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「笑福亭晃瓶」の版間の差分

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[[大阪市]][[東住吉区]](現・[[平野区]])長吉長原<ref>1998年放送の「つるべがおかず」で表明。</ref>出身。本名は廣田 勝(ひろた まさる)。
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== 来歴・人物 ==
== 人物 ==
[[笑福亭鶴瓶]]の二番[[弟子]]で、[[1984年]][[4月21日]][[入門]](一番弟子は[[笑福亭笑瓶]])。
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自らの落語会「洛楽寄席」を春に、「洛楽笑会」を秋に、[[京都]]を中心に催す。「晃瓶のわかやぐ会」を[[1月]]と[[7月]]に[http://www.tsurube.net/mugakutei.php 帝塚山無学]で催す。[[天満天神繁昌亭|繁昌亭]]にも助っ人で年数回は出演する。[[彦八まつり]]にも毎年参加する。[[5月]]初旬、新春寿寄席の収録で仲良くなった[[森脇健児]]と二人会(トークショー)を行う。
自らの落語会「洛楽寄席」を春に、「洛楽笑会」を秋に、[[京都]]を中心に催す。「晃瓶のわかやぐ会」を[[1月]]と[[7月]]に[http://www.tsurube.net/mugakutei.php 帝塚山無学]で催す。[[天満天神繁昌亭|繁昌亭]]にも助っ人で年数回は出演する。[[彦八まつり]]にも毎年参加する。[[5月]]初旬、新春寿寄席の収録で仲良くなった[[森脇健児]]と二人会(トークショー)を行う。

[[笑福亭笑瓶|笑瓶]]と同様、[[ぬかるみの世界|ぬかるみん]]であった廣田勝は、[[ラジオ大阪]]の外で鶴瓶を出待ちし[[笑福亭笑瓶|笑瓶]]と出てきた[[笑福亭鶴瓶|鶴瓶]]に自分の思いを伝えた。[[1984年]]のことである。

最初の頃、噺家なって3年目か4年目の頃、同期の仲間4人で「波乱万丈」とういう会をつくって活動していた。

初めて買った車は白の中古車の[[ケンメリ]]。高校を卒業した年、18歳の時に、働いて稼いだ30万を頭金に80万で買った。当時、かっこいい車にのっていさえすれば女性にもてると思っていた。

京都の自宅の近くを歩いている時に、通りすがりの車の中にいた男性から「弟子にして、弟子に」と弟子入りを志願されたが、断っている。


本来[[左利き]]であるが、[[箸]]と[[ペン]]は[[右手]]を使う。携帯電話も左手で打ち、[[歯磨き]]も晃瓶も左手。携帯電話は折り畳み式が好きで色にこだわりはなく、ピンク系の折り畳み式を使っている。
本来[[左利き]]であるが、[[箸]]と[[ペン]]は[[右手]]を使う。携帯電話も左手で打ち、[[歯磨き]]も晃瓶も左手。携帯電話は折り畳み式が好きで色にこだわりはなく、ピンク系の折り畳み式を使っている。

気ー使いーのB型。40年近くO型([[血液型]])と思い込んでいたが、実はB型だった。ほからじを始めてすぐの頃に日赤か何かの1日院長みたいなことをやったんですが、その時の検査でわかりました。その時に、[[山崎弘士の満員御礼!]]の中継が入りスタジオの[[山崎弘士]]とやり取りしたり、今は落ち着いている当時入社2年目でまだ駆け出しの[[森谷威夫]]がラジオカーリポーターで来ていてメチャメチャ上がりながらインタビューしていました。

「KBS滋賀の会」([[滝トール]]主催、かつての[[KBS滋賀]]時代を懐かしみ今後の[[KBS滋賀]]はこうなってほしいという毎年6月に開催する会)に参加している。若い頃、週1回、[[長浜楽市]]にあった[[サテライトスタジオ]]に通い、[[KBS滋賀]]にはお世話になった。

16歳の時から、中学の友人紹介された地元の同じ床屋に通っている。その店で師匠のお兄さんに初めて会った。ちなみに、師匠とは高速道路を挟んで右と左(東と西)で育った。


生きる原動力は女性。女性がいなければ働かない。
生きる原動力は女性。女性がいなければ働かない。


[[趣味]]は[[ウォーキング]]、[[チョロQ]]収集など。[[チョロQ]]は300台ほど所有していてケースに入れて大事に保管している。[[料理]]好きでパン教室に通ったこともある。[[高校]]卒業後は[[専門学校]]に通い[[調理師]]になるつもりで入学資金もちゃんと用意していた(中学生の時の夢は[[吉本新喜劇]])。小学校4年の時、[[学級委員]]をした。[[中学]]では、[[マジック]]クラブで、[[バスケットボール]]もしていた。バスケットはさぼってばかりいたので全然上達しなかった。中学や高校では「シュークリーム」、「みえこ」などと呼ばれていた。社会人になって一時期、職場で[[卓球]]をしていた。
[[趣味]]は[[ウォーキング]]、[[チョロQ]]収集など。[[チョロQ]]は300台ほど所有していてケースに入れて大事に保管している。[[料理]]好きでパン教室に通ったこともある。[[高校]]卒業後は[[専門学校]]に通い[[調理師]]になるつもりで入学資金もちゃんと用意していた(中学生の時の夢は[[吉本新喜劇]])。小学校4年の時、[[学級委員]]をした。[[中学]]では、[[マジック]]クラブで、[[バスケットボール]]もしていた。バスケットはさぼってばかりいたので全然上達しなかった。中学や高校では「シュークリーム」、「みえこ」などと呼ばれていた。社会人になって一時期、職場で[[卓球]]をしていた。

好物は[[アジ]]の[[フライ]]と[[竹輪]]や[[穴子]]の[[天ぷら]]。[[牡蛎]]が苦手で食べられない。長生きしたいので、病気になりたくないので、現在[[糖質]]はできるだけ控えている。[[血糖値]]を下げるため、タラの芽茶を愛飲している。

[[夏川りみ]]のファンで関西でコンサートがあれば必ず行く。

裸になることは何でもない。「(裸になることを)恥ずかしがったらあかん」とよく師匠に言われている。


175cm。75kg(2012年4月現在)。体重は90kg台の時もあったが、2006年秋の「ほっかほか北海道ツアー」の時には60kg台までに痩せ細っていた。
175cm。75kg(2012年4月現在)。体重は90kg台の時もあったが、2006年秋の「ほっかほか北海道ツアー」の時には60kg台までに痩せ細っていた。

2012年7月11日 (水) 13:56時点における版

五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。

笑福亭 晃瓶(しょうふくてい こうへい、1960年3月24日 - )は落語家松竹芸能所属。

大阪市東住吉区(現・平野区)長吉長原[1]出身。本名は廣田 勝(ひろた まさる)。

人物

笑福亭鶴瓶の二番弟子で、1984年4月21日入門(一番弟子は笑福亭笑瓶)。

蒲生(今は今福、京橋商店街の辺り)で生まれ、生まれてすぐ長吉長原に引っ越す。小学校の途中から萱嶋に住んで寝屋川南小学校に通った。中学位になって平野に戻ってきて長吉中学校に通った。長吉高校卒業後、いくつかの仕事、劇団員を経て、鶴瓶が好きで鶴瓶のような漫談がしたくて、人気者になって女性にもてたくて、鶴瓶に弟子入り。入門を請うたのは達瓶のほうが早かったが、親の説得に時間がかかったため、その間に晃瓶と純瓶が入門。結果、年齢順での入門になる。「達瓶が先に入門していたら、落語家晃瓶はなかったと思う」。通いで西宮市で3年間修行し、修行中は主に料理を担当。初舞台は十三の鰻屋の2階。元々漫談志向だったが、師匠鶴瓶が2002年頃から落語に力を入れ始めたため、晃瓶含め鶴瓶の弟子全員が落語に熱心に取り組む。近年は、落語家ラジオパーソナリティーのみならず、講演会の講師としても活躍。

現在は笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ中村薫と行っている。当初1年半はKBS京都近くのホテルから通っていた(週末は門真に帰っていた)。放送のある月曜から金曜は4時に起きる。

自らの落語会「洛楽寄席」を春に、「洛楽笑会」を秋に、京都を中心に催す。「晃瓶のわかやぐ会」を1月7月帝塚山無学で催す。繁昌亭にも助っ人で年数回は出演する。彦八まつりにも毎年参加する。5月初旬、新春寿寄席の収録で仲良くなった森脇健児と二人会(トークショー)を行う。

本来左利きであるが、ペン右手を使う。携帯電話も左手で打ち、歯磨きも晃瓶も左手。携帯電話は折り畳み式が好きで色にこだわりはなく、ピンク系の折り畳み式を使っている。

生きる原動力は女性。女性がいなければ働かない。

趣味ウォーキングチョロQ収集など。チョロQは300台ほど所有していてケースに入れて大事に保管している。料理好きでパン教室に通ったこともある。高校卒業後は専門学校に通い調理師になるつもりで入学資金もちゃんと用意していた(中学生の時の夢は吉本新喜劇)。小学校4年の時、学級委員をした。中学では、マジッククラブで、バスケットボールもしていた。バスケットはさぼってばかりいたので全然上達しなかった。中学や高校では「シュークリーム」、「みえこ」などと呼ばれていた。社会人になって一時期、職場で卓球をしていた。

175cm。75kg(2012年4月現在)。体重は90kg台の時もあったが、2006年秋の「ほっかほか北海道ツアー」の時には60kg台までに痩せ細っていた。

2011年5月13日には「ほっかほかラジオ」終了後、1人で新幹線レンタカーを乗り継ぎ、宮城県石巻市のRQ河北ボランティアセンターまで駆けつけ、落語を2席披露し、被災地の人々を励ました。翌14日にはKBS京都のスタッフと合流し、気仙沼市の小泉中学校、南三陸町の歌津中学校で落語会を開き、そこでも人々に元気と勇気を与えた。

出演

過去の出演番組

ラジオ

テレビ

出演イベント

  • 市町文化交流フォーラム 第1部記念講演「ラジオパーソナリティーから見た滋賀の文化」 -2010年3月17日(水) 滋賀県立文化産業交流会館 小劇場
  • COP10
    • 日本の「木」と「笑」の文化 -木のある暮らし① (落語&トーク) -2010年10月23日(土)10:00-12:00 名古屋学院大学 名古屋キャンパス白鳥学舎 体育館 主催:三重県木材協同組合連合会
  • FPフェア2011「上手な暮らしとおかね展」
    • テーマ: 晃瓶さんのお金にまつわる楽しいトーク! -2011年9月17日(土)13:00~14:00 京都市勧業館みやこめっせ)第3展示場1 主催:NPO法人 日本FP協会 中村薫も登場
  • 第26回国民文化祭(京・六大学落語選手権決勝の審査員&落語) -2011年11月6日(日)14:00~18:00 京都府庁旧本館2階
  • みずほ寄席 vol.1  新春 上方落語会 -2012年1月22日(日) みずほ文化センター 笑福亭伯枝笑福亭風喬、笑福亭飛梅  

関連人物

脚注

  1. ^ 1998年放送の「つるべがおかず」で表明。

外部リンク