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[[ファイル:B._Joubert_at_the_2010_World_Championships_(5).jpg|right|thumb|[[2010年世界フィギュアスケート選手権]]ショートプログラムのジュベール]] |
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2009-2010シーズン、コーチを再びローラン・デュプイに、振付師をアルベナ・デンコワ&マキシム・スタビスキーに変更。11月25日に右足の人差し指と中指をブレードで切る怪我をし、[[2009/2010 ISUグランプリファイナル|GPファイナル]]と[[フランスフィギュアスケート選手権|フランス選手権]]の欠場を余儀なくされた。怪我を抱えたまま3度目の出場となった[[バンクーバーオリンピックにおけるフィギュアスケート競技|バンクーバーオリンピック]]では、SPで4回転からのコンビネーションジャンプ、3回転ルッツをそれぞれミスし18位、フリーでもジャンプで精彩を欠き16位、優勝候補の一人と目されながらも<ref>[http://translate.google.co.jp/translate?js=y&prev=_t&hl=ja&ie=UTF-8&layout=1&eotf=1&u=http%3A%2F%2Fwww.sovsport.ru%2Fgazeta%2Farticle-item%2F369308&sl=ru&tl=ja]ロシア・ソヴィエツキー・スポーツ紙 [[アレクセイ・ミーシン]]による予想では本命プルシェンコ、ランビエール、ライサチェク。ジュベールは『対抗馬』2010年2月9日更新 2010年4月3日閲覧</ref><ref>[http://vancouver2010.blogs.nytimes.com/2010/02/16/plushenko-may-be-better-than-ever/]1996年世界王者[[トッド・エルドリッジ]]による優勝候補、メダル候補紹介、[[ニューヨーク・タイムズ]]、2010年2月16日更新 2010年4月1日閲覧 </ref>総合16位に終わった。この結果に対してフランス国内でバッシングが起こり、精神的にきつかったという。「自分を証明したかった」と語った[[2010年世界フィギュアスケート選手権|世界選手権]]では大会通じて3度の4回転ジャンプを成功するなどして、銅メダルを獲得、5年連続で表彰台に立った。 |
2009-2010シーズン、コーチを再びローラン・デュプイに、振付師をアルベナ・デンコワ&マキシム・スタビスキーに変更。11月25日に右足の人差し指と中指をブレードで切る怪我をして緊急手術をし、一ヶ月以上氷に乗れない時期を過ごし、[[2009/2010 ISUグランプリファイナル|GPファイナル]]と[[フランスフィギュアスケート選手権|フランス選手権]]の欠場を余儀なくされた。怪我を抱えたまま3度目の出場となった[[バンクーバーオリンピックにおけるフィギュアスケート競技|バンクーバーオリンピック]]では、SPで4回転からのコンビネーションジャンプ、3回転ルッツをそれぞれミスし18位、フリーでもジャンプで精彩を欠き16位、優勝候補の一人と目されながらも<ref>[http://translate.google.co.jp/translate?js=y&prev=_t&hl=ja&ie=UTF-8&layout=1&eotf=1&u=http%3A%2F%2Fwww.sovsport.ru%2Fgazeta%2Farticle-item%2F369308&sl=ru&tl=ja]ロシア・ソヴィエツキー・スポーツ紙 [[アレクセイ・ミーシン]]による予想では本命プルシェンコ、ランビエール、ライサチェク。ジュベールは『対抗馬』2010年2月9日更新 2010年4月3日閲覧</ref><ref>[http://vancouver2010.blogs.nytimes.com/2010/02/16/plushenko-may-be-better-than-ever/]1996年世界王者[[トッド・エルドリッジ]]による優勝候補、メダル候補紹介、[[ニューヨーク・タイムズ]]、2010年2月16日更新 2010年4月1日閲覧 </ref>総合16位に終わった。この結果に対してフランス国内でバッシングが起こり、精神的にきつかったという。「自分を証明したかった」と語った[[2010年世界フィギュアスケート選手権|世界選手権]]では大会通じて3度の4回転ジャンプを成功するなどして、銅メダルを獲得、5年連続で表彰台に立った。 |
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2010-2011シーズン、コーチを再びヴェロニク・ギヨンに戻す。中国杯は4位、エリック杯はSP終了後に胃腸炎の悪化で棄権した<ref>[http://www.rmc.fr/editorial/136640/joubert-forfait/ Joubert forfait]『RMC sport』27/11/2010</ref>。フランス国内ではこのことから引退の噂も立ったが<ref>[http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:http://www.lanouvellerepublique.fr/SPORT/Sports-de-glisse/Patinage/JOUBERT-DOIT-SE-LACHER&hl=ja JOUBERT DOIT SE LACHER] La Nouvelle Republique 16/12/2010</ref>、エリック杯の3週間後に行われた[[フランスフィギュアスケート選手権|フランス選手権]]で7度目の優勝を果たす。[[2011年ヨーロッパフィギュアスケート選手権|欧州選手権]]ではSPで3回転ルッツで転倒し7位と大きく出遅れたが、フリーで1位と挽回して2位となり、初出場以来10年連続の表彰台を死守し、[[ウルリッヒ・サルコウ]]と[[カール・シェーファー]]が持つ欧州選手権での最多メダル獲得数記録に並んだ<ref>[http://www.goldenskate.com/articles/2010/euros_ml.shtml Amodio wins European title in his debut]10年連続はシェーファーとジュベールのみ。GoldenSkate.com</ref>。[[2011年世界フィギュアスケート選手権|世界選手権]]ではSPで4回転トゥループを失敗し最終グループに入ることができなかった。FSでは4回転トゥループで2.57もの加点を得るなどして4位となったが挽回することはできず、6年連続のメダル獲得には至らなかった。 |
2010-2011シーズン、コーチを再びヴェロニク・ギヨンに戻す。中国杯は4位、エリック杯はSP終了後に胃腸炎の悪化で棄権した<ref>[http://www.rmc.fr/editorial/136640/joubert-forfait/ Joubert forfait]『RMC sport』27/11/2010</ref>。フランス国内ではこのことから引退の噂も立ったが<ref>[http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:http://www.lanouvellerepublique.fr/SPORT/Sports-de-glisse/Patinage/JOUBERT-DOIT-SE-LACHER&hl=ja JOUBERT DOIT SE LACHER] La Nouvelle Republique 16/12/2010</ref>、エリック杯の3週間後に行われた[[フランスフィギュアスケート選手権|フランス選手権]]で7度目の優勝を果たす。[[2011年ヨーロッパフィギュアスケート選手権|欧州選手権]]ではSPで3回転ルッツで転倒し7位と大きく出遅れたが、フリーで1位と挽回して2位となり、初出場以来10年連続の表彰台を死守し、[[ウルリッヒ・サルコウ]]と[[カール・シェーファー]]が持つ欧州選手権での最多メダル獲得数記録に並んだ<ref>[http://www.goldenskate.com/articles/2010/euros_ml.shtml Amodio wins European title in his debut]10年連続はシェーファーとジュベールのみ。GoldenSkate.com</ref>。[[2011年世界フィギュアスケート選手権|世界選手権]]ではSPで4回転トゥループを失敗し最終グループに入ることができなかった。FSでは4回転トゥループで2.57もの加点を得るなどして4位となったが挽回することはできず、6年連続のメダル獲得には至らなかった。 |
2012年12月17日 (月) 07:32時点における版
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![]() 2009年ヨーロッパフィギュアスケート選手権の表彰式 | |||||||||||||||||||||||||||
生誕 |
1984年9月20日(39歳) ポワティエ | ||||||||||||||||||||||||||
身長 | 179 cm[1] | ||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||
代表国 |
![]() | ||||||||||||||||||||||||||
コーチ |
アニック・デュモン ヴェロニク・ギヨン Patrick Gueppe[2] | ||||||||||||||||||||||||||
所属クラブ | クラブ・フランスF.F.S.G.[3] | ||||||||||||||||||||||||||
ISUパーソナルベストスコア | |||||||||||||||||||||||||||
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ブライアン・ジュベール(フランス語: Brian Joubert、1984年9月20日[1] - )は、フランスのフィギュアスケート選手(男子シングル)。2007年世界選手権優勝、欧州選手権優勝3回。ソルトレイクシティオリンピック、トリノオリンピック、バンクーバーオリンピックフランス代表。
人物
1984年9月20日、フランスポワチエで生まれた。生後11か月のとき、ブドウ球菌感染症で片方の腎臓を摘出[4]。 母国では2004年に1964年のアラン・カルマ以来久々の欧州チャンピオン、同年の世界選手権で銀メダリスト、そして2007年に1965年のカルマ以来のフランス人世界王者となった[5]。2002年から2011年にかけて達成した欧州選手権での10大会連続メダル獲得はカール・シェーファーと並び歴代最多記録、また獲得メダル数も歴代最多タイ記録である。
フランスのスポーツ紙『レキップ』の「フランススポーツ選手人気トップ40」に毎回ランクインしている[6][7][8][9][10]。また、多数のテレビ出演[5]及び、雑誌のグラビアページを頻繁に飾っている[4]。2004年度のミス・フランスとの交際が報じられたこともある[5][11]。ウィリアムズ症候群患者[12]のサポーターとしても知られ、チャリティ活動にも取り組んでいる[4]。
日本のテレビ番組『NHKスペシャル』「ミラクルボディー」(第3回:フィギュアスケート、NHK、2010年2月14日放送[13])にて、大都市のクラブからの誘いを断り、故郷の町ポワチエで「慣れ親しんだ場所で落ち着いて練習したいから」と練習し続けていることや、精神を落ち着かせるために趣味で熱帯魚を飼育していること、試合直前には体重が増えるのを避けるために炭水化物を摂取せずに母親の作ったカリフラワーのピューレを食べていること(ジュベール本人は「自分の功績の6割は母のおかげ」と発言している)などが紹介された。
2006年[14]と2010年[15]に本国で自伝を出版している。
技術・演技
トウループとサルコウで4回転ジャンプを跳ぶ選手で、「真のスケーターなら、ショートプログラムでも4回転を跳ばなければならない」と述べたことがあるほど4回転への思い入れは強い[16]。4回転のトウループをSPとFSの両方で跳ぶことのできる数少ない選手である。トウジャンプ(トウを突くジャンプ)を得意なものとして発言することが多かった[17]。
2006年ロシア杯のフリースケーティングにおいて、ISUジャッジングシステムのもとでは世界初となる3度の4回転ジャンプに成功[18]。
スピンを苦手としていたが、ルシンダ・ルーの指導を受けて改善を図ってきた[19][20]。ジャン=クリストフ・シモンは、ジュベールを「生まれながらの競技者」と評している[21]。
好きなスケーターとして、アレクセイ・ヤグディン、エルビス・ストイコ、カート・ブラウニングをあげている[22]。エフゲニー・プルシェンコのコーチであるアレクセイ・ミーシンに一時「ヤグディンのコピー」と揶揄されたことがあるが[11]、これについて後日ジュベールは「ヤグディンに似ていると言われるとしたら光栄だ」と語りつつ[22]、それに続けて「自分の演技を確立して、男性的で現代的な演技を極めたい」としている[22]。
経歴
4歳のときにスケートを始めた。本当はアイスホッケーがやりたかったのだが、母に「(スケートをやっていた二人の姉と)同じことをやりたい」と言ったところ、フィギュアスケート教室に入れられてしまった。しかし、ジャンプが楽しかったのでフィギュアスケートにのめり込んでいった[19][23][24]。
2001-2002シーズンのISUグランプリシリーズスケートアメリカでシニアの国際大会にデビュー。フランス選手権で3位に入ると、初めて出場した欧州選手権でいきなり3位に入り、ソルトレイクシティオリンピック出場を決めた。同大会フランス選手団の最年少選手だった[25]。
2002-2003シーズンは躍進の1年間となった。アレクセイ・ヤグディンが棄権したスケートアメリカで優勝し、初めて進出したGPファイナルでも3位に入った。欧州選手権では2位に順位を上げ、世界選手権では6位となった。2003年10月、長年師事してきたヴェロニク・ギヨンのもとを離れ、ローラン・デュプイの指導を受け始めた[24]。2003-2004シーズン、当時ほぼ無敵の強さを誇っていたエフゲニー・プルシェンコを破り、欧州選手権初優勝を果たした。世界選手権はプルシェンコに次ぐ2位となった。
2004-2005シーズン、5位に終わったGPファイナルの後、コーチをギヨンに戻した[24]。欧州選手権は2位となったが、世界選手権では一転、フリースケーティングでミスを重ねて6位に沈んでしまった。この後再びギヨンから離れてアンドレイ・ベレズィンツェフに師事する[24]。
2005-2006シーズン、一時期ギヨンについたが、結局ベレズィンツェフのもとに落ち着いた[22]。出場した試合のほとんどで表彰台に上がり続けたが、トリノオリンピックはフリースケートにおいてジャンプのミスが目立ち6位に終わった。直後のカナダで行われた世界選手権はSP・FSともにミスのない演技をみせたものの、予選との合計で2位であった。
2006-2007シーズン、コーチをジャン=クリストフ・シモンに、振付師をカート・ブラウニングに変更[20]。GPシリーズエリック・ボンパール杯、ロシア杯、GPファイナル、欧州選手権、世界選手権と、エントリーしたすべての主要国際競技会で優勝した。これは2000-2001シーズンのプルシェンコ以来のことである[16]。世界選手権のおよそひと月前に右足甲をスケート靴のブレードで突き刺す怪我をしたが、世界選手権への強い思いからわずか4日で氷上の練習を再開し、優勝をさらった。
2007-2008シーズン、GPシリーズスケートカナダで優勝したが、エリック・ボンパール杯はウイルス性疾患による体調不良で欠場した[16]。欧州選手権もまだ体調は戻りきっていなかったが[16]、3位で初出場以来7年連続の表彰台を死守した。世界選手権はSPで4回転+3回転のコンビネーションや3回転アクセルを決めスピンやステップでも良い演技だったものの、3回転ルッツの転倒と音楽ディダクションを科せられたことなどもあり[26]、6位からの出発となった。FSでは4回転ジャンプとすべての種類の3回転ジャンプを含めて大きなミスない演技を見せた。しかし、続く最終滑走者のジェフリー・バトルが総得点で上回り、ジュベールは2位となった。
2008-2009シーズン序盤は、スケート靴のブレードが合わず不調が続いた[4]が、ISUグランプリロシア杯で優勝。GPファイナルは公式練習中のひどい転倒で腰を痛めてフリーを棄権。何とか出場しようと地元の鍼師の治療を受けたのだが、かえって悪化してしまったという[27]。フランス選手権もその怪我により欠場した[28]。欧州選手権では3度目の優勝を果たし、世界選手権では3位となった。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/B._Joubert_at_the_2010_World_Championships_%285%29.jpg/220px-B._Joubert_at_the_2010_World_Championships_%285%29.jpg)
2009-2010シーズン、コーチを再びローラン・デュプイに、振付師をアルベナ・デンコワ&マキシム・スタビスキーに変更。11月25日に右足の人差し指と中指をブレードで切る怪我をして緊急手術をし、一ヶ月以上氷に乗れない時期を過ごし、GPファイナルとフランス選手権の欠場を余儀なくされた。怪我を抱えたまま3度目の出場となったバンクーバーオリンピックでは、SPで4回転からのコンビネーションジャンプ、3回転ルッツをそれぞれミスし18位、フリーでもジャンプで精彩を欠き16位、優勝候補の一人と目されながらも[29][30]総合16位に終わった。この結果に対してフランス国内でバッシングが起こり、精神的にきつかったという。「自分を証明したかった」と語った世界選手権では大会通じて3度の4回転ジャンプを成功するなどして、銅メダルを獲得、5年連続で表彰台に立った。
2010-2011シーズン、コーチを再びヴェロニク・ギヨンに戻す。中国杯は4位、エリック杯はSP終了後に胃腸炎の悪化で棄権した[31]。フランス国内ではこのことから引退の噂も立ったが[32]、エリック杯の3週間後に行われたフランス選手権で7度目の優勝を果たす。欧州選手権ではSPで3回転ルッツで転倒し7位と大きく出遅れたが、フリーで1位と挽回して2位となり、初出場以来10年連続の表彰台を死守し、ウルリッヒ・サルコウとカール・シェーファーが持つ欧州選手権での最多メダル獲得数記録に並んだ[33]。世界選手権ではSPで4回転トゥループを失敗し最終グループに入ることができなかった。FSでは4回転トゥループで2.57もの加点を得るなどして4位となったが挽回することはできず、6年連続のメダル獲得には至らなかった。
2011-2012シーズン、背中の故障の為、中国杯とエリック杯を欠場した。フランス選手権で復帰し8度目の優勝を飾った。しかし、続く欧州選手権では8位に終わり、初めて表彰台を逃した。コーチのギヨンは引退を勧めたがそれを拒否し[34]、練習試合として臨んだ国際B級試合インターナショナルチャレンジ杯で優勝。そして世界選手権では国際試合のSPで2年ぶりに80点台をマーク、FSでもスピン等のレベルを取りこぼしたもののノーミスの演技で、4位、表彰台は逃したが復活を印象付け[34]、母国の会場を沸かせた[35]。国別対抗戦でも3位となった。
2012-2013シーズン、地元ポワティエのリンク改装の為、拠点をパリに移し、INSEP(国立スポーツ体育学院)に入学。コーチもアニック・デュモンが新たに就くこととなった[36]。体調不良の為、中国杯を棄権。病明けに出場したエリック杯では4位となった。 12月のフランス選手権は流感のため、直前に棄権を決定せざるを得ず[37]、体調不安の色濃いシーズン前半となった。
主な戦績
大会/年 | 99-00 | 00-01 | 01-02 | 02-03 | 03-04 | 04-05 | 05-06 | 06-07 | 07-08 | 08-09 | 09-10 | 10-11 | 11-12 | 12-13 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
冬季オリンピック | 14 | 6 | 16 | |||||||||||
世界選手権 | 13 | 6 | 2 | 6 | 2 | 1 | 2 | 3 | 3 | 8 | 4 | |||
欧州選手権 | 3 | 2 | 1 | 2 | 3 | 1 | 3 | 1 | 3 | 2 | 8 | |||
世界国別対抗戦 | 2 | 3 | ||||||||||||
フランス選手権 | 10 | 14 | 3 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 棄権 | ||
GPファイナル | 3 | 辞退 | 5 | 辞退 | 1 | 棄権 | 辞退 | |||||||
GPエリック杯 | 5 | 4 | 2 | 2 | 1 | 4 | 4 | 棄権 | 4 | |||||
GP中国杯 | 2 | 4 | 棄権 | |||||||||||
GPNHK杯 | 4 | 1 | ||||||||||||
GPロシア杯 | 1 | 1 | ||||||||||||
GPスケートカナダ | 1 | |||||||||||||
GPスケートアメリカ | 9 | 1 | 1 | 3 | ||||||||||
チャレンジ杯 | 1 | |||||||||||||
世界Jr.選手権 | 15 | |||||||||||||
フランスJr.選手権 | 2 | 4 | ||||||||||||
JGPバルト杯 | 4 | |||||||||||||
JGPサンジェルヴェ | 4 |
詳細
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/38/Joubert_08TEBgala_by_Carmichael.jpg/220px-Joubert_08TEBgala_by_Carmichael.jpg)
2012-2013 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2012年11月16日 - 18日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 3 75.46 |
5 134.70 |
4 210.16 |
2012年11月2日 - 4日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(上海) | 7 63.27 |
- | 棄権 |
2011-2012 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2012年4月19日-22日 | 2012年世界フィギュアスケート国別対抗戦(東京) | 4 84.69 |
4 154.95 |
3 239.64 |
2012年3月26日-4月1日 | 2012年世界フィギュアスケート選手権(ニース) | 4 83.47 |
5 161.11 |
4 244.58 |
2012年3月8日-11日 | 2012年インターナショナルチャレンジ杯(ハーグ) | 2 78.79 |
1 148.49 |
1 227.28 |
2012年1月23日-30日 | 2012年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(シェフィールド) | 10 67.92 |
8 139.91 |
8 207.83 |
2011年12月16日-18日 | フランスフィギュアスケート選手権(ダンマリー=レ=リス) | 1 81.38 |
1 149.59 |
1 230.97 |
2011年11月17日-20日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | - | - | 棄権 |
2011年11月4日-6日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | - | - | 棄権 |
2010-2011 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2011年4月24日-5月1日 | 2011年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) | 9 71.29 |
4 156.38 |
8 227.67 |
2011年1月24日-30日 | 2011年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ベルン) | 7 70.44 |
1 152.57 |
2 223.01 |
2010年12月17日-18日 | 2010年フランスフィギュアスケート選手権(トゥール) | 1 77.21 |
2 154.64 |
1 231.85 |
2010年11月26日-28日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 5 66.95 |
- | 棄権 |
2010年11月5日-7日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | 2 74.80 |
5 135.49 |
4 210.29 |
2009-2010 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2010年3月24日-25日 | 2010年世界フィギュアスケート選手権(トリノ) | 3 87.70 |
4 154.04 |
3 241.74 |
2010年2月16日-25日 | 2010年冬季オリンピック(バンクーバー) | 18 68.00 |
16 132.22 |
16 200.22 |
2010年1月18日-24日 | 2010年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(タリン) | 2 88.55 |
3 147.90 |
3 236.45 |
2009年11月6日-7日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(長野) | 1 85.35 |
1 147.35 |
1 232.70 |
2009年10月16日-17日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 6 72.15 |
4 135.24 |
4 207.39 |
2008-2009 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2009年4月16日-17日 | 世界フィギュアスケート国別対抗戦2009(東京) | 1 85.39 |
3 151.70 |
2 237.09 |
2009年3月25日-30日 | 2009年世界フィギュアスケート選手権 (ロサンゼルス) | 1 84.40 |
3 151.57 |
3 235.97 |
2009年1月20日-25日 | 2009年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ヘルシンキ) | 1 86.90 |
2 145.11 |
1 232.01 |
2008年12月10日-14日 | 2008/2009 ISUグランプリファイナル(高陽) | 3 74.55 |
- | 棄権 |
2008年11月21日-23日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯 (モスクワ) | 1 86.10 |
4 144.68 |
1 230.78 |
2008年11月13日-16日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 3 73.75 |
4 147.38 |
4 221.13 |
2007-2008 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2008年3月17日-23日 | 2008年世界フィギュアスケート選手権(ヨーテボリ) | 6 77.75 |
2 153.47 |
2 231.22 |
2008年1月21日-27日 | 2008年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ザグレブ) | 2 75.25 |
4 144.20 |
3 219.45 |
2007年11月1日-4日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ケベックシティ) | 1 78.05 |
2 135.57 |
1 213.62 |
2006-2007 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2007年3月20日-25日 | 2007年世界フィギュアスケート選手権(東京) | 1 83.64 |
3 157.21 |
1 240.85 |
2007年1月22日-28日 | 2007年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ワルシャワ) | 2 75.18 |
1 151.94 |
1 227.12 |
2006年12月14日-17日 | 2006/2007 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) | 1 80.75 |
1 152.71 |
1 233.46 |
2006年11月24日-26日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | 1 77.70 |
1 160.13 |
1 237.83 |
2006年11月17日-19日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 1 77.35 |
1 153.73 |
1 231.08 |
2005-2006 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2006年3月19日-26日 | 2006年世界フィギュアスケート選手権(カルガリー) | 3 34.05 |
1 80.31 |
2 156.47 |
2 270.83 |
2006年2月10日-26日 | トリノオリンピック(トリノ) | - | 4 77.77 |
7 135.12 |
6 212.89 |
2006年1月17日-22日 | 2006年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(リヨン) | - | 2 77.85 |
3 145.10 |
3 222.95 |
2005年11月17日-20日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | - | 2 71.55 |
2 138.86 |
2 210.41 |
2005年10月20日-23日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(アトランティックシティ) | - | 4 62.88 |
2 127.40 |
3 190.28 |
2004-2005 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2005年3月14日-20日 | 2005年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) | 2 33.00 |
2 79.66 |
13 122.63 |
6 235.29 |
2005年1月25日-30日 | 2005年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(トリノ) | - | 1 76.98 |
2 147.45 |
2 224.43 |
2004年12月16日-19日 | 2004/2005 ISUグランプリファイナル(北京) | - | 4 67.30 |
4 126.34 |
5 193.64 |
2004年11月18日-21日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | - | 4 64.04 |
1 135.00 |
2 199.04 |
2004年10月21日-24日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ピッツバーグ) | - | 1 72.10 |
2 121.36 |
1 193.46 |
2003-2004 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2004年3月22日-28日 | 2004年世界フィギュアスケート選手権(ドルトムント) | 2 | 2 | 2 | 2 |
2004年2月2日-8日 | 2004年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ブダペスト) | 1 | 2 | 1 | 1 |
2003年11月27日-30日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(旭川) | - | 4 64.80 |
5 126.36 |
4 191.16 |
2003年11月13日-16日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯 | - | 6 62.17 |
2 133.41 |
4 195.58 |
2003年11月6日-9日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | - | 4 65.67 |
2 134.17 |
2 199.84 |
2002-2003 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2003年3月24日-30日 | 2003年世界フィギュアスケート選手権(ワシントンD.C.) | 9 | 6 | 6 | 6 |
2003年1月20日-26日 | 2003年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(マルメ) | - | 2 | 2 | 2 |
2003年2月28日-3月2日 | 2002/2003 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) | - | 4 | 3 | 3 |
3 | |||||
2002年11月14日-17日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | - | 1 | 5 | 5 |
2002年10月24日-27日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(スポケーン) | - | 2 | 1 | 1 |
2001-2002 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2002年3月16日-24日 | 2002年世界フィギュアスケート選手権(長野) | 5 | 8 | 15 | 13 |
2002年2月9日-21日 | ソルトレイクシティオリンピック(ソルトレイクシティ) | - | 17 | 12 | 14 |
2002年1月14日-19日 | 2002年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ローザンヌ) | 2 | 3 | 6 | 3 |
2001年10月24日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(コロラドスプリングス) | - | 10 | 9 | 9 |
2000-2001 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 | |
---|---|---|---|---|---|
2000年10月26日-29日 | ISUジュニアグランプリ バルト杯(グダニスク) | 6 | 4 | 4 | |
2000年8月23日-26日 | ISUジュニアグランプリ サンジェルヴェ(サン・ジェルヴェ) | 2 | 4 | 4 |
1999-2000 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2000年3月5日-12日 | 2000年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(オーベルストドルフ) | 6 | 13 | 15 | 15 |
プログラム
シーズン | SP | FS | EX |
---|---|---|---|
2012-2013[38] | ジェネシス by ジャスティス エアロダイナミック by ダフト・パンク |
映画『インセプション』サウンドトラックより 作曲:ハンス・ジマー |
映画『グラディエーター』より 作曲:ハンス・ジマー |
2011-2012 | ジェネシス by ジャスティス エアロダイナミック by ダフト・パンク[39] ジェネシス |
映画『マトリックス』より 作曲:ドン・デイヴィス |
Little Love by AaRon ミュージカル『Mozart l'Opéra Rock』より「L'Assasymphonie」 ミュージカル『1789 Les amants de la bastille』より「Ça Ira Mon Amour」 S.O.S. D'un Terrien En Detresse An freij de an neo era ロード・オブ・ザ・ダンス |
2010-2011 | 映画『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』より「マラゲーニャ」 作曲:ロバート・ロドリゲス、演奏:ブライアン・セッツァー |
交響曲第9番 作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン |
エアロダイナミック by ダフト・パンク Little Love ミュージカル『Mozart l'Opéra Rock』より「C'est bientôt la fin」 |
2009-2010 | Rise[40] 作曲:サフリ・デュオ 振付:エフゲニー・プラトフ |
Ancient Lands 作曲:ロナン・ハーディマン 編曲:マキシム・ロドリゲス |
インフィニティ2008 曲:Guru Josh Project Sandstorm Le Patineur Merci ミュージカル『Mozart l'Opéra Rock』より「L'Assasymphonie」 |
2008-2009 [41] |
映画『マトリックス・リローデッド』サウンドトラック + 映画『レクイエム・フォー・ドリーム』サウンドトラック[42]
映画『ラスト・オブ・モヒカン』サウンドトラック[43] |
マドレーヌ byジャック・ブレル Hallelujah I'm Yours | |
2007-2008 [44][41] |
オール・フォー・ユー[45] 作曲:セバスチャン・ダミアーニ 振付:カート・ブラウニング |
アルバム『Plays Metallica』より 原曲:メタリカ、演奏:アポカリプティカ 映画『ロミオとジュリエット』より 作曲:クレイグ・アームストロング 振付:カート・ブラウニング |
クロックス by コールドプレイ |
2006-2007 [44][46][47][41] |
映画『007 ダイ・アナザー・デイ』より 作曲:デヴィッド・アーノルド 振付:ニコライ・モロゾフ |
アルバム『Plays Metallica』より 原曲:メタリカ、演奏:アポカリプティカ 映画『ロミオとジュリエット』より 作曲:クレイグ・アームストロング 振付:カート・ブラウニング |
ミュージカル『Le Roi Soleil』より「Tant Qu'on Reve Encore」
Rise Love Is All You Are Loved (Don't Give Up) アルモニア |
2005-2006 [44][41] |
映画『007 ダイ・アナザー・デイ』サウンドトラック 作曲:デヴィッド・アーノルド 振付:ニコライ・モロゾフ |
映画『マトリックス』より[48] 作曲:ドン・デイヴィス 振付:ニコライ・モロゾフ ロード・オブ・ザ・ダンス |
Mon Ami Mon Maitre by Serge Lama エアロダイナミック |
2004-2005 [44][41] |
ブルーマングループ | 映画『1492 コロンブス』より by ヴァンゲリス 振付:タチアナ・タラソワ |
カルーソ ボーカル:アンドレア・ボチェッリ ロード・オブ・ザ・ダンス |
2003-2004 [44][41] |
タイム by ピンク・フロイド 振付:ニコライ・モロゾフ |
映画『マトリックス』より 作曲:ドン・デイヴィス 振付:ニコライ・モロゾフ |
Ces soirees by Yannick Lettre à France Love's Divine J'ai Demande a La Lune |
2002-2003 [41] |
タイム by ピンク・フロイド 振付:ニコライ・モロゾフ |
映画『アンタッチャブル』サウンドトラック 作曲:エンニオ・モリコーネ 振付:ニコライ・モロゾフ |
Le Lacs du Conemara by Michel Sardou ミュージカル『スターマニア』より「S.O.S. D'un Terrien En Detresse」 Quelques Cris? Ma Gueule |
脚注
- ^ a b 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.102
- ^ レキップ紙2012年3月30日付記事
- ^ 斎藤貴子編『COLORS フィギュアスケート男子シングルフォトブック』あおば出版、2006年2月、p.56
- ^ a b c d 梅田香子「すべてのことがすんなり進んだら、誰も僕にはかなわない」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、pp.27-28
- ^ a b c Brian Joubert One Down, Two to Go
- ^ Mag 40 : classement des 40 sportifs préférés des Français Nov.20112009夏19位、2009秋13位、2010夏15位、2010秋18位、2011夏31位、2011秋26位。2011秋調査では男性回答者だけが対象の場合は40位以内には入らず。女性回答者だけの場合12位、15歳から24歳の回答者だけの場合30位、65歳以上の回答者だけの場合9位。2012年4月4日閲覧
- ^ Sportif préféré des français 2008(pdfファイル)2008年秋の調査、28位、2010年5月29日閲覧
- ^ juin20072006年秋の調査25位、2007年夏の調査13位
- ^ Sportif préféré des français 20062006年夏の調査、28位(この時の調査はトップ50まで発表されている)
- ^ juin20042004年夏30位(この当時はTop30まで。2004年秋は31位だったのでTop30リストには載っていない)
- ^ a b 上坂美穂編『オール・アバウトフィギュアスケート』ぴあ(ぴあワンダーランドSpecial)、2005年11月、p.55
- ^ 先天性心臓疾患や腎合併症や重度の発達障害を伴う難病
- ^ NHKスペシャル「ミラクルボディー」
- ^ フランス・テレビジョンブログサイトによる自伝の紹介2006年2月26日更新、2010年10月10日閲覧。
- ^ ル・パリジャン紙による紹介記事2010年1月22日更新、2010年10月10日閲覧。
- ^ a b c d 斎藤貴子編『フィギュアスケート07-08シーズンフラッシュバック』実業之日本社、2008年3月、p.43
- ^ http://brian.joubert.free.fr/uk/uk_bio.htm
- ^ 『COLORS 2007』p.28、ジャッジスコア参照。なお、旧採点時代には張民、ティモシー・ゲーブル、本田武史が3度の4回転ジャンプに成功している。『Cutting Edge 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2005年12月、p.19
- ^ a b 『COLORS』p.53
- ^ a b 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009男子シングル読本』ダイエックス出版、2008年9月、p.51
- ^ [1]
- ^ a b c d 『COLORS』p.55
- ^ 国際スケート連盟によるバイオグラフィー
- ^ a b c d NBCによるトリノオリンピック時のバイオグラフィー
- ^ Olympics Statistics and History
- ^ シーズンを通じて同じプログラム曲を使用したが、ディダクションはこの世界選手権だけだった。
- ^ 『ワールド・フィギュアスケート 36』新書館、2009年2月、p.16
- ^ 『WFS36』p.85
- ^ [2]ロシア・ソヴィエツキー・スポーツ紙 アレクセイ・ミーシンによる予想では本命プルシェンコ、ランビエール、ライサチェク。ジュベールは『対抗馬』2010年2月9日更新 2010年4月3日閲覧
- ^ [3]1996年世界王者トッド・エルドリッジによる優勝候補、メダル候補紹介、ニューヨーク・タイムズ、2010年2月16日更新 2010年4月1日閲覧
- ^ Joubert forfait『RMC sport』27/11/2010
- ^ JOUBERT DOIT SE LACHER La Nouvelle Republique 16/12/2010
- ^ Amodio wins European title in his debut10年連続はシェーファーとジュベールのみ。GoldenSkate.com
- ^ a b Joubert n'est pas finiSports Fr 31/03/2012
- ^ Joubert : « Comme si j’étais champion du monde »RMC Sport 31/03/2012
- ^ Joubert hungers for full Grand Prix, mom's foodIce Networks, October 30, 2012
- ^ Joubert Forfaitレキップ紙
- ^ http://www.lanouvellerepublique.fr/Toute-zone/Sport/Sports-de-glisse/Patinage/n/Contenus/Articles/2012/07/07/L-ETE-STUDIEUX-DE-JOUBERT L'ÉTÉ STUDIEUX DE JOUBERT
- ^ 欧州選手権前に変更
- ^ 『WFS36』p.34
- ^ a b c d e f g 「プログラムヒストリー」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、p.31
- ^ 世界選手権前に変更
- ^ 『WFS36』p.28
- ^ a b c d e 『男子シングル読本』p.53
- ^ 世界選手権では歌詞が入っていると判定され (Music violation) 、1点減点された
- ^ 『COLORS 2007』p.27, p.30
- ^ 山本夢子「大会結果 世界選手権 男子シングル」『フィギュアスケートDays vol.3』DAI-X出版、2007年5月、pp.20-21(特集名:2007 東京世界選手権)
- ^ トリノ五輪後に『マトリックス』へ変更。『フィギュアスケートDays vol.0』DAI-X出版、2006年5月、p.22