「阿部慎之助」の版間の差分
理論上、最多打点や首位打者は全日程が終わらないと決まらない |
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|rowspan="11" style="text-align:center;"|[[読売ジャイアンツ|巨人]] |
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|127||428||386||40||87||18||0||13||144||44||3||0||2||2||31||7||7||79||9||.225||.293||.373||.666 |
|127||428||386||40||87||18||0||13||144||44||3||0||2||2||31||7||7||79||9||.225||.293||.373||.666 |
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|114||437||390||45||114||21||0||20||195||61||1||1||2||1||35||2||9||66||12||.292||.363||'''.500'''||.863 |
|114||437||390||45||114||21||0||20||195||61||1||1||2||1||35||2||9||66||12||.292||.363||'''.500'''||.863 |
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|1357||5309||4677||629||1332||238||8||268||2390||785||12||11||26||36||474||51||95||839||118||.285||.360||.511||.871 |
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⚫ | |||
|1495||5865||5144||701||1491||260||9||295||2654||889||12||11||28||44||543||57||104||886||129||.290||.366||.516||.882 |
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* 2011年度シーズン終了時 |
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* 各年度の'''太字'''はリーグ最高 |
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高 |
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* 2011年は規定打席に9打席不足しているが、長打率は不足分を凡打と仮定しても.489であり、規定打席到達者でリーグ最高長打率の[[ウラディミール・バレンティン]](.469)を上回る。 |
* 2011年は規定打席に9打席不足しているが、長打率は不足分を凡打と仮定しても.489であり、規定打席到達者でリーグ最高長打率の[[ウラディミール・バレンティン]](.469)を上回る。 |
2012年10月8日 (月) 00:39時点における版
読売ジャイアンツ #10 | |
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読売ジャイアンツでの阿部慎之助 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県浦安市 |
生年月日 | 1979年3月20日(45歳) |
身長 体重 |
180 cm 97 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 捕手、一塁手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト1位 |
初出場 | 2001年3月30日 |
年俸 | 4億円(2012年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2000年、2008年 |
WBC | 2009年 |
この表について
|
阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(捕手)。2009年までは巨人選手会長。
経歴
プロ入り前
名前の由来は母親が池畑慎之介(ピーター)の大ファンであったことから。父は実業団電電東京に所属した野球選手で、掛布雅之と習志野高校で同期。掛布とクリーンナップを組み、掛布が3番・父が4番を打ち、夏の甲子園に出場経験がある。その影響もあり、幼い頃から阪神ファンで掛布に憧れ左打ちになった。また父もポジションは捕手、中央大学と共通している。父の勧めもあり、浦安市野球協会学童部所属・軟式少年野球チーム・浦小クラブに所属。その縁で浦安市野球協会で阿部慎之助杯争奪少年野球大会を協賛している。
安田学園高校では通算38本塁打を放つ。中央大学商学部に進学し3年生春まで東都大学2部リーグでプレーする。2部リーグ通算51試合出場、186打数58安打、打率.312、12本塁打、41打点。3年生秋にチームは1部昇格。1部リーグ通算28試合出場、92打数27安打、打率.293、5本塁打、19打点。ベストナイン1回。2000年9月にはシドニーオリンピック代表に選ばれた。中大時代はリード能力が疑問視される一方で打撃には定評があり、野手転向を勧められることもあったが固辞した[2]。2000年11月のドラフト会議において、ドラフト1位(逆指名)で巨人に入団。
プロ入り後
2001年、読売ジャイアンツでは山倉和博以来23年ぶりの「新人捕手開幕スタメン」として出場し、その試合で初打席初安打初打点を含む4打点をあげる。最終的に打撃ではシーズン13本塁打をあげる(新人捕手のシーズン2桁本塁打は田淵幸一以来2人目の記録)が、規定打席には6打席不足した。当時の巨人は村田真一に代わる正捕手の育成が急務だった事もあり、長嶋茂雄監督は起用を続けて経験を重ねる。
2002年、阿部は127試合に出場し、巨人としては1987年の山倉和博以来の捕手による規定打席に到達、ベストナインとゴールデングラブ賞を獲得する。シーズン後半から高橋由伸の故障に伴い3番打者に起用され、8月の3度を含む4度のサヨナラ打を記録。このことから『サヨナラ慎ちゃん』と呼ばれるようになった[3]。
2003年はシーズン半ばでの故障もあり94試合の出場に終わる。故障前までの打撃は規定打席不足であるものの、打率.303を記録する。この年、初めてオールスターに出場した。
2004年の4月9日から4月16日にかけて6試合連続本塁打、4月28日には3本塁打を放つ。4月に放った16本塁打は王貞治の球団記録を更新し、1981年の門田博光(南海)、1994年の江藤智(広島)と並ぶ日本タイ記録。5月12日にはマーク・マグワイアが1998年に記録した従来の世界記録である「開幕35試合目での20本塁打」を2試合更新する「開幕33試合目での20本塁打」を記録する。この後ペースは失速し、5月後半~7月はそれぞれ2本ずつに留まり、8月には故障もあって、最終的には33本塁打にとどまった。しかし、シーズンで33本塁打は巨人所属捕手として球団史上初の30本塁打を記録し、規定打席到達で自身初の打率3割も記録した。11月には日米野球に捕手・代打で全8試合中、6試合に出場したが、13打席11打数0安打2四球だった。
2005年は前年から引き続いて故障に苦しみ、盗塁阻止率が極端に低下した。打撃はシーズンを通じて5番打者に定着し最終的に打率は3割を越え、出塁率と得点圏打率はチームトップの成績であった。8月23日の横浜戦では、右肩痛のためプロ入り後初めて一塁手として出場。同年オフ、守備の負担を減らせば4番打者を務めることができると考えた原監督に一塁手へのコンバートを提案されたが、捕手として勝負したいと辞退した[4]。
2006年は第1回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出されたが、前年からの故障があり出場を辞退。シーズンでは打率が4年ぶりに3割を割り、本塁打も自己最低の10本に終わったが、自身過去最高の盗塁阻止率.443を記録。10月18日、会社員の女性との結婚を発表した。
2007年、チームの主将に任命される。6月9日の楽天戦で球団史上第72代目4番打者を務め、2本塁打5打点と活躍した[5]。また、6月14日のオリックス戦で、初回に平野佳寿から満塁本塁打を放ったが、これはプロ野球史上初の球団通算200満塁本塁打となった。オールスター第2戦ではMVPを獲得した。9月25日には33号ホームランを放ち、自身初のシーズン100打点を達成した。同時に、2003年の城島健司(当時ダイエー)以来、史上4人目の捕手登録選手のシーズン100打点達成となった(セ・リーグでは門前真佐人以来2人目で、57年ぶりの記録)。2008年に行われる北京オリンピックの野球日本代表予選3試合に出場して13打数10安打4打点、打率.769の結果を残し、最優秀打者賞・MVPを獲得。
2008年から本塁打1本に付き1万円を慈善団体に寄付するようになった。この年は北京オリンピック代表に選出され8試合に出場した[6]。この年も巨人の主将を務めリーグ優勝が決定した10月10日の試合では2打点を挙げるが、牽制球で2塁へ帰塁した際に右肩を負傷した[7]。その結果、クライマックスシリーズには欠場、日本シリーズには代打・指名打者として出場し、1本塁打含む打率.400を記録するも、捕手の守備につく事はできなかった。
2009年、第2回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出される。出場機会には恵まれなかったが、第2ラウンド1組1位決定戦ではスタメンマスクをかぶった。シーズン中はスタメンを外れたり、セス・グライシンガーの先発時は鶴岡一成がマスクを被っている一方で、自身は4年ぶりに一塁手として出場する事もあった。9月には5試合で本塁打7本を放つ活躍で月間MVPを受賞。チームトップ、リーグ2位の32本塁打、リーグ1位の本塁打率、リーグ1位の長打率をマークし、チームの連覇に貢献した。9月18日、ヤクルト戦で巨人捕手初となる通算200本塁打を達成。日本ハムと対戦した日本シリーズでも、打っては第5戦で武田久からサヨナラ本塁打、第6戦では武田勝から決勝打を記録し、守ってもピンチの場面で稲葉篤紀・高橋信二を三振に仕留める好リードで、日本一を達成し、自身もシリーズMVPを受賞した。
2010年5月21日の楽天戦で永井怜から本塁打を打ち、10年連続2桁本塁打を達成、巨人では長嶋茂雄・王貞治・原辰徳・松井秀喜・高橋由伸に次ぐ6人目。6月19日の中日戦で浅尾拓也からこの試合2本目の本塁打を打ち、通算6度目の年間20本塁打。そして、2004年以来となる両リーグ最速の20本塁打を記録(同日、クレイグ・ブラゼルも記録)する。このペースは2004年に次ぐものである[8]。さらに、6月は打率.375・14本塁打・21打点の好成績で月間MVPに選出された。9月11日の対広島戦で、捕手としては野村克也・田淵幸一に次ぐ史上三人目のシーズン40本塁打を達成した。これは、捕手としては球団初、そして左打者としても初の記録である。本塁打率は2年連続でセリーグ1位。シーズン後の契約更改において、4億円を球団より提示された。
2011年は、東日本大震災の影響で日程が遅れたことに加え、4月5日の阪神との練習試合で右ふくらはぎを負傷して、開幕に出遅れる[9]。その後は2軍での調整を経て、交流戦初戦の楽天戦で5番捕手で1軍復帰を果たすと、9回表に2死走者なしから初安打を放ち、逆転の足がかりを作った[10]。その後も正捕手としてだけでなく、シリーズ終盤ではラミレスに代わって4番に定着するなどして、攻守にわたってチームを牽引。9月29日の横浜戦では谷繁元信が打ち出した、セリーグ記録の連続守備機会無失策1708を抜く、新記録の1709を達成するなどして[11]、最終的には114試合に出場して、打率.292で114安打の61打点、本塁打もチーム2位の20本と5年連続の20本塁打を達成した。 シーズン中には、第7回「ジョージア魂賞」を受賞、JA全農Go・Go賞は、8月の「最多盗塁阻止賞」部門、9月の「最多二塁打、三塁打賞」部門、10月の「最優秀賞」と3ヶ月連続で受賞し、シーズン終了後には5年連続となるベストナインにも選出された。オフの契約更改では、怪我で出遅れながらもナインを牽引したことが評価され、現状維持の4億円(推定)で更改した。
2012年、第3子となる長男が生まれた。
プレースタイル
打撃
スイングを始めてから腰を捕手方向にひねるツイスト打法により緩急に対応し[12][13]、内角の球も切れずにスタンドに運ぶ技術を持つ[14]。左打者ながら左投手も苦にせず、2008年から2010年まで左投手に対して打率.290を記録している。ツイスト打法は内田順三に勧められて2004年から取り入れ、普段の練習やティーバッティングなどで腰の開きを我慢しながら反復して練習しているという[15]。星野仙一からは「天才的なものを持ってる」、野村克也からは「蜘蛛の子打ちますから。天性というか」と評されている[要出典]。鈍足な為、併殺打は多いが30本塁打を4度、入団以来二桁本塁打を継続している強打者の割に三振は少なく、100三振を記録したシーズンは一度も無い。
守備
2010年に両リーグトップの進塁阻止率を記録し[16]、チームが3連覇した2007年から2009年にかけてのチーム防御率はいずれの年もリーグ2位以上の成績を残している。特に2009年の日本シリーズ第6戦で稲葉篤紀と高橋信二から連続三振を奪ったリードは野村克也から絶賛された[17][18]。しかし一方で外角中心のリードを問題視されることもあり[12]、江川卓と掛布雅之などの一部の評論家からは「リードに問題あり」[19]と批評されるなどリードの是非には賛否両論ある[20]。ここ数年はリードが高評価されており、野村克也は「優勝するチームに名捕手あり」「打者の動きをよく見ている」とテレビ番組で発言している。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 巨人 | 127 | 428 | 386 | 40 | 87 | 18 | 0 | 13 | 144 | 44 | 3 | 0 | 2 | 2 | 31 | 7 | 7 | 79 | 9 | .225 | .293 | .373 | .666 |
2002 | 127 | 511 | 446 | 62 | 133 | 26 | 0 | 18 | 213 | 73 | 4 | 1 | 4 | 3 | 46 | 12 | 12 | 81 | 10 | .298 | .377 | .478 | .854 | |
2003 | 94 | 371 | 314 | 46 | 95 | 15 | 1 | 15 | 157 | 51 | 1 | 1 | 3 | 4 | 40 | 6 | 9 | 52 | 7 | .303 | .392 | .500 | .892 | |
2004 | 108 | 436 | 379 | 61 | 114 | 22 | 1 | 33 | 237 | 78 | 0 | 0 | 1 | 0 | 43 | 1 | 13 | 87 | 6 | .301 | .391 | .625 | 1.016 | |
2005 | 130 | 534 | 476 | 56 | 143 | 16 | 0 | 26 | 237 | 86 | 0 | 2 | 0 | 6 | 51 | 4 | 1 | 78 | 15 | .300 | .365 | .498 | .863 | |
2006 | 129 | 497 | 452 | 39 | 133 | 26 | 2 | 10 | 193 | 56 | 0 | 2 | 4 | 2 | 35 | 4 | 4 | 76 | 8 | .294 | .349 | .427 | .776 | |
2007 | 140 | 580 | 499 | 72 | 137 | 20 | 0 | 33 | 256 | 101 | 1 | 2 | 3 | 10 | 57 | 7 | 11 | 76 | 17 | .275 | .355 | .513 | .868 | |
2008 | 125 | 484 | 428 | 60 | 116 | 27 | 0 | 24 | 215 | 67 | 1 | 1 | 4 | 0 | 44 | 5 | 8 | 66 | 17 | .271 | .350 | .502 | .852 | |
2009 | 123 | 462 | 409 | 63 | 120 | 20 | 2 | 32 | 240 | 76 | 1 | 1 | 2 | 7 | 34 | 0 | 10 | 87 | 9 | .293 | .357 | .587 | .943 | |
2010 | 140 | 569 | 498 | 85 | 140 | 27 | 2 | 44 | 303 | 92 | 0 | 0 | 1 | 1 | 58 | 3 | 11 | 91 | 8 | .281 | .368 | .608 | .976 | |
2011 | 114 | 437 | 390 | 45 | 114 | 21 | 0 | 20 | 195 | 61 | 1 | 1 | 2 | 1 | 35 | 2 | 9 | 66 | 12 | .292 | .363 | .500 | .863 | |
通算:12年 | 1357 | 5309 | 4677 | 629 | 1332 | 238 | 8 | 268 | 2390 | 785 | 12 | 11 | 26 | 36 | 474 | 51 | 95 | 839 | 118 | .285 | .360 | .511 | .871 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 2011年は規定打席に9打席不足しているが、長打率は不足分を凡打と仮定しても.489であり、規定打席到達者でリーグ最高長打率のウラディミール・バレンティン(.469)を上回る。
年度別守備成績
この節の加筆が望まれています。 |
年 度 |
捕手 | 一塁 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2001 | 125 | 846 | 63 | 4 | 8 | 6 | .996 | 68 | 44 | 24 | .353 | - | |||||
2002 | 126 | 1013 | 65 | 6 | 15 | 9 | .994 | 50 | 30 | 20 | .400 | - | |||||
2003 | 93 | 772 | 51 | 7 | 4 | 4 | .992 | 61 | 39 | 22 | .361 | - | |||||
2004 | 108 | 894 | 56 | 2 | 10 | 4 | .998 | 56 | 38 | 18 | .321 | - | |||||
2005 | 98 | 793 | 55 | 8 | 10 | 1 | .991 | 72 | 53 | 19 | .264 | 32 | 263 | 14 | 3 | 14 | .989 |
2006 | 128 | 916 | 83 | 3 | 7 | 7 | .997 | 88 | 49 | 39 | .443 | - | |||||
2007 | 139 | 1001 | 74 | 8 | 9 | 8 | .993 | 70 | 50 | 20 | .286 | - | |||||
2008 | 122 | 914 | 82 | 4 | 15 | 4 | .996 | 79 | 50 | 29 | .367 | - | |||||
2009 | 107 | 715 | 67 | 4 | 7 | 5 | .995 | 80 | 54 | 26 | .325 | 10 | 71 | 5 | 0 | 6 | 1.000 |
2010 | 137 | 958 | 94 | 1 | 10 | 7 | .999 | 97 | 61 | 36 | .371 | 5 | 41 | 1 | 2 | 5 | .955 |
2011 | 112 | 758 | 75 | 2 | 12 | 3 | .998 | 61 | 41 | 20 | .328 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 1295 | 9580 | 765 | 49 | 107 | 64 | .995 | 782 | 509 | 273 | .349 | 48 | 379 | 20 | 5 | 25 | .988 |
- 2011年度シーズン終了時
表彰
- 日本シリーズMVP:1回 (2009年)
- オールスターゲームMVP:2回 (2007年 第2戦、2010年 第1戦)
- ベストナイン:6回 (2002年、2007年 - 2011年)
- ゴールデングラブ賞:2回 (2002年、2008年)
- 月間MVP:6回 (2004年4月、2009年9月、2010年6月、2012年6月、2012年8月、2012年9月)
- 優秀JCB・MEP賞:2回 (2004年、2005年)
- 最優秀JA全農Go・Go賞:1回 (2011年)
- JA全農Go・Go賞:2回 (最多盗塁阻止賞:2011年8月 最多二・三塁打賞:2011年9月)
- 東京ドームMVP:2回 (2005年、2011年)
- 最優秀バッテリー賞:4回 (2002年、2007年 - 2009年)
- 2002年、投手:上原浩治
- 2007年、投手:高橋尚成
- 2008年、投手:セス・グライシンガー
- 2009年、投手:ディッキー・ゴンザレス
- 日韓クラブチャンピオンシップMVP:1回 (2009年)
- セ・パ交流戦優秀選手賞(日本生命賞):1回 (2010年)
- 月間サヨナラ賞:1回 (2012年8月)
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2001年3月30日、対阪神タイガース1回戦(東京ドーム)、8番・捕手として先発出場、5打数2安打4打点
- 初打席・初安打・初打点:同上、2回裏に星野伸之から右中間へ2点適時二塁打
- 初盗塁:2001年4月11日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、9回表に二盗(投手:井本直樹、捕手:鈴木郁洋)
- 初本塁打:2001年4月13日、対横浜ベイスターズ1回戦(東京ドーム)、5回裏に河原隆一から右中間へ先制ソロ
- 初死球:2001年4月15日、対横浜ベイスターズ3回戦(東京ドーム)、4回裏にシェーン・バワーズから
- 節目の記録
- 100本塁打:2005年8月10日、対横浜ベイスターズ14回戦(東京ドーム)、4回裏に三浦大輔から右越ソロ ※史上241人目
- 150本塁打:2008年5月3日、対東京ヤクルトスワローズ7回戦(明治神宮野球場)、9回表に五十嵐亮太から右越3ラン ※史上146人目
- 1000試合出場:2009年5月4日、対阪神タイガース6回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手として先発出場 ※史上430人目
- 1000本安打:2009年6月8日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(東京ドーム)、6回裏に井坂亮平から左前安打 ※史上253人目
- 200本塁打:2009年9月18日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、7回表に加藤幹典から中越3ラン ※史上95人目
- 250本塁打:2011年5月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、7回表に永井怜から右越ソロ ※史上55人目
- 100死球:2012年6月30日、対中日ドラゴンズ8回戦(東京ドーム)、3回裏に小笠原孝から ※史上18人目
- その他の記録
背番号
- 10 (2001年 - )
登場曲
- セプテンバー(アース・ウィンド・アンド・ファイアー、2002年 - 2003年、2007年 - )
- ファンや応援団が歌詞に合わせて「ホームラン、阿部 慎之助」とコールすることがある。
- ビジター戦での打席入場の際にも、応援団がトランペットで演奏するケースがある。この場合でも、上記のコールが起きる場合もある。
- サマータイム!!(MINMI、2010年、一部打席のみ)
関連情報
出演番組
- 中井正広のブラックバラエティ(日本テレビ) 当番組のレギュラー出演者達との「野球対決」では、本職の「捕手」ではなく、「投手」として、出場した。
関係文献
- 『巨人軍5000勝の記憶』 読売新聞社、ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。p.88 月間16本塁打記録について。「リードと打撃の両立」、入団当時投手陣の信頼を得ることに苦労したこと等
脚注
- ^ 日刊スポーツ[1] 2010年11月19日閲覧
- ^ 捕手・阿部慎之助に見るリードとバッティング。Number 2004年5月6日
- ^ 阿部慎之助 “無”への一歩は胴上げから。P1Number 2007年8月23日
- ^ 「捕手なのに打てる!」のではない。“バットマン”阿部慎之助を巡る物語。Number 2009年11月18日
- ^ 阿部慎之助 “無”への一歩は胴上げから。P4Number 2007年8月23日
- ^ 日本代表選手成績全日本野球会議
- ^ 阿部優勝打も右肩負傷退場でCS絶望nikkansports.com 2008年10月11日
- ^ 2010年6月20日付日刊スポーツ データセンター
- ^ 【巨人】阿部、右ふくらはぎ負傷で病院へ 2011年4月5日、日刊スポーツ
- ^ 【巨人】今季初出場の阿部が土壇場初安打 2011年5月17日、日刊スポーツ
- ^ 【巨人】阿部が連続無失策セ新→直後終了 2011年9月29日、日刊スポーツ
- ^ a b 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、342頁頁。ISBN 978-4-331-51519-8。
- ^ 不沈艦・巨人を支える阿部と坂本。先発陣がイマイチでも打線は好調!!Number 2010年6月28日
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2009』アスペクト、2009年、266-267頁頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。
- ^ 『プロ野球選手100人が選ぶ! 現役最強ベストナイン』宝島社、2011年、40-43頁頁。ISBN 978-4-7966-8666-2。
- ^ Baseball Lab守備評価~CatcherSMR Baseball Lab
- ^ 2009年11月8日放送のメガスポ!にて
- ^ 「捕手なのに打てる!」のではない。“バットマン”阿部慎之助を巡る物語。Number 2009年11月18日
- ^ 江川卓、掛布雅之『巨人‐阪神論』角川書店、2010年。ISBN 978-4-0471-0234-7。。
- ^ 谷繁元信はテレビ番組で現役ナンバー1捕手を聞かれ阿部を挙げている。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 【阿部慎之助 (読売ジャイアンツ)】 - 日本野球機構オフィシャルサイト
- 高校野球情報.com 独占インタビュー 第39回 阿部 慎之助選手(2009.12.11.)