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「大村航空基地」の版間の差分

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[[File:Omura Air Base Aerial Photograph.jpg|thumb|220px|大村航空基地付近の空中写真。<small>(1974年撮影)</small><br/>{{国土航空写真}}]]


'''大村航空基地'''(おおむらこうくうきち、JMSDF Omura Air Base)は、[[長崎県]][[大村市]]に所在する[[長崎空港]]のうち、陸上部分にあたる「'''長崎空港A滑走路地区'''」の一般的な名称。所在地は長崎県大村市今津町10。
'''大村航空基地'''(おおむらこうくうきち、JMSDF Omura Air Base)は、[[長崎県]][[大村市]]に所在する[[長崎空港]]のうち、陸上部分にあたる「'''長崎空港A滑走路地区'''」の一般的な名称。所在地は長崎県大村市今津町10。

2012年10月29日 (月) 07:48時点における版

長崎空港A滑走路地区
大村航空基地
IATA: NGSICAO: RJFU
概要
空港種別軍民共用
A滑走路は主に軍用
所有/運営者国土交通省
自衛隊機地上管制のみ
海上自衛隊が実施
所在地長崎県大村市今津町
建設1923年
所在部隊第22航空群
長崎県警航空隊
長崎県防災航空隊
標高15 ft / 5 m
座標北緯32度55分47.65秒 東経129度55分56.89秒 / 北緯32.9299028度 東経129.9324694度 / 32.9299028; 129.9324694
滑走路
方向 全長 表面
ft m
18/36 1,200×30
(A滑走路)
舗装
大村航空基地付近の空中写真。(1974年撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

大村航空基地(おおむらこうくうきち、JMSDF Omura Air Base)は、長崎県大村市に所在する長崎空港のうち、陸上部分にあたる「長崎空港A滑走路地区」の一般的な名称。所在地は長崎県大村市今津町10。

海上自衛隊飛行場として使われているほか、軽飛行機の離着陸にも使用されている。戦前からの歴史ある飛行場であり、戦前からの建造物が残っている。現在は、第22航空群の航空基地となっている。

かつては大村空港と呼ばれていたが、1975年(昭和50年)の海上滑走路の完成により、名称が「長崎空港A滑走路地区」に変更となった。 長崎空港の一部であり、滑走路および東側駐機場は国土交通省の管轄で、航空管制も国土交通省が行っている。海上自衛隊は西側駐機場を使用し、自隊の航空機に対して地上走行のみの管制を行っている。

軍民共用と国土交通省管轄の間で騒音問題の対策が進まないことが問題となっている[1]

概要

大村航空基地は、館山航空基地千葉県)とともに、護衛艦艦載ヘリコプター部隊の基地となっており、SH-60J/SH-60K哨戒ヘリコプターが配備され、UH-60J救難ヘリコプターも配備されている。

1992年平成4年)からは、日米地位協定に基づき、佐世保基地を母港とするアメリカ海軍強襲揚陸艦ベロー・ウッド」~「エセックス」艦載ヘリの格納・整備のために、大村航空基地の一部施設が提供されている。

また、長崎空港B滑走路地区の沖合部分に、US-1/US-2飛行艇の離着水用の水域(シードローム)が設定されている。

歴史

大正

昭和(戦前)

  • 1941年(昭和16年) - 当時、東洋一の規模を誇った、第21海軍航空廠が完成する。
    • 広大な土地に、航空機・エンジンの製造工場、補修工場、武器弾薬の補給廠が揃っていた。
  • 1945年(昭和20年) - 特別攻撃隊の出撃基地となった。

昭和(戦後)

  • 1955年(昭和30年) - 大村航空隊の準備部隊が鹿屋航空基地鹿児島県)内に鹿屋第2航空隊として発足。「大村空港」が開港。
  • 1957年(昭和32年) - 大村航空基地への移駐が完了し、佐世保地方隊大村航空隊が本格始動。
  • 1975年(昭和50年) - 大村湾に浮かぶ箕島を造成し、世界初の海上空港長崎空港が開港。
    • 海上(箕島)側が「長崎空港B滑走路地区」に、陸上側が「長崎空港A滑走路地区」になる。
  • 1981年(昭和56年) - 第122航空隊が、八八艦隊の佐世保基地への配備に関連して、大村航空基地で新編。
  • 1987年(昭和62年)
    • 館山航空基地の第21航空群から分離して、第22航空群が新編。
    • 12月 - 第122航空隊が佐世保基地の第2護衛隊群のヘリコプター部隊となり、第123航空隊が舞鶴基地(京都府)の第3護衛群のヘリコプター部隊として新編。

平成

  • 1998年(平成10年) - 舞鶴航空基地の設置に伴い、第123航空隊が第124航空隊と名称変更し、呉基地第4護衛隊群のヘリコプター部隊に改組。
  • 2008年(平成20年)3月26日 - 隷下部隊の再編。
    • 「第122航空隊」、「第124航空隊」、佐世保地方隊隷下の「大村航空隊」を統合し「第22航空隊」に再編。
    • 呉地方隊「小松島航空隊」を第22航空群隷下に編入し「第24航空隊」に改編。
    • 小月救難飛行隊に所属していたUH-60J救難ヘリコプターが移動し、救難を主体任務とする「第72航空隊」を新編。
  • 2011年(平成23年)10月 - 旧大村空港ターミナルビルの解体に着手。年内に長崎空港A滑走路が国土交通省から防衛省に移管される。[2]

配置部隊

(佐世保システム通信隊)

  • 大村システム通信分遣隊

(佐世保地方警務隊)

  • 大村警務分遣隊

その他

航空管制

HOMER 236.8MHz,247.0MHz,284.4MHz
302.2MHz,319.0MHz,325.4MHz
SEADROME 123.1MHz,138.3MHz,228.2MHz

航空保安無線施設

局名 種類 周波数 識別信号
大村 NDB 342.5KHz JB

航空祭(開隊記念行事)

毎年5月に開催される。 2009年は5月17日に開催済。

脚注

  1. ^ 長崎新聞「長崎空港A滑走路を防衛省に移管 防音工事にめど、2010(平成22)年度以降にも」2009年(平成21年)5月29日
  2. ^ 「旧大村空港ビルの解体工事始まる A滑走路は防衛省に移管へ」- 長崎新聞 2011年(平成23年)10月20日

関連項目

外部リンク