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「青林堂」の版間の差分

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その後、『[[ねこぢるうどん]]』や『[[南くんの恋人]]』のヒットや映画のタイアップ企画などによる単行本の好調もあったが、親会社のツァイトが傾き、1997年外部より福井源が肩代わりをする形でツァイト社長に就任した。同時に長井勝一とゆかりのあった編集員は全て退社し『ガロ』も休刊となった。その後編集長に長戸雅之を招き1998年1月にいったん復刊したが1998年9月に『ガロ』は再び休刊した。ツァイト社の社長を退いた後も青林堂は名目上は山中社長のままであったが、ツァイト社倒産後売却され大和堂の社長、蟹江幹彦が社長となり、『ガロ』は2000年1月号に復刊するが2001年なかばより隔月刊、2002年に季刊となるが実質発行の無いまま現在に至っている。
その後、『[[ねこぢるうどん]]』や『[[南くんの恋人]]』のヒットや映画のタイアップ企画などによる単行本の好調もあったが、親会社のツァイトが傾き、1997年外部より福井源が肩代わりをする形でツァイト社長に就任した。同時に長井勝一とゆかりのあった編集員は全て退社し『ガロ』も休刊となった。その後編集長に長戸雅之を招き1998年1月にいったん復刊したが1998年9月に『ガロ』は再び休刊した。ツァイト社の社長を退いた後も青林堂は名目上は山中社長のままであったが、ツァイト社倒産後売却され大和堂の社長、蟹江幹彦が社長となり、『ガロ』は2000年1月号に復刊するが2001年なかばより隔月刊、2002年に季刊となるが実質発行の無いまま現在に至っている。


[[2010年代]]からは完全に[[転向]]。「[[ジャパニズム]]」を創刊し、[[佐藤守]]や[[古谷経衡]]の著書を刊行するなど、収益の為にやむなく[[行動する保守]]・[[ネット右翼]]に阿るような方針に走り始めている(同社の「一般書・コミック」ページを参照)。
なお長井勝一時代の編集員が移行して作ったのが「青林工藝舎」である。現在この両者の間に提携や資本関係は無い。


長井勝一時代の編集員が移行して作ったのが「青林工藝舎」である。現在この両者の間に提携や資本関係は無い。
[[2010年代]]からは「[[ジャパニズム]]」を創刊し、[[佐藤守]]や[[古谷経衡]]の著書を刊行するなど、収益の為にやむなく[[行動する保守]]・[[ネット右翼]]に阿るような方針に走り始めている(同社の「一般書・コミック」ページを参照)。


==歴史==
==歴史==

2013年6月27日 (木) 04:35時点における版

株式会社青林堂
種類 株式会社
本社所在地 150-0002
東京都渋谷区渋谷3丁目6番19号
設立 1962年(昭和37年)
業種 情報・通信業
法人番号 5011001012276 ウィキデータを編集
事業内容 出版
資本金 5000万円
関係する人物 長井勝一(創業者)
外部リンク http://www.garo.co.jp/
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株式会社青林堂(せいりんどう)は、東京都渋谷区に本社を置く出版社である。

概要

かつて漫画誌『ガロ』を出版し、白土三平水木しげるつげ義春滝田ゆうなど個性的な漫画家に自由な表現の場を与え、全共闘時代の大学生に強く支持され一世を風靡した。

1960年代の『ガロ』は、白土の『カムイ伝』と水木の『鬼太郎夜話』の2本柱でおよそ100ページを占め、残るページをつげ義春、つげ忠男滝田ゆう鈴木翁二安部慎一古川益三池上遼一林静一勝又進つりたくにこ佐々木マキ楠勝平永島慎二などがレギュラーとして作品を発表していた。

新人発掘にも力を入れていた当時の青林堂には、毎日のように作品が郵送で届き、2~3日に一人は作品を小脇に抱えた若者が訪れ、後にハードボイルド作家として活躍する矢作俊彦が、ダディ・グーズのペンネームで作品を持ち込んだこともあったという[要出典]。当時の編集部では実質的に編集を任されていた高野慎三(権藤晋)と長井の二人で新人を発掘していった。高野は特に『ガロ』に発表された”既成のマンガのワクを乗り越え、新しいマンガの創造を”と謳った「白土テーゼ」を信奉し、つげ義春以降のマンガ表現に大いなる関心を寄せていた[1]

1970年の『やなぎ屋主人』を最後に休筆に入ったつげ義春に加え、1971年の『カムイ伝』の終了とともに『ガロ』の売上は徐々に下降線をたどり、1980年代には経営難を経験する。多くの作家や読者の支援により低迷しながらも会社は存続したが、1990年代に入り創業者である長井勝一の高齢と経営難からPCソフト開発会社の株式会社ツァイトの経営者である山中潤が経営を引き継ぐ。

その後、『ねこぢるうどん』や『南くんの恋人』のヒットや映画のタイアップ企画などによる単行本の好調もあったが、親会社のツァイトが傾き、1997年外部より福井源が肩代わりをする形でツァイト社長に就任した。同時に長井勝一とゆかりのあった編集員は全て退社し『ガロ』も休刊となった。その後編集長に長戸雅之を招き1998年1月にいったん復刊したが1998年9月に『ガロ』は再び休刊した。ツァイト社の社長を退いた後も青林堂は名目上は山中社長のままであったが、ツァイト社倒産後売却され大和堂の社長、蟹江幹彦が社長となり、『ガロ』は2000年1月号に復刊するが2001年なかばより隔月刊、2002年に季刊となるが実質発行の無いまま現在に至っている。

2010年代からは完全に転向。「ジャパニズム」を創刊し、佐藤守古谷経衡の著書を刊行するなど、収益の為にやむなく行動する保守ネット右翼に阿るような方針に走り始めている(同社の「一般書・コミック」ページを参照)。

長井勝一時代の編集員が移行して作ったのが「青林工藝舎」である。現在この両者の間に提携や資本関係は無い。

歴史

  • 1962年昭和37年) 長井勝一により神田神保町に設立。
  • 1964年(昭和39年)7月24日、『月刊漫画ガロ』創刊。
  • 1972年(昭和47年)高野慎三退社、北冬書房を設立。南伸坊が入社し後に編集長に。
  • 1990年 ツァイトに経営譲渡。ツァイト社長の山中潤が社長に就任。
  • 1991年 ガロ増刊として『REMIX (雑誌)』を創刊(発行はアウトバーン)。
  • 1992年 山中が編集長となり、長井が会長に就任。
  • 1994年 『月刊ガロ』創刊30周年記念パーティー。
  • 1995年 長井が、日本漫画協会選考委員特別賞を受賞。
  • 1996年 長井死去。享年74。
  • 1997年 ガロ8月号を出した後、編集部員が総退社し休刊
  • 1998年 ガロを1月号より復刊 9月号までで再度休刊
  • 2000年 ガロを1月号より復刊 年半ばに隔月刊化
  • 2001年 ガロ再々度休刊 今次は事実上廃刊
  • 2011年ジャパニズム』創刊

参考書籍

参考ウェブサイト

  1. ^ つげ義春1968』高野慎三

外部リンク