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本来であれば政府が景気対策に全力を挙げるべき時期であったが、当時は[[55年体制]]の崩壊、自民党分裂と非自民連立政権の誕生、その後の自社さ連立政権と政権の枠組みが次々と代わり、有効な景気対策が打てないまま時が過ぎて行った。それでも、カンフル剤注入政策効果で[[1993年]]頃を底として景気が緩やかに回復し、好転の兆しも見せていた。しかし、財政再建を急ぐ政府は、税収を確保する手段として[[消費税]]に活路を見出し、[[阪神淡路大震災]]の復興の為の財源を確保するため、[[1997年]]に[[橋本政権]]は国民の反発を押しきって消費税の増税に踏み切った。しかし、これは消費の急激な落ち込みを招き、同時期に発生したアジア通貨危機、[[不良債権]]問題を処理するための[[バランスシート調整]]に伴う金融機関の相次ぐ破綻などが重なり、経済情勢が悪化した。
本来であれば政府が景気対策に全力を挙げるべき時期であったが、当時は[[55年体制]]の崩壊、自民党分裂と非自民連立政権の誕生、その後の自社さ連立政権と政権の枠組みが次々と代わり、有効な景気対策が打てないまま時が過ぎて行った。それでも、カンフル剤注入政策効果で[[1993年]]頃を底として景気が緩やかに回復し、好転の兆しも見せていた。しかし、財政再建を急ぐ政府は、税収を確保する手段として[[消費税]]に活路を見出し、[[阪神淡路大震災]]の復興の為の財源を確保するため、[[1997年]]に[[橋本政権]]は国民の反発を押しきって消費税の増税に踏み切った。しかし、これは消費の急激な落ち込みを招き、同時期に発生したアジア通貨危機、[[不良債権]]問題を処理するための[[バランスシート調整]]に伴う金融機関の相次ぐ破綻などが重なり、経済情勢が悪化した。


その後の[[インターネット・バブル]]とその崩壊による景気の変動ののち、2000年代の初頭には景気は底を打ち、ゆるやかな回復を続けた。[[小泉政権]]下で銀行の不良債権処理を進めて完了し、大企業は業績が改善した。処理成長率は2%前後で維持し続け、日経平均株価も上昇した。しかし、長期に渡り[[ゼロ金利]]政策が取られたため、日経平均株価は20,000円を超えることはなく、[[2006年]]の17,225円83銭が最高であった。これは、1990年代の平均よりも低い値である。GDPデフレーターに関しても、1990年に100%を切りデフレへと陥って以降、そこから回復できなかった<ref>[http://ecodb.net/exec/trans_weo.php?d=NGDP_D&s=1989&e=2010&c1=JP 日本のGDPデフレーターの推移]</ref>。
その後の[[インターネット・バブル]]とその崩壊による景気の変動ののち、2000年代の初頭には[[聖域なき構造改革|小泉構造改革]]で景気は底を打ち、ゆるやかな回復を続けた。[[小泉政権]]下で銀行の不良債権処理を進めて完了し、大企業は業績が改善した。処理成長率は2%前後で維持し続け、日経平均株価も上昇した。しかし、長期に渡り[[ゼロ金利]]政策が取られたため、日経平均株価は20,000円を超えることはなく、[[2006年]]の17,225円83銭が最高であった。これは、1990年代の平均よりも低い値である。GDPデフレーターに関しても、1990年に100%を切りデフレへと陥って以降、そこから回復できなかった<ref>[http://ecodb.net/exec/trans_weo.php?d=NGDP_D&s=1989&e=2010&c1=JP 日本のGDPデフレーターの推移]</ref>。


[[2008年]]には、[[サブプライムローン]]問題をきっかけとする[[世界金融危機 (2007年-)|世界同時不況]]により、景気が急激に悪化。GDPがマイナス成長となった。また、リーマン・ショックや[[2010年欧州ソブリン危機|ギリシャ危機]]により、ドルやユーロの価値が急落したため、円の価値が相対的に上がった。しかし、政府や日銀の対応の遅れから円高傾向を食い止めることができずに80円台半ばにまで上昇し、加えて原油の高騰などによって輸出の減少や企業の海外流出が進んだ。日本やアメリカ合衆国の経済はマイナス成長に陥り、中間層の没落([[貧困]]層への転落)が急速に進んだ。日本においては目下の景気対策を最優先にした[[麻生政権]]ののち、政権交代で政権の座に就いた[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の無策が際立ち、記録的な円高対策どころか、麻生政権後の新たな景気対策も満足に組めない状況にある。
[[2008年]]には、[[サブプライムローン]]問題をきっかけとする[[世界金融危機 (2007年-)|世界同時不況]]により、景気が急激に悪化。GDPがマイナス成長となった。また、リーマン・ショックや[[2010年欧州ソブリン危機|ギリシャ危機]]により、ドルやユーロの価値が急落したため、円の価値が相対的に上がった。しかし、政府や日銀の対応の遅れから円高傾向を食い止めることができずに80円台半ばにまで上昇し、加えて原油の高騰などによって輸出の減少や企業の海外流出が進んだ。日本やアメリカ合衆国の経済はマイナス成長に陥り、中間層の没落([[貧困]]層への転落)が急速に進んだ。日本においては目下の景気対策を最優先にした[[麻生政権]]ののち、政権交代で政権の座に就いた[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の無策が際立ち、記録的な円高対策どころか、麻生政権後の新たな景気対策も満足に組めない状況にある。

2012年3月18日 (日) 08:51時点における版

失われた20年(うしなわれたにじゅうねん)は、主に日本においてバブル景気後の約20年以上にわたる経済が低迷した期間を指す。

概要

1990年ごろから景気が後退し、バブル経済[注釈 1]も崩壊。それによって消費や雇用に悪影響を及ぼし、デフレになった。かつては、そのような状況であった1990年代から2000年代初頭までの経済を「失われた10年」(平成不況)と呼んでいたが、2008年世界金融危機リーマン・ショック)が発生した事がきっかけで、1990年代、2000年代以降の経済を合わせて「失われた20年」と変更して呼ぶようになった[1]

「失われた10年」という言葉は、諸説あるものの『ゼミナール日本経済入門(1999年度版)』(日本経済新聞出版社)などから使われ始めたといわれている。「失われた20年」については、いつ頃から誰が使い始めたかよくわかっておらず、造語なのか外来語なのかも不明である。

経緯

経済

バブル景気の後期のころから実体経済と資産価格のずれから経済に軋みが生じはじめていた。1989年4月1日から消費税が導入され経済に少なからず影響を与え、さらに日本銀行による急速な金融引き締め方針や総量規制を端緒とした信用収縮などから経済活動は次第に収縮に転じ、日経平均株価は1989年の最高値38,915円87銭をピークに下落、翌1990年には23848円71銭にまで急落し[2]、1990~1991年頃にバブル崩壊を招いた。

本来であれば政府が景気対策に全力を挙げるべき時期であったが、当時は55年体制の崩壊、自民党分裂と非自民連立政権の誕生、その後の自社さ連立政権と政権の枠組みが次々と代わり、有効な景気対策が打てないまま時が過ぎて行った。それでも、カンフル剤注入政策効果で1993年頃を底として景気が緩やかに回復し、好転の兆しも見せていた。しかし、財政再建を急ぐ政府は、税収を確保する手段として消費税に活路を見出し、阪神淡路大震災の復興の為の財源を確保するため、1997年橋本政権は国民の反発を押しきって消費税の増税に踏み切った。しかし、これは消費の急激な落ち込みを招き、同時期に発生したアジア通貨危機、不良債権問題を処理するためのバランスシート調整に伴う金融機関の相次ぐ破綻などが重なり、経済情勢が悪化した。

その後のインターネット・バブルとその崩壊による景気の変動ののち、2000年代の初頭には小泉構造改革で景気は底を打ち、ゆるやかな回復を続けた。小泉政権下で銀行の不良債権処理を進めて完了し、大企業は業績が改善した。処理成長率は2%前後で維持し続け、日経平均株価も上昇した。しかし、長期に渡りゼロ金利政策が取られたため、日経平均株価は20,000円を超えることはなく、2006年の17,225円83銭が最高であった。これは、1990年代の平均よりも低い値である。GDPデフレーターに関しても、1990年に100%を切りデフレへと陥って以降、そこから回復できなかった[3]

2008年には、サブプライムローン問題をきっかけとする世界同時不況により、景気が急激に悪化。GDPがマイナス成長となった。また、リーマン・ショックやギリシャ危機により、ドルやユーロの価値が急落したため、円の価値が相対的に上がった。しかし、政府や日銀の対応の遅れから円高傾向を食い止めることができずに80円台半ばにまで上昇し、加えて原油の高騰などによって輸出の減少や企業の海外流出が進んだ。日本やアメリカ合衆国の経済はマイナス成長に陥り、中間層の没落(貧困層への転落)が急速に進んだ。日本においては目下の景気対策を最優先にした麻生政権ののち、政権交代で政権の座に就いた民主党の無策が際立ち、記録的な円高対策どころか、麻生政権後の新たな景気対策も満足に組めない状況にある。

2010年代には、中国ブラジルなどの新興国も供給過多による経済停滞に陥り、結果として日米欧などの先進国経済はいっそうの苦境に陥った。2011年にも、東日本大震災福島第一原子力発電所事故やそれによる電力供給量の減少が響いて、経済の落ち込みが続いた。

就職状況

有効求人倍率(これはアルバイトや派遣といった非正規雇用を含むことに注意すべきである)も1991年頃をピークに急落に転じ[4]、求人数よりも求職者数が上回るようになり、大卒生の就職率も7割前後にまで下落[5]。就職氷河期と呼ばれるようになった。

1990年後半から2000年代前半にかけて状況はさらに悪化し、1999年には有効求人倍率が0.48(パートを含まなければ0.39)になり[4]、大卒生の就職率も6割前後にまで下がった[5]。また、2.5%前後だった失業率も5%前後にまで上昇し[6]、自殺者数も1998年から3万人を超えるようになった[7]

2000年代中ごろから、就職状況が好転し、有効求人倍率も1.06(パートを含まなければ0.94)にまで回復[4]、大卒生の就職率も7割前後にまで回復[5]、失業率も4%前後にまで回復したが[6]、回復したのは都市が中心であり、地方では就職難が続いた。非正規雇用率も増え続け、2005年では女性は全世代平均が51.7%と5割を超えた状態を維持、男性は15から24歳で44.2%と高い状態のまま、25から34歳も13.2%と2000年の5.6%と比べて2.5倍近く増えた。

2000年代後半には、再び就職状況が悪化、失業率は5%前後に上昇[6]2009年には有効求人倍率も0.47になり[4]、大卒生の就職率も6割前後にまで落ち[5]、再び就職氷河期となった。

今後の見通し

このまま景気回復が起こらない場合、「失われた30年」になってしまう可能性もあるという声もあり[1][8]、既にそうなってしまったと述べている人たちもいる[9]

また、2011年の欧州金融不安により株価が暴落し、主力株の多くは30年前の株価に陥ってしまった。株関連では、この状況を「失われた30年」と呼ぶ者もいる。

なお、2000年代末にはアメリカ合衆国や西欧諸国など他の先進国も、日本の後を追うように先が見えない景気後退に突入しており(日本化)、先進各国の不況は単なる景気循環では説明できず、成長の限界による構造的な経済停滞に突入したためであるという議論もある。ピーター・ティールは、20世紀における成長の原動力であったイノベーションが終わりを迎えたため、今後はアメリカ合衆国の大きな成長は望めないと論じる[10]

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ バブル経済とは、資産の価値が実体以上に高騰する経済現象。それにともなう好景気がバブル景気であり、厳密には「バブル景気」は「バブル経済」の一側面・一形態であるといえる。

出典

関連項目



バブル景気
日本の景気の俗称
失われた20年

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