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「三遊亭兼好」の版間の差分

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'''三遊亭 兼好'''(さんゆうてい けんこう、[[1970年]][[1月11日]] - )は、[[円楽一門会]]所属の[[落語家]]。[[福島県]][[会津若松市]]出身。[[二松學舍大学]]文学部卒業。本名は佐藤健司(さとう けんじ)。[[出囃子 (落語)|出囃子]]は『ぶらりっと』。主に[[古典落語]]を演じる。
'''三遊亭 兼好'''(さんゆうてい けんこう、[[1970年]][[1月11日]] - )は、[[円楽一門会]]所属の[[落語家]]。[[福島県]][[会津若松市]]出身。[[二松學舍大学]]文学部卒業。本名は佐藤健司(さとう けんじ)。[[出囃子 (落語)|出囃子]]は『ぶらりっと』。主に[[古典落語]]を演じる。


==来歴・人物==
==人物==
[[三遊亭好楽]]の二番弟子、2008年9月に真打昇進。一門の共通点として弟子三人とも社会人からの転職である(兼好の場合、入門当時から妻子がいた)。
[[三遊亭好楽]]の二番弟子、2008年9月に真打昇進。一門の共通点として弟子三人とも社会人からの転職である(兼好の場合、入門当時から妻子がいた)。


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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[福島県出身の人物一覧]]
*[[円楽一門会]]
*[[円楽一門会]]
*[[三遊亭好楽]](師匠)
*[[三遊亭好楽]](師匠)

2012年7月11日 (水) 13:47時点における版

三ツ組橘は、圓楽一門の定紋である。

三遊亭 兼好(さんゆうてい けんこう、1970年1月11日 - )は、円楽一門会所属の落語家福島県会津若松市出身。二松學舍大学文学部卒業。本名は佐藤健司(さとう けんじ)。出囃子は『ぶらりっと』。主に古典落語を演じる。

人物

三遊亭好楽の二番弟子、2008年9月に真打昇進。一門の共通点として弟子三人とも社会人からの転職である(兼好の場合、入門当時から妻子がいた)。

又、兼好が好楽に許されるまでに入門を願い出た回数と、好楽の元師匠8代目林家正蔵(後の林家彦六)に入門を願い出た数は同じである(共に4回目で許可が下りる)。

落語家に成る前は、様々な仕事を転々としており、落語との出会いは、27歳の頃に魚河岸で働いていた時で、仕事が昼頃には終わるので「安いお金で時間を潰せる所はないか?」と、寄席に通い始めたのがきっかけ。寄席に何回か通っていると、三遊亭好楽の高座に良く出会うので、「これは運命かな?」と思っていた頃、偶々家も近く、「この辺に(師匠の)家があるな」とスクーターで走っていた所、偶然、好楽が散歩をしていた所に出くわして、「弟子にして下さい」とお願いをしたところ、好楽が「どうでもいいけど、ヘルメットを取れ」と言ったとのこと(その時は入門を断られる)。その後、3回(都合4回)入門を願い出たが、「年齢の事」「既婚者である事」「子供もいる事」などの理由で断られた。最終的に入門を許可されたのは、好楽が「じゃあ、奥さんに電話をして許可を取る」と夫人に電話をし、初め、夫人は三遊亭好楽の事を判っていなかったが、「笑点」に出ていると判ると一変し、「お宅の旦那が噺家に成りたいと言っているが」と聞くと「よろしくお願いします」と即答され、そして入門が許可されたとのこと。(テレビ朝日落語者」でのインタビューより)

略歴

  • 1998年10月 - 三遊亭好楽に入門。当時、既に娘が2人いたことから「女子供を作る」で前座名「好作」。
  • 2002年3月 - 名を「好二郎」に改め二つ目昇進。
  • 2006年4月 - 「にっかん飛切落語会」若手落語家表彰努力賞受賞。
  • 2007年12月 - 「にっかん飛切落語会」奨励賞受賞。
  • 2008年 - 第13回 林家彦六賞受賞。
  • 2008年9月 - 真打に昇進。師匠曰く「お前は兼好っぽいから」という理由で初代「兼好」を襲名。

関連項目

外部リンク