「寒巌義尹」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
'''寒巌義尹'''(かんがんぎいん、[[1217年]]-[[1300年]])は、[[鎌倉時代]]中期の[[曹洞宗]]の[[僧]]。父は[[後鳥羽天皇]]とも[[順徳天皇]]とも言われている。 |
'''寒巌義尹'''(かんがんぎいん、[[1217年]]-[[1300年]])は、[[鎌倉時代]]中期の[[曹洞宗]]の[[僧]]。父は[[後鳥羽天皇]]とも[[順徳天皇]]とも言われている。 |
||
初め[[比叡山]]に入って天台教学を学び、ついで[[臨済禅]]を学んだが、[[1241年]](仁治2年)[[山城国]]深草の[[道元]]のもとに参禅した。[[1253年]](建長5年)中国の[[宋]]に渡って天童山の[[如浄]]に師事した。道元の没後に日本へ帰国し、道元の弟子で[[永平寺]]2世[[懐奘]]に師事したが、[[1264年]](文永元年)再び宋へ渡った。[[1267年]](文永3年)に帰国し、以後[[肥後国]]に隠遁して如来寺を開創し、[[1283年]](弘安6年)には[[大慈寺 (熊本市)|大慈寺]]の開山となっている。 |
初め[[比叡山]]に入って天台教学を学び、ついで達磨宗の大日能忍に[[臨済禅]]を学んだが、[[1241年]](仁治2年)[[山城国]]深草の[[道元]]のもとに参禅した。[[1253年]](建長5年)中国の[[宋]]に渡って天童山の[[如浄]]に師事した。道元の没後に日本へ帰国し、道元の弟子で[[永平寺]]2世[[懐奘]]に師事したが、[[1264年]](文永元年)再び宋へ渡った。[[1267年]](文永3年)に帰国し、以後[[肥後国]]に隠遁して如来寺を開創し、[[1283年]](弘安6年)には[[大慈寺 (熊本市)|大慈寺]]の開山となっている。 |
||
{{stub}} |
{{stub}} |