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「金子洋平」の版間の差分

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S.TACHIBANA (会話 | 投稿記録)
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=== 背番号 ===
=== 記録 ===
* '''40''' (2007年 - 2009年)

=== 個人記録 ===
* 初出場:2007年3月25日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]2回戦([[千葉マリンスタジアム]]) - 12回表二死に[[代打]]として出場(投手:[[小林雅英]])
* 初出場:2007年3月25日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]2回戦([[千葉マリンスタジアム]]) - 12回表二死に[[代打]]として出場(投手:[[小林雅英]])
* 初先発出場:2007年3月29日、対[[オリックス・バファローズ]]3回戦([[神戸総合運動公園野球場|スカイマークスタジアム]]) - 五番・[[左翼手]]
* 初先発出場:2007年3月29日、対[[オリックス・バファローズ]]3回戦([[神戸総合運動公園野球場|スカイマークスタジアム]]) - 五番・[[左翼手]]
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* 初本塁打:2007年4月15日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]6回戦(札幌ドーム) - 5回裏二死(投手:[[一場靖弘]])
* 初本塁打:2007年4月15日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]6回戦(札幌ドーム) - 5回裏二死(投手:[[一場靖弘]])
* 初盗塁:2007年4月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス9回戦([[県営宮城球場|フルキャストスタジアム宮城]]) - 8回表二死(投手:[[小倉恒]]、捕手:[[嶋基宏]])
* 初盗塁:2007年4月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス9回戦([[県営宮城球場|フルキャストスタジアム宮城]]) - 8回表二死(投手:[[小倉恒]]、捕手:[[嶋基宏]])

=== 背番号 ===
* '''40''' (2007年 - 2009年)


=== 登場曲 ===
=== 登場曲 ===

2011年8月14日 (日) 06:40時点における版

金子 洋平
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県下関市
生年月日 (1981-12-04) 1981年12月4日(42歳)
身長
体重
177 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト6巡目
初出場 2007年3月25日
最終出場 2008年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

金子 洋平(かねこ ようへい、1981年12月4日 - )は、山口県下関市出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴

国士舘高校では2年春の選抜大会に控え野手として出場[1]。主将として臨んだ3年夏の東東京大会では一番を任され、3本塁打を記録するもベスト8で世田谷学園に敗れた[2]。高校卒業後は青山学院大学へ進学。東都リーグでは2年春にリーグ6位の打率.353を記録しベストナインに選ばれている[3]。4年秋には五番打者として3本塁打を放ち、8季ぶりのリーグ優勝に貢献した[4]。大学4年間の通算成績は76試合出場、224打数56安打、打率.250、7本塁打、45打点。

大学卒業後、ホンダへ入社。1年目の2004年都市対抗で主砲としてチームを決勝戦へ導き、若獅子賞を受賞。またハーレムベースボールウィークIBAFワールドカップの日本代表にも選ばれ、同年は社会人ベストナインを受賞している。2005年は右ひじを手術したが、2006年のドラフト会議北海道日本ハムファイターズに6巡目指名され、契約金と年俸それぞれ3,500万円、1,000万円(いずれも推定)で入団した[5]

2007年に新人選手ながらオープン戦で3本塁打を打ち、開幕一軍に登録された。一軍では33試合に出場、3本塁打を記録したが、打率.129と振るわず二軍落ちした。翌2008年は一軍で6試合出場に留まった。しかし二軍では2007年に打率.290、14本塁打38打点、2008年には打率.281、16本塁打54打点の成績で、二年連続最多本塁打のタイトルを獲得した。

2009年は一軍出場がなく、10月2日付で戦力外通告を受けた。シーズン終了後12球団合同トライアウトに参加、この際に広島東洋カープが獲得を検討中と報道されていたものの[6]、最終的に契約する球団は現れなかった。2010年1月27日のホンダでの練習を最後に引退を表明した。その後、チームメイトだった坪井智哉(現・オリックス・バファローズ)のブログ内でサラリーマンをしている事が明かされた[7]

プレースタイル・人物

社会人時代に中村紀洋を参考にフォームを改造し、広角に打てる長打力には他球団からも定評があった[8]。入団会見では「本塁打を(背番号の)40本打てる選手」を目標として掲げている。それに対し、50メートル8.1秒、遠投96メートルと守備能力は高くない。

新人だった2007年に1年間だけチームメイトだった田中幸雄(現・北海道日本ハムファイターズ一軍打撃コーチ)とは縁があり、幼少時に家族旅行で千葉県鴨川市を訪れた際に日本ハムの秋季キャンプを見学し、当時駆け出しであった田中に抱っこしてもらっていた。プロ入り後、金子がプロ初本塁打を放った際の走者のうち一人が田中で、生還後に田中に再び抱きかかえられたが、この時は金子の体重が重くて持ち上がらなかった。プロ第2号本塁打の際には直前に本塁打を打った田中の体を触らせてもらっており、「幸雄さんパワーです」とコメントしている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007 日本ハム 33 65 62 4 8 2 0 3 19 10 1 0 1 0 2 0 0 23 3 .129 .156 .306 .463
2008 6 9 9 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 1 .000 .000 .000 .000
通算:2年 39 74 71 4 8 2 0 3 19 10 1 0 1 0 2 0 0 28 4 .113 .137 .268 .405

記録

背番号

  • 40 (2007年 - 2009年)

登場曲

脚注

  1. ^ 朝日新聞、1998年3月22日、P.19
  2. ^ 朝日新聞、1999年7月26日付朝刊、東京地方面
  3. ^ 朝日新聞、2001年6月1日付朝刊、P.19
  4. ^ 読売新聞、2003年11月14日付朝刊、P.33
  5. ^ 読売新聞、2006年11月28日付朝刊、P.25
  6. ^ “広島 右の大砲獲りに金子洋ら調査”. デイリースポーツonline. (2009年10月20日). http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2009/10/21/0002458028.shtml 2010年8月15日閲覧。 
  7. ^ 坪井智哉公式サイト
  8. ^ 読売新聞、2007年3月14日付夕刊、P.3

関連項目