「安政遠足」の版間の差分
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2011年11月4日 (金) 12:32時点における版
安政遠足(あんせいとおあし)とは、安政2年(1855年)、安中藩主板倉勝明が藩士の鍛錬のため、藩士96人に安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせた徒歩競走。
この時の時間や着順は、1955年(昭和30年)年に碓氷峠の茶屋で発見された『安中御城内御諸士御遠足着帳』に記されているものの、これは走者に意義を持たせることが目的で、順位やタイムは重要視されていなかった。ゴールした者には餅などがふるまわれたという。安政遠足は、日本におけるマラソンの発祥といわれ、安中城址には「安中藩安政遠足の碑」と「日本マラソン発祥の地」の石碑が建てられている。
当時は碓氷峠で中間ラップが聞かされた。峠を越えた後は登山道に入り、総走行距離は30キロメートル程度ながら最終的にスタートとゴールの標高差は1000メートル以上ある。
昭和50年(1975年)からは「安政遠足 侍マラソン」が毎年5月第2日曜日に開催されている。仮装をしながら走れることが特徴であり、毎年参加者の半数以上はなんらかの仮装をしているという。しかし、それゆえ東日本大震災が起こった2011年は不謹慎であるという理由で大会は中止になった。