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=== かつらに関するエピソード ===
=== かつらに関するエピソード ===
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* 『アタック600』のキャスターに抜擢された頃には、頭髪が薄くなっており、局内では「20代なのに若々しさがない」「お前、全然若々しくない」などと評されていた<ref name="asahi20090129">{{Cite news | url = http://www.asahi.com/kansai/travel/kansaiisan/OSK200901290019.html | title = 勝手に関西世界遺産 登録番号203 山本浩之アナ | newspaper = [[朝日新聞]] | date = 2009-01-29 | accessdate = 2012-07-14 }}</ref><ref>{{Cite news | url = http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120430/wlf12043017010015-n1.htm | title = 関テレ・山本アナ(3)かつら、放送中ズレた! 勇気ある告白を日本中が絶賛(1/4ページ) | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = [[産業経済新聞社]] | date = 2012-04-30 | accessdate = 2012-09-21 }}</ref>。そこで、当時の先輩アナウンサー・[[桑原征平]]からの勧めで、[[かつら (装身具)|かつら]]を付けるようになった。山本は初めてカツラを付けた日のことを「人生、バラ色でした」と述懐している<ref name="asahi20090129"/>。その後は常にかつらを気にするようになり、取材時には集中力の分散に悩まされるようになった<ref name="asahi20090129"/>。取材中、頭上後方から突き出されたマイクにかつらが引っかかり、ずり下がった<ref name="asahi20090129"/>ほか、生放送中に番組で使用したオウムが頭に止まったことで、七三分けがセンター分けにずれたこともあった<ref>{{Cite news | url = http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120430/wlf12043017010015-n3.htm | title = 関テレ・山本アナ(3)かつら、放送中ズレた! 勇気ある告白を日本中が絶賛(3/4ページ) | newspaper = 産経新聞 | publisher = 産業経済新聞社 | date = 2012-04-30 | accessdate = 2012-09-21 }}</ref>。
* 関西テレビの社屋が[[西天満]]にあった頃、エレベーターで[[上岡龍太郎]]と会う事が多く、「君は男前けど、髪の毛が少し薄くなってるのがちょっとな…」と言われた事があった<ref>[[1998年]]1月発売の週刊『[[アサヒ芸能]]』[[徳間書店]]より。副題は「関西テレビの看板アナはかつらだった」</ref>。
* 関西テレビの社屋が[[西天満]]にあった頃、エレベーターで[[上岡龍太郎]]と会う事が多く、「君は男前けど、髪の毛が少し薄くなってるのがちょっとな…」と言われた事があった<ref>[[1998年]]1月発売の週刊『[[アサヒ芸能]]』[[徳間書店]]より。副題は「関西テレビの看板アナはかつらだった」</ref>。
* [[1998年]](平成10年)[[1月7日]]、『クロスファイア』の放送の中で、自らがハゲであること、これまで番組にかつらをつけて出演していたことを告白した<ref name="asahi20090129"/>。山本は、「アナ Pod Cafe」にて、かつらをもっと早い時期にとりたかった、「自分には合わない」と感じていたが、「アタック600」担当中はとれなかったので、このタイミングになったと告白している。
* [[1998年]](平成10年)[[1月7日]]、『クロスファイア』の放送の中で、自らがハゲであること、これまで番組にかつらをつけて出演していたことを告白した<ref name="asahi20090129"/>。山本は、「アナ Pod Cafe」にて、かつらをもっと早い時期にとりたかった、「自分には合わない」と感じていたが、「アタック600」担当中はとれなかったので、このタイミングになったと告白している。
: この一件は、ワイドショーや[[スポーツ新聞]]に取り上げられ、大きな反響を呼んだ<ref name="asahi20090129"/>。更に深夜に放送されていた頃の『[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]』でも紹介された<ref>『トリビアの泉 〜へぇの本〜 第II巻』 p73-p74、[[講談社]]、[[2003年]]、ISBN 4-06-352703-4</ref>。山本のもとには、全国の視聴者から手紙が届き、ほとんどが告白を称賛する内容だったという<ref name="sankei20120430-2">{{Cite news | url = http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120430/wlf12043017010015-n2.htm | title = 関テレ・山本アナ(3)かつら、放送中ズレた! 勇気ある告白を日本中が絶賛(2/4ページ) | newspaper = 産経新聞 | publisher = 産業経済新聞社 | date = 2012-04-30 | accessdate = 2012-09-21 }}</ref>。
: この一件は、ワイドショーや[[スポーツ新聞]]に取り上げられ、大きな反響を呼んだ<ref name="asahi20090129"/>。更に深夜に放送されていた頃の『[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]』でも紹介された<ref>『トリビアの泉 〜へぇの本〜 第II巻』 p73-p74、[[講談社]]、[[2003年]]、ISBN 4-06-352703-4</ref>。山本のもとには、全国の視聴者から手紙が届き、ほとんどが告白を称賛する内容だったという<ref name="sankei20120430-2">{{Cite news | url = http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120430/wlf12043017010015-n2.htm | title = 関テレ・山本アナ(3)かつら、放送中ズレた! 勇気ある告白を日本中が絶賛(2/4ページ) | newspaper = 産経新聞 | publisher = 産業経済新聞社 | date = 2012-04-30 | accessdate = 2012-09-21 }}</ref>。

2013年6月9日 (日) 12:45時点における版

やまもと ひろゆき
山本 浩之
プロフィール
愛称 ヤマヒロ
出身地 日本の旗 日本大阪府泉佐野市
生年月日 (1962-03-16) 1962年3月16日(62歳)
血液型 B型
最終学歴 龍谷大学法学部
所属事務所 ピーエイチカンパニー
職歴 関西テレビ放送
(1985年4月 - 2013年3月)
活動期間 1985年 - 現在
ジャンル 報道情報スポーツバラエティ番組
出演番組・活動
出演中FNNスーパーニュースアンカー
たかじんのそこまで言って委員会
出演経歴アタック600
いつでも笑みを!
プライスバラエティ ナンボDEなんぼ』ほか

山本 浩之(やまもと ひろゆき、1962年(昭和37年)3月16日 - )は、大阪府堺市生まれ・泉佐野市育ちのフリーアナウンサー[1]1985年4月1日から2013年3月31日までは、関西テレビ放送のアナウンサーだった。愛称ヤマヒロ[2]

来歴・人物

大阪府立佐野高等学校龍谷大学法学部を卒業後の1985年(昭和60年)に、アナウンサーとして関西テレビ放送へ入社した。現在は、奈良県奈良市に在住。家庭では、3人の息子の父親でもある。

関西テレビアナウンサー時代

関西テレビの入社後は、プロ野球競馬などのスポーツ実況や、情報番組バラエティ番組リポーターなどを経験。しかし競馬中継では、当時の主力が杉本清馬場鉄志などのベテランアナウンサーであったことなどから、実況の機会は年間で数レースにとどまった。その後は、報道・バラエティ番組を主に担当しているため、競馬関連の番組にはほとんど出演していない。

ニュースキャスターとしての活動

1991年(平成3年)4月に『FNNアタック600』(当時平日の夕方に放送されていたローカルワイドニュース番組)のメインキャスターに抜擢。同番組の後番組『アタック ザ・ヒューマン』でも、1997年(平成9年)9月までメインキャスターを務めた。

2002年(平成14年)には、『ほっとカンサイこの1年 NYリポート』(前年12月に収録・放送)で第18回FNSアナウンス大賞の大賞を受賞。2006年(平成18年)4月には、『FNNスーパーニュースアンカー(アンカー)』のメインキャスター(アンカーマン)として、『アタック ザ・ヒューマン』からの降板から8年6ヶ月振りに平日夕方のニュース番組に出演している。

バラエティ番組での活躍

『アタック ザ・ヒューマン』からの降板を機に、1997年10月からは、深夜番組クロスファイア』の司会を担当。この番組での告白(後述)をきっかけに、『いつでも笑みを!』(関西テレビ制作・FNS系列全国ネット番組)や『プライスバラエティ ナンボDEなんぼ』などのバラエティ番組で人気を博した。

『ナンボDEなんぼ』には、『アンカー』のメインキャスター就任後も、メッセンジャー黒田とともにスタジオ司会兼リポーターとして出演[3]。普段は黒田へツッコミを入れていたが、自らボケ役に回ることもあった。黒田からのツッコミを受ける際に、ツッコミやすいよう自ら頭を出すなどの挙動を見せたため、共演者のシャンプーハットなどから「もはや芸人」と言われたこともある。

また、2007年(平成19年)1月5日から2012年(平成24年)7月27日までは、関西テレビのポッドキャスト企画第2弾『ヤマヒロのアナ Pod cafe』のパーソナリティを担当。2007年2月5日には、iTunes StorePodcastアクセスランキングにおいて、iTunes「テレビ/映画」のカテゴリーの2位を記録した[4]

『ナンボDEなんぼ』が2009年12月で事実上終了した後は、ニュースキャスターとしての活動にほぼ専念。2011年9月岡本栄(現在の三重県伊賀市長)が定年で関西テレビを退職してからは、同局の現職アナウンサーで最年長に達していた。このため、山本がバラエティ色の強いトークやリアクションを披露するのは、『アンカー』17時台の一部企画[5]、『ヤマヒロのアナ Pod cafe』(現在は配信終了)、深夜枠の特別番組、ゲストで出演する在阪民放ラジオ局の番組(後述)に限られていた。

ちなみに、関西テレビの地元・大阪が舞台の実写映画『プリンセス・トヨトミ』(2011年(平成23年)5月28日公開、東宝製作、同局が製作に協力)では、『アンカー』のキャスターとして共演している後輩アナウンサー・村西利恵とともに同番組のスタジオから架空のニュースを伝えるシーンで登場。さらに、大阪府庁前で撮影されたシーンにも、「大阪国民」のひとりとしてエキストラで出演している。

関西テレビからの退職・フリーアナウンサーへ転身

関西テレビ(KTV)は2013年2月20日に、山本が同年3月31日付で退社することを発表した。山本自身は、退社を決めた理由として、「2012年に50歳を迎えたことを機に、今後のアナウンサー人生について想いを巡らせた結果、これまでやったことのないさまざまな仕事に挑戦してみたくなった」と述べている。

2013年(平成25年)4月1日からは、『アンカー』のアンカーマンを続投する一方で、フリーアナウンサーとして活動[6]。フリーアナウンサー転身初日の4月1日(月曜日)には、『スーパーニュースアンカー』の本番前に、『子守康範 朝からてんコモリ!』(MBSラジオ平日早朝の生ワイド番組)→『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』(ABCラジオ平日午前の生ワイド番組)→『上泉雄一のええなぁ!』(『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』と放送時間の一部が重なるMBSラジオの生ワイド番組)の順にゲストで出演した[7]

テレビでは、同月5日(金曜日)にMBSテレビのスポーツ情報番組『カワスポ』の第1回へ出演したことを皮切りに、(KTVを含む)フジテレビ系列局以外の放送局制作の番組にも登場。平日には『アンカー』のアンカーマンとしての活動を優先するため、他の番組にはKTV時代と同じくゲストで出演することが多い。ただし、2013年6月16日からは、大学の先輩・やしきたかじんが「委員長」を務める『たかじんのそこまで言って委員会』(隔週金曜日に収録する読売テレビ制作の討論バラエティ番組)に「副委員長」として登場。病気療養中のたかじん及び、それまで「副委員長」として出演していた辛坊治郎の代理扱いながら、KTV以外の放送局で初めてレギュラーを務めることになった[8]

なお、フリーアナウンサーとしての所属事務所は、山本の妻が社長を務める個人事務所「PHカンパニー」。山本が前述のラジオ番組で説明したところによれば、事務所名の「PH」は「ポジティブ・ハゲ」の略称で、山本自身は平社員であるという。

エピソード

かつらに関するエピソード

  • 『アタック600』のキャスターに抜擢された頃には、頭髪が薄くなっており、局内では「20代なのに若々しさがない」「お前、全然若々しくない」などと評されていた[9][10]。そこで、当時の先輩アナウンサー・桑原征平からの勧めで、かつらを付けるようになった。山本は初めてカツラを付けた日のことを「人生、バラ色でした」と述懐している[9]。その後は常にかつらを気にするようになり、取材時には集中力の分散に悩まされるようになった[9]。取材中、頭上後方から突き出されたマイクにかつらが引っかかり、ずり下がった[9]ほか、生放送中に番組で使用したオウムが頭に止まったことで、七三分けがセンター分けにずれたこともあった[11]
  • 関西テレビの社屋が西天満にあった頃、エレベーターで上岡龍太郎と会う事が多く、「君は男前やけど、髪の毛が少し薄くなってるのがちょっとな…」と言われた事があった[12]
  • 1998年(平成10年)1月7日、『クロスファイア』の放送の中で、自らがハゲであること、これまで番組にかつらをつけて出演していたことを告白した[9]。山本は、「アナ Pod Cafe」にて、かつらをもっと早い時期にとりたかった、「自分には合わない」と感じていたが、「アタック600」担当中はとれなかったので、このタイミングになったと告白している。
この一件は、ワイドショーやスポーツ新聞に取り上げられ、大きな反響を呼んだ[9]。更に深夜に放送されていた頃の『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』でも紹介された[13]。山本のもとには、全国の視聴者から手紙が届き、ほとんどが告白を称賛する内容だったという[14]
  • 『クロスファイア』での告白以降、「ハゲネタ」を武器にバラエティでさらなる活躍を見せるようになる。
プライスバラエティ ナンボDEなんぼ』の「無駄ムダ調査隊」のコーナーでは、ムダブルーというキャラクターを担当し、ハゲハゲビームなる物を繰出していた[15]。「ハゲハゲビーム」の前身「ツルピカフラッシュ」「ツルピカビーム」は、この番組で誕生したと言われる[誰によって?]
  • 他にも、かつらに関するエピソード、自称「ハゲネタ」「ヅラネタ」は数知れず、トミーズ雅をして「その頭売ってくれ」と言わしめた[14]。これらのネタは彼がパーソナリティを務めるポッドキャスト「ヤマヒロのアナ Pod Cafe」などで、本人自身が赤裸々に告白している。
  • iPhoneのアプリケーションに、ヤマヒロ電球なる物が存在している[1]。これも、自身の「ハゲ」に因んでいる[1]

FNNスーパーニュースアンカーでのエピソード

  • 天皇特例会見[16]における民主党の小沢一郎幹事長の対応について、2009年(平成21年)12月14日放送で「いろんな意味での政治利用にですね、使おうとたかが一政党の一幹事長ごときがですよ、勝手にそんなところにもし手を突っ込んで暗躍してたんだとしたら大変な問題ですよね」と発言。翌15日の冒頭にて「山本アナの身内に不幸があり、同15日と16日は休む」との告知があり、これが前日の発言の直後だったため一部のネットで憶測を呼んだが、水曜コメンテーターの青山が身内の不幸についてブログで詳細に明かしてこれらの憶測を完全否定している[17]

関西テレビアナウンサー時代から在阪他局の番組へ出演

三代澤康司朝日放送)、柏木宏之上泉雄一(いずれも毎日放送)、森武史読売テレビ)など、在阪他局に所属する同年代の男性アナウンサーと盛んに交流。彼らが出演する番組・イベントに同席したり、メッセージを寄せたりすることもある。フリーアナウンサーへの転身初日には、三代澤と上泉がパーソナリティを務めるラジオ番組へゲストで出演した(前述)。

またKTV時代には、『スーパーニュースアンカー』のメインキャスターを務めるかたわら、同番組の本番前に在阪ラジオ局で放送される生ワイド番組へ何度も登場していた。

また、2011年(平成23年)12月25日には、『おとなの駄菓子屋』(MBSラジオ)に出演。パーソナリティーの角淳一毎日放送出身のフリーアナウンサー)とトークを展開した。

趣味・特技

趣味は落語ギターの演奏、ゴルフなど。『クロスファイア』でかつらの着用を告白した際には、VTRでギターの演奏を披露している。また、『ヤマヒロのアナPod cafe』では、特技として歯笛を披露した。

現在の出演番組

過去の出演番組

関西テレビアナウンサー時代

関連人物

芸能人

アナウンサー・DJ

  • 若田部克彦 山本アナの後輩。『アンカー』内でカツラ着用をカミングアウトし、2009年12月25日放送の同番組では、山本アナに「仲間が増えた」「でも、彼も相当悩んできたワケで」と言われた。
  • 藤本景子 山本アナの後輩。関テレのアナウンサーの中では「ヤマヒロのアナ Pod cafe」に最も多く出演している。
  • 柏木宏之 毎日放送アナウンサー。落語講演会で同席したことがある。
  • 三代澤康司 朝日放送アナウンサー。落語講演会へ同席すると共に、フリーアナウンサーへの転身初日に『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』へ出演。
  • 森武史 読売テレビアナウンサー。山本アナとともに落語講演会を行った。その他には局の垣根を越えて「ヤマヒロのアナ Pod Cafe」にも出演した。
  • 上泉雄一 毎日放送アナウンサー。過去に2回『上泉雄一のええなぁ!』へ出演(前述)。
  • 佐藤啓 中京テレビ放送アナウンサー。山本アナ同様髪が薄く、当初カツラをつけて出演していたことがある(現在はカツラを取って出演)。放送エリア・系列ともに異なるため、お互い面識はない。
  • サニー・フランシス ニュースアンカー金曜日のコメンテーター。

以下のアナウンサーは、関西テレビ時代の山本の上司で、後に同局を定年で退職。退職後は山本と同じく、フリーアナウンサーとして活動している。

  • 桑原征平 山本がカツラをつけるにあたって相談を受け、その仲介をした相手でもある。2011年9月には、『桑原征平粋も甘いも』へゲストで出演(前述)。
  • 杉本清 山本がKTVの若手アナウンサーだった時代に、競馬実況を指導していた。
  • 馬場鉄志 杉本と同じく、競馬実況を指導していた。

脚注

  1. ^ a b c 関テレ・山本浩之アナ 4月フリーに デイリースポーツ 2013年2月20日閲覧
  2. ^ やしきたかじんなどのように、彼のことを本人のいない所でただ単にハゲと呼ぶ者もいる。
  3. ^ 山本自身も、『アンカー』のメインキャスターを引き受ける条件として、『ナンボDEなんぼ』での続投を希望。「報道だけじゃ息が詰まる。精神的なガス抜きの場(=ナンボDEなんぼ)は失いたくない」とも述べている。
  4. ^ Podcast総合ランキングでは27位。
  5. ^ 現在は「木曜企画」「金村のスゴいで!プロ野球」(いずれも木曜日)で披露。2012年9月までは、当時火曜日で放送されていた「伊藤国定のゴールドアンカー」でも見られた。
  6. ^ “関テレ・山本浩之アナが3月末退職 フリー転身後も『スーパーニュースアンカー』は継続”. ORICON STYLE. (2013年2月20日). http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/2021849/full/ 2013年2月20日閲覧。 
  7. ^ “山本浩之アナ、フリー初日から各局出演”. 日刊スポーツ. (2013年3月27日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130327-1103657.html 2013年3月27日閲覧。 
  8. ^ “たかじんの“代打の代打”、辛坊の後任に山本浩之アナ 「そこまで言って委員会」”. msn産経ニュースwest (産経新聞). (2013年6月1日). http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130601/wlf13060109470004-n1.htm 2013年6月1日閲覧。 
  9. ^ a b c d e f “勝手に関西世界遺産 登録番号203 山本浩之アナ”. 朝日新聞. (2009年1月29日). http://www.asahi.com/kansai/travel/kansaiisan/OSK200901290019.html 2012年7月14日閲覧。 
  10. ^ “関テレ・山本アナ(3)かつら、放送中ズレた! 勇気ある告白を日本中が絶賛(1/4ページ)”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2012年4月30日). http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120430/wlf12043017010015-n1.htm 2012年9月21日閲覧。 
  11. ^ “関テレ・山本アナ(3)かつら、放送中ズレた! 勇気ある告白を日本中が絶賛(3/4ページ)”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2012年4月30日). http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120430/wlf12043017010015-n3.htm 2012年9月21日閲覧。 
  12. ^ 1998年1月発売の週刊『アサヒ芸能徳間書店より。副題は「関西テレビの看板アナはかつらだった」
  13. ^ 『トリビアの泉 〜へぇの本〜 第II巻』 p73-p74、講談社2003年ISBN 4-06-352703-4
  14. ^ a b “関テレ・山本アナ(3)かつら、放送中ズレた! 勇気ある告白を日本中が絶賛(2/4ページ)”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2012年4月30日). http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120430/wlf12043017010015-n2.htm 2012年9月21日閲覧。 
  15. ^ 関テレ・山本浩之アナがフリー転身 報知スポーツ 2013年2月20日11:24配信 配信日に閲覧
  16. ^ 「天皇陛下会見:小沢幹事長発言、さらに波紋」 毎日jp 2009年12月15日 [リンク切れ]
  17. ^ 実父の不幸のため、急きょ休みを取った最後に決めるのは誰か - ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ

外部リンク