「ジョー・ボナマッサ」の版間の差分
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2011年東京公演中止について, 近作の更新 |
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このロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートで、ボナマッサは初めて学んだ曲が「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」であったと話して、エリック・クラプトンと共に演奏した。またボナマッサは、自分の曲をかけてくれたラジオ番組「ポール・ジョーンズ・ラジオ・アワー」への讃辞を送り、[[マンフレッド・マン (バンド)|マンフレッド・マン]]のメンバーであった[[ポール・ジョーンズ]]が1曲にハーモニカで参加した。ボナマッサはこの日が人生最良の日であるとして、共に過ごした観客へ感謝の念を示した。 |
このロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートで、ボナマッサは初めて学んだ曲が「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」であったと話して、エリック・クラプトンと共に演奏した。またボナマッサは、自分の曲をかけてくれたラジオ番組「ポール・ジョーンズ・ラジオ・アワー」への讃辞を送り、[[マンフレッド・マン (バンド)|マンフレッド・マン]]のメンバーであった[[ポール・ジョーンズ]]が1曲にハーモニカで参加した。ボナマッサはこの日が人生最良の日であるとして、共に過ごした観客へ感謝の念を示した。 |
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2011年3月11日に起こった[[東日本大震災]]に伴い、同年5月10日に東京で予定されていたコンサートを中止した。 |
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== 日本公演 == |
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:4月7日(水)東京 LIQUIDROOM |
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:4月8日(木)大阪 BIGCAT |
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*2011年 |
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:5月10日(火)東京 赤坂BLITZ |
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== ディスコグラフィー == |
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*ユー・アンド・ミー - ''You & Me''(2006年) |
*ユー・アンド・ミー - ''You & Me''(2006年) |
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*スロー・ジン - ''Sloe Gin''(2007年) |
*スロー・ジン - ''Sloe Gin''(2007年) |
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*シェパーズ・ブッシュ・エンパイア - Shepherds Bush Empire''(2007年) |
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*ライヴ・フロム・ノーウェア・イン・パティキュラー - ''Live From Nowhere In Particular''(2008年) |
*ライヴ・フロム・ノーウェア・イン・パティキュラー - ''Live From Nowhere In Particular''(2008年) |
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*ザ・バラード・オブ・ジョン・ヘンリー - ''The Ballad Of John Henry''(2009年) |
*ザ・バラード・オブ・ジョン・ヘンリー - ''The Ballad Of John Henry''(2009年) |
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*ザ・ベスト・オブ・ジョー・ボナマッサ - ''The Best Of Joe Bonamassa''(日本のみ)(2009年) |
*ザ・ベスト・オブ・ジョー・ボナマッサ - ''The Best Of Joe Bonamassa''(日本のみ)(2009年) |
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*ライヴ・フロム・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール - ''Live From The Royal Albert Hall''(2009年) |
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*ブラック・ロック - ''Black Rock''(2010年) |
*ブラック・ロック - ''Black Rock''(2010年) |
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*ダスト・ボウル - ''Dust Bowl''(2011年) |
*ダスト・ボウル - ''Dust Bowl''(2011年) |
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*ドント・エクスプレイン - ''Don't Explain''([[ベス・ハート]]との共作)(2011年) |
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*ドライビング・タワーズ・ザ・デイライト - ''Driving Towards The Daylight''(2012年) |
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'''ブラック・カントリー・コミュニオン''' |
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*ブラック・カントリー - ''Black Country''(2010年) |
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*2(2011年) |
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*ライヴ・オーヴァー・ヨーロッパ - ''Live Over Europe''(2012年) |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2012年7月7日 (土) 13:49時点における版
ジョー・ボナマッサ | |
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![]() ジョー・ボナマッサ | |
基本情報 | |
生誕 | 1977年5月8日(47歳) |
出身地 |
![]() |
ジャンル | ブルース、ロック |
職業 | ギタリスト、シンガーソングライター |
担当楽器 | ギター |
共同作業者 | ブラッドライン |
公式サイト | http://www.jbonamassa.com |
ジョー・ボナマッサ(Joe Bonamassa、1977年5月8日-)とは、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身のギタリスト、シンガーソングライターである。
来歴
ニューヨーク州ユーティカで生まれた。11歳のとき、カントリー・ミュージシャンのダニー・ガットンの下で、カントリー、ジャズ、さらにはハードロックについて学んだ。ガットンのバンドに加わることもたびたびあった。12歳でB.B.キングの前座を務めるようにもなった。14歳になって、フェンダーギターのイベントに参加して、その時にベリー・オークリー・ジュニアと出会った。ボナマッサとオークリーは、マイルス・デイヴィスの息子であるエリンと、ロビー・クリーガーの息子であるウェイロンを誘って、ブラッドラインを結成した。彼らはアルバムを1枚とヒット・シングルを2枚発売すると、すぐに解散した。
2000年にボナマッサはトム・ダウドによるプロデュース作品、ア・ニュー・デイ・イエスタデイと共にソロデビューを果たした。すぐに、ドラマーのケニー・クラーム、及びベーシストのエリック・ザー共に、プロモーションツアーを行った。
ツアーを終えるとすぐに、2枚目のアルバムとなる、ソー・イッツ・ライク・ザットをクリフ・マグネスのプロデュースの下で作った。このアルバムは、前作よりも古いロックの要素を取り入れて、ビルボードのブルース・チャートでは1位となった。
2003年に発売した3作目のブルース・デラックスは、好意的な評価を得た。この年はアメリカ合衆国議会によってブルースの年と定められており、このアルバムはこの事実を支えるために発売された。収録されたうち9曲が古いブルースの曲であり、ボナマッサの自作曲は3作のみであった。前作と同じく、ビルボードのブルース・チャートで1位を得た。
2005年に発売したハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイでは、ソー・イッツ・ライク・ザットのような古いロックの要素を改めて取り入れた。2005年後半になり、それまで共にしてきたバンドと決別して、新たにベーシストとしてマーク・エプスタイン、そしてケニー・ウェイン・シェパードのドラマーであったボギー・ボウルズと組んだ。
2006年には、5枚目のアルバムとしてユー・アンド・ミーを発売した。このアルバムでは、有名なスタジオ・ミュージシャンを数名起用した。ジョン・ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムも、その一人である。ビルボードのブルース・チャートで1位を獲得した。
スロー・ジンは、2007年8月の発売から10週間以上に渡って、ビルボードのブルース・チャートに残った。今までのアルバムとは異なり、ここではアコースティック・ギターを使用した楽曲が増えている。この時期には、ツアーバンドのベーシストがカルミネ・ロハスへと変わり、リック・メリックがキーボードとして加わった。彼らは、ユー・アンド・ミーとスロー・ジンの録音にも参加した。
2008年11月9日、ボナマッサはイギリスのラジオ局でDJをつとめた。この中で彼は、B.B.キング、マディ・ウォーターズ、ロリー・ギャラガー、そしてエリック・クラプトンなどをかけた。
同じ年の11月、ボナマッサは翌年5月4日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでコンサートを行うことを発表した。チケットは1週間で完売した。彼はこのコンサートを「20年間のキャリア総括」と表現した。
このロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートで、ボナマッサは初めて学んだ曲が「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」であったと話して、エリック・クラプトンと共に演奏した。またボナマッサは、自分の曲をかけてくれたラジオ番組「ポール・ジョーンズ・ラジオ・アワー」への讃辞を送り、マンフレッド・マンのメンバーであったポール・ジョーンズが1曲にハーモニカで参加した。ボナマッサはこの日が人生最良の日であるとして、共に過ごした観客へ感謝の念を示した。
2011年3月11日に起こった東日本大震災に伴い、同年5月10日に東京で予定されていたコンサートを中止した。
日本公演
- 2008年
- 12月16日(火)東京 ヤマハ・アコースティックギター・クリニック[1]
- 2009年
- 9月12日(土)福岡 Gate's7
- 9月14日(月)大阪 BIGCAT
- 9月15日(火)東京 ブルース/ロック・ギター・スペシャル・セミナー[2]
- 9月16日(水)東京 UNIT
- 2010年
- 4月7日(水)東京 LIQUIDROOM
- 4月8日(木)大阪 BIGCAT
ディスコグラフィー
2008年までの作品は邦盤が発売されていないので、それまでの作品に関しては公式の邦題は存在しない。
ブラッドライン
- ブラッドライン - Bloodline(1994年)
ジョー・ボナマッサ
- ア・ニューデイ・イエスタデイ - A New Day Yesterday(2000年)
- ソー・イッツ・ライク・ザット - So, It's Like That(2002年)
- ア・ニューデイ・イエスタデイ ライヴ - A New Day Yesterday, Live(2002年)
- ブルース・デラックス - Blues Deluxe(2003年)
- ハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイ - Had To Cry Today(2004年)
- ユー・アンド・ミー - You & Me(2006年)
- スロー・ジン - Sloe Gin(2007年)
- シェパーズ・ブッシュ・エンパイア - Shepherds Bush Empire(2007年)
- ライヴ・フロム・ノーウェア・イン・パティキュラー - Live From Nowhere In Particular(2008年)
- ザ・バラード・オブ・ジョン・ヘンリー - The Ballad Of John Henry(2009年)
- ザ・ベスト・オブ・ジョー・ボナマッサ - The Best Of Joe Bonamassa(日本のみ)(2009年)
- ライヴ・フロム・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール - Live From The Royal Albert Hall(2009年)
- ブラック・ロック - Black Rock(2010年)
- ダスト・ボウル - Dust Bowl(2011年)
- ドント・エクスプレイン - Don't Explain(ベス・ハートとの共作)(2011年)
- ドライビング・タワーズ・ザ・デイライト - Driving Towards The Daylight(2012年)
ブラック・カントリー・コミュニオン
- ブラック・カントリー - Black Country(2010年)
- 2(2011年)
- ライヴ・オーヴァー・ヨーロッパ - Live Over Europe(2012年)