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'''油日神社'''(あぶらひじんじゃ)は[[滋賀県]][[甲賀市]][[甲賀町]]に鎮座する[[神社]]である。[[国史見在社]]で[[旧社格]]は[[県社]]。
'''油日神社'''(あぶらひじんじゃ)は[[滋賀県]][[甲賀市]][[甲賀町]]に鎮座する[[神社]]である。[[国史見在社]]で[[旧社格]]は[[県社]]。


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創祀年代不詳であるが、[[用明天皇]]または[[天武天皇]]の時代の創建と伝えられる。油日岳の山頂に油の火のような光とともに油日神が降臨したことから「油日」の名がついたと伝えられる。また、[[聖徳太子]]が社殿を建立し油日大明神を祀ったとの伝承もある。
創祀年代不詳であるが、[[用明天皇]]または[[天武天皇]]の時代の創建と伝えられる。油日岳の山頂に油の火のような光とともに油日神が降臨したことから「油日」の名がついたと伝えられる。また、[[聖徳太子]]が社殿を建立し油日大明神を祀ったとの伝承もある。


[[六国史|国史]]の初見は、『[[日本三代実録]]』の[[元慶]]元年([[877年]])123日条に「近江国の正六位上、油日神に従五位下(の[[神階]])を授く」という記述である。『[[延喜式神名帳]]』に記載される「[[甲賀郡]] 川枯神社二座」と見る説もあるが<ref>『近江名跡案内記』</ref>、従いがたい<ref>宇野「川枯神社」。「川枯神」は同じ『日本三代実録』の[[貞観 (日本)|貞観]]3年([[861年]])48日条に「近江国の従五位下、川枯神に正五位下を授く」という記述があり、元慶元年時点で既に正五位下なので合わない。</ref>。
[[六国史|国史]]の初見は、『[[日本三代実録]]』の[[元慶]]元年[[12月3日 (旧暦)|12月3日]]([[878年]][[19]])条に「近江国の正六位上、油日神に従五位下(の[[神階]])を授く」という記述である。『[[延喜式神名帳]]』に記載される「[[甲賀郡]] 川枯神社二座」と見る説もあるが<ref>『近江名跡案内記』</ref>、従いがたい<ref>宇野「川枯神社」。「川枯神」は同じ『日本三代実録』の[[貞観 (日本)|貞観]]3年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]([[861年]][[521]])条に「近江国の従五位下、川枯神に正五位下を授く」という記述があり、[[元慶]]元年([[877年]])時点で既に正五位下なので合わない。</ref>。


本殿には「正一位油日大明神」と記した[[明応]]2年([[1493年]])の棟札があり、建立年代が判明する。甲賀地域随一の名社であり、中世には「甲賀の[[総社]]」とされていた。[[明治]]39年([[1906年]])7月に県社に列格し、明治44年、村内の10社を境内社として[[神社合祀|合祀]]した。
本殿には「正一位油日大明神」と記した[[明応]]2年([[1493年]])の棟札があり、建立年代が判明する。甲賀地域随一の名社であり、中世には「甲賀の[[総社]]」とされていた。[[明治]]39年([[1906年]])7月に県社に列格し、明治44年([[1911年]])、村内の10社を境内社として[[神社合祀|合祀]]した。


==祭事==
==祭事==
* 例祭 ([[油日まつり]])[[5月1日]]
* 例祭([[油日まつり]])[[5月1日]]
 太鼓踊りは国の選択無形民俗文化財、[[奴振り]]は県選択無形民俗文化財
: 太鼓踊りは国の選択無形民俗文化財、[[奴振り]]は県選択無形民俗文化財
* み生れまつり
* み生れまつり


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==文化財==
==文化財==
=== 重要文化財(国指定) ===
=== 重要文化財(国指定) ===
*本殿(附:棟札15枚) - [[明応]]2年(1493年)建立。[[流造|三間社流造]]、[[檜皮葺]]。
* 本殿(附棟札15枚) - [[明応]]2年([[1493]])建立。[[流造|三間社流造]]、[[檜皮葺]]。
*拝殿 - [[桃山時代]]建立。[[入母屋造]]妻入、檜皮葺。
* 拝殿 - [[桃山時代]]建立。[[入母屋造]]妻入、檜皮葺。
*楼門(附:棟札3枚) - [[永禄]]9年([[1566年]])建立。入母屋造、檜皮葺。
* 楼門(附棟札3枚) - [[永禄]]9年([[1566年]])建立。入母屋造、檜皮葺。
*廻廊2棟 - [[永禄]]9年建立。檜皮葺。
* 廻廊2棟 - 永禄9年(1566年)建立。檜皮葺。

=== 選択無形民俗文化財(国選択) ===
=== 選択無形民俗文化財(国選択) ===
*油日の太鼓踊り
* 油日の太鼓踊り

=== 県指定文化財 ===
=== 県指定文化財 ===
*福太夫神面 1面 附:ずずい子1躯
* 福太夫神面 1面 附ずずい子1躯

=== 県選択無形民俗文化財 ===
=== 県選択無形民俗文化財 ===
*[[奴振り]]
* [[奴振り]]

== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*宇野茂樹「川枯神社」(『式内社調査報告』第12巻東山道1、[[皇學館大學|皇學館大學出版部]]、昭和56年刊所収)
* 宇野茂樹「川枯神社」(『式内社調査報告』第12巻東山道1、[[皇學館大學|皇學館大學出版部]]、[[昭和]]56年([[1981年]])刊所収)

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*[http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=602 油日神社](滋賀県神社庁)
* [http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=602 油日神社](滋賀県神社庁)


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[[Category:滋賀県の神社]]
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2012年10月11日 (木) 11:47時点における版

油日神社

油日神社 楼門
所在地 滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
位置 北緯34度53分13.3秒 東経136度14分59.0秒 / 北緯34.887028度 東経136.249722度 / 34.887028; 136.249722
主祭神 油日大神
社格 国史見在社、旧県社
創建 伝用明天皇朝(または天武天皇朝)
本殿の様式 三間社流造檜皮葺
例祭 5月1日
主な神事 太鼓踊(5月1日)
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油日神社(あぶらひじんじゃ)は滋賀県甲賀市甲賀町に鎮座する神社である。国史見在社旧社格県社

祭神

油日大神(あぶらひのおおかみ)を主祭神とし、東相殿に罔象女神、西相殿に猿田彦神を祀る。油日大神は勝軍神として武士の崇敬を受け、社名から油の火の神としても信仰された。油日岳神体山とし、山頂には罔象女神を祀る岳神社がある。

神紋は木瓜に二ッ引。

歴史

創祀年代不詳であるが、用明天皇または天武天皇の時代の創建と伝えられる。油日岳の山頂に油の火のような光とともに油日神が降臨したことから「油日」の名がついたと伝えられる。また、聖徳太子が社殿を建立し油日大明神を祀ったとの伝承もある。

国史の初見は、『日本三代実録』の元慶元年12月3日878年1月9日)条に「近江国の正六位上、油日神に従五位下(の神階)を授く」という記述である。『延喜式神名帳』に記載される「甲賀郡 川枯神社二座」と見る説もあるが[1]、従いがたい[2]

本殿には「正一位油日大明神」と記した明応2年(1493年)の棟札があり、建立年代が判明する。甲賀地域随一の名社であり、中世には「甲賀の総社」とされていた。明治39年(1906年)7月に県社に列格し、明治44年(1911年)、村内の10社を境内社として合祀した。

祭事

太鼓踊りは国の選択無形民俗文化財、奴振りは県選択無形民俗文化財
  • み生れまつり

境内外社

  • 境内社
    • 八幡神社
    • 神明神社
    • 日吉神社
    • 春日神社
    • 金比羅神社
    • 櫻神社
    • 常松神社
    • 祖霊社
  • 境外社
    • 岳神社
    • 白鬚神社

文化財

重要文化財(国指定)

選択無形民俗文化財(国選択)

  • 油日の太鼓踊り

県指定文化財

  • 福太夫神面 1面 附:ずずい子1躯

県選択無形民俗文化財

参考文献

脚注

  1. ^ 『近江名跡案内記』
  2. ^ 宇野「川枯神社」。「川枯神」は同じ『日本三代実録』の貞観3年4月8日861年5月21日)条に「近江国の従五位下、川枯神に正五位下を授く」という記述があり、元慶元年(877年)時点で既に正五位下なので合わない。

外部リンク