コンテンツにスキップ

「和帝 (南朝斉)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
28行目: 28行目:


{{DEFAULTSORT:わてい}}
{{DEFAULTSORT:わてい}}
[[Category:南朝の皇帝]]
[[Category:南朝の皇帝]]
[[Category:蘭陵蕭氏]]
[[Category:488年生]]
[[Category:488年生]]
[[Category:502年没]]
[[Category:502年没]]

2012年7月12日 (木) 13:31時点における版

和帝 蕭宝融
7皇帝
王朝
在位期間 501年 - 502年
姓・諱 蕭宝融
智昭
諡号 和皇帝
生年 488年
没年 502年
明帝
劉恵端
陵墓 恭安陵
年号 中興 : 501年 - 502年

和帝(わてい)は、南朝の最後の第7代皇帝。明帝の次男で、東昏侯蕭宝巻の同母弟にあたる。

東昏侯を廃するために蕭衍が挙兵した際に擁立され、東昏侯が殺害されると皇帝に即位する。しかしその治世は蕭衍が実権を掌握し、禅譲を目的に即位させられたにすぎなかった。翌年には蕭衍への禅譲が行われ、斉に代わってが成立した。禅譲後、蕭宝融は巴陵王に封じられ、斉の正朔を許されたが、その翌月に蕭衍により殺害された。

先代
廃帝東昏侯
皇帝
第7代:501年 - 502年
次代