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「JBズ」の版間の差分

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1970年12月にJBズのリーダーとして[[トロンボーン]]奏者の[[フレッド・ウェズリー]]がジェームス・ブラウンの組織に復帰し、やがて[[メイシオ・パーカー]]や[[セント・クレア・ピンクニー]]といった他のブラウンの元サイドマンもウェズリーに従うなかで、コリンズ兄弟や他の「オリジナル」JBズは[[ジョージ・クリントン]]の[[Pファンク]]集団に合流するためJBズを離れる。その後JBズのライナップは頻繁に入れ替わり、1976年のウェズリーとパーカーの脱退によりJBズは本質的には解散状態となっている。
1970年12月にJBズのリーダーとして[[トロンボーン]]奏者の[[フレッド・ウェズリー]]がジェームス・ブラウンの組織に復帰し、やがて[[メイシオ・パーカー]]や[[セント・クレア・ピンクニー]]といった他のブラウンの元サイドマンもウェズリーに従うなかで、コリンズ兄弟や他の「オリジナル」JBズは[[ジョージ・クリントン]]の[[Pファンク]]集団に合流するためJBズを離れる。その後JBズのライナップは頻繁に入れ替わり、1976年のウェズリーとパーカーの脱退によりJBズは本質的には解散状態となっている。
===録音===
===録音===
この年代のブラウンのステージとレコードでのバックを務めた以外にも、JBズは自身のアルバムやシングルを録音し、時にブラウンもオルガンやシンセサイザーで参加した。アルバムは一般にヘビーなファンク曲やよりジャズ色の濃い曲からっている。1970年代前半には"Pass the Peas"や"Gimme Some More"といった多くのヒット曲をチャート入りさせ、"Doing It to Death"はナンバーワンR&Bヒットとなった。「フレッド・ウェズリー&ザ・JBズ」名義での"Doing It to Death"は100万枚を売り上げ、1973年7月に[[RIAA|アメリカレコード協会]]から[[ゴールドディスク]]が与えられた。<ref name="The Book of Golden Discs">{{cite book
この年代のブラウンのステージとレコードでのバックを務めた以外にも、JBズは自身のアルバムやシングルを録音し、時にブラウンもオルガンやシンセサイザーで参加した。アルバムは一般にヘビーなファンク曲やよりジャズ色の濃い曲からっている。1970年代前半には"Pass the Peas"や"Gimme Some More"といった多くのヒット曲をチャート入りさせ、"Doing It to Death"はナンバーワンR&Bヒットとなった。「フレッド・ウェズリー&ザ・JBズ」名義での"Doing It to Death"は100万枚を売り上げ、1973年7月に[[RIAA|アメリカレコード協会]]から[[ゴールドディスク]]が与えられた。<ref name="The Book of Golden Discs">{{cite book
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1974年の"Breakin' Bread"は特異なアルバムで、殆どの曲の冒頭で録音されたバッキングトラックの上にフレッド・ウェズリーが話す回想がダビングされている。これは名盤"Doing It to Death"に見られるジェームス・ブラウンのリアルタイム録音が主体となるスタイルと対局をなしている。それとよく似た変わったところとしては、1974年のアルバム "Damn Right I Am Somebody" において第2トラックのジャムの20秒の延長(どれもジェームス・ブラウンのトレードマークである金切り声が入っている)が他の全ての曲の冒頭のつなぎとして使われている。ほぼ全てのJBズの録音はブラウンによりプロデュースされ、殆どの曲はブラウン自身のレーベルであるピープルレコードからリリースされた。ファンクスタイルが1970年代にディスコに主流の座を譲って短命に終わり、彼らの素材やアレンジはそれに合わせて徐々に変わっていく。1999年の"Bring the Funk on Down"は(ほとんど)1970年代の形式への回帰と言える。
1974年の"Breakin' Bread"は特異なアルバムで、殆どの曲の冒頭で録音されたバッキングトラックにフレッド・ウェズリーが語る回想がオーバーダビングされている。これは名盤"Doing It to Death"に見られるジェームス・ブラウンのリアルタイム録音が主体となるスタイルと対局をなしている。それとよく似た変わったところとしては、1974年のアルバム "Damn Right I Am Somebody" において第2トラックのジャムの20秒の延長(どれもジェームス・ブラウンのトレードマークである金切り声が入っている)が他の全ての曲の冒頭のつなぎとして使われている。ほぼ全てのJBズの録音はブラウンによりプロデュースされ、殆どの曲はブラウン自身のレーベルであるピープルレコードからリリースされた。ファンクスタイルが1970年代にディスコに主流の座を譲って短命に終わり、彼らの素材やアレンジはそれに合わせて徐々に変わっていく。1999年の"Bring the Funk on Down"は(ほとんど)1970年代の形式への回帰と言える。


A.A.B.B.名義では、グループは1975年のアメリカチャートで108位を記録する"Pick up the Pieces One By One"をリリースしている。<ref name=whitburn>[[Joel Whitburn]], ''Top Pop Singles 1955-2008''. Record Research, 2009, p. 19.</ref> その名前は当時人気のファンクグループ[[アヴェレージ・ホワイト・バンド]]に因んだ"Above Average Black Band"の略である。<ref name=whitburn/>
A.A.B.B.名義では、グループは1975年のアメリカチャートで108位を記録する"Pick up the Pieces One By One"をリリースしている。<ref name=whitburn>[[Joel Whitburn]], ''Top Pop Singles 1955-2008''. Record Research, 2009, p. 19.</ref> その名前は当時人気のファンクグループ[[アヴェレージ・ホワイト・バンド]]に因んだ"Above Average Black Band"の略である。<ref name=whitburn/>

2011年4月23日 (土) 13:57時点における版

ザ・JBズ(The J.B.'s, 時としてThe JB'sやThe J.B.sのように表記されることもある)は1970年代前半のジェームス・ブラウンのバンド。レコードではJames Brown Soul Train、Maceo and the Macks、A.A.B.B.、The First FamilyやThe Last Worldといった様々な別名でクレジットされることもある。ジェームス・ブラウン以外にも、ボビー・バードリン・コリンズなどのジェームス・ブラウンのショーと関係する歌手のバックを務めたり、グループ自身の名義での活動を行うこともあった。

キャリア

「オリジナル」JBズ

JBズはブラウンの旧バンドの殆どのメンバーが給与問題でストライキした後の1970年3月に結成された(ブラウンの1950年代と1960年代の旧バンドはザ・ジェームスブラウン・バンドやザ・ジェームス・ブラウン・オーケストラとして知られていた)。JBズの初期メンバーには無名のファンクバンドであるザ・ペースメーカーズ出身のベース奏者ウィリアム“ブーツィ”コリンズとその兄でギター奏者のフェルプス“キャットフィッシュ”コリンズの兄弟、60年代のブラウンのバンドから残ったボビー・バード(オルガン)とジョン“ジャボ”スタークス(ドラム)、経験の浅い3人のホーン奏者クレイトン“チキン”ガンネルズ、ダリル“ハッサン”ジャミソンとロバート・マコラフ、コンガ奏者のジョニー・グリッグズがいた。この代のJBズは "Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine", "Super Bad", "Soul Power", や "Talkin' Loud and Sayin' Nothing" といったブラウンの最も強烈なファンク録音の幾つかの録音で演奏した。またブラウンのヨーロッパツアーにも同行し(ずっと後になってリリースされるライブアルバム Love Power Peaceをツアー中に録音)、更には2枚組LPセックスマシーンを録音、よくサンプリングされる"The Grunt"と"These Are the J.B.'s"の2枚のインストシングル盤をリリースした。

他のライナップ

1970年12月にJBズのリーダーとしてトロンボーン奏者のフレッド・ウェズリーがジェームス・ブラウンの組織に復帰し、やがてメイシオ・パーカーセント・クレア・ピンクニーといった他のブラウンの元サイドマンもウェズリーに従うなかで、コリンズ兄弟や他の「オリジナル」JBズはジョージ・クリントンPファンク集団に合流するためJBズを離れる。その後JBズのライナップは頻繁に入れ替わり、1976年のウェズリーとパーカーの脱退によりJBズは本質的には解散状態となっている。

録音

この年代のブラウンのステージとレコードでのバックを務めた以外にも、JBズは自身のアルバムやシングルを録音し、時にブラウンもオルガンやシンセサイザーで参加した。アルバムは一般にヘビーなファンク曲やよりジャズ色の濃い曲からなっている。1970年代前半には"Pass the Peas"や"Gimme Some More"といった多くのヒット曲をチャート入りさせ、"Doing It to Death"はナンバーワンR&Bヒットとなった。「フレッド・ウェズリー&ザ・JBズ」名義での"Doing It to Death"は100万枚を売り上げ、1973年7月にアメリカレコード協会からゴールドディスクが与えられた。[1]

1974年の"Breakin' Bread"は特異なアルバムで、殆どの曲の冒頭で録音されたバッキングトラックにフレッド・ウェズリーが語る回想がオーバーダビングされている。これは名盤"Doing It to Death"に見られるジェームス・ブラウンのリアルタイム録音が主体となるスタイルと対局をなしている。それとよく似た変わったところとしては、1974年のアルバム "Damn Right I Am Somebody" において第2トラックのジャムの20秒の延長(どれもジェームス・ブラウンのトレードマークである金切り声が入っている)が他の全ての曲の冒頭のつなぎとして使われている。ほぼ全てのJBズの録音はブラウンによりプロデュースされ、殆どの曲はブラウン自身のレーベルであるピープルレコードからリリースされた。ファンクスタイルが1970年代にディスコに主流の座を譲って短命に終わり、彼らの素材やアレンジはそれに合わせて徐々に変わっていく。1999年の"Bring the Funk on Down"は(ほとんど)1970年代の形式への回帰と言える。

A.A.B.B.名義では、グループは1975年のアメリカチャートで108位を記録する"Pick up the Pieces One By One"をリリースしている。[2] その名前は当時人気のファンクグループアヴェレージ・ホワイト・バンドに因んだ"Above Average Black Band"の略である。[2]

殆どのジェームス・ブラウンの音楽同様に、JBズの録音はヒップホップDJやレコードプロデューサーによって大いに発掘されてきている。

ザ・JBホーンズ

1980年代から1990年代にかけて、メイシオ・パーカーとフレッド・ウェズリーはアルフレッド“ピー・ウィー”エリスといった元ブラウンのサイドマンたちをひきつれてザ・JBホーンズ名義で継続的にツアーを行っている。JBホーンズはグラマビジョンレーベルに数枚のアルバムを録音し、後にライノレコードより再発されている。また同名義でジェフ・マクレイリチャード・マズダのプロデュースによるアルバム"I Like It Like That"を残している。

再結成

フレッド・ウェズリー、ブーツィ―・コリンズ、ピー・ウィー・エリス、ボビー・バードとクライド・スタブルフィールドを含む形態でのJBズがセント・クレア・ピンクニーへの追悼として1999年に「再結成」アルバム"Bring the Funk on Down"を録音している。このアルバムはPヴァイン・レコードから日本でリリースされ、2002年にインスティンクトレコードよりアメリカで再リリースされた。

ディスコグラフィー

アルバム

  • Food For Thought (1972)
  • Doing It to Death (1973)
  • Damn Right I Am Somebody (1974) - (as "Fred Wesley & the J.B.'s")
  • Breakin' Bread (1974) - (as "Fred & the New J.B.'s")
  • Hustle with Speed (1975)
  • Jam II Disco Fever (1978)
  • Groove Machine (1979)
  • Bring the Funk On Down (1999)

JBホーンズ名義

  • Pee Wee, Fred and Maceo (1989)
  • Funky Good Time / Live (1993)
  • I Like It Like That (1994)

シングル

  • 1970
    • "The Grunt, Pt 1" / "Pt2"
    • "These Are the J.B.'s, Pt 1" / "Pt 2"
  • 1971
    • "My Brother, Pt 1" / "Pt 2"
    • "Gimme Some More" / "The Rabbit Got The Gun"
  • 1972
    • "Pass the Peas" / "Hot Pants Road"
    • "Givin' Up Food For Funk, Pt 1" / "Pt 2"
    • "Back Stabbers" / "J.B. Shout"
  • 1973
  • 1974
    • "Damn Right I Am Somebody, Pt 1" / "Pt 2"
    • "Rockin' Funky Watergate, Pt 1" / "Pt 2"
    • "Little Boy Black" / "Ronkin' Funky Watergate"
    • "Breakin' Bread" / "Funky Music is My Style"
  • 1975
    • "Makin' Love" / "Rice 'n' Ribs"
    • "(It's Not the Express) It's the J.B.'s Monaurail, Pt 1" / "Pt 2"
    • "Thank You for Lettin' Me Be Myself and You Be Yours Pt 1" / "Pt 2"
  • 1976
    • "All Aboard The Soul Funky Train" / "Thank You for Lettin'... Pt 1"
    • "Everybody Wanna Get Funky One More Time, Pt 1" / "Pt 2"
  • 1977
    • "Music For The People" / "Crossover" - (as the J.B.'s International)
    • "Nature, Pt 1" / "Pt 2" - (as the J.B.'s International)
  • 1978
    • "Disco Fever, Pt 1" / "Pt 2" - (as the J.B.'s International)

CDコンピレーション

  • Funky Good Time: The Anthology (2 CD) (1995)
  • Food for Funk (1997)
  • Pass the Peas: The Best of the J.B.'s (2000)

参考資料

  1. ^ Murrells, Joseph (1978). The Book of Golden Discs (2nd ed.). London: Barrie and Jenkins Ltd. p. 338. ISBN 0-214-20512-6 
  2. ^ a b Joel Whitburn, Top Pop Singles 1955-2008. Record Research, 2009, p. 19.