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開幕1軍を果たしたが、昨季同様シーズン序盤は代走要員だった。4月30日の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦で初先発。[[多村仁志]]、[[ホセ・オーティズ]]、[[松中信彦]]、[[内川聖一]]などの相次ぐ離脱もありスタメンでの出場機会を増やした。6月12日には[[一塁手]]としても先発出場している。7月10日の千葉ロッテマリーンズ戦でホームスチールを成功させた。順風満帆に見えたシーズンだったが7月14日の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦でダイビングキャッチをした際右肩を亜脱臼し<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/14/kiji/K20110714001212990.html 福田が左肩負傷、戦線離脱へ] スポーツニッポン 2011年7月14日付記事。</ref>、登録抹消。復帰後は再び主に指名打者や捕手への代走要員といて出場していた(一塁手への代走要員は主に[[明石健志]]、外野手へは[[城所龍磨]]が送られることが多い)。終盤、9月6日の[[北海道日本ハムファイターズ]]戦で久々のスタメン出場を果たし[[ダルビッシュ有]]から長打2本を放ち、以降は再びスタメンで出場し続けるようになる。9月28日の日本ハム戦で初の3安打の猛打賞。試合後の[[福岡Yahoo!Japanドーム]]で初のお立ち台は、初々しい受け答えで観客の爆笑を誘った<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/28/kiji/K20110928001718220.html お立ち台では緊張…若手の明石と福田で4打点]スポーツニッポン 2011年9月28日付記事。</ref>。9月30日の[[埼玉西武ライオンズ]]戦で5回に[[西口文也]]からプロ初本塁打を放ち、7回には決勝点となる勝ち越し適時打を放つ活躍を見せ<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/01/kiji/K20111001001733020.html 福田が大仕事!ソフトバンク痛快逆転勝ちでM「1」!] スポーツニッポン 2011年10月1日付記事。</ref>、9月28日に続きお立ち台に立った。 |
開幕1軍を果たしたが、昨季同様シーズン序盤は代走要員だった。4月30日の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦で初先発。[[多村仁志]]、[[ホセ・オーティズ]]、[[松中信彦]]、[[内川聖一]]などの相次ぐ離脱もありスタメンでの出場機会を増やした。6月12日には[[一塁手]]としても先発出場している。7月10日の千葉ロッテマリーンズ戦でホームスチールを成功させた。順風満帆に見えたシーズンだったが7月14日の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦でダイビングキャッチをした際右肩を亜脱臼し<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/14/kiji/K20110714001212990.html 福田が左肩負傷、戦線離脱へ] スポーツニッポン 2011年7月14日付記事。</ref>、登録抹消。復帰後は再び主に指名打者や捕手への代走要員といて出場していた(一塁手への代走要員は主に[[明石健志]]、外野手へは[[城所龍磨]]が送られることが多い)。終盤、9月6日の[[北海道日本ハムファイターズ]]戦で久々のスタメン出場を果たし[[ダルビッシュ有]]から長打2本を放ち、以降は再びスタメンで出場し続けるようになる。9月28日の日本ハム戦で初の3安打の猛打賞。試合後の[[福岡Yahoo!Japanドーム]]で初のお立ち台は、初々しい受け答えで観客の爆笑を誘った<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/28/kiji/K20110928001718220.html お立ち台では緊張…若手の明石と福田で4打点]スポーツニッポン 2011年9月28日付記事。</ref>。9月30日の[[埼玉西武ライオンズ]]戦で5回に[[西口文也]]からプロ初本塁打を放ち、7回には決勝点となる勝ち越し適時打を放つ活躍を見せ<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/01/kiji/K20111001001733020.html 福田が大仕事!ソフトバンク痛快逆転勝ちでM「1」!] スポーツニッポン 2011年10月1日付記事。</ref>、9月28日に続きお立ち台に立った。10月1日の埼玉西武ライオンズ戦の6回1死2塁の場面で、先発[[岸孝之]]からショートの頭上を越す適時打を放って貴重な先制点を上げ、優勝が目前にせまった9回裏2死、代打[[浅村栄斗]]が放ったライトへの打球を好捕して優勝を決めた。 |
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== プレースタイル・人物 == |
== プレースタイル・人物 == |
2011年10月1日 (土) 17:51時点における版
福岡ソフトバンクホークス #37 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 神奈川県横浜市緑区(現:青葉区) |
生年月日 | 1989年2月10日(35歳) |
身長 体重 |
181 cm 74 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2010年4月30日 |
年俸 | 950万円(2011年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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福田 秀平(ふくだ しゅうへい、1989年2月10日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(外野手)。神奈川県横浜市緑区(現:青葉区)出身。愛称は福ちゃん
来歴・人物
プロ入り前
多摩大聖ヶ丘高は、遊撃手のレギュラー。3年時の春に本格的にスイッチヒッターに転向して才能が開花した。
2006年の高校生対象のドラフト会議で大嶺祐太(八重山商工)の交渉権を獲得できなかったソフトバンクから1巡目で指名され、同年10月19日に仮契約を結んだ。なお多摩大聖ヶ丘高は進学校であり、福田は同校初めてのプロスポーツ選手である。契約金で、病気で片足を失った父親のために義足を購入した。
2006年の高校生ドラフトで指名された平成生まれの選手は福田の他に、オリックス・延江大輔、土井健大、ヤクルト・山田弘喜の3人がいる。他の選手より早く仮契約を済ませ、福田は平成生まれのプロ野球選手第1号となった[1]。
プロ入り後
同じく高校生ドラフトで指名された李秉諺・伊奈龍哉に比べると体の線が細く、入団決定後に3人で雁ノ巣球場のチーム練習を見学した際に王貞治監督から「福田はもっとめしを食え」と言われたほどである。現在は先輩・川﨑宗則を目指し、米飯の量を1合から2.5合に増やす等、体作りに力を入れているという。
- 2010年
4月に初めて1軍に昇格し、4月30日のロッテ戦で李ボム浩の代走として出場し、プロ初出場を記録した。5月22日の広島戦には中堅手で初先発。梅津智弘から初安打となるタイムリーツーベースを放った。しかし、守備で転倒してしまうなどのミスを起こしてしまい、途中交代させられ、その後は主に代走要員として一軍に定着したが、わずか3盗塁に留まった。オフに左打ちに専念した。
- 2011年
開幕1軍を果たしたが、昨季同様シーズン序盤は代走要員だった。4月30日の千葉ロッテマリーンズ戦で初先発。多村仁志、ホセ・オーティズ、松中信彦、内川聖一などの相次ぐ離脱もありスタメンでの出場機会を増やした。6月12日には一塁手としても先発出場している。7月10日の千葉ロッテマリーンズ戦でホームスチールを成功させた。順風満帆に見えたシーズンだったが7月14日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でダイビングキャッチをした際右肩を亜脱臼し[2]、登録抹消。復帰後は再び主に指名打者や捕手への代走要員といて出場していた(一塁手への代走要員は主に明石健志、外野手へは城所龍磨が送られることが多い)。終盤、9月6日の北海道日本ハムファイターズ戦で久々のスタメン出場を果たしダルビッシュ有から長打2本を放ち、以降は再びスタメンで出場し続けるようになる。9月28日の日本ハム戦で初の3安打の猛打賞。試合後の福岡Yahoo!Japanドームで初のお立ち台は、初々しい受け答えで観客の爆笑を誘った[3]。9月30日の埼玉西武ライオンズ戦で5回に西口文也からプロ初本塁打を放ち、7回には決勝点となる勝ち越し適時打を放つ活躍を見せ[4]、9月28日に続きお立ち台に立った。10月1日の埼玉西武ライオンズ戦の6回1死2塁の場面で、先発岸孝之からショートの頭上を越す適時打を放って貴重な先制点を上げ、優勝が目前にせまった9回裏2死、代打浅村栄斗が放ったライトへの打球を好捕して優勝を決めた。
プレースタイル・人物
高校通算38本塁打。遠投は110メートルを超え、50メートル走のタイムは6秒ジャストと俊足でもある。
斎藤佑樹とは、高校時代からの友人であり、お互いがプロになってからも遠征先で会食をする仲である[5]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | ソフトバンク | 44 | 29 | 23 | 15 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 3 | 3 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 | .261 | .320 | .348 | .668 |
通算:1年 | 44 | 29 | 23 | 15 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 3 | 3 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 | .261 | .320 | .348 | .668 |
- 2010年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2010年4月30日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回裏に李ボム浩の代走として出場
- 初打席:2010年5月12日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、6回表に吉見一起の前に三振
- 初先発出場:2010年5月22日、対広島東洋カープ2回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8番・中堅手として先発出場
- 初安打・初打点:同上、3回裏に梅津智弘から左翼線適時二塁打
- 初盗塁:2010年7月19日、対埼玉西武ライオンズ13回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、5回裏に二盗(投手:許銘傑、捕手:上本達之)
- 初本塁打:2011年9月30日、対埼玉西武ライオンズ21回戦(西武ドーム)、5回表に西口文也から右越ソロ
背番号
- 37 (2007年 - )
脚注
- ^ 1989年生まれとしては2004年ドラフトで阪神タイガース・辻本賢人が指名されているが、まだ昭和64年だった1月6日に生まれたため、平成生まれのプロ野球選手には該当しない。
- ^ 福田が左肩負傷、戦線離脱へ スポーツニッポン 2011年7月14日付記事。
- ^ お立ち台では緊張…若手の明石と福田で4打点スポーツニッポン 2011年9月28日付記事。
- ^ 福田が大仕事!ソフトバンク痛快逆転勝ちでM「1」! スポーツニッポン 2011年10月1日付記事。
- ^ 佑ちゃん親友・福田がダルからV打「自信になる」 スポニチ Sponichi Annex、2011年9月7日