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「堤内健」の版間の差分

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'''堤内 健'''(つつみうち たけし、[[1980年]][[7月20日]] - )は、[[宮崎県]][[宮崎市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。現在は、[[横浜ベイスターズ]]の[[打撃投手]]。
'''堤内 健'''(つつみうち たけし、[[1980年]][[7月20日]] - )は、[[宮崎県]][[宮崎市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。現在は、[[横浜ベイスターズ]]の[[打撃投手]]。


== 歴 ==
== ・人物 ==
;2003年
;2003年
ドラフト9巡目で[[日本大学硬式野球部|日大]]より[[横浜ベイスターズ]]に入団。同年自由獲得枠で共に入団した[[村田修一]]は大学のチームメイト。8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の[[広島東洋カープ|広島]]戦でプロ初勝利。
ドラフト9巡目で[[日本大学硬式野球部|日大]]より[[横浜ベイスターズ]]に入団。同年自由獲得枠で共に入団した[[村田修一]]は大学のチームメイト。8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の[[広島東洋カープ|広島]]戦でプロ初勝利。
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=== 背番号 ===
=== 記録 ===
* '''47''' (2003年 - 2006年)
* '''36''' (2007年)

=== 個人記録 ===
* 初登板・初先発:2003年8月7日、対[[読売ジャイアンツ]]23回戦([[東京ドーム]])、4回2失点
* 初登板・初先発:2003年8月7日、対[[読売ジャイアンツ]]23回戦([[東京ドーム]])、4回2失点
* 初奪三振:同上、1回裏に[[鈴木尚広]]から
* 初奪三振:同上、1回裏に[[鈴木尚広]]から
* 初勝利・初先発勝利:2003年8月16日、対[[広島東洋カープ]]17回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、5回1失点
* 初勝利・初先発勝利:2003年8月16日、対[[広島東洋カープ]]17回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、5回1失点

=== 背番号 ===
* '''47''' (2003年 - 2006年)
* '''36''' (2007年)


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2011年8月13日 (土) 13:23時点における版

堤内 健
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県宮崎市
生年月日 (1980-07-20) 1980年7月20日(44歳)
身長
体重
184 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト9巡目
初出場 2003年8月7日
最終出場 2003年8月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

堤内 健(つつみうち たけし、1980年7月20日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手投手)。現在は、横浜ベイスターズ打撃投手

来歴・人物

2003年

ドラフト9巡目で日大より横浜ベイスターズに入団。同年自由獲得枠で共に入団した村田修一は大学のチームメイト。8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の広島戦でプロ初勝利。

2004年

肘の手術を受けたこともあって一軍登板はなし。二軍の湘南シーレックスでもわずか2試合の登板に終わった。

2005年

手術の影響もありこの年以降球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。二軍では安定した成績をあげるものの、一軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、一軍での登板はなかった。新戦力を積極的に上で使う方針が当時のチームに欠けていたことも、昇格を阻んだ一因となった。

2007年

工藤公康の入団に伴い背番号を47から36へ変更。二軍で14試合に中継ぎや敗戦処理として登板しただけで、4年連続で一軍登板はなかった。そして10月に戦力外通告を受け現役を引退。

2008年からは、横浜の打撃投手を務める。

プレースタイル

最速147kmのストレートが最大の武器であり、変化球はスライダーフォークを使った。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2003 横浜 4 4 0 0 0 1 1 0 -- .500 74 15.0 15 2 13 0 1 9 1 0 10 9 5.40 1.87
通算:1年 4 4 0 0 0 1 1 0 -- .500 74 15.0 15 2 13 0 1 9 1 0 10 9 5.40 1.87

記録

背番号

  • 47 (2003年 - 2006年)
  • 36 (2007年)

関連項目