「ジョン・バーチ・ソサエティ」の版間の差分
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'''ジョン・バーチ・ソサエティ'''({{lang-en-short|John Birch Society}})、'''ジョン・バーチ協会'''は、[[アメリカ合衆国]]の[[政治団体]]。いわゆる[[極右]]の一つとみなされている。 |
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グループ名の由来は、[[第二次世界大戦]]終結直後の[[1945年]]8月に、[[宣教師]]として潜入中の中国で[[八路軍]]に殺された[[Office of Strategic Services]]の工作員、ジョン・バーチ(John Birch)にちなむ。 |
グループ名の由来は、[[第二次世界大戦]]終結直後の[[1945年]]8月に、[[宣教師]]として潜入中の中国で[[八路軍]]に殺された[[Office of Strategic Services]]の工作員、ジョン・バーチ(John Birch)にちなむ。 |
2011年7月16日 (土) 16:10時点における版
ジョン・バーチ・ソサエティ(英: John Birch Society)、ジョン・バーチ協会は、アメリカ合衆国の政治団体。いわゆる極右の一つとみなされている。
グループ名の由来は、第二次世界大戦終結直後の1945年8月に、宣教師として潜入中の中国で八路軍に殺されたOffice of Strategic Servicesの工作員、ジョン・バーチ(John Birch)にちなむ。
概要
1958年12月に、ジュースメーカー「ウェルチ」(Welch's、日本ではカルピス食品工業が取り扱う)を経営する実業家で、反共主義者として知られていたロバート・ヘンリー・ウィンボーン・ウェルチ・ジュニア(Robert Henry Winborne Welch Jr.)とその賛同者によって、インディアナ州インディアナポリスで設立された。
「ニューライト(新右派)」と自らを定義し、反共産主義的主張を行うとともに、「容共的である」とみなした政治家や判事、団体に対しての批判を行っていた他、アメリカの北大西洋条約機構からの脱退や国際連合による干渉への反対などのモンロー主義的な孤立主義を主張していた。なお、1950年代後半から1960年代にかけて盛り上がりを見せた公民権運動に対しては、「共産主義者の影響を受けている」ということを理由にこれに反対している。
冷戦下の1960年代から1970年代にはその活動、影響力の最盛期を迎え、全米に6万人から10万人の会員を持ち、さらに共和党所属のラリー・マクドナルド下院議員を会員に迎えるなど政界にも支持者を持った。
1990年代初めの冷戦終結で、反共という協会の思想の「拠り所」を失ったものの、その後は政府や金融機関、そして「世界を支配しようとする国際的陰謀」などに対する批判を行っている。なお現在はその本拠地をウィスコンシン州グランド・シュートに置き活動を続けている。現在も一定の支持者はあるものの、冷戦当時ほどの影響力は失ったとみなされている。
著名な会員
- ラリー・マクドナルド(民主党下院議員。1983年9月1日に起きた大韓航空機撃墜事件で死去した)
- ジョン・D・ティピット(テキサス州ダラス市警巡査。ケネディ大統領暗殺事件において犯人とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドに殺された警官)