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「荒川聡子 (珍スポット愛好家)」の版間の差分

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==略歴==
==略歴==
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[[1962年]][[大阪府]]に生まれる。[[1985年]][[東京大学]]薬学部卒業。卒業後は大学の研究室にしばらく勤務していたが、その後は職場を転々と変えながら薬剤師として働く傍ら、[[ツーリング (オートバイ)|オートバイツーリング]]の際に見つけた日本各地の面白いスポットや動物園、食べ物などについてのレポートを執筆し、ツーリング系オートバイ[[雑誌]]に寄稿するようになった。2000年からは自身の公式サイト『動物園・B級スポット大好き! ~ARAKAWA'S HOMEPAGE~』においてそれらのレポートを公開するようになり、頻繁に日本各地へ取材に出掛けるようになった。その取材範囲は珍スポットに限らず、廃墟や戦争遺跡、動物園からデカ盛り料理など、好奇心の赴くまま多岐に亘っている。公式サイトにおいて紹介された珍スポット数は急速に増え続け膨大な数になっていったため、次第に日本の珍スポット文化の第一人者とみなされるようになり、カリスマ的存在となっていった。レポートは素人的立場からの主観的なものが多く、文章もやや稚拙であったものの、かえってそれが読者の共感を得るところとなった。雑誌『[[ワンダーJAPAN]]』では、[[2005年]]の創刊時から「B級ツーリング日記」を連載し、[[ツッコミ]]を入れながらの軽妙なB級スポット(珍スポット)紹介により人気コーナーになっていた。[[東京都]][[武蔵野市]]在住。


[[くも膜下出血]]で倒れ、2011年4月20日逝去(享年48)<ref>『[[ワンダーJAPAN]]』vol.18(2011年6月)の訃報記事より</ref>。
[[くも膜下出血]]で倒れ、2011年4月20日逝去(享年48)<ref>『[[ワンダーJAPAN]]』vol.18(2011年6月)の訃報記事より</ref>。

2011年11月4日 (金) 12:04時点における版

あらかわ さとこ

荒川 聡子
生誕 1962年
日本の旗 日本大阪府
死没 2011年4月20日(48歳)
住居 東京都武蔵野市
出身校 東京大学薬学部
職業 珍スポット動物園廃墟デカ盛り愛好家
フリーライター
薬剤師
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荒川 聡子(あらかわ さとこ、1962年 - 2011年4月20日)は、珍スポット動物園廃墟デカ盛り・性神愛好家、フリーライターツーリングマガジンアウトライダー』元東京都武蔵野通信局通信員[1]。本業は薬剤師[2]

略歴

1962年大阪府に生まれる。1985年東京大学薬学部卒業。卒業後は大学の研究室にしばらく勤務していたが、その後は職場を転々と変えながら薬剤師として働く傍ら、オートバイツーリングの際に見つけた日本各地の面白いスポットや動物園、食べ物などについてのレポートを執筆し、ツーリング系オートバイ雑誌に寄稿するようになった。2000年からは自身の公式サイト『動物園・B級スポット大好き! ~ARAKAWA'S HOMEPAGE~』においてそれらのレポートを公開するようになり、頻繁に日本各地へ取材に出掛けるようになった。その取材範囲は珍スポットに限らず、廃墟や戦争遺跡、動物園からデカ盛り料理など、好奇心の赴くまま多岐に亘っている。公式サイトにおいて紹介された珍スポット数は急速に増え続け膨大な数になっていったため、次第に日本の珍スポット文化の第一人者とみなされるようになり、カリスマ的存在となっていった。レポートは素人的立場からの主観的なものが多く、文章もやや稚拙であったものの、かえってそれが読者の共感を得るところとなった。雑誌『ワンダーJAPAN』では、2005年の創刊時から「B級ツーリング日記」を連載し、ツッコミを入れながらの軽妙なB級スポット(珍スポット)紹介により人気コーナーになっていた。東京都武蔵野市在住。

くも膜下出血で倒れ、2011年4月20日逝去(享年48)[3]

人物・エピソード

  • 「珍スポット」のことを「B級スポット」と呼んでいた。
  • 取材でデカ盛り料理を食べる際には必ずタッパー持参で飲食店を訪れ、食べきれない分は自宅に持ち帰っていた。
  • 廃墟の内部探索レポートについては、不法侵入であることを考慮して、主にmixi上にてネット公開していた。
  • 日常会話やレポートにおいて、2ちゃんねる用語をよく使用していた。
  • 取材のための移動手段は主にオートバイで、用途に合わせてオンロードタイプスズキ・アクロス)・オフロードタイプヤマハ・セロー)・スクータータイプホンダ・ディオ)の3台を所有していた。
  • 写真へのこだわりは特になく、写っていればよいという程度の考えであった。携帯性を重視してコンパクトデジタルカメラを愛用していた。歩きながら撮影したり、暗所での撮影でも三脚を使用しないため(三脚はいつも持ち歩いていない)、手ぶれの写真が多かった。また、ネットでの公開のみを前提とし、データ量の増加を抑えるという目的もあって、デジタルカメラの解像度をいつも低く設定して撮影していた(200万画素程度)。そのため、撮影した写真を雑誌などに掲載する際は、編集者泣かせの場合が多かった。
  • 名刺は作成しておらず、いつも名刺なしで取材を行っていた。

著書

連載

主な執筆・寄稿雑誌

など

テレビ出演

  • 『日本の<<異空間>>探検番組 ワンダーJAPAN TV』vol.9(2010年9月29日 MONDO TV
  • 『日本の<<異空間>>探検番組 ワンダーJAPAN TV』vol.10(2010年10月13日 MONDO TV)

脚注

  1. ^ 2009年度まで
  2. ^ 1985年登録
  3. ^ ワンダーJAPAN』vol.18(2011年6月)の訃報記事より

関連項目

外部リンク