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{{by|2009年}}は、負傷を抱える阿部が休養を挟みながらの出場を強いられたため、開幕から週に1-2試合のペースで先発出場の機会を得る。その中で、[[セス・グライシンガー]]と抜群の相性の良さを見せるようになり、阿部の負傷が治った後もグライシンガーの先発時は専属バッテリーを組んだ。また、4月10日の阪神戦で自身初の2打席連続本塁打を放つなど、打撃成績も向上。前年に続いて優勝に貢献した。 |
{{by|2009年}}は、負傷を抱える阿部が休養を挟みながらの出場を強いられたため、開幕から週に1-2試合のペースで先発出場の機会を得る。その中で、[[セス・グライシンガー]]と抜群の相性の良さを見せるようになり、阿部の負傷が治った後もグライシンガーの先発時は専属バッテリーを組んだ。また、4月10日の阪神戦で自身初の2打席連続本塁打を放つなど、打撃成績も向上。前年に続いて優勝に貢献した。 |
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{{by|2011年}}は、阿部の負傷もあってプロ16年目にして初の開幕スタメン出場を果たし、チームを勝利に導いた。 |
{{by|2011年}}は、阿部の負傷もあってプロ16年目にして初の開幕スタメン出場を果たし、チームを勝利に導いた。しかし打撃不振に陥り、中盤以降は[[實松一成]]に2番手捕手の座を奪われ、二度の二軍落ちも経験した。 |
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== プレースタイル == |
== プレースタイル == |
2011年11月17日 (木) 08:09時点における版
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読売ジャイアンツ #43 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 兵庫県高砂市 |
生年月日 | 1977年5月30日(47歳) |
身長 体重 |
183 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1995年 ドラフト5位 |
初出場 | 2000年9月1日 |
年俸 | 4,000万円(2011年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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鶴岡 一成(つるおか かずなり、1977年5月30日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(捕手)。兵庫県高砂市出身。
来歴
プロ入り前
高砂市立鹿島中学校では野球部に所属して全国大会で優勝し、神港学園高校に進学。3年時には主将として阪神・淡路大震災の直後に開催された第67回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦では天野勇剛擁する仙台育英高校に勝利。準々決勝では藤井秀悟擁する今治西高校に延長13回サヨナラ負けを喫したものの8強入り。1995年のドラフト会議で、横浜ベイスターズから5位指名を受け入団。
横浜時代
最下位指名の高卒捕手という事もあって二軍生活を送っていたが2000年9月1日対阪神タイガース戦で一軍初出場。しかし一軍に定着する事は出来ず、その後も一軍の試合には数えるほどしか出場できないシーズンが続いた。
2004年は相川亮二がアテネ五輪代表としてチームを離れ、更に中村武志の負傷などで出場機会を得て打率.400 、2本塁打と活躍。
2006年は正捕手の相川の故障による離脱や投手陣の不調などによりスタメン出場が増え、自己最多の出場機会を得た。
2007年も2番手捕手だったが出場機会が減少。相川の離脱中も失策を重ねるなどチャンスを生かせなかった。
2008年は結果を出しながらも、武山真吾など若手が優先起用されていた。6月10日に同郷でもある真田裕貴との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。背番号は真田が付けていた43。これは投手陣が崩壊状態の横浜と、正捕手阿部慎之助の極度の打撃不振や2番手捕手加藤健の骨折など捕手難の巨人の思惑が一致したためである。
巨人時代
移籍後は一発のある打撃と強気な性格を買われ、加藤の出遅れもあって2番手捕手として一軍に定着した。北京五輪中は阿部が日本代表として離脱したためレギュラーとして活躍、阿部が右肩を痛め欠場したクライマックスシリーズでも本塁打を放つなど、攻守で日本シリーズ出場に貢献。阿部が代打や指名打者で出場した日本シリーズでも正捕手として出場した。
2009年は、負傷を抱える阿部が休養を挟みながらの出場を強いられたため、開幕から週に1-2試合のペースで先発出場の機会を得る。その中で、セス・グライシンガーと抜群の相性の良さを見せるようになり、阿部の負傷が治った後もグライシンガーの先発時は専属バッテリーを組んだ。また、4月10日の阪神戦で自身初の2打席連続本塁打を放つなど、打撃成績も向上。前年に続いて優勝に貢献した。
2011年は、阿部の負傷もあってプロ16年目にして初の開幕スタメン出場を果たし、チームを勝利に導いた。しかし打撃不振に陥り、中盤以降は實松一成に2番手捕手の座を奪われ、二度の二軍落ちも経験した。
プレースタイル
打撃・守備成績では正捕手であるチームメイトの阿部(2011年現在)に劣るが、阿部とは傾向の違うリードと意外性のある打撃で、2番手捕手としてチームに大きく貢献している。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | 横浜 | 3 | 3 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .333 | .333 | .333 | .667 |
2001 | 9 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2002 | 12 | 10 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | .111 | .200 | .111 | .311 | |
2004 | 25 | 60 | 55 | 6 | 22 | 2 | 1 | 2 | 32 | 5 | 0 | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 0 | 13 | 0 | .400 | .421 | .582 | 1.003 | |
2005 | 24 | 30 | 28 | 3 | 8 | 2 | 0 | 1 | 13 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 4 | 3 | .286 | .333 | .464 | .798 | |
2006 | 60 | 146 | 127 | 7 | 31 | 8 | 1 | 3 | 50 | 16 | 0 | 0 | 5 | 1 | 11 | 1 | 2 | 39 | 5 | .244 | .312 | .394 | .706 | |
2007 | 36 | 87 | 69 | 3 | 15 | 3 | 0 | 0 | 18 | 8 | 0 | 0 | 4 | 0 | 11 | 3 | 3 | 10 | 3 | .217 | .349 | .261 | .610 | |
2008 | 27 | 61 | 52 | 4 | 15 | 2 | 0 | 0 | 17 | 2 | 1 | 0 | 5 | 0 | 4 | 1 | 0 | 7 | 3 | .288 | .339 | .327 | .666 | |
巨人 | 31 | 56 | 48 | 4 | 8 | 2 | 0 | 2 | 16 | 6 | 0 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 | 0 | 12 | 2 | .167 | .259 | .333 | .593 | |
'08計 | 58 | 117 | 100 | 8 | 23 | 4 | 0 | 2 | 33 | 8 | 1 | 0 | 7 | 0 | 10 | 1 | 0 | 19 | 5 | .230 | .300 | .330 | .630 | |
2009 | 59 | 160 | 142 | 17 | 37 | 10 | 0 | 5 | 62 | 18 | 1 | 0 | 8 | 1 | 8 | 3 | 1 | 30 | 4 | .261 | .303 | .437 | .739 | |
2010 | 32 | 43 | 35 | 4 | 8 | 1 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 1 | 2 | 8 | 2 | .229 | .325 | .257 | .582 | |
2011 | 34 | 63 | 55 | 6 | 12 | 1 | 0 | 0 | 13 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 | 1 | 1 | 9 | 0 | .218 | .283 | .236 | .519 | |
通算:11年 | 352 | 726 | 630 | 56 | 158 | 31 | 2 | 13 | 232 | 58 | 2 | 2 | 33 | 2 | 51 | 11 | 10 | 140 | 22 | .251 | .316 | .368 | .684 |
- 2011年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2000年9月1日、対阪神タイガース22回戦(阪神甲子園球場)、7回表に代打で出場
- 初打席:同上、7回表に弓長起浩から右飛
- 初安打:2000年9月2日、対阪神タイガース23回戦(阪神甲子園球場)、9回表に西川慎一から中前安打
- 初先発出場:2002年10月13日、対ヤクルトスワローズ28回戦(横浜スタジアム)、8番・捕手として先発出場
- 初打点:2004年8月14日、対読売ジャイアンツ21回戦(東京ドーム)、8回表にブライアン・コーリーから左前適時打
- 初本塁打:2004年8月24日、対阪神タイガース18回戦(大阪ドーム)、6回表に金澤健人から左越ソロ
- 初盗塁:2008年5月24日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(クリネックススタジアム宮城)、7回表に二盗(投手:ドミンゴ・グスマン、捕手:藤井彰人)
背番号
- 57 (1996年 - 2008年途中)
- 43 (2008年途中 - )
登場曲
- 横浜時代の打席での登場曲は宇崎竜童の「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で二軍の試合では台詞部分も流されていた。2008年からはアン・ルイスの「あゝ無情」に変更している。