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'''大江 音人'''(おおえ・の・おとんど 811-877)は平安時代の[[公卿]]。[[学者]]。大枝本主の嫡男。母は中臣氏。 |
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'''大江 音人'''(おおえ・の・おとんど 811-877)は平安時代の[[貴族]]。[[学者]]。大枝本主の嫡男。母は中臣氏。 |
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文章について詳しく学び、公卿としても学者としても活躍した。 |
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2006年2月24日 (金) 15:56時点における版
大江 音人(おおえ・の・おとんど 811-877)は平安時代の貴族。学者。大枝本主の嫡男。母は中臣氏。
文章について詳しく学び、公卿としても学者としても活躍した。
音人の代から「大枝」から「大江」へと姓を改めているが、「枝が大きいと、本体である木の幹が折れる事にも繋がり不吉である」との理由であったようだ。しかし「大枝」姓は桓武天皇より授かったものであるので全面的に変更するわけにもいかず、読みかたはそのままで漢字だけ変えた。「大きな川(江)の様に末永く家が栄えるように」との意味があるという。