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:4月12日の対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦([[宇部市野球場]])で6番・中堅手で自身初の開幕スタメンに名を連ね、[[押本健彦]]から3点本塁打を含む5打数3安打5打点の活躍を見せる。その後も安定した成績を残し、7月14日の対[[阪神タイガース|阪神]]戦では、前日の死球の影響でスタメンを外れた[[アレックス・ラミレス|ラミレス]]に代わり、[[読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧|巨人の第75代4番打者]]として先発出場を果たす。その試合でタイムリーを打つなど4番に入ってからも好調をキープし続け、ラミレスの復帰後も4番に入る試合もあった。そして、シーズン終盤にかけては、阪神・[[マット・マートン|マートン]]と熾烈な首位打者争いを展開。最終戦である10月22日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]戦では、1点ビハインドの9回裏無死満塁の場面で[[山口俊]]からプロ野球史上8人目となる代打逆転サヨナラ満塁本塁打を記録し、[[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]を確定させた(巨人の入団2年目での首位打者獲得は、{{by|1959年}}の[[長嶋茂雄]]以来、52年ぶり3人目)。このサヨナラホームランで[[スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞|サヨナラ賞]]を受賞、またセ・リーグ通算1000本目の満塁本塁打となった。この年は統一球導入の影響により多くの選手が打率低下に苦しんだが、打率.316、17本塁打、OPS.847と好成績を収めた。また、自身初となる[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]と[[ゴールデングラブ賞]]を受賞した。 |
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:開幕戦は3番でスタートしたが、シーズン序盤に坂本と打順を交代し1番に抜擢された。春先から安定した活躍を見せ、7月にやや調子を落とすものの8月には復調し、最終的に2年連続となる打率3割を記録。また、20盗塁(リーグ2位)・出塁率.382(リーグ2位)、そして同僚の |
:開幕戦は3番でスタートしたが、シーズン序盤に坂本と打順を交代し1番に抜擢された。春先から安定した活躍を見せ、7月にやや調子を落とすものの8月には復調し、最終的に2年連続となる打率3割を記録。また、20盗塁(リーグ2位)・出塁率.382(リーグ2位)、そして同僚の坂本勇人と並びセ・リーグ最多安打となる173安打を放ち、1番打者としての役割を存分に果たす活躍を見せた。この[[最多安打]]により、入団以来3年連続でタイトルを獲得。日本シリーズでは一戦目は5打数2安打、二戦目では一回裏に[[武田勝]]から初回先頭打者本塁打を打ち、4回表には[[小谷野栄一|小谷野]]のセンター前の安打性のあたりを好返球で返し、一塁ランナーの[[稲葉篤紀|稲葉]]を二塁で刺してセンターゴロにし、無死一・二塁となるところを1死一塁にしチームの勝利に守備でも貢献した。六戦目では、2回裏にまたも武田勝から本塁打を打ち日本一に貢献した。 |
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== 選手としての特徴 == |
== 選手としての特徴 == |
2012年11月4日 (日) 01:10時点における版
読売ジャイアンツ #7 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 佐賀県三養基郡基山町 |
生年月日 | 1984年12月6日(39歳) |
身長 体重 |
180 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト1位 |
初出場 | 2010年3月26日 |
年俸 | 9,500万円(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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長野 久義(ちょうの ひさよし、1984年12月6日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(外野手)。
経歴
小学校から高校時代まで
佐賀県三養基郡基山町出身。佐賀県基山町立基山小学校1年生の時に地元の少年軟式野球チーム「基山バッファローズ」に入部。6年生時に主将を務める。基山中学校時代は九州硬式少年野球協会フレッシュリーグ所属の「筑紫野ドリームズ」に在籍。筑陽学園高等学校へ入学し、2002年の春季九州地区高校野球大会ベスト4進出。
日本大学時代
プロの誘いはあったが、日本大学生産工学部マネジメント工学科へ進学、硬式野球部(東都大学野球連盟加盟)へ所属。2年生までは三塁手だったが、打撃力を生かすため、3年生となる2005年の東都大学野球春季1部リーグ戦から中堅手に転向。また、長野は外のスライダーを振る癖があったため、野球部の後輩にアドバイスを受けて、あえてホームベースから離れることになる。離れることにより、バットが届く球ならストライク、届かないならボールと見極めることで、弱点を克服した。
4年生となった2006年に急成長し、春季は12試合出場、打率.489(47打数23安打)、主将を務めた秋季は13試合出場、打率.404(52打数21安打)で1995年秋・1996年春の高須洋介(青山学院大学)以来となる2季連続首位打者となり、ベストナインにも満票選出された。強肩・俊足を兼ね備え、プロの注目を浴びることとなった。同年秋の日米大学野球選手権、IBAFインターコンチネンタルカップ、2006年アジア競技大会に日本代表として出場。東都大学リーグ通算87試合出場、290打数85安打、打率.293、10本塁打、40打点。
同年秋のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから4巡目指名を受けたが、巨人への入団を熱望していたことから入団を拒否。
大学は、4年間通うも単位が足りずに中退。
Honda時代
2007年に本田技研工業へ入社。同社のノンプロチームHonda硬式野球部へ入部した。Hondaでは第62回JABA東京スポニチ大会で社会人デビュー。主に3番・右翼手としてチームのベスト4入りに貢献し、同大会で新人賞。また4月の第55回JABA静岡大会では準決勝で先制本塁打を放つ活躍が認められ、大会最優秀選手に選出された。
2008年、ドラフト会議で巨人以外に指名された場合はプロ入りせず会社に残留する意志を固めていた[1]が、巨人以外でも入団するとの情報を得ていた千葉ロッテマリーンズが2巡目で“強行”指名[2]。当日のボビー・バレンタインとの面会を拒否し[3][4]、11月25日の入団交渉後、12月3日に入団拒否を明らかにした。翌日にロッテ球団側に直接入団拒否を申し入れ、球団側も了承。Honda残留が決定し、2009年のドラフトで巨人の指名を待つこととなった。
2009年2月5日、巨人は長野にドラフト1位指名する方針を公表した。Hondaでは第80回都市対抗野球大会で打率.579(19打数11安打)の活躍で首位打者を獲得。チームを13年ぶりの優勝に導いた。10月29日のドラフト会議では巨人から確約通り単独1位で指名を受けた。ドラフト指名を2回拒否して3回目の指名を受けたのは、巨人の先輩に当たる岡本光(1982年に3回目の指名)以来となった。直後、原辰徳と対面し二岡智宏の移籍で空き番となっていた背番号7のユニフォームを手渡された。11月23日、契約金1億円、出来高払い5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)で契約合意[5]。同日、東京ドームで行われた「ジャイアンツファンフェスタ」で入団発表を行った。
巨人時代
- 2010年
- 新人合同自主トレでは、柔軟性・持久力には課題を残す[6]ものの、マシン打撃で鋭い打球、外野守備練習で快足を披露し首脳陣から信頼を得る。オープン戦でも結果を残し、同期新人の土本恭平、市川友也と共に開幕一軍の切符を手にした。9月17日、不振からプロ入り初の2軍降格を経験するも、シーズン終盤には坂本勇人の不振で1番での先発出場を経験するなど、4番・5番を除く全打順での先発出場を経験し、最終的に1年目にして規定打席に到達、打率.288、19本塁打をマークした。19本塁打は高橋由伸と並び、巨人の新人では3位の記録。これにより2010年の新人王を獲得した[7]。巨人からは前々年の山口鉄也、前年の松本哲也に続き、3年連続の新人王誕生となった。
- 2011年
- 4月12日の対ヤクルト戦(宇部市野球場)で6番・中堅手で自身初の開幕スタメンに名を連ね、押本健彦から3点本塁打を含む5打数3安打5打点の活躍を見せる。その後も安定した成績を残し、7月14日の対阪神戦では、前日の死球の影響でスタメンを外れたラミレスに代わり、巨人の第75代4番打者として先発出場を果たす。その試合でタイムリーを打つなど4番に入ってからも好調をキープし続け、ラミレスの復帰後も4番に入る試合もあった。そして、シーズン終盤にかけては、阪神・マートンと熾烈な首位打者争いを展開。最終戦である10月22日の対横浜戦では、1点ビハインドの9回裏無死満塁の場面で山口俊からプロ野球史上8人目となる代打逆転サヨナラ満塁本塁打を記録し、首位打者を確定させた(巨人の入団2年目での首位打者獲得は、1959年の長嶋茂雄以来、52年ぶり3人目)。このサヨナラホームランでサヨナラ賞を受賞、またセ・リーグ通算1000本目の満塁本塁打となった。この年は統一球導入の影響により多くの選手が打率低下に苦しんだが、打率.316、17本塁打、OPS.847と好成績を収めた。また、自身初となるベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。
- 2012年
- 開幕戦は3番でスタートしたが、シーズン序盤に坂本と打順を交代し1番に抜擢された。春先から安定した活躍を見せ、7月にやや調子を落とすものの8月には復調し、最終的に2年連続となる打率3割を記録。また、20盗塁(リーグ2位)・出塁率.382(リーグ2位)、そして同僚の坂本勇人と並びセ・リーグ最多安打となる173安打を放ち、1番打者としての役割を存分に果たす活躍を見せた。この最多安打により、入団以来3年連続でタイトルを獲得。日本シリーズでは一戦目は5打数2安打、二戦目では一回裏に武田勝から初回先頭打者本塁打を打ち、4回表には小谷野のセンター前の安打性のあたりを好返球で返し、一塁ランナーの稲葉を二塁で刺してセンターゴロにし、無死一・二塁となるところを1死一塁にしチームの勝利に守備でも貢献した。六戦目では、2回裏にまたも武田勝から本塁打を打ち日本一に貢献した。
選手としての特徴
打撃
打席ではホームベースから離れて構えるようになったのは、外角のスライダーに難があったのでHONDA時代にコーチの助言で離れて立つようになった。[8]、内角のボールは鋭く踏み込んで左方向に、外角は右方向にさばく広角打法を持ち味とする[9]。2011年までの通算の対左打率.275に対し対右打率.317と右打者ながら右投手に強く、特別苦手とする球種もない[10]。 稲葉篤紀は長野の右方向への流し打ちを絶賛している[要出典]。
守備・走塁
50メートル5.8秒、一塁到達3.97秒の俊足を誇る[11]。守備では2010年には右翼手と中堅手として起用され、遠投120メートルの強肩を誇るが[12]、右翼手ではUZR-4.9を喫し[13]、リーグの外野手中最多失策も記録するなど不安定な面も見られる。翌2011年は中堅手での起用が主となったが、2012年は右翼手としての構想である。しかし、中堅手のレギュラー候補であった松本哲也や大田泰示の不振から2012年も中堅手での出場が主となっている。
その他
動体視力が良く、ルーキー時代の身体能力測定の「深視力」測定では「一流アスリートが100人やっても1回出るか出ないか」と言われている「誤差ゼロ」を2回計測した[14]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | 巨人 | 128 | 459 | 430 | 66 | 124 | 24 | 3 | 19 | 211 | 52 | 12 | 4 | 2 | 0 | 25 | 4 | 2 | 72 | 10 | .288 | .330 | .491 | .821 |
2011 | 140 | 578 | 519 | 58 | 164 | 20 | 4 | 17 | 243 | 69 | 19 | 8 | 3 | 2 | 48 | 5 | 6 | 85 | 11 | .316 | .379 | .468 | .847 | |
2012 | 144 | 653 | 574 | 84 | 173 | 29 | 2 | 14 | 248 | 60 | 20 | 7 | 2 | 1 | 75 | 5 | 1 | 100 | 5 | .301 | .382 | .432 | .815 | |
通算:3年 | 412 | 1690 | 1523 | 208 | 461 | 73 | 9 | 50 | 702 | 181 | 51 | 19 | 7 | 3 | 148 | 14 | 9 | 257 | 26 | .303 | .367 | .460 | .827 |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
年 度 |
外野 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2010 | 121 | 211 | 3 | 5 | 0 | .977 |
2011 | 139 | 262 | 6 | 3 | 1 | .989 |
2012 | 143 | 221 | 9 | 2 | 2 | .991 |
通算 | 403 | 694 | 18 | 10 | 3 | .986 |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
表彰
- 新人王 (2010年)
- ベストナイン:1回 (2011年)
- ゴールデングラブ賞:1回 (2011年)
- 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (2012年)
- 日本シリーズ特別賞 - パワフルプロ野球賞:1回(2012年)
- 日本プロスポーツ大賞最高新人賞 (2010年)
- 報知プロスポーツ大賞フレッシュ賞 (2010年)
- 東京ドームMVP特別賞:1回 (2010年)
- サヨナラ賞(2011年)
記録
- 初記録
- 初出場:2010年3月26日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(東京ドーム)、9回表にアレックス・ラミレスに代わり左翼手として出場
- 初安打:2010年3月27日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(東京ドーム)、9回裏に李恵践から中前安打
- 初先発出場:2010年3月28日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(東京ドーム)、2番・中堅手として先発出場
- 初盗塁:2010年3月31日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、9回表に二盗(投手:牛田成樹、捕手:橋本将)
- 初打点:2010年4月1日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、8回表に加藤康介から左翼線へ適時二塁打
- 初本塁打:2010年4月4日、対広島東洋カープ3回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表に小松剛から左越2ラン
- その他の記録
背番号
- 7 (2010年 - )
登場曲
- Hate That I Love You(K-Klassic Remix Feat.Ne-Yo)/RIHANNA(2010年前半のみ)
- Just Stand Up!/MARIAH,BEYONCE,MARY J.BLIGE,RIHANNA,FERGIE,SHERYL CROW,MELISSA ETHERIDGE,NATASHA BEDINGFIELD,MILEY CYRUS,LEONA LEWIS,CARRIE UNDERWOOD,KEYSHIA COLE,LEANN RIMES,ASHANTI,CIARA(2010年~現在まで)
- Crash ~戦慄~/Royal Hunt。プロレスラー・蝶野正洋のテーマ曲(自身にちなんだプレーヤーズ・デーということで、苗字の読みが同じ蝶野正洋が観戦に訪れた2010年6月18日の対中日戦の第2打席のみの限定使用だったが、同年後半から前述の「Hate That I Love You」に代えて公式に採用された)
- Hey Baby/Ashanti(2011年開幕~7月上旬)
- Ride on time/MAX(2011年5月中のみ)
- Hips Don't Lie/Shakira feat. Wyclef Jean(2011年7月上旬~終了まで)
- Run The World(Girls)/Beyonce(2011年7月中のみ)
- All Dressed In Love/Jennifer Hudson(2011年7月下旬~現在まで)
- Papi/Jennifer Lopez(2012年5月~現在まで)
- July 1st/浜崎あゆみ(2012年7月1日のみ。曲名と試合日に合わせて、この日のみ限定で使用された)
日本代表キャリア
- 第35回日米大学野球選手権日本代表(2006年)
- 第3回世界大学野球選手権日本代表(2006年)
- 第16回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表(2006年)
- 第15回アジア競技大会野球日本代表(2006年)、プロオールスターを揃えた韓国相手にサヨナラ本塁打を放って銀メダル獲得に貢献
- 第37回IBAFワールドカップ日本代表(2007年)
- 第25回アジア野球選手権大会日本代表(2009年)
- 第38回IBAFワールドカップ日本代表(2009年)
- 侍ジャパン 東日本大震災復興支援ベースボールマッチ(2012年)
著書
- 『長野久義メッセージBOOK 信じる力』(廣済堂出版:2012年5月)
脚注
- ^ ““3浪”覚悟!長野 巨人以外に指名なら残留”. スポーツニッポン. (2008年9月9日)
- ^ “ロッテ2位強行指名、長野の口説きにボビー“笑算””. 夕刊フジ. (2008年10月31日) 2011年5月13日閲覧。
- ^ “G熱望長野がボビーと対面拒否”. 日刊スポーツ. (2008年10月31日) 2011年4月12日閲覧。
- ^ 「巨人熱望の長野 バレンタイン対面拒否」デイリースポーツ2008年10月31日付。
- ^ 【巨人】長野がファンに「7」お披露目 - nikkansports.com
- ^ 秘密兵器で硬い長野を柔らかく!
- ^ プロ野球MVP、パ最多勝・和田と中日の和田 朝日新聞 2010年11月18日閲覧
- ^ 長野久義は「前」に出られるのか? ~清原も陥った内角の罠~Number Web、2010年3月25日
- ^ 巨人・長野、中日・伊藤……、各球団の新人王候補を斬る!Number Web、2011年3月13日
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、115頁頁。ISBN 978-4-86191-710-3。
- ^ 右打ちの革命者『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、178-181頁。
- ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、345頁頁。ISBN 978-4-331-51519-8。
- ^ Baseball Lab守備評価~Right FielderSMR Baseball Lab
- ^ ““奇跡の目”を持つ長野をWBCへ!”. 東スポWeb (東京スポーツ新聞社). (2012年10月15日) 2012年10月26日閲覧。
関連項目
- 佐賀県出身の人物一覧
- 日本大学の人物一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧
- 岡田幸文 - 日大野球部時代の同期