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役者仲間からの愛称は'''マコさん'''。夫は同じく声優の[[塚田正昭]]。
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=== 姿勢 ===
=== 姿勢 ===

2012年3月31日 (土) 15:00時点における版

のざわ まさこ
野沢 雅子
プロフィール
愛称 マコさん
性別 女性
出生地 日本の旗 日本東京府東京市荒川区日暮里
8歳 - 18歳(群馬県沼田市)
現在横浜市
生年月日 (1936-10-25) 1936年10月25日(87歳)
血液型 O型
身長 157cm
職業 声優女優歌手
事務所 青二プロダクション
配偶者 塚田正昭
声優活動
活動期間 1950年代 -
ジャンル アニメ吹き替えナレーション
俳優活動
活動期間 1939年 -
ジャンル テレビドラマ映画舞台
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

野沢 雅子(のざわ まさこ、1936年10月25日 - )は、日本女優声優所属事務所青二プロダクション劇団ムーンライト主宰。東京市荒川区出身。

役者仲間からの愛称はマコさん。夫は同じく声優の塚田正昭

声優としての代表作に『ゲゲゲの鬼太郎(1作目・2作目・墓場)』(鬼太郎)、『銀河鉄道999』(星野鉄郎)、『ドラゴンボール』シリーズ(孫悟空孫悟飯孫悟天)、『ど根性ガエル』(ひろし)など[1]

人物紹介

声優業の創生期から活躍する日本声優界の大御所にして、青二プロダクション創設メンバーの1人である。現在は声優業の傍ら劇団ムーンライトの主宰・演出をも手がけている。

現在のマネージャーは、元声優であり、現役時代は共演も多かった吉田理保子。叔母の佐々木清野は松竹蒲田の女優。父は画家(誠和画廊)の野沢蓼洲(りょうしゅう)。

来歴

3歳のとき、子役として映画デビュー。父が尾瀬を描いた作品で日展に入選し、小学3年生から高校卒業まで群馬県へ引っ越す。中学の時に劇団に入り、学校が休みになると東京で女優の仕事を行うという日々を送る。

高校卒業後、上京し本格的に芝居に打ち込むようになる。また、劇団の経営を支えるため、10代の終わり頃には声優業も始める。ただし、当時は声の吹き替えも生放送だったため、正確な声優業デビュー作品は本人も覚えておらず不明である。

アニメデビュー作は、『鉄腕アトム (アニメ第1作)』だが、資料が少なく役柄は不明。初主演作は『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)』(鬼太郎役)となる。

1969年の設立当初から青二プロダクションに所属していたが、その後81プロデュースに移籍。長きに亘って在籍したが、2006年4月1日に「オフィス野沢」を設立し、独立した。 2012年4月30日にオフィス野沢が廃業となったため、同年4月1日から再び青二プロダクションに所属となった。

姿勢

野沢が新人の頃のアフレコは録音機材が発達していなかったため、収録中にNGを出すと最初からすべて録り直しとなった。そのため新人時代の野沢は、NGを出したとき「(申し訳なさで)気を失いそうになった」と述べている。このような経験もあってか、簡単にNGを出してしまう最近の若手声優に対し「緊張感が足りない」と苦言を呈している。『徹子の部屋』に出演した際も、同じくテレビ草創期から活躍し「『NG大賞』なんて、当時の感覚からしたら信じられない」という黒柳徹子と、NGの重みについて語りあった。

「キャラクターのイメージを壊す」ということでテレビに顔出し出演をすることがあまりないベテランが多い中で、野沢は顔出し出演を拒むことがまったくない、数少ない人物である。『うたばん』『大胆MAP』にも顔出し出演した際にはキャラクターの声を披露している。最近ではアニマックスで放送されている『創ったヒト』という番組に出演し、ケンドーコバヤシと自身が過去に出演した作品についてのトークを繰り広げた。

自宅が貰い火で半焼した時さえも「仕事に穴をあけるわけにはいかない」と近所から服を借りてスタジオに行き、火事のことはスタッフ・共演者の誰にも告げずにアフレコに臨んだ。また、草尾毅は「体調が悪くても、一言も弱音をはかなかった」と語っている。

関智一が野沢に芝居を習っていた頃、生徒の間でお遊びとして「関が悟空のモノマネが出来る」と話題になった際、それを聞いた野沢は、そのモノマネを芝居の一環として真剣に聞き、関のモノマネに対する評価と分析をしたという。関はその出来事を「生徒の遊び心にも真摯に対応してくれた」として語っている。[2]

長年「一番印象的な役は?」という質問には「どれを選ぶということは出来ない」と答えるスタンスをとっていたが、2005年のインタビューでは『ドラゴンボール』シリーズの孫悟空悟飯悟天、『ゲゲゲの鬼太郎』(1期-2期・墓場)の鬼太郎、『銀河鉄道999』の星野鉄郎の3役だけは欠かせないと語った。

役柄

少年役

ある洋画を生アフレコでTV放送することになった際、時間帯から子役を使うことが出来ないため、解決策が必要となった。そのひとつとして番組のプロデューサーが「女性の声帯が子供の声帯に近いのではないか」という意見を出し、オーディションが行われ、野沢が選ばれた。

以後子供キャラの吹き込み、吹き替え等は、主に女性が担当するという事が定着し、少年役の依頼が頻繁に来るようになった(後に出てきた神谷明が『荒野の少年イサム』『バビル2世』と2度も主役の少年役を務め、今でも神谷とはこの話になると苦笑し話題が絶えないという)。

今日に至るまで少年役を数多く演じており、「永遠の少年」と称すファンもいる。『ドラゴンボールZ』では、孫ファミリー3役をはじめ劇場版・TVスペシャルを含めると計6役を演じた。後にOVA『戦ー少女イクセリオン』においても1人4役を演じている。役により声の抑揚、高低、強弱などを全て使い分けている。

女性・老婆役

少年役と並行して、『ONE PIECE』のDr.くれは、『愛少女ポリアンナ物語』のパレー、『ぜんまいざむらい』のだんごやおばばなど、中年女性や老婆役も演じている。

洋画の吹き替えでは、『普通の人々』のメアリー・タイラー・ムーアや『ミッシング』のシシー・スペイセクなど母親役や中性的な雰囲気の女性を担当している。

少女役

吹き替え・アニメを通し、『オズの魔法使い』のオズマ姫役が、主要キャラクターでは唯一の少女役となっている。しかし、オズマ姫は少年の姿で登場し、最後に元の少女の姿に戻るという役どころであり、実質的には少年役に位置する。

このようなこともあってか、インタビュー等で「お姫様の役をやってみたい」と発言することが時々ある(『コサキンでワァオ』より)。また、人形劇『ざわざわ森のがんこちゃん』では、ケロちゃんというカエルの女の子を演じている。

アタックNo.1』では、卑怯で気が強い女子高生、飛垣を演じた。また飛垣の他にもサブキャラで女子高生役を演じている。

ラジオ番組『野沢雅子がよむこどもの詩 きのう・きょう・ずーっとあした』では少年役のほか、アニメではあまり演じない少女役も演じている。

ゲゲゲの鬼太郎

初めて鬼太郎の声を担当した人物であり、野沢にとっては初めての主人公役であった。本人も印象的な役の一つであると語っている。後に出演した『オールナイトニッポン』でも、思い入れのある役として、時には鬼太郎になりきりながら軽快に語っていた。

放映当時、原作者の水木しげるの趣味の「墓場の散歩」に触れ、「私もお墓を散歩するのが好きなんです」とコメントしている。

作品は5度のアニメ化をはじめ、何度も音声・映像化されているが、テレビまんが版を含めて、2008年現在の累計では、野沢がもっとも多く鬼太郎を演じている。2007年8月にNHKにて放送された『鬼太郎が見た玉砕 〜水木しげるの戦争〜』では、数年ぶりに当時のメンバーで絵のついた鬼太郎の声を、極わずかながらも演じた。墓場鬼太郎においても、声を担当している。新作の『鬼太郎』が放映されると、必ず第一話を見るという。

『ゲゲゲの鬼太郎』第三期においては、キャストが一新され、主役の鬼太郎役も戸田恵子に変更された。これに対して、野沢は当初がっかりしたが、その後『ドラゴンボール』で孫悟空役に決定。当時は、同じ局系列で2作品の主役は出来ないという不文律があり、このキャスト一新が無ければ野沢が孫悟空を演じることは出来なかったため、「今思うと凄くツイていた」と振り返っている。

戸田恵子は、当時大先輩の役を引き継ぐということでプレッシャーを感じていたという。40周年映画で鬼太郎が勢揃いした際は「野沢さんが来るからオファーを受けた」と冗談めかして語っている。

怖いものが好きで、墓場鬼太郎を演じる際、デザインも性格も以前のものと違う貸本時代の不気味な鬼太郎を見て、逆に「可愛い」と思ったという。本来の鬼太郎に関しては「正義感が強く、普通の可愛い男の子」と考えているという。

銀河鉄道999

銀河鉄道999』アニメ化の際、キャストのオーディションで選考のために居合わせていた原作者の松本零士が、野沢の声を聞いて「鉄郎はこの声だ」と言ったことで決定となり星野鉄郎役に抜擢されたという。

あるとき、メーテル役の池田昌子が機嫌を悪くしていたので理由を聞いたところ、他の女の人と仲良くしゃべっていたからと言われた。そうしたことがあってか野沢自身もいつの間にか、池田が男性と仲良くしゃべっているのを見ると不機嫌になる程、役にシンクロしていったという(『徹子の部屋』のゲスト出演時およびNHK BS2『お宝TV』スペシャルでの宇宙特集で『999』が取り上げられた際のインタビューにて)。

池田と野沢は現在でも、会うとつい「鉄郎」「メーテル」と互いを呼び合ってしまうという。

後述にある、神谷浩史がアシスタントを務めたラジオにゲスト出演する時に「破格のギャラでも来てくれる友人を呼んでください」と言われ、野沢は松本零士を呼び、スタッフを驚かせた。

ドラゴンボール関連

『ドラゴンボール』シリーズにおいて、次回予告の前フリとして使用されていた「オッス、オラ悟空!」というセリフは、元々野沢がアドリブとして発言したものである。

メインキャラクターのキャスティングはほとんどが指名だったため、オーディションで決まったのは野沢とブルマ役の鶴ひろみだけだった。オーディションは役者の名前シールを外したテープを聞いて行われたが、原作者・鳥山明が野沢が演じた悟空を聞いた際「悟空だ」と感じたことで決まったという。

声優に疎かった鳥山は「あんなに大活躍している方だとは思わなかった」と、野沢の著書で語っている。ほかには「漫画を描いていると、悟空が野沢さんの声で喋ってくる」「悟空の声は、今では野沢さん以外には考えられない」とも語っている。野沢は『Dr.スランプ』の絵を見た時から「可愛い絵を書く漫画家さんだなぁ」と鳥山作品を好きになり、『ドラゴンボール』のオーディションで悟空を見た時は「かわいい、絶対やりたい」と思いオーディションに臨んだという。

その時点での役柄になりきる為、事前に原作を読まずにアフレコに挑んでいた[3]。スタジオにいるスタッフや出演者が、原作の先の展開を話そうとすると「野沢さんは読んでいないから」と止めが入っていたという。また出演者には、野沢に同調する形で、原作を読まずにアフレコに挑むメンバーも多かった。

悟空らの代表的な必殺技であるかめはめ波を放つシーンのアフレコの際、野沢自身もかめはめ波を発射するポーズを取りながら発声しているのだという。

フランスでも『ドラゴンボール』が大ヒットし、フランスのテレビ局に野沢がゲストで呼ばれ当地の声優と共演でアフレコする企画があった。その際、野沢はコンマ秒単位でセリフを合わせるアフレコ技術を披露した。

本放送以外での悟空の声について

野沢の姪が、友達に伯母が悟空の声を担当していると言ったところなかなか信じてもらえず、野沢に電話を掛け「友達に悟空の声で自己紹介をして欲しい」と頼み込んできた。普段、野沢は仕事以外で悟空の台詞を喋ることは断っていたが、姪の頼みとあって承諾し、電話に出た友達に「オッス!オラ悟空!よろしくな」と言った。しかし、野沢にアニメのキャラクターの台詞を頼むのは親戚内ではご法度とされており、姪は母親に酷く叱られ、以後同様の出来事はなかったという。講談社発行の『トリビアの泉?へぇの本?』第VIII巻のトリビアNo.459にこのエピソードについての詳細が書かれている。

林原めぐみの著書『明日があるさ?SWEET TIME EXPRESS』によると、『ドラゴンボール』を放映している頃、林原は作品の大ファンだった甥の偏食に悩み、野沢にお願いして孫親子3人から甥へのメッセージテープを作成した。3人が「野菜を食べて強くなろう」と語りかけたが、甥は「ヤダ!」と拒否し、林原は「あんたは悟天君が言っても食べないの!?」と怒ったという。

あるとき、白血病にかかった少年の親から野沢に向けて、「息子は『ドラゴンボール』のファンだが、医者からは余命1ヶ月と言われている。どうか息子に力を貸して欲しい」との手紙が来た。そこで、野沢は鶴ひろみ、古谷徹田中真弓ら共演者にも呼びかけ、「次の映画を絶対見に来い」「待ってる」等キャラクターの声で励ましのメッセージテープを送った。少年は半年持ちこたえ、映画を観賞したあと他界したという。[要出典]

演じ分けについて

悟空の息子である悟飯も演じる事を『ドラゴンボールZ』1話のアフレコをするまで知らされていなかったため、当日に聞き非常に驚いたという。野沢本人は悟飯・悟天も演じる事になるとは全く考えていなかったらしい。スタッフは「悟空の息子だから野沢さんで」と、決めたという。

演じ分けについて、「三人は一見似ているようだけど育った環境が違う[4]ので、そんなに大変ではないし、絵を見るとすっと役に入れる」と語っていた。野沢曰く、悟空と悟天はやや似ている部分があるが、悟天には親がいることで違いを出しているとのこと。また超サイヤ人に変身した悟空や悟飯を演じる際は、低めのクールな声質に変え演じている。

一人が複数のキャラを演じる場合、2人目を別録りするのが常だが、野沢は台詞が重複する場面以外は、瞬時に切り替えながら通しで演じていたという。脚本家が野沢をちょっと困らせてやろうと、わざと会話シーンを増やしたが、全く困ることなく演じたという。野沢は一度も代役を入れずに、3人を演じきれた事を誇りだと語っていた。3人の中で思い入れが一番強いのは悟空で、特に尻尾が生えている時が好きだという。悟飯・悟天は「悟空の血を継いでいて可愛らしい」と話している。

近年発売されているゲームでは、1本のソフト内で悟空の少年期・青年期、悟飯の幼少期・少年期・青年期・未来世界・グレートサイヤマン、悟天、バーダック、ターレス、合体キャラのゴテンクスベジットゴジータと多数の声を担当している。合体キャラも一役扱いすると最大で十三役していることになる。

合体キャラを演じたときも、別撮りではなく同時収録だった。ゴテンクスでは草尾毅、ベジット・ゴジータでは堀川りょうがそれぞれ画面を見て喋り、野沢が相手の口に合わせて喋っていた(野沢本人によると、そういうのは得意)。

お気に入りのシーン、キャラなど

お気に入りのシーンとして、1作目(無印)にて悟空がスノの家でトイレに行った時、レッドリボン軍にドア越しに銃で撃たれ「いってーっ!」と言って出てくるシーンを挙げている(ちなみに、このシーンはアニメオリジナルである)[5]

悟飯のエピソードで印象に残っているのは、原作には無いアニメオリジナルストーリーである悟飯とロボットの交流を描いた『Z』の9話「ゴメンねロボットさん 砂漠に消えた涙」だという。キャストが野沢と、ロボット役の塩屋浩三の2人だけであり、登場人物が2人しかいない話は初めてだったため制作内部では反対意見も出た。しかし、放映後は「感動した」という手紙が沢山来たという[5]。塩屋も印象に残っている話として同じく『Z』9話を挙げている。

悟空以外で好きなキャラはピッコロと答えている。ピッコロについて野沢は、「最初は大魔王と違い、凄く憎たらしくてキザで、なんて嫌な奴だと思っていたが、段々と良い人になっていた」と語っている[5]。幼い悟飯をピッコロが修行している時に、初代チチ役の荘真由美と共にピッコロ役の古川登志夫に「悟飯ちゃんをあまりいじめないでね」と言い、古川が苦笑したという。また荘真由美が出産と育児に伴う休業でチチ役を降板せざるを得なくなった時に残念に思っていたと同時に、長年プーアル役でレギュラー出演していて、世界観を熟知していた渡辺菜生子が代役から後任に繋がったことで、やっと安堵したといわれている。亀仙人役の宮内幸平が急逝した時も1番落ち込んでいたとのスタッフの証言も有り、野沢がそれだけ「ドラゴンボール」という作品を大切にしていたことを証明してもいる。

一方で嫌いなキャラは、悪役に徹した初代ピッコロ大魔王及びフリーザだと語っている。また、ベジータが幼い悟飯を痛めつけた場面では「子供になんてことするんだ!」と、本気で腹を立てたという。

他のエピソード

あらいぐまラスカル』では、どうしてもラスカルの声を演じたいとオーディションに参加。担当することが決まった際、アライグマをよく理解するため、時間を見つけては動物園に行き、アライグマを観察した。しかし、10日間ほど通いつめたが、鳴き声を聞くことは出来なかった。約10日目に、当時放映していたテレビドキュメンタリー番組『野生の王国』の中でたまたまアライグマが出てきたことで鳴き声を知り、それをベースにしたことを、GyaO溜池Now』での野沢雅子特集の際に野沢自身が述べている。

いなかっぺ大将』の風大左衛門の声をゴリラに聞かせ、そのゴリラのノイローゼを治したことがある。

デジタルモンスター』の映像作品において、デュークモンの声を登場する全作品で担当している。

「歌は苦手」とのことだが、主演作の『怪物くん』や『ビリ犬』、『はたらキッズ マイハム組』では主題歌を担当しており、『ドラゴンボール』『デジモンテイマーズ』でもキャラクターソングを歌っている。

仕事の時とは異なり、私生活ではかなりおっちょこちょいとのこと。『徹子の部屋』出演時には、内線電話と間違えて館内放送のマイクに向かって話してしまった話、リモコンから送信される赤外線を身体に有害なレーザー光線と勘違いしていた話などを披露した。

独身時代に劇団仲間と車で移動中にバイク事故を目撃する。野沢を含め、全員が「あのバイクに乗っていた人は死んだ」と思うほどの激しい事故だった。その事故にあった人物が、後に野沢の夫になる塚田正昭だった。

少女時代を群馬で過ごしたこともあり、同県には愛着があるという。

子供の声で「パパ、ママ今いないから分かんない」や家政婦のふりをして「今、誰もいねぇからわかんねぇんだ」と迷惑電話がかかってきた時に言うとあきらめてくれると言う(2008年3月27日ゲスト出演した『うたばん』より)。

映画『ONE PIECE』の主題歌『またね featuring ルフィ、ナミ、ゾロ、ウソップ、サンジ、チョッパー、ロビン、フランキー、ヒルルク、くれは』でくれはの声で出演したためゲスト参加している。その曲のオリコンチャート最高位が8位だったため、オリコンチャート10位以内での歴代年長3位(71歳4ヶ月)であり[6]、オリコンチャート10位以内の女性最年長記録保持者である。

他声優関連

戸田恵子の事は、自書で「可愛い後輩」の1人として名前を挙げている。

井上和彦は後輩でありながら、野沢に車で送り迎えをされていた事を雑誌対談で語った。

気配り上手で気さくな人柄に対し、鶴ひろみは「本当に可愛い人なんです」と語っている。

養成所時代に野沢から指導を受けた三石琴乃は「役者としても女性としても尊敬している」と発言している。

神谷浩史は、まだアニメのレギュラー役を持っていない新人の頃、アシスタントをしていたラジオ番組に野沢がゲスト出演した際、親切にしてもらい、現在でもスタジオで一緒になるとよくしてもらっていると語っている。

『ドラゴンボール』シリーズの収録現場は、キャスト陣やスタッフの雰囲気が非常になごやかで和気藹々としていたことが、多くの人物から語られている。このことに対しベジータ役の堀川りょうは「主演の野沢さんが新人や中堅たちに目を配り、雰囲気作りに努めていたことも要因ではないか」と語っている。また少年期に『ゲゲゲの鬼太郎』など野沢が出演していた作品を多数見ていたといい、「業界で最も尊敬している人物の一人」であるとも発言している。

少年トランクスを演じた草尾毅は子供役に不安を感じていたが、大人の悟空から子供の悟天を演じる野沢の演技を見て勉強になったという。また、ゴテンクスで野沢と声を合わせたことは「何ものにも代えがたい価値があった」と語っている。野沢は草尾の事を「親子ほどの年齢差だけど、弟のように可愛い」と発言している。

野沢と同じく親子二役を演じる事になった皆口裕子は、野沢の三役を見て気合を入れていたという。

仲の良い声優仲間としては、田の中勇池田昌子永井一郎肝付兼太富山敬内海賢二&野村道子夫妻、鶴ひろみ八奈見乗児神谷明古谷徹吉田理保子らの名が挙げられている(著書『ボクは、声優』より)。

出演作品

太字は主役、メインキャラクター

テレビドラマ

テレビアニメ

1963年

1965年

1966年

1967年

1968年

1969年

1970年

1971年

1972年

1973年

1974年

1975年

1976年

1977年

1978年

1979年

1980年

1981年

1982年

1983年

1984年

1985年

1986年

1987年

1988年

1989年

1990年

1991年

1993年

1994年

1995年

1996年

1998年

1999年

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

2006年

2007年

2008年

2009年

2010年

2011年

OVA

劇場アニメ

特撮

ゲーム

吹き替え

映画

テレビドラマ

アニメ

ナレーション

実写

CM

人形劇

ラジオ

パチンコ・パチスロ機ほか

出版社

本人出演

ドラマCD

キャラクターソング・企画CD

発売日 タイトル 名義 楽曲 タイアップ
1980年9月1日 ユカイツーカイ怪物くん 怪物くん(野沢雅子) 「ユカイツーカイ怪物くん」 テレビアニメ『怪物くんオープニング主題歌
1989年7月21日 ドラゴンボールZ ヒット曲集 孫悟飯(野沢雅子) 「天下一ゴハン」 劇場版ドラゴンボールZ挿入歌
1990年4月1日 ドラゴンボールZ ヒット曲集 III 〜スペース・ダンシング〜 「ピッコロさん だ〜いすき」 劇場版『ドラゴンボールZ この世で一番強いヤツ』挿入歌
1990年10月1日 ドラゴンボールZ ヒット曲集 IV 〜キャラクターズ・スペシャル〜 「心から濡れた二人」 テレビアニメ『ドラゴンボールZキャラクターソング
1991年3月21日 ドラゴンボールZ ヒット曲集 VI BP∞ バトルポイント・アンリミテッド 「口笛の気持ち」
1991年9月21日 ドラゴンボールZ ヒット曲集 8 キャラクターズ・スペシャル2 「イ・ケ・ナ・イ うららマジック」
1992年3月27日 炎の闘球児 ドッジ弾平 ヒット曲集 小仏珍念(野沢雅子) 「ドッジもドッジ」 テレビアニメ『炎の闘球児 ドッジ弾平』キャラクターソング
1994年4月1日 「ドラゴンボール」「ドラゴンボールZ」大全集 孫悟空(野沢雅子)
孫悟飯(野沢雅子)
「孫悟空ソング」
「悟空のgokigenジャーニー」
「天下一ゴハン」
「ピッコロさんだ〜いす♥」
テレビアニメ『ドラゴンボール』、『ドラゴンボールZ』キャラクターソング
1997年12月17日 真冬の流れ星 WITH YOU 「真冬の流れ星」
「みどりのほし」
2001年8月1日 デジモンテイマーズ ベストテイマーズ 1.松田啓人&ギルモン ギルモン(野沢雅子) 「ギルモン・マーチ」
「ふたりでラララ」
テレビアニメ『デジモンテイマーズ』キャラクターソング
2003年1月18日 ドラゴンボールZ コンプリート・ソングコレクションI 〜光の旅〜 孫悟飯(野沢雅子) 「天下一ゴハン」
「ピッコロさん だ〜いすき♡」
テレビアニメ『ドラゴンボールZ』キャラクターソング
2003年2月21日 ドラゴンボールZ コンプリート・ソングコレクションII 〜とびっきりの最強対最強〜 「口笛の気持ち」
「イ・ケ・ナ・イ うららマジック」
2003年9月25日 ドラゴンボール 全曲集 孫悟空(野沢雅子) 「孫悟空ソング」
「悟空のgokigenジャーニー」
テレビアニメ『ドラゴンボール』キャラクターソング
2005年1月19日 怪物くん 全曲集 怪物くん(野沢雅子) 「ユカイ ツーカイ怪物くん」
「怪物くんマーチ」
「新・怪物くん音頭」
「怪物サンバ」
テレビアニメ『怪物くん』キャラクターソング
2005年4月27日 いなかっぺ大将ヒットアルバム 〜わしはいなかっぺ大将だス〜 風大左衛門(野沢雅子) 「大ちゃん大好きソング」
「だスだス小唄」
「大ちゃんの応援歌」
「大ちゃん便り」
テレビアニメ『いなかっぺ大将』キャラクターソング
2008年5月9日 こども盆踊り ベスト ドラえもん(野沢雅子) 「ドラえもん音頭」 テレビアニメ『ドラえもん』キャラクターソング

著書

  • 『ボクは、声優。』(オプトコミュニケーションズ、1995年)
  • 『声優界一刀両断!悟空とスネ夫の辛口トーク』
    肝付兼太菅野哲夫共著(エニックス、1998年)

脚注

  1. ^ Yahoo!人物名鑑によるプロフィール
  2. ^ ラジオ腐りかけ!第26回
  3. ^ ただし例外として、番組開始時のみ世界観を掴むために単行本の1巻だけ購読したので、牛魔王と出会うまでの展開までは事前に内容を知っていた
  4. ^ 悟空=山奥で一人暮らしの野生児、悟飯=両親が健在で、教育熱心な母により優等生、悟天=悟飯より自由で、父は知らないがお兄ちゃん子な甘えん坊
  5. ^ a b c 木下暢起編「特別企画・野沢雅子さんロングインタビュー いつか、きっと・・・!!」『復刻版 ドラゴンボールGT パーフェクトファイルVol.2』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2006年4月9日、ISBN 4-08-874090-4、82-86頁。
  6. ^ オリコンチャート10位以内の歴代最年長1位は左卜全の76歳2ヶ月の『老人と子供のポルカ』、2位は北島三郎の73歳3ヶ月の『夫婦一生
  7. ^ 公式サイトの人物を参照。2011年8月5日閲覧。

外部リンク

Template:オフィス野沢