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「草原 (俳句結社)」の版間の差分

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それは、いずれの句も、[[五感]]で感じた感動を素直に表現していること、虚構や観念ではなく実相を基盤としていること、三節で構成されているとみなすことができ、それぞれの節が共鳴することで作者が実感した感動が適切に表現されていること、平易な[[大和言葉]]由来の和語で表されていること、などであった。そして、世間一般へ影響を与え、後世に残る自由律俳句とは、これらの条件を満たしたものであると確信する。
それは、いずれの句も、[[五感]]で感じた感動を素直に表現していること、虚構や観念ではなく実相を基盤としていること、三節で構成されているとみなすことができ、それぞれの節が共鳴することで作者が実感した感動が適切に表現されていること、平易な[[大和言葉]]由来の和語で表されていること、などであった。そして、世間一般へ影響を与え、後世に残る自由律俳句とは、これらの条件を満たしたものであると確信する。


しかし層雲では、北田の主張とは逆に、観念的な句やレトリックを多用した句が大勢を占めるようになっていった。こうした現状に疑問を感じた北田は、2001年に層雲を退会する。そして、自身の主張に賛同する人たちとともに、2002年、自由律俳句結社草原を結成するに至るのである。
しかし層雲では、北田の主張とは逆に、観念的な句やレトリックを多用した句が大勢を占めるようになっていった。こうした現状に疑問を感じた北田は、2001年に層雲を退会する。そして、自身の主張に賛同する人たちとともに、2002年、自由律俳句結社草原を結成するに至るのである<ref>北田傀子「著者略歴」『傀子集』随句社、2011年。</ref><ref>北田傀子『随句の基調』随句社、2006年。</ref>


北田は、自由律俳句の名称では定型俳句の亜流とみなされることが避けられないと考え、代わりに随句という名称を使用した。また後年には、自身の主張を著書『随句の基調』にまとめており、草原同人はこれを身につけて句作に励んでいる。
北田は、自由律俳句の名称では定型俳句の亜流とみなされることが避けられないと考え、代わりに随句という名称を使用した。また後年には、自身の主張を著書『随句の基調』にまとめており、草原同人はこれを身につけて句作に励んでいる。
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*[[俳人の一覧]]
*[[俳人の一覧]]
*[[俳句結社・結社誌の一覧]]
*[[俳句結社・結社誌の一覧]]

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2012年12月17日 (月) 13:30時点における版

草原(そうげん)は、2002年平成14年)に北田傀子が設立した自由律俳句結社。北田が社主を務める随句社より、月刊自由律俳句誌(月刊随句誌)『草原』を刊行している。草原は、23-04号(平成23年4月号)をもって、通巻100号を迎え、現在も継続中。

概要

北田傀子は長年、種田山頭火尾崎放哉を輩出した自由律俳句結社「層雲」の同人であった。

句作を続けながら山頭火や放哉の句を読み込むうちに、後世に文学として残る句にはいくつかの共通点があることに北田は気付いた。 それは、いずれの句も、五感で感じた感動を素直に表現していること、虚構や観念ではなく実相を基盤としていること、三節で構成されているとみなすことができ、それぞれの節が共鳴することで作者が実感した感動が適切に表現されていること、平易な大和言葉由来の和語で表されていること、などであった。そして、世間一般へ影響を与え、後世に残る自由律俳句とは、これらの条件を満たしたものであると確信する。

しかし層雲では、北田の主張とは逆に、観念的な句やレトリックを多用した句が大勢を占めるようになっていった。こうした現状に疑問を感じた北田は、2001年に層雲を退会する。そして、自身の主張に賛同する人たちとともに、2002年、自由律俳句結社草原を結成するに至るのである[1][2]

北田は、自由律俳句の名称では定型俳句の亜流とみなされることが避けられないと考え、代わりに随句という名称を使用した。また後年には、自身の主張を著書『随句の基調』にまとめており、草原同人はこれを身につけて句作に励んでいる。

関連項目

脚注

  1. ^ 北田傀子「著者略歴」『傀子集』随句社、2011年。
  2. ^ 北田傀子『随句の基調』随句社、2006年。

外部リンク