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== 人物・経歴 ==
== 人物・経歴 ==
[[1953年]]に大学卒業後、当時のラジオ東京(現在の[[TBSテレビ|TBS]])に入社し、[[1959年]]に同局を退社。[[1970年]]に[[中央大学]]大学院法学研究科修士課程了。同年夏に乳がん手術した。その後医療に関する問題をテーマした作品が多く、[[1994年]]にこの功績に第42回[[菊池寛賞]]を受賞した。
[[1953年]]に大学卒業後、当時のラジオ東京(現在の[[TBSテレビ|TBS]])に入社し、[[1959年]]に同局を退社。[[1970年]]に[[中央大学]]大学院法学研究科修士課程了。同年夏に乳がん手術した。その後医療に関する問題をテーマした作品が多く、[[1994年]]にこの功績に第42回[[菊池寛賞]]を受賞した。


夫は元[[TBSテレビ|TBS]]報道局次長の高橋照明。長男はTBS記者の高橋一世([[1961年]][[1月21日]] - )。
夫は元[[TBSテレビ|TBS]]報道局次長の高橋照明。長男はTBS記者の高橋一世([[1961年]][[1月21日]] - )。

2013年4月30日 (火) 16:36時点における版

中島 みち(なかじま みち、本名:高橋 道、旧姓:中島、1931年2月10日 - )は京都府出身のノンフィクション作家で、元ラジオ東京(現:TBSアナウンサー東京女子大学卒。

人物・経歴

1953年に大学卒業後、当時のラジオ東京(現在のTBS)に入社し、1959年に同局を退社。1970年中央大学大学院法学研究科修士課程修了。同年夏に乳がん手術した。その後医療に関する問題をテーマした作品が多く、1994年にこの功績に第42回菊池寛賞を受賞した。

夫は元TBS報道局次長の高橋照明。長男はTBS記者の高橋一世(1961年1月21日 - )。

著書

  • 『誰も知らないあした ガン病棟の手記』(中島道)時事通信社 1972 のち文春文庫 
  • 『クワガタクワジ物語』(1974年筑摩書房2002年偕成社文庫
  • 『灰色の奇跡 あるガンワクチンの真実』講談社 1978
  • 『がん病棟の隣人』毎日新聞社 1981 のち文春文庫 
  • 『悔いてやまず』毎日新聞社 1982 「悔いてやまず ガンで逝った夫」文春文庫
  • 『見えない死 脳死と臓器移植』文芸春秋 1985
  • 日中戦争いまだ終らず マレー「虐殺」の謎』文芸春秋 1991
  • 『新々・見えない死 脳死と臓器移植』文芸春秋 1994
  • 『「脳死時代」の生き方と死に方 臓器移植、ガン告知、尊厳死 対話』時事通信社 1994
  • 『奇跡のごとく 患者よ、がんと闘おう』文藝春秋 1999 「がん・奇跡のごとく」文春文庫 
  • 『患者革命 納得の医療納得の死』2002 岩波アクティブ新書
  • 『脳死と臓器移植法』(2000年文春新書
  • 『患者革命-納得の医療 納得の死』(2002年、岩波アクティブ新書
  • 『がんと戦う、がんから学ぶ、がんと生きる』(2003年文春文庫
    • 「誰も知らないあした」「がん病棟の隣人」「悔いてやまず」の合本 
  • 『「尊厳死」に尊厳はあるか-ある呼吸器外し事件から』(2007年岩波新書

翻訳

  • ペギー・アンダーソン『ナース ガン病棟の記録』時事通信社 1981
  • バーバラ・ハットマン『コード・ブルー 緊急蘇生処置』時事通信社 1984
  • ドミニク・ラピエール『愛より気高く エイズと闘う人々』飛鳥新社 1993

アナウンサー時代の出演番組

ほか