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「荒川憲一 (戦史学者)」の版間の差分

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== 人物・経歴 ==
== 人物・経歴 ==
[[宮城県]][[石巻市]]生まれ。[[1966年]]、[[宮城県石巻高等学校]]卒業。[[1972年]]、[[一橋大学]][[社会学部]]を卒業し、[[陸上自衛隊]]入隊、[[二等陸士]]任官。大学時代は[[押井守]]の設立した「映像芸術研究会」に参加。後年、押井が監督を務めた『[[機動警察パトレイバー 2 the Movie]]』に登場する自衛官・荒川茂樹の名前は彼のをもじっている<ref>「防衛大助教授の現職自衛官が語る「PKOと押井さんのこと」」『[[アニメージュ]]』徳間書店、1993年8月号</ref>。
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2013年1月24日 (木) 00:54時点における版

荒川 憲一(あらかわ けんいち、1947年 - )は日本の戦史学者、陸上自衛官。専門は比較戦争史。一等陸佐を経て、防衛大学校総合安全保障研究科教授、軍事史学会理事、一橋大学博士 (経済学)国際安全保障学会最優秀出版奨励賞・佐伯喜一賞受賞。

人物・経歴

宮城県石巻市生まれ。1966年宮城県石巻高等学校卒業。1972年一橋大学社会学部を卒業し、陸上自衛隊入隊、二等陸士任官。大学時代は押井守の設立した「映像芸術研究会」に参加。後年、押井が監督を務めた『機動警察パトレイバー 2 the Movie』に登場する自衛官・荒川茂樹は彼の名をもじっている[1]

防衛大学校防衛学教室助教授を経て、1996年から防衛庁防衛研究所戦史部所員[2]1997年東洋英和女学院大学大学院社会科学研究科修士課程修了(社会科学修士)。2001年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。

防衛庁防衛研究所戦史部第1戦史研究室主任研究官・一等陸佐を経て、2003年防衛庁教官となり、防衛大学校統率・戦史教育室助教授。2009年、防衛大学校総合安全保障研究科統率・戦史教育室教授[3]。同年論文「戦時経済体制の構想と展開:アジア・太平洋戦争の経済思想史的分析」によって、一橋大学博士 (経済学)の学位を取得[4]。『戦時経済体制の構想と展開』で2011年度国際安全保障学会最優秀出版奨励賞(佐伯喜一賞)を受賞。

軍事史学会理事、日本クラウゼヴィッツ学会理事等も務める。

著書

  • 『戦時経済体制の構想と展開』岩波書店 (2011/2/25)

脚注

  1. ^ 「防衛大助教授の現職自衛官が語る「PKOと押井さんのこと」」『アニメージュ』徳間書店、1993年8月号
  2. ^ 『防衛研究所紀要』第3巻第3号(2001年2月)
  3. ^ 荒川憲一『戦時経済体制の構想と展開』
  4. ^ 戦時経済体制の構想と展開 : アジア・太平洋戦争の経済思想史的分析 荒川憲一”. 国立国会図書館. 2012年9月26日閲覧。