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'''平田 信'''(ひらた まこと、[[1965年]][[3月24日]] - )は、[[オウム真理教]]の信徒であり、[[オウム真理教事件]]実行犯のひとりとされ。オウム真理教における[[ホーリーネーム]]は、「ポーシャ」だった。
'''平田 信'''(ひらた まこと、[[1965年]][[3月24日]] - )は、[[オウム真理教]]の信徒[[オウム真理教事件]]実行犯の一人して、警察庁にオウム真理教特別手配被疑者に指定され、長期間逃亡していた。オウム真理教における[[ホーリーネーム]]は、「ポーシャ」だった。<!--冒頭における「他の信者2名とともに特別指名手配された」「死亡説が濃厚となりつつあった」を除去。反論はノートで。-->

オウム真理教の一連の事件後に逃亡し、他の信者2名とともに特別指名手配された。死亡説が濃厚となりつつあったが、2011年12月31日、17年の逃亡生活から突如として警察に出頭した。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
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: 平田は教団において身長183cmの体躯を買われ、同教団の教祖である[[松本智津夫|麻原彰晃(本名・松本智津夫)]]の身辺警護や「[[白い愛の戦士]]」などに携わっていた。{{jdate|1994}}には、教団が多数の信者を[[ロシア]]に送り込んで行った「軍事訓練ツアー」に参加し、射撃訓練を受けていた。一連の[[オウム真理教事件]]においては、{{jdate|1995}}2月に発生した「[[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]」では逃走車両運転手役を担当し、また同3月に発生した「[[島田裕巳宅爆弾事件]]」にも関与したとされる。
: 平田は教団において身長183cmの体躯を買われ、同教団の教祖である[[松本智津夫|麻原彰晃(本名・松本智津夫)]]の身辺警護や「[[白い愛の戦士]]」などに携わっていた。{{jdate|1994}}には、教団が多数の信者を[[ロシア]]に送り込んで行った「軍事訓練ツアー」に参加し、射撃訓練を受けていた。一連の[[オウム真理教事件]]においては、{{jdate|1995}}2月に発生した「[[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]」では逃走車両運転手役を担当し、また同3月に発生した「[[島田裕巳宅爆弾事件]]」にも関与したとされる。
; 特別指名手配後
; 特別指名手配後
: 平田は「島田裕巳宅爆弾事件」で爆発物取締罰則違反で1995年5月31日に指名手配されたが、後に「目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件」でも[[逮捕・監禁罪|逮捕監禁致死罪]]も指名手配容疑に追加された。後に平田はオウム真理教による「[[地下鉄サリン事件]]」に関わった[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]、[[菊地直子]]らとともに、「オウム真理教特別手配被疑者」に指定された。全国規模での捜査対象となり指名手配容疑者として広く周知された平田であったが、その逃亡生活は長期に渡った。
: 平田は「島田裕巳宅爆弾事件」で爆発物取締罰則違反で1995年5月31日に指名手配されたが、後に「目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件」でも[[逮捕・監禁罪|逮捕監禁致死罪]]も指名手配容疑に追加された。後に平田はオウム真理教による「[[地下鉄サリン事件]]」に関わった[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]、[[菊地直子]]らとともに、7人の「オウム真理教特別手配被疑者」の1人に指定された。全国規模での捜査対象となり指名手配容疑者として広く周知された平田であったが、その逃亡生活は長期に渡った。
: 容疑事件の翌年である{{jdate|1996}}2月には、[[宮城県]][[仙台市]]の女性在家信者宅に潜伏していたことが判明しているが、逃亡。ちなみに、在家信者とは、普段は社会人として企業社会に溶け込みながら、稼ぎの多くを教団に献金することを修行としているオウム真理教信者のことである。
: 容疑事件の翌年である{{jdate|1996}}2月には、[[宮城県]][[仙台市]]の女性在家信者宅に潜伏していたことが判明しているが、逃亡。ちなみに、在家信者とは、普段は社会人として企業社会に溶け込みながら、稼ぎの多くを教団に献金することを修行としているオウム真理教信者のことである。
; 出頭により逮捕
; 出頭により逮捕
: その後、足取りは長く途絶えてたが、{{jdate|2011}}12月31日、平田を名乗る人物が突如[[警視庁]][[丸の内警察署]]に出頭。[[指紋]]照合にて本人と確定されたため、警視庁は翌日の{{jdate|2012}}1月1日に[[逮捕・監禁罪|監禁致死]]の容疑で平田を[[逮捕]]した<ref>{{cite news | title = オウム特別手配 平田信容疑者を名乗る男が出頭 | url = http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120101/crm12010102460000-n1.htm | newspaper = MSN産経ニュース | publisher = [[産経新聞]] | date = 2012-1-1 | accessdate =2012-1-1 }}</ref><ref>{{cite news | title = 逮捕監禁致死容疑で逮捕 警視庁 | url = http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120101/crm12010105090006-n1.htm | newspaper = MSN産経ニュース | publisher = [[産経新聞]] | date = 2012-1-1 | accessdate =2012-1-1 }}</ref>。
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==逮捕後の供述==
==逮捕後の供述==

2012年1月10日 (火) 17:05時点における版

Template:捜査・裁判中の刑事事件

オウム真理教徒
平田 信
誕生 (1965-03-14) 1965年3月14日(59歳)
日本の旗 日本北海道
ホーリーネーム ポーシャ
ステージ
教団での役職 車両省
関係した事件 目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件
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平田 信(ひらた まこと、1965年3月24日 - )は、オウム真理教の信徒。オウム真理教事件実行犯の一人として、警察庁にオウム真理教特別手配被疑者に指定され、長期間逃亡していた。オウム真理教におけるホーリーネームは、「ポーシャ」だった。

来歴

生い立ち
北海道札幌市出身。北星学園大学附属高等学校札幌商科大学(現・札幌学院大学)卒業。
北星学園大学附属高校では射撃部に所属し3年時にはインターハイ射撃競技に出場している。インターハイで少年の部11位の結果を残す。1987年昭和62年)3月に大学を卒業し、東京都内のアパレルメーカーに就職したがすぐに退社。同年8月にオウム真理教徒として出家する。
オウム真理教での活動
平田は教団において身長183cmの体躯を買われ、同教団の教祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)の身辺警護や「白い愛の戦士」などに携わっていた。1994年平成6年)には、教団が多数の信者をロシアに送り込んで行った「軍事訓練ツアー」に参加し、射撃訓練を受けていた。一連のオウム真理教事件においては、1995年平成7年)2月に発生した「目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件」では逃走車両運転手役を担当し、また同3月に発生した「島田裕巳宅爆弾事件」にも関与したとされる。
特別指名手配後
平田は「島田裕巳宅爆弾事件」で爆発物取締罰則違反で1995年5月31日に指名手配されたが、後に「目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件」でも逮捕監禁致死罪も指名手配容疑に追加された。後に平田はオウム真理教による「地下鉄サリン事件」に関わった高橋克也菊地直子らとともに、7人の「オウム真理教特別手配被疑者」の1人に指定された。全国規模での捜査対象となり指名手配容疑者として広く周知された平田であったが、その逃亡生活は長期に渡った。
容疑事件の翌年である1996年平成8年)2月には、宮城県仙台市の女性在家信者宅に潜伏していたことが判明しているが、逃亡。ちなみに、在家信者とは、普段は社会人として企業社会に溶け込みながら、稼ぎの多くを教団に献金することを修行としているオウム真理教信者のことである。
出頭により逮捕
その後、足取りは長く途絶えており、「死亡説[1][2]。」や「海外逃亡説[3]」もあったが、2011年平成23年)12月31日、平田を名乗る人物が突如警視庁丸の内警察署に出頭。指紋照合にて本人と確定されたため、警視庁は翌日の2012年平成24年)1月1日に監禁致死の容疑で平田を逮捕した[4][5]

逮捕後の供述

ファイル:Wanted poster-Aum Shinrikyo Miki police station オウム真理教指名手配ポスター 三木警察署派出所 平田信逮捕 DSCF1674.JPG
逮捕を知らせる警察署のオウム真理教特別指名手配ポスター、依然2名が逃走中
事件に区切りを付けたかった
事件から17年近くも経った時期に突如出頭した理由について、平田本人は「事件に区切りを付けたかった」「東日本大震災で不条理なことを多く見て自分の立場を改めて考えた。年内に出頭したかった」「震災で『おれ、何をやっているんだろう』と自分の逃亡生活が情けなくなった。でも、なかなか踏ん切りがつかず、出頭は大みそかになってしまった」などと供述しているという。
オウム真理教を信仰していない
平田と接見した滝本太郎弁護士に対しては、「教祖(松本智津夫)の死刑執行は当然と考えている」「自分は松本(智津夫)死刑囚を観想していないし、オウム真理教を信仰していない」などと話しているという。しかし、平田が出頭した2011年12月31日は、オウム真理教事件に関する一連の裁判が終結した直後で、松本智津夫を始めとする主な事件関係者らの死刑が近日中にも執行される可能性が報道されていた時期であったことから、平田が警察に出頭してオウム真理教事件の裁判を再開させることにより、松本らの死刑執行を中止させる狙いがあるのではないかと推測する見方もある[6][7][8]
人に迷惑がかかるので言えない
平田は出頭時に10万円の現金を所持しており、身なりも清潔な様子だったことから、警視庁は平田の逃亡を手助けしていた支援者が存在するものと見ていたが、平田本人は「余計なことを言うと人に迷惑がかかるので言えない」と言い、支援者の存在をほのめかしていたものの詳しい供述を拒んでいたという[9]。なお、2012年1月10日の未明、平田をかくまって逃亡に協力していたという元教団信者の女性が滝本弁護士に付き添われて警視庁大崎警察署に出頭し、警視庁はこの女性を犯人蔵匿などの疑いで逮捕した。
逮捕前の警察の不手際
当初、目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件の捜査担当である警視庁大崎警察署に出頭しようとしたが入口が分からなかったため諦め、オウム事件の情報提供を呼び掛ける警察のフリーダイヤルにも電話をしたが「10回ほど電話を掛けたが話し中でつながらなかった」ため、110番にかけて「平田信の担当はどこですか」と尋ねたところ、警視庁本部と回答されたという。そのため、警視庁本部庁舎に赴いて出頭しようとしたが、庁舎前にいた機動隊員は平田を見て手配写真と異なるように感じたため、その出頭を「別人による悪質ないたずら」と判断し、無線での指示も仰がずに丸の内警察署へ赴くよう指示したという[10][11]

人物

狙撃の名手か
オウム真理教事件報道において、平田はその射撃競技での実績から「狙撃の名手 スナイパー」として扱われ、同様にオウム真理教が関与したとされる「警察庁長官狙撃事件」の実行犯ではないかと疑われたこともあった。しかし、射撃競技用の銃と実戦用の銃とは異なるものであり、1994年にオウム教団がロシアで行った軍事訓練ツアーでの射撃訓練の成績も良くなかったとされていることから、実際の狙撃の腕は素人レベルであると判定されている。

平田に係わる刑事事件

公訴時効

指名手配容疑の犯行時の公訴時効について、逮捕監禁致死罪は7年、爆発物取締罰則違反は15年である。

しかし、刑事訴訟法第254条2項で「共犯の1人に対してした公訴の提起による時効の停止は、他の共犯に対してその効力を有する。この場合において、停止した時効は、当該事件についてした裁判が確定した時からその進行を始める。」と規定されているため、目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件については共犯の中川智正の裁判が、島田裕巳宅爆弾事件については共犯の井上嘉浩の裁判が、それぞれ終了するまで公訴時効は停止し、2010年4月の刑事訴訟法改正で逮捕監禁致死罪の公訴時効が20年に延長となり、平田の指名手配容疑の公訴時効は停止・延長という形になっている。

なお、中川の裁判が2011年平成23年)12月9日に、井上の裁判が2010年平成22年)1月12日に確定したことを受けて、刑事訴訟法第254条2項の規定が適応されなくなったため公訴時効が進行している。以上の経緯により、平田の指名手配容疑は、公証人役場事務長拉致監禁致死事件の逮捕監禁致死罪は2031年令和13年)に、島田裕巳宅爆弾事件の爆発物取締罰則違反は2024年令和6年)10月に、公訴時効が成立することになっていた。

脚注

  1. ^ “(上)全国転々…死亡説も 遺族「すべて話して」”. MSN産経ニュース (産経新聞). (2012年1月3日). http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120103/crm12010310330010-n2.htm 2012年1月11日閲覧。 
  2. ^ “逮捕監禁致死容疑で逮捕 警視庁”. MSN産経ニュース (産経新聞). (2012年1月1日). http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120101/crm12010105090006-n1.htm 2012年1月1日閲覧。 
  3. ^ 吾妻博勝「王国への追跡」(晋遊舎)
  4. ^ “オウム特別手配 平田信容疑者を名乗る男が出頭”. MSN産経ニュース (産経新聞). (2012年1月1日). http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120101/crm12010102460000-n1.htm 2012年1月1日閲覧。 
  5. ^ “逮捕監禁致死容疑で逮捕 警視庁”. MSN産経ニュース (産経新聞). (2012年1月1日). http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120101/crm12010105090006-n1.htm 2012年1月1日閲覧。 
  6. ^ オウム真理教事件に詳しいジャーナリスト江川紹子は、2012年1月1日のNHKのニュースにおいて、「オウム裁判が去年、すべて終わったことで、今は麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚の死刑がいつ執行されるかという段階に入っていた。しかし、平田容疑者の裁判が始まれば、証人になる可能性がある松本死刑囚の執行は非常にやりにくくなるため、(松本死刑囚の)死刑の執行を遅らせることが出頭の目的だった可能性がある」と解説している。
  7. ^ 江川さん“死刑執行遅延が目的か” NHK
  8. ^ 平田容疑者、霞ヶ関駅から出頭か TBS
  9. ^ 平田容疑者「迷惑掛かる」と説明拒む…17年逃亡に支援者か スポーツニッポン
  10. ^ “平田容疑者:最初は本庁出頭…機動隊員「いたずら」と判断”. 毎日jp (毎日新聞). (2012年1月3日). http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120103k0000m040046000c.html 2012年1月3日閲覧。 
  11. ^ “平田容疑者、出頭前さまよう オウム専用電話つながらず”. asahi.com (朝日新聞). (2012年1月4日). http://www.asahi.com/national/update/0103/TKY201201030389.html 2012年1月5日閲覧。 

外部リンク