「霞目駐屯地」の版間の差分
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2013年4月22日 (月) 03:58時点における版
霞目飛行場 Kasuminome Air Field | |||||||||||||||
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IATA: N/A – ICAO: RJSU | |||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||
空港種別 | 軍用 | ||||||||||||||
所有者 | 防衛省 | ||||||||||||||
運営者 | 陸上自衛隊 | ||||||||||||||
所在地 | 宮城県仙台市若林区霞目 | ||||||||||||||
建設 | 1937年(昭和12年) | ||||||||||||||
指揮官 | 東北方面航空隊長 | ||||||||||||||
所在部隊 | 陸上自衛隊東北方面航空隊 宮城県警察航空隊 | ||||||||||||||
標高 | 23 ft / 7 m | ||||||||||||||
座標 | 北緯38度14分08秒 東経140度55分23秒 / 北緯38.23556度 東経140.92306度 | ||||||||||||||
滑走路 | |||||||||||||||
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霞目駐屯地(かすみのめちゅうとんち)は、宮城県仙台市若林区霞目1-1-1に所在する、陸上自衛隊の駐屯地である。駐屯地内に「霞目飛行場」がある。
駐屯部隊
- 東北方面航空隊
- 東北方面輸送隊
- 隊本部及び本部付隊
- 第309輸送中隊:74式特大型トラック
- 第302輸送隊:73式特大型セミトレーラ
- 第105輸送業務隊
- 第399会計隊
- 第303基地システム通信中隊霞目派遣隊
- 第124地区警務隊霞目連絡班
- 霞目駐屯地業務隊
霞目飛行場
陸上自衛隊東北方面隊直轄部隊の航空隊が使用しているほか、滑走路外の飛行場南東端には宮城県警察航空隊のヘリポートがあり、ここをヘリコプターの離着陸の基地としている。
滑走路以外の広大な芝生では、休日にはグライダーの滑空場として市民にも利用されている。
沿革
- 1937年(昭和12年)
- 1942年(昭和17年)
- 1944年(昭和19年)4月、「陸軍航空部隊」が使用[1]。
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)、当空港の拡張工事に使う土を得るため、隣接地にある前方後円墳「遠見塚古墳」の後円部の半分を進駐軍が破壊した。
- 1955年(昭和30年)12月、「多賀城駐屯地霞目分屯地」開設[1]。
- 1957年(昭和32年)
- 1962年(昭和37年)1月、「東北方面航空隊」編成[1]。
- 1976年(昭和51年)3月、「東北方面輸送隊」編成[1]。
- 1984年(昭和59年)、日米地位協定第2条第4項(b)の適用施設・区域(一時共同使用)として在日米軍に提供される(施設・区域名: 霞の目飛行場、 Kasuminome Airfield, FAC 2066)[5]。
- 2006年(平成18年)3月、東北方面輸送隊を東北方面後方支援隊の隷下へ改編[1]。
- 2007年(平成19年)5月、「霞目駐屯地」創立50周年記念行事を挙行[1]。
- 2011年(平成23年)3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。霞目飛行場は海岸から約5km内陸に位置し、盛り土構造の仙台東部道路が堤防の役割を果たしたこともあり津波による被害は免れた。日本全国から陸上自衛隊や様々な機関のヘリコプターが飛来し、活動拠点や輸送・補給拠点などとして機能した。最大時の2011年4月7日には64機が使用した。同地震に伴う津波で仙台市消防ヘリポートが使用不能になったため、同ヘリポートを基地とする宮城県防災航空隊および仙台市消防航空隊は霞目飛行場に移転。また、災害医療活動に従事する全国のDMATとドクターヘリが、霞目飛行場を広域拠点の1つとして使用した。
- 2012年(平成24年)4月15日、創立55周年記念行事を開催[6]。
その他
- 駐屯地内に「霞目駐屯地防衛館」があり、駐屯地の歴史、自衛隊の活動、旧陸軍関係の資料を展示している。
- 特撮映画『ガメラ2 レギオン襲来』の作中では、仙台から避難する人々をヘリに乗せるための避難基地として登場した。また巨大レギオンの2度めの出現地点となり、ガメラと巨大レギオンの最初の戦闘の舞台となった。