはロック色が強くなり、サウンドにも現れたが、1980年代後半からは原点であるアコースティックに戻っている。
* [[1980年]]代半ば頃にはロック色が強くなり、サウンドにも現れたが、1980年代後半からは原点であるアコースティックに戻っている。
* デビュー当時は、今とは違いかなり透き通った発声で歌っていたが、自分自身の作りたい楽曲のイメージとの乖離に悩まされ、1980年代の半ばから発声方法を変える様になった。[[ボブ・ディラン]]の歌声への憧憬から、焼酎や[[複方ヨード・グリセリン|ルゴール]]の原液で何度もうがいをし、歌手の命でもある喉を焼き切った。しかし、それでも簡単には声質は変わらなかった。長いライブ活動を続けていくうちに、透き通った声は消えうせ、しわがれた声へと変わる。そうして長年のキャリアで培われた独特の歌唱法や楽曲のスタイルは、10代から中高年層までの幅広い年齢層で数多くの[[ファン]]を生み出した。また、そうした荒療治や歌唱法により、喉に[[ポリープ]]が出来ていることをインタビューで告白している。しかし、ポリープを除去すると声質が変わると医師に宣告され、声質を変えたくない長渕は、悩んだ末そのポリープを除去せぬまま今の声質を保っていると語っている。
* デビュー当時は、今とは違いかなり透き通った発声で歌っていたが、自分自身の作りたい楽曲のイメージとの乖離に悩まされ、1980年代の半ばから発声方法を変える様になった。[[ボブ・ディラン]]の歌声への憧憬から、焼酎や[[複方ヨード・グリセリン|ルゴール]]の原液で何度もうがいをし、歌手の命でもある喉を焼き切った。しかし、それでも簡単には声質は変わらなかった。長いライブ活動を続けていくうちに、透き通った声は消えうせ、しわがれた声へと変わる。そうして長年のキャリアで培われた独特の歌唱法や楽曲のスタイルは、10代から中高年層までの幅広い年齢層で数多くの[[ファン]]を生み出した。また、そうした荒療治や歌唱法により、喉に[[ポリープ]]が出来ていることをインタビューで告白している。しかし、ポリープを除去すると声質が変わると医師に宣告され、声質を変えたくない長渕は、悩んだ末そのポリープを除去せぬまま今の声質を保っていると語っている。

2011年4月14日 (木) 13:17時点における版

長渕剛
出生名 長渕剛
生誕 (1956-09-07) 1956年9月7日(67歳)
出身地 日本の旗 日本 鹿児島県鹿児島市
学歴 九州産業大学芸術学部写真学科中退
ジャンル フォークソング
ニューミュージック
職業 シンガーソングライター
俳優
担当楽器 ボーカル
ギター
ハーモニカ
活動期間 1977年(昭和52年) - 現在
レーベル ビクターレコード
(1977年)
エキスプレス(東芝EMI)
(1978年 - 1996年)
フォーライフ
(1997年 - 2008年)
ナユタウェイヴ レコーズ
(2009年 - )
事務所 Office REN(オフィス・レン)
共同作業者 笛吹利明瀬尾一三
公式サイト 長渕剛 OFFICIAL WEB SITE <LIVE ON>
吉田拓郎加川良友部正人遠藤賢司

長渕 剛(ながぶち つよし、本名同じ、1956年9月7日 - )は、日本シンガーソングライター俳優詩人画家。1977年の1回目のデビュー時の芸名は長渕 剛(ながぶち ごう)。「長 剛」は、誤記。鹿児島県日置市生まれ、鹿児島市育ち。Office REN(オフィス・レン)所属。

妻は元女優の志穂美悦子

経歴

1977年、シングル『雨の嵐山』で歌手としてデビュー。(※一般的には再デビューの1978年『巡恋歌』で本格デビューとしている。)『順子』、『乾杯』、『とんぼ』、『しゃぼん玉』、『しあわせになろうよ』などのヒット曲を持ち、また、俳優としては、『親子ゲーム』、『とんぼ』、『オルゴール』などのドラマや映画出演で知られる。 ソロアーティストとしてアルバム初登場一位獲得数12作品という記録をもっている。またソロアーティストでは井上陽水槇原敬之福山雅治とともにト-タル売り上げ2000万枚を突破している。

鹿児島市立中郡小学校鹿児島市立甲南中学校鹿児島県立鹿児島南高等学校情報処理科を経て、九州産業大学芸術学部写真学科中退。 1981年8月、石野真子と結婚。結婚式はハワイの教会で、仲人は吉田拓郎と浅田美代子夫妻(当時)だった。しかし、石野の芸能活動をめぐり二人の意見が合わず1983年5月、長渕のDV(家庭内暴力)が決定的理由で離婚。1987年、元女優の志穂美悦子と再婚。 志穂美との間に娘と息子がいる。長女の長渕文音が、2008年10月公開の映画「三本木農業高校、馬術部」(監督:佐々部清)の主役で女優デビューした。

人物

  • 警察官の父親・邦治(くにはる)と母親・マス子の長男として、1956年9月7日、当時の鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)にて生を受けた。上に姉がいる2人姉弟。兄がいたが乳児期に病死している。
  • 鹿児島南高校の情報処理学部の2期生として入学した長渕は、「ある意味模範生徒」だったらしい。というのも髪型が学校の風紀に違反しており、校長から「長渕君みたいな髪型にしてはいけないよ。」と全校生徒の前で注意を受けたという。高校では最初のうちは成績も良かったが、徐々に落ちていき、卒業するころには、下から数えた方が早い成績まで落ちたという。また、毎日伊集院町から1時間近くかけて通っていた。
  • 子供のころのあだ名は「レオン」。
  • 愛犬はホワイト・スイス・シェパードの「レオ」「アエラ」とトイプードル「チビ」。愛犬を歌った曲もある。
  • 現在でこそ肉体改造で筋肉質の体になっているが、出生後まもなく、インフルエンザで生死の境をさまよっていたと言う話がある。幼い頃の長渕は体が非常に弱く、よく喘息発作を起こし、病院通いが欠かせなかった。
  • 音楽が長渕の楽しみであった。吉田拓郎(長渕と同郷)や加川良友部正人遠藤賢司等のフォークソングを好んで聴いていた。「自分もいつかはミュージシャンになりたい」と言う願望もあったのか、中学3年の正月に3000円のガット・ギターを購入し、鉄弦を張り思いのままに好みの楽曲をコピーしていったのである。
  • シンガーソングライターとしての道を歩むきっかけとなったのは、高校時代に生で観覧した、拓郎のコンサートであった。これを境に拓郎、更には加川や友部と言った、当時売れっ子だったフォークシンガーの歌に傾倒していく事になる。大学進学後は洋楽も聴くが、基本的には1960~70年代の、日本のフォークシンガーからの影響を強く受けている様である。
  • 同じ福岡県でアマチュア時代に活動し、当時ポプコンに長渕とともに出場していたCHAGE and ASKAがプロデビューするにあたりきっかけを作ったのは長渕の一声があったとされる。(先にデビューしていた長渕が「九州に面白い2人組がいる。」とレコード会社に後押ししていたらしい。)
  • 1980年代半ば頃にはロック色が強くなり、サウンドにも現れたが、1980年代後半からは原点であるアコースティックに戻っている。
  • デビュー当時は、今とは違いかなり透き通った発声で歌っていたが、自分自身の作りたい楽曲のイメージとの乖離に悩まされ、1980年代の半ばから発声方法を変える様になった。ボブ・ディランの歌声への憧憬から、焼酎やルゴールの原液で何度もうがいをし、歌手の命でもある喉を焼き切った。しかし、それでも簡単には声質は変わらなかった。長いライブ活動を続けていくうちに、透き通った声は消えうせ、しわがれた声へと変わる。そうして長年のキャリアで培われた独特の歌唱法や楽曲のスタイルは、10代から中高年層までの幅広い年齢層で数多くのファンを生み出した。また、そうした荒療治や歌唱法により、喉にポリープが出来ていることをインタビューで告白している。しかし、ポリープを除去すると声質が変わると医師に宣告され、声質を変えたくない長渕は、悩んだ末そのポリープを除去せぬまま今の声質を保っていると語っている。
  • 歌を披露する際には必ずガムを噛みながら歌っていた時期もあった。
  • 幼い頃からジープを好み、その後ハマー H2を購入する。その時の取材で『H1は鉄が走っている感じ、あれは軍用車。H2はオシャレに乗れていい』と語っていたが、桜島のコンサートを期に“選ばれし者が乗る車”“四輪駆動の王”とアメリカのセレブリティ達からも好評なH1を購入。
  • 俳優としても、『親子ゲーム』や『とんぼ』『しゃぼん玉』等のドラマ、『オルゴール』や『ウォータームーン』『英二』等の映画に主演している。
  • デビュー当初は痩身で長髪のフォークシンガーというイメージで、「遅れてきたフォーク青年」と呼ばれたりもした(長渕のデビュー当時はすでにフォークブームが過ぎた後であった)。透明な声と繊細なラブソング、達者なフィンガーピッキングによるアコースティックギターで人気を博し、現在の彼とはかなりイメージが異なっていた。1980年代半ばからは髪を切り、同時期に出演していたドラマでの気さくな兄ちゃん振りから、徐々にやんちゃなイメージになっていった。
  • 1988年に主演したTVドラマ『とんぼ』でのヤクザ役が大当たりした。この頃から歌声はいっそう枯れていき、歌詞もハードなメッセージを前面に打ち出したものになっていき、ドラマのイメージも相まって、バイオレンスなイメージが定着していった。またスキャンダルがたびたび報道されるようになり、1990年代前半にはその人気が絶頂になった反面、ダーティーなイメージもついて回った。
  • 1995年1月24日に、大麻取締法違反で逮捕されてからはたびたびトーク番組やバラエティーなどに出演し、かつてのダーティーイメージは薄らいでいった。
  • 2004年8月21日に、鹿児島県の桜島特設ステージで、全国から約7万5千人の観衆を集めてのオールナイトコンサートを敢行し、大成功を収めた。このコンサート会場で売られていたオフィシャルミネラルウォーターは地元企業の商品であった。2006年3月19日には、コンサート会場跡地に記念碑が建てられる。記念碑名は「叫びの肖像」。ちなみに、コンサート会場であった桜島からの音は海を越えた鹿児島市でも聞き取れたという。
  • 2005年12月公開の東映映画『男たちの大和/YAMATO』の主題歌を担当。『CLOSE YOUR EYES』が先行リリースされ、話題になった。この映画に出演していた松山ケンイチがファンになったきっかけにもなっている。
  • スポーツ界との交流も深く、そのジャンルも、極真空手緑健児やプロボクサーの戸高秀樹プロ野球福岡ソフトバンクホークスゼネラルマネージャーを務める王貞治や元プロ野球選手の清原和博、東北楽天イーグルスの岩村明憲、元F1レーサーの佐藤琢磨ラグビー大八木淳史K-1山本"KID"徳郁、元Jリーガー呂比須ワグナー、元横綱朝青龍等幅広い。
  • 芸能界やスポーツ界でも非常に熱心なファンが多い。以下にファンであることを公言している有名な人物を挙げる。
渡哲也島倉千代子つんく岩沢厚治ゆず)、押尾コータローMAKIDAIEXILE)、清木場俊介アンダーグラフ橋谷康一Jackson vibe)、向井秀徳井ノ原快彦V6)、藤原竜也中尾明慶間寛平松本人志ダウンタウン)、松本隆博(松本人志の兄)、上田晋也くりぃむしちゅー)、宮根誠司勝俣州和上沼恵美子大仁田厚ほんこん130R)、ココリコ博多華丸博多華丸・大吉)、ワッキーペナルティ)、庄司智春品川庄司)、田村淳ロンドンブーツ1号2号)、柴田英嗣アンタッチャブル)、フットボールアワー児嶋一哉アンジャッシュ)、吉田敬ブラックマヨネーズ)、山口智充山田雅人柳沢慎吾松山ケンイチ長瀬智也TOKIO)、恵俊彰ホンジャマカ)、中澤聡太ガンバ大阪)、坪井慶介浦和レッドダイヤモンズ)、角田晃広東京03)、瑛太椎名法子桜庭ななみ中居正広SMAP)など。
このほか番組や映画での共演が縁で、芳村真理白川由美倍賞千恵子とも親交があるとされる。芳村は、「夜のヒットスタジオ」司会当時、彼の音楽的才能につき「彼(長渕)は天才だ」と絶賛し、長渕が甚く感激したというエピソードがある。白川に関しては「家族ゲーム」以降の親交があり、長渕は彼女を時折自身のコンサートに招待している。
  • 芸能ジャーナリストの井上公造とは、大学時代の同じバイト仲間であり(井上は西南学院大学卒業)長渕が東京へ上京する時に井上が幹事で送別会を行っており、現在も交友がある。
  • 絵画や詩にも才能を発揮し自身の詩画展を開き何度も成功を収めている。また、その収益金の一部を阪神・淡路大震災で家を失った子供達等の為に寄付した。鹿児島県関連の九州新幹線開業キャンペーンの風は南からの書体をデザインしている。その書体は、現在かごしま県民交流センターに展示している。
  • に弱く、一切飲まない事は意外に知られておらず、この事を語っている楽曲もいくつか存在する。また以前はかなりの喫煙者であったが、現在は禁煙している。
  • 使用ギターはレコーディングではギブソン製(J-45、J-200等)、ライブではタカミネ製(NTP-012、TDP-512、TDP-515-6等)のエレアコを主に使用する。エレクトリックギターは楽曲によってはライブでたまに使用する。
  • 使用ハーモニカ(ブルースハープ)はTOMBOの「メジャーボーイ」。現在一般的なハーモニカホルダーの形(テンホールズハーモニカ専用で、ハーモニカをセットする部分が狭くなっている)は彼が考案したものとのこと。「特許をとっておけば良かった」と雑誌のインタビューで語った。
  • 「週刊ザテレビジョン」では、イメージが合わないことを理由に、レモンの使用を拒否したことでも有名。
  • 2003年に放送されたラジオ番組「今夜もバリサン」で長渕は今は亡き「尾崎豊」についてとつとつと語った。「彼(尾崎)は最後レコード会社からも見捨てられ、本当に孤独だったんだ。彼みたいな才能ある人間を業界は孤独にさせたらだめだ!」とも語っていた。
  • 2007年4月27日関西テレビ放送制作、フジテレビジョン系列(FNS)で放送の『さんまのまんま』で、明石家さんまと対談。過去にさんまとは「明石家さんまのオールナイトニッポン」で対談を行ったことがあり、放送でもその点について触れていた。「ラーメンは吸うのか噛むのか」などで言い合う珍妙なトークを行い、最後は2人で『とんぼ』をデュエット。ハーモニカ(TOMBO・メジャーボーイ)をさんまにプレゼント。ただしギター弾き語りは行われず、『とんぼ』は国吉良一(因みにさんまの『真っ赤なウソ』の編曲者でもある)のキーボード演奏に拠る物であった。
  • 1992年に行われた東京ドームでのセンターステージライブに関して、本人は「あまり覚えていない」と語った。65,000人の熱気のど真ん中で、あまりにインパクトがあったとの事。また「東京ドームという場所は、本来ライブをやるべき場所じゃない(音響面で最悪、自分の声が数秒後跳ね返ってくる)。ドームでライブをやる必要性がある時はやるけど」と語っている。
  • 「アコースティックギターは弾くものじゃなく、叩くもの」という持論を持っている。故に、ピックで弾きながら、手の平の腹部分で、ギターのブリッジ付近を叩きつつ演奏する曲も多く見られる。これはニール・ヤングの影響と見られる。
  • 1999年頃、自宅の近所にマンションが建設された際、自宅前にある道の車の往来が急に増え、さらに自分の子供がトラックに轢かれかけ「子供飛び出し注意」の巨大な看板(電飾、キャスター付)を自宅前に設置する。
  • メールを打つときは縦にメールを打つ。絵文字も多用している。
  • 売れていなかった1978年当時、福岡県北九州市のライブハウスに飛び入りで現れた際、ステージのMCで、「俺は将来、石野真子を嫁さんにする」と発言している。
  • 上京後、初めて住んだ場所は、世田谷区の新代田のアパートである。

略歴

  • 1973年
    • 大学祭の前座で初めての舞台を経験。
  • 1974年
    • 友人と2人でフォークソングのグループ(T&Tグループ タケシとツヨシ)を結成し、ステージ活動を本格化させる。
  • 1975年
    • 福岡県九州産業大学へと進学。
    • 場末のバーで、毎回、泥酔した客や頑固な客から「演歌やらんかい演歌!!」と怒鳴られ蹴られるもオリジナル曲を通した。この時はまさに地獄の環境でビール瓶や物がステージに飛んできた。根性はここで鍛えられたと本人は述べている。そして、ライブハウス(照和)での活動が本格化する。
  • 1976年
  • 1977年
    • 2月25日、前年のポプコン入賞を機に、ビクター・レコードより、シングル『雨の嵐山』でデビューするもヒットせず。何故か名前の読み方を「ながぶち・ごう」に変更されていた。編曲は船山基紀によるものである。
  • 1978年
  • 1979年
    • 3月5日、初のオリジナルアルバム『風は南から』をリリース。
    • 7月26日、愛知県篠島での吉田拓郎のコンサートに特別出演。「帰れコール」(長渕自身は「帰れって言うんだったらお前らが帰れ」と言っていた)を浴びながらも(拓郎はそんなに言われて無かったよ、と言っていた。また、実際に「帰れコール」をしたのは一部の観客だけだったとも言われている)堂々と歌い、最終的には大きな喝采を浴びた。
  • 1980年
    • 6月5日、元々アルバム『逆流』の収録曲であった『順子』が、ファンからの熱い要望によりシングルカット。同年8月にはオリコンのチャート1位に。この曲の大ヒットにより、一躍トップシンガーの仲間入りを果たす。
    • 10月、『ナウ・ジェネレーション/長渕剛のアピール26』(TBSラジオ)、『長渕剛のひたすら60分』(ニッポン放送)のラジオパーソナリティを務める。またこの他、当時山梨鐐平などが結成していたグループ「Do!」とのジョイントバンド「チョコレッツ」を結成し、翌1981年まで活動していた。
  • 1981年
  • 1982年
    • 『青春は手品師』(アルバム『時代は僕らに雨を降らしてる』に収録)が、ドラマ『王貞治物語』(TBS系列)の主題歌になる。珍しい阿久悠の作詞によるもの。ドラマには長渕本人もちらっと出演している(貞治の父親役)。
  • 1983年
    • 女性は家を守るという長渕の意見と石野の意見が合わず離婚
    • 8月26日、初の主演テレビドラマ『家族ゲーム』(TBS系列)が放映開始、俳優としても本格的に活動を始める。同番組の主題歌であるシングル『GOOD-BYE青春』をリリ-ス。
    • ドラマ『青が散る』(TBS系列)の挿入歌『人間(ひと)の駱駝(らくだ)』(歌:大塚ガリバー)の作曲を手掛ける(編曲:瀬尾一三)。因みに作詞は、秋元康宮本輝の両名。但し、現在ではこの楽曲の収録が為されたLPは入手が相当困難である。
  • 1984年
  • 1985年
    • 4月5日、主演したテレビドラマ『家族ゲームスペシャル』(TBS系列)放映。
    • 8月26日、『HUNGRY』ツアーをスタートさせるも、翌年1月の日本武道館での公演を最後に、過労によりダウン。一時は重度の状態に陥り、予定されていた残りのコンサートがすべて公演中止となる。
  • 1986年
    • 6月7日、主演したテレビドラマ『親子ゲーム』(TBS系列)が放映開始。後に再婚する志穂美悦子と、ラーメン店を営む恋人同士役をつとめる。
    • 10月22日、ギター弾き語りアルバム『STAY DREAM』リリース。このツアーで、センターステージ上に於て長渕剛がギター1本で歌うスタイルが大好評を博した。
    • 12月20日、出演した映画『男はつらいよ・幸福の青い鳥』が劇場公開。再共演した志穂美悦子と再婚する切っ掛けに繋がった。
  • 1987年
  • 1988年
    • 2月5日、8年越しのシングル『乾杯』をリリース、ミリオンセラーとなる。
    • 6月19日、コンサート会場として、初めて東京ドーム(BIG-EGG)に進出。
    • テレビドラマ『親子ゲーム』で初共演、『男はつらいよ』で再共演を切っ掛けに、一歳年上の女優、志穂美悦子と再婚(以後現在、2男1女をもうける)。女性は家を守るという長渕の意見を受け入れたのか、志穂美は芸能界を引退している。
    • 10月7日、主演したテレビドラマ『とんぼ』(TBS系列)放映開始。
    • 10月26日、同ドラマのタイトル曲となる『とんぼ』をリリース、ミリオンセラーを記録する。
    • 12月3日、出演したテレビドラマ『うさぎの休日』(NHK)放映。
  • 1989年
    • 3月11日、主演した映画『オルゴール』が劇場公開開始。
    • 3月25日、アルバム『昭和』リリース。ミリオンセラーとなる。
    • 12月23日、主演した映画『ウォータームーン』が劇場公開開始。
  • 1990年
    • 12月31日、初のNHK紅白歌合戦出場を果たし、ドイツベルリンで生演奏を披露するが、『いつかの少年』『親知らず』『乾杯』の3曲を演奏、そしてスタッフを批判したため、NHKへの出入りは禁止と報道された(実際には翌年の『音楽達人倶楽部』に出演している)。
  • 1991年
    • 10月10日、主演したテレビドラマ『しゃぼん玉』(フジテレビ系列)が放映開始。
    • 10月25日、シングル『しゃぼん玉』リリース。ミリオンセラーとなる。
    • 12月14日、本格海外レコーディングアルバム『JAPAN』リリース。
  • 1992年
    • 『西新宿の親父の唄』(アルバム『JEEP』収録)が、『北の国から-'92巣立ち』の挿入歌となる。
    • 約6万5千人の観客を動員し、東京ドームコンサートを成功させる。
  • 1993年
    • 9月22日、シングル『RUN』リリース。ミリオンセラーとなる。
    • 10月15日、主演したテレビドラマ『RUN』(TBS系列)が放映開始。
    • 11月1日、アルバム『Captain of the Ship』がリリースされるが、この頃楽曲の歌詞盗作疑惑が持ち上がったが、本人が謝罪した。詩人・相田みつをに関連したもの。
  • 1994年
  • 1995年
    • 1月24日、大麻取締法違反で逮捕されるが、2月3日に処分保留のまま釈放。3月16日に起訴猶予処分となる。
    • 12月26日、自身3度目となる【東京ドーム】にてライブを行う。
  • 1996年
    • 1月1日、再起後の最初のアルバム『家族』リリース。東芝EMI所属として、最後になるオリジナルアルバムである。
  • 1997年
  • 1998年
    • 鹿児島県の演歌歌手、日高正人シングル『想い人』発売。日高の歌に感動した長渕が83年に書き下ろしていた曲で、日高の病気が原因で半分お蔵入りとなっていた曲。
  • 1999年
    • 5月1日、主演した映画『英二』が劇場公開開始。
  • 2000年
  • 2001年
    • 6月27日、8年ぶりのロサンジェルスレコーディングアルバム『』リリース。金髪&肉体改造で新たな長渕スタイルが出来上がる。
  • 2002年
    • 5月9日、アフガン抗争に向けて発した反戦歌『静かなるアフガン』リリース。しかし事実上の放送禁止。NHKを始めとするテレビ局や各種メディアには採り上げられることが少なく、予想よりも話題にならず。それでも「指きりげんまん」以来のベスト20位入り。
    • 6月26日、自身の選曲によるベストアルバム『BEST~風~』、『BEST~空~』各2枚組リリース。
  • 2003年
    • 4月、ニッポン放送『オールナイトニッポンフライデー・長渕剛今夜もバリサン』放送開始。9月までパーソナリティを務める。
    • 5月1日、シングル『しあわせになろうよ』リリース。
    • 空手道団体の極真会館から分派した、新極真会の発足に際し、同会の会歌『新極真会の歌』(編曲は瀬尾一三と共同)を特別に製作する。因みに同年10月5日東京体育館で開催された、「第8回全世界空手道選手権大会」の入場者にのみ、同歌のCDが配布されており、店頭販売はされていない。
    • 5月14日、長渕剛通算19枚目となるアルバム『Keep On Fighting』が発売され、男性アーティスト初のオリジナルフルアルバム首位通算10作目獲得をした。
    • 12月31日、13年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場する。森進一に楽曲提供した『狼たちの遠吠え』では、歌う森のバックで長渕がコーラス&ギターセッションで参加し、話題になった。
  • 2004年
    • 4月28日、初のトリビュート・アルバム『Hey ANIKI!』がリリース。
    • 8月21日、鹿児島県の桜島特設ステージで、約7万5千人の観衆を集めてのオールナイトコンサートを敢行させ、大成功を収める。
    • 11月14日、ファンクラブ特別イベント「Thank You LIVE 2004」をスタート。
    • 12月1日、シングル『金色のライオン』リリース。京セラ携帯電話のテーマソングとなる。CM曲に長渕の曲が採用されたのは1988年の明治チョコバーBODY(『STAY DREAM』)、1990年頃のキリンラガービール(『乾杯』)等がある。
  • 2005年
    • 8月24日、東映『男たちの大和/YAMATO』の主題歌として書き下ろした『CLOSE YOUR EYES』リリース。自身の主演映画作品以外での主題歌使用はこれが初めて(テレビドラマでは以前に「逆流」「友よ」「指きりげんまん」等あり)。また、カップリングの『YAMATO』と合わせて、両A面シングルとなっている。両A面シングルは『順子/涙のセレナーデ』以来2度目である。
  • 2006年
    • 2月8日、東芝EMIより東芝所属時代のオリジナルアルバムが「24bitリマスタリングアルバムシリーズ」として再発売。
    • 2月21日、立正中学校・高等学校100周年記念ライブ。東京都品川区の立正中学校・高等学校の創立100周年記念式典で長渕が熱唱。バンドメンバーも勢揃いして、約2時間におよぶステージで全14曲を演奏。初めはあっけにとられてじっと見つめるだけだった生徒も、遠慮がちに座ったまま見ていた生徒達も、そして先生も、いつのまにかライブに引きこまれ、会場全体が熱気と感性で溢れかえった。会場には『俺達の兄貴、長渕剛』という巨大な旗も掲げられた。このライブ終了後、長渕は『若い純粋な反応がとても新鮮だった。彼等の真っ直ぐなエネルギーに負けないように俺も頑張らないとね』と笑顔を見せた。
    • 3月8日、東芝EMIより東芝所属時代のベスト&ライブアルバムが「24bitリマスタリングアルバムシリーズ」として再発売。
    • 3月19日、「桜島オールナイトコンサート」を記念したモニュメントが建立され、除幕式に参加。
    • 4月23日、作品にも度々登場し、長渕音楽の原点とも言える父・邦治(くにはる)が他界。享年77。
    • 6月29日、鹿児島中央駅アミュ広場でゲリラライブ。来場は約7000人程。ライブ状況はエフエム鹿児島MUSIC POWER STATION feel the μzic DA!!』で生放送された。
    • 7月1日、霧島市で新極真空手新保道場開きにてライブ。
    • 7月2日、南日本放送ラジオの第二スタジオでスタジオライブ、観客は抽選で選ばれた約50人。司会はMBCタレントスマイリー園田、ゲストミュージシャンはMC般若で公開生放送された。
    • 7月14日、『長渕剛3daysドキュメント』放映-南日本放送TV『Mixx
    • 7月22日、7月2日公開放送で未放送のアンコール部分を南日本放送ラジオで特集して放送。
    • 8月30日、山本寛斎がプロデュースする『日本元気プロジェクト KANSAI SUPER SHOW「太陽の船」』のイベントテーマソング『太陽の船』を手がけることが発表され、同曲が公開された。
    • 10月9日、10月16日放送の『くりぃむナントカ』「第2回長渕ファン王決定戦」に出演。六本木のカラオケBOXにて、観客3人(上田晋也ワッキー大八木淳史)の前で2時間半12曲のライブを行う。あまりの迫力にくりぃむしちゅーの2人やワッキーはもちろん、もともとファンという程ではなかった大木優紀アナウンサーも感動して涙を流し、改めてその圧倒的な存在感を見せつけることとなった。バラエティ番組に出るのは『おしゃれカンケイ』以来のことだが、この出演は第1回「長渕ファン王決定戦」のスペシャルを再放送を観て心を動かされた本人からの「最後に(俺が)出たら面白いだろう」という要望によるもの。有田の似てないモノマネに爆笑するなど収録を楽しんでいた。この圧倒的なライブパフォーマンスは視聴者に強烈な印象を与え、翌週のオリコンランキングに、長渕のベストアルバムなど数作品が再浮上した。
  • 2007年
    • 5月4日、幕張メッセで行われた「どきどきフリーマーケット」のステージにゲスト出演し、「Come on Stand up!」をはじめ、自身の曲のライブを行った。その模様はBAY-FMを通じて公開されていたが、オンエア後もライブは継続され、フリーマーケット終了30分前まで続いた(これは、観覧していたファンの度重なるアンコールに答えた本人の力が大きい)。
    • 5月16日、4年ぶりのオリジナルアルバム「Come on Stand up!」リリース。全12曲新曲(桜島DVDに収録されていたものの未CD化だった「夕焼けの歌」を含む)、先行シングルなしという昨今の音楽業界の常識からすれば型破りなアルバムにも関わらず、オリコン初登場4位。
    • 6月6日~7月11日、自身初となる女性限定ライブ「Lady's Night2007-Acoustic-」ツアー。
    • 9月7日~12月9日まで自身2年ぶりとなるツアー「2007 ARENA TOUR 〜Come on Stand up!〜」ツアーが行われた。
    • 10月12日より放送開始の、TBS系列テレビドラマ「歌姫」の主題歌に、長渕による作詞作曲『青春 SEISYuN』が起用された。歌を歌うのはTOKIOで、TOKIOにとっては中島みゆき甲斐よしひろに続く大物歌手による楽曲提供となった。
  • 2008年
    • 5月14日、21日、過去に発表された楽曲の中からラブソングを中心にリマスタリング、セルフカバー、リミックスを施して選曲したベストアルバム「LOVE」、「SONGS」を発売。
  • 2009年
  • 2010年
    • 8月14日、スペシャルドラマ『歸國』に俳優として出演。本格的な俳優復帰は、1999年に主演した映画『英二』以来で、11年ぶりとなり、ドラマ出演は1997年に主演した『ボディーガード』以来で、13年ぶりとなった。
  • 2011年
    • 4月7日、東日本大震災に際し、被災地復興支援のため、FMでラジオ「長渕剛 RUN FOR TOMORROW ~明日に向かって~」をスタート。被災地向けの番組のため、県域放送局(ベイエフエム)とJFN系、コミュニティ放送局でネットされるという、従来のラジオネットワークの枠に拘らないユニークな配信になる。

ライブツアー

近年のライブにおいては、ほぼ全編を通して間奏部分での拳上げが行われる。また、サビの部分の歌唱を観客側に求められることも多い。

「勇次」の曲中でクラッカーを鳴らすのが長渕ライブの風物詩でもある。ただし、基本的には火薬物でもあるクラッカーはライブ会場に持ち込み禁止の場合が多く、見つかると会場スタッフに没収される。

作品

シングル

太字表記がA面。現在では、初期の楽曲に関しては、単独でのEPやCDの発売はされておらず、全曲を聴くにはシングルコレクションの利用が必須である。

ビクター・レコード
東芝EMI
フォーライフ・レコード(フォーライフ・ミュージックエンタテインメント)
ナユタウェイヴ・レコーズ(ユニバーサルミュージック)

アルバム

オリジナル・アルバム

東芝EMI
フォーライフレコード(フォーライフ・ミュージックエンターテインメント)
ナユタウェイヴ・レコーズ(ユニバーサルミュージック)

その他のアルバム

(ベスト盤、ライブ盤、シングルコレクション、トリビュート等)

東芝EMI
フォーライフ・ミュージックエンタテインメント

楽曲提供

1980年代前半に、秋元康や松井五郎が作詞し、長渕剛が作曲する形での楽曲提供が行われていたことがある。後年別のアーティストによるカバーもある。
「PLAY BOY」作詞・作曲:長渕剛(1982年)
「ジルバ・エブリデイ」作詞:阿木燿子/作曲:長渕剛(1982年)
「ありふれたLOVE SONG」作詞:山川啓介/作曲:長渕剛/編曲:竜崎孝路(1982年)
「失恋散歩道」、「ココナッツ・ワッフルを片手に」作詞:秋元康/作曲:長渕剛(1982年)
「秘密じゃないけど秘密」、「目をそらさないで」、「背伸びして MY LOVE」作詞:秋元康/作曲:長渕剛(1983年)
「人間(ひと)の駱駝(らくだ)」作詞:宮本輝秋元康/作曲:長渕剛(1983年)
「さよならだけの終止符」、「I am a boy」作詞:荒木とよひさ/作曲:長渕剛(1984年)
「素敵にジングルベル」作詞:Heart Boy/作曲:長渕剛(1983年)
「青春レクイエム」作詞:秋元康/作曲:長渕剛(1983年)
「ロフトの壁」作詞:秋元康/作曲:長渕剛(1984年)
「COME BACK TO MY HEART」作詞・作曲:長渕剛(1984年)
「夏にフレッシュ。」作詞:秋元康/作曲:長渕剛(1984年)
「哀愁JIN JIN JIN」作詞:秋元康/作曲:長渕剛(1984年)
「悲しみよこんにちは」、「深夜劇場」作詞:松井五郎/作曲:長渕剛(1984年)
「背中あわせ」、「SOLTY DOG BLUES」作詞:岡本おさみ/作曲:長渕剛(1984年)
「わたしの胸に」作詞:荒木とよひさ/作曲:長渕剛(1985年)
「ビートルズの優しい夜」、「HOLD ME」作詞:松井五郎/作曲:長渕剛/鷺巣詩郎(1985年)
「HOLD YOUR LAST CHANCE」作詞・作曲:長渕剛(1985年)
「おあいそして」、「酔いつぶれてララバイ」作詞:秋元康/作曲:長渕剛/編曲:瀬尾一三(1985年)
「電信柱にひっかけた夢」作詞・作曲:長渕剛(1990年)
「乾杯」作詞・作曲:長渕剛(1995年)
「素敵にジングルベル」作詞:Heart Boy/作曲:長渕剛(1995年)
「さようならの唄」作詞・作曲:長渕剛(1996年)
「乾杯」(1997年)
「想い人」作詞・作曲:長渕剛(1998年)
「Myself」、「いつものより道もどり道」作詞・作曲:長渕剛(2003年)
「翼~つばさ~」作詞:長渕剛/作曲:杉田篤史(2003年)
「乾杯」(2003年)
「東京青春朝焼物語」作詞・作曲:長渕剛(2003年)
「狼たちの遠吠え」、「人生はラ・ラ・ラ」作詞・作曲:長渕剛(2003年)
「青春(SEISYuN)」作詞・作曲:長渕剛(2007年)※11月28日発売。TOKIO側の依頼で実現した。
  • 「新極真会の歌」 作詞・作曲・歌:長渕剛(2003年)

映像作品(ビデオ、DVD)

東芝EMI
  • SUPER LIVE IN 西武球場(1983年、VHS、β、LD、VHD)
  • HUNGRY(1985年、VHS、β、LD)
  • 明日へ向かって 1985-1986 長渕剛の記憶(1986年、VHS、β、LD)
  • LICENSE(1988年)
  • カラス(1991年)
  • LIVE'92 "JAPAN" IN TOKYO DOME(1992年)
  • 白の情景(1994年)
  • LIVE "Captain of the Ship"(1995年)
  • LIVE "いつかの少年"(1996年)
フォーライフ・ミュージックエンターテインメント
  • 英二ふたたび&長渕剛ふたたび(1997年)
  • LIVE'97-'98 "ひまわり"(1998年)
  • LIVE ONLY 2×2 an unplugged(2000年)
  • JAPAN TOUR LIVE 2001-2002 "空/SORA"(2002年)
  • 長渕剛 9.7 IN 横浜スタジアム LIVE 2002(2002年)
  • TSUYOSHI NAGABUCHI Keep On Fighting LIVE 2003 夏(2003年)
  • 桜島(SAKURAJIMA)(2004年)
  • YAMATO 大和魂(2006年)
  • 2007 TSUYOSHI NAGABUCHI ARENA TOUR COME ON STAND UP!(2008年)
UMN(ユニバーサルミュージック
  • 30th Anniversary BOX from TSUYOSHI NAGABUCHI PREMIUM
2010年6月9日発売のデビュー30周年プレミアムBOXセット(DVD3枚組、CD3枚組)。初週2.1万枚を売り上げ、2010年6月21日付オリコン週間DVDランキング総合第1位となった。価格は3万1500円と高額ながら、それまでの総合首位を記録していた『ザ・ビートルズ・アンソロジー(初回生産特別価格盤)』を抜くミュージックDVD作品最高額総合首位記録となり、更に最高額首位の『機動戦士ガンダムDVD-BOX2(最終巻)』と同額の歴代タイ記録となる[1]

出演

*は主題歌を歌った。

主演は太字

テレビドラマ

映画

ラジオ

CM

  • 日清カップヌードル(ナレーション) (1986年)
  • 明治製菓、チョコバー「BODY」 (1988年)
  • 京セラ、携帯電話「A1403K」 (2004年)
  • 新宮霊園 福岡県新宮町にある霊園。メジャーデビュー前に「霊園ソング」を製作。初期のころはノーテロップであったが、有名になると「歌:長渕剛」が入った。また「歌:永淵剛」のテロップが入ったバージョンもある。現在のテロップ及び同霊園のHP内にある霊園ソングのページは、当時の芸名である“永渕剛”名義となっている。なお、本人は一切出演していない。[要出典]

音楽

書籍

著書

写真集

  • 長渕剛文、広瀬飛一撮影 『「人間」:あなたに会えてよかった』(小学館,1992年)ISBN 4093634254

関連書籍

関連人物

  • 志穂美悦子 - 奥様 『親子ゲーム』、『男はつらいよ 幸福の青い鳥』の共演を経て交際。1987年結婚。
  • 哀川翔 - 元一世風靡セピアのメンバー。テレビドラマ『とんぼ』での共演を切っ掛けに、俳優としても活躍する様に。長渕の弟分の役柄での共演が多い。
  • 秋元康 - 『GOOD-BYE青春』、『孤独なハート』等の作詞を担当、元は「長渕剛のオールナイトニッポン」の構成作家。80年代にはこのコンビで複数の歌手やアイドルに曲を提供した。
  • 渥美清 - 映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』で共演。
  • 石川鷹彦 - 初期の頃に頻繁に編曲やギターなどを担当。
  • 石倉三郎 - テレビドラマでの共演が多い。「花菱にて」の「花菱」は石倉の妻がやっている小料理屋の名前。
  • 石田純一 - テレビドラマ『しゃぼん玉』で共演。
  • 泉浩 - アテネ五輪柔道銀メダリスト・格闘家。入場曲に『SAMURAI』を使用。
  • 稲盛和夫 - 京セラ創業者。鹿児島県出身。桜島コンサートに特別協賛。また、長渕自身も携帯電話のCMに出演した。(携帯電話「A1403K」)
  • 井上公造 - 芸能ジャーナリスト。大学時代の同じバイト仲間。
  • 植木等 - 『親子ゲーム』『とんぼ』などで共演。生前は長渕の芸能界における後見人的存在であった。
  • 上田晋也 - HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPくりぃむナントカおしゃれイズムなどで共演し親交が深まった。上田が19歳の時に熊本市民会館で行われたコンサートで、長渕が投げたハーモニカをキャッチした逸話を持つ。2007年、長野で行われたコンサートに飛び入り参加しろくなもんじゃねえを熱唱した。
  • 植田美千代 - 南日本放送アナウンサー 、2004年の桜島野外ライブの総合司会。デビュー前より本人を知る数少ない人物。
  • 笛吹利明 - セカンドアルバム『逆流』以降、アルバム製作やライブに殆ど携わっている"長渕剛の右腕"的な存在。編曲も多い。
  • 英二 - 長渕剛のものまねタレント。『くりぃむナントカ』第2回長渕剛ファン王決定戦で本人と対面。
  • エミネム - ヒップ・ホップに近年興味を持つ長渕が心酔するラッパー。
  • 奥ゆかり - エフエム鹿児島のDJ。特番のメイン・インタビューなどで親交がある。ちなみに、記念モニュメント叫びの肖像の設置実行委員長。
  • 尾崎豊 - ラジオ番組やライブMCで長渕が近年とりあげているアーティスト。10代の代弁者からスターとなりショービジネスの中で人間不信と孤独に苛まれて亡くなってしまったことを惜しみ、才能ある若者が商品として利用されることに警鐘を鳴らしている。
  • 大仁田厚 - 長渕のファンであり、『ボディーガード』で長渕の弟分として共演を果たす。
  • 押尾コータロー - 高校時代に楽曲コピー。トリビュートアルバムの「Hey! ANIKI」に参加。またパーソナリティを務めている「ナニワ音楽ショウ・押尾コータローの押しても弾いても」(毎日放送ラジオ・関西ローカル)に長渕がゲスト出演したこともある。
  • 角川春樹 - 映画『男たちの大和/YAMATO』の主題歌を長渕に依頼。
  • 辛島美登里 - 同じ鹿児島出身のシンガーソングライターで、15年程前までは実家が同じ団地内にあった。出身小学校も同じ。
  • 川上源一 - ヤマハ第4代社長。長きに亙りエグゼクティヴ・プロデューサーとして名を連ねていた。
  • 北村龍平 - 京セラ携帯電話のCM製作などに携わる。
  • 清原和博 - 野球選手。入場曲に『とんぼ』を使用している。
  • 倉本聰 - アルバム『SAMURAI』にてライナーノート執筆。『北の国から』で楽曲採用もあり。また、大麻騒動後、長渕一家を富良野に呼び寄せた。
  • 黒土三男 - 主演ドラマや映画の脚本を多く手掛ける。アルバム『LICENSE』ではライナーノート執筆。
  • 桑田佳祐 - 別記
  • 国生さゆり - ドラマの共演から不倫関係を報じられたことがある。
  • 坂本九 - 『上を向いて歩こう』を長渕がカヴァー。坂本九トリビュートアルバムにも参加している。
  • 桜井和寿Mr.Children) - まだ売れる前にライブにて長渕の初期の曲をカヴァーしていた。
  • 白川由美 - 『家族ゲーム』『親子ジグザグ』等で共演。
  • ZEEBRA - トリビュートアルバムに参加。
  • 清水美砂 - ドラマの共演から不倫関係を報じられたが実際は不倫関係ではなかった。
  • 瀬尾一三 - 初期の頃から現在に到るまで、多くの楽曲の編曲を担当。アルバムの共同製作も数多い。
  • 高山文彦 - ベストアルバム『いつかの少年』でライナーノート執筆。『家族』共同作詞。
  • つんくシャ乱Qボーカル) - 長渕の曲をカヴァーしている。テレビ番組で『俺らの家まで』を弾き語りしたり、また自身のカヴァーアルバム『V3~青春カバー』にて『Don't Cry My Love』をカヴァー収録。長渕とは雑誌でも対談している。
  • DJ POCKY - 2004年の桜島野外ライブ会場のメインDJ。ラジオ番組での親交がある。
  • 戸高秀樹 - プロボクシング元世界王者。現役時代、『HOLD YOUR LAST CHANCE』を入場曲として使用。
  • 内藤剛志  ドラマ『 外科医・夏目三四郎』の主題歌が『指切りげんまん』である。
  • 中尾明慶 - TBS系で放送されたスペシャルドラマ『少年』で共演したのが縁で交流があり、長渕に桜島野外ライブに招待されたが中尾はスケジュールの都合で行けなかったことをテレビ番組で話している。
  • 中島みゆき - ポプコン出身アーティストの先輩格であり、また楽曲アレンジを瀬尾一三に依頼することが多い点でも共通する。作風も近く、長渕ファンが中島みゆきのファンを兼ねていることも非常に多い。
  • 中島美嘉- 「WILL」、「雪の華」などの曲が有名で、長渕同様に鹿児島県を代表する歌手の1人である。また、長渕と同じく日置市旧伊集院町出身である。
  • 夏八木勲 - 俳優としての長渕をとても評価しており『英二ふたたび』『ボディーガード』で共演を果たす。
  • 倍賞千恵子 - 映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』で共演。
  • 萩原聖人 - 映画『ウォータームーン』で共演。
  • 浜田省吾 - 露出の少ない浜田が長渕のラジオ番組にゲスト出演したことがある。長渕は浜田のロック性を評価している。
  • 浜田良美(濱田良美) - ライブでのコーラスに長く携わる。
  • 般若 (ミュージシャン) - 長渕に影響を受けたと語っている。ライブにも客演している。
  • ヒューマンロスト - リーダー鈴木磨(osamu)に影響を与えた。トリビュートアルバムに参加。
  • 福山雅治 - 福山自身のラジオ番組のコーナーにて長渕の曲をよく弾き語りしていた。長渕の影響を受けているミュージシャンの一人。
  • 古舘伊知郎 - 『夜のヒットスタジオ』司会者。当時コンビを組んでいた芳村真理を介して親交を持つようになり、その親交から後にも彼の司会番組(『おしゃれカンケイ』『報道ステーション』)にも顔を出している。
  • ボブ・ディラン - 長渕が影響を受けたアーティストの一人。
  • 松井五郎 - 初期の頃、アルバム収録曲の一部の作詞を担当。
  • 松坂慶子 - 映画『ウォータームーン』で共演。
  • ミニミニ長渕 - 長渕剛のソックリさんで、ものまねタレント。長渕のサイズの超縮小版。
  • 恵俊彰(ホンジャマカ) - 長渕の出身中学の後輩にあたる。そのよしみで恵のラジオ番組に長渕がゲスト出演している。
  • 矢沢永吉 - 長渕が尊敬するアーティストの一人でもあり、インタビューでも矢沢永吉先輩に負けたくないというコメントも発言している。本人同士仲がよく、奥さん同士も仲がいい。
  • 山田辰夫 - 友人でテレビドラマでの共演が多い、彼の死後長渕が『ダチ山田辰夫へおくる[2]』という追悼詩を贈った。
  • 山本寛斎 - 06年、山本が手掛けたイベント『太陽の船』にアントニオ猪木、テリー伊藤、上戸彩らと参加。長渕がイメージソングを歌った。
  • 湯川れい子 - アルバム『Captain of the Ship』、『家族』、『ふざけんじゃねぇ』でライナーノート執筆。『CLOSE YOUR EYES』では歌詞の英訳を行っている。
  • ゆず - サブリーダー岩沢厚治に影響を与えた。
  • 吉田拓郎 - シンガーソングライターとして歩むきっかけを作ったアーティスト。代表的なナンバーをコピーすることで腕を磨いたと言われる。
  • 芳村真理 - 『夜のヒットスタジオ』司会者。80年代から滅多にトーク番組に出演することがない長渕が芳村司会の平日正午のトーク番組『悪友親友』に出演したのも芳村との親交によるところが大きいとされる。
  • LISA(元m-flo) - トリビュートアルバムに参加。
  • INSPi - 『しあわせになろうよ』のコーラスを担当。カップリングはINSPiによるアカペラ・ヴァージョン。これをきっかけに交流が生まれ、INSPiのリーダー杉田が長渕に「作詞で悩んでいる」と相談したことから、INSPiのシングル「翼~つばさ~」を作詞した。この相談を受けた際、長渕は杉田を自宅に招待している。
  • 飯山裕志 - 野球選手。入場曲に『勇次』を使用している。
  • 若林志穂 - 『とんぼ』での英二の妹あずさ役を『英二』では当時芸能活動休止中だった仙道敦子から引き継いでおり、『ボディーガード』でも共演している。
  • 岩井伸洋 - キックボクサー。入場曲に『一匹の侍』を使用している。

脚注

関連項目

外部リンク