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「斐伊川」の版間の差分

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[[File:Mt.Sentsuzan.jpg|thumb|right|200px|斐伊川上流と船通山 [[奥出雲町]]]]
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'''斐伊川'''(ひいかわ)は、[[島根県]]東部および[[鳥取県]]西部を流れる[[一級水系]]斐伊川の[[川|本流]]。[[古事記]]にも肥河(ひのかわ)として記述が見られる。日本における代表的な[[天井川]]として知られる。
'''斐伊川'''(ひいかわ)は、[[島根県]]東部および[[鳥取県]]西部を流れる[[一級水系]]斐伊川の[[川|本流]]。[[古事記]]にも肥河ひのかわとして記述が見られる。日本における代表的な[[天井川]]として知られる。


== 地理 ==
== 地理 ==
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洪水の原因は斐伊川の上流が風化しやすい[[花崗岩]]質の地域を貫流し、そうした風化物が大量に流れ込んだからであるが、その他の原因として[[製鉄]]の存在がある。
洪水の原因は斐伊川の上流が風化しやすい[[花崗岩]]質の地域を貫流し、そうした風化物が大量に流れ込んだからであるが、その他の原因として[[製鉄]]の存在がある。


古くから山陰地方の山側では[[砂鉄]]の採取が盛んであり、斐伊川の上流もそうであった。初期の採鉄では自然に集まった砂鉄を採るだけの小規模なものであったが、江戸時代中期から[[鉄穴流し]](かんなながし)と呼ばれる手法が活発に用いられるようになった。この手法は花崗岩風化堆積物からなる土砂を段階的に樋に流し、鉄とその他の岩石の比重の違いを利用して鉄を選別する[[比重選鉱法]]である。この方法が積極的に用いられることによって、人為的な土砂の流入が爆発的に増大した。
古くから山陰地方の山側では[[砂鉄]]の採取が盛んであり、斐伊川の上流もそうであった。初期の採鉄では自然に集まった砂鉄を採るだけの小規模なものであったが、江戸時代中期から[[鉄穴流し]]かんなながしと呼ばれる手法が活発に用いられるようになった。この手法は花崗岩風化堆積物からなる土砂を段階的に樋に流し、鉄とその他の岩石の比重の違いを利用して鉄を選別する[[比重選鉱法]]である。この方法が積極的に用いられることによって、人為的な土砂の流入が爆発的に増大した。


洪水はたびたび川の流れを変え、そのつど流域の住民を苦しめた。近世になると川の流れを人工的に変えるようになり([[川違え]])、その中でも一番規模の大きい川違えは[[寛永]]12年(1635)の洪水の際に行われたものである。この工事によってそれまで神門水湖(現在の[[神西湖]])を通じて日本海にそそいでいた斐伊川を完全に東向させ[[宍道湖]]にそそぐようにした。
洪水はたびたび川の流れを変え、その都度流域の住民を苦しめた。近世になると川の流れを人工的に変えるようになり[[川違え]]、その中でも一番規模の大きい川違えは[[寛永]]12年(1635の洪水の際に行われたものである。この工事によってそれまで神門水湖現在の[[神西湖]]を通じて日本海にいでいた斐伊川を完全に東向させ[[宍道湖]]にぐようにした。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2012年11月25日 (日) 15:36時点における版

斐伊川
斐伊川 奥出雲町
水系 一級水系 斐伊川
種別 一級河川
延長 153 km
平均流量 -- m³/s
流域面積 2,070 km²
水源 船通山(島根県)
水源の標高 -- m
河口・合流先 日本海(島根県・鳥取県)
流域 島根県鳥取県
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斐伊川上流と船通山 奥出雲町

斐伊川(ひいかわ)は、島根県東部および鳥取県西部を流れる一級水系斐伊川の本流古事記にも肥河(ひのかわ)として記述が見られる。日本における代表的な天井川として知られる。

地理

島根県仁多郡奥出雲町船通山を源流とし、宍道湖大橋川中海境水道を経て、鳥取県境港市と島根県松江市の境界から日本海に注ぐ。

歴史

古くから度々洪水が起こっており、これが八岐大蛇(やまたのおろち)伝説の元になったという説もある。

洪水の原因は斐伊川の上流が風化しやすい花崗岩質の地域を貫流し、そうした風化物が大量に流れ込んだからであるが、その他の原因として製鉄の存在がある。

古くから山陰地方の山側では砂鉄の採取が盛んであり、斐伊川の上流もそうであった。初期の採鉄では自然に集まった砂鉄を採るだけの小規模なものであったが、江戸時代中期から鉄穴流し(かんなながし)と呼ばれる手法が活発に用いられるようになった。この手法は花崗岩風化堆積物からなる土砂を段階的に樋に流し、鉄とその他の岩石の比重の違いを利用して鉄を選別する比重選鉱法である。この方法が積極的に用いられることによって、人為的な土砂の流入が爆発的に増大した。

洪水はたびたび川の流れを変え、その都度流域の住民を苦しめた。近世になると川の流れを人工的に変えるようになり(川違え)、その中でも一番規模の大きい川違えは寛永12年(1635年)の洪水の際に行われたものである。この工事によって、それまで神門水湖(現在の神西湖)を通じて日本海に注いでいた斐伊川を完全に東向させ、宍道湖に注ぐようにした。

関連項目

外部リンク