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「人穴富士講遺跡」の版間の差分

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2013年7月7日 (日) 16:09時点における版

富士浅間大神碑と人穴

人穴富士講遺跡(ひとあなふじこういせき)は静岡県富士宮市人穴にある富士講に関わる史跡群で、富士宮市指定史跡。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。

概要

人穴は角行が16世紀から17世紀にかけて修行を行い、浅間大菩薩による啓示を得、また入滅した場だと伝わる[1]。『吾妻鏡』によると、「浅間大菩薩(浅間大神)の御在所」とみられていたという[1]

角行は人穴を浄土としたために人穴の地は富士講信者により聖地と考えられるようになり、参詣や修行が行われた。その信者の多くは吉田口登山道の利用者であり、吉田と人穴を結ぶ道として中道往還が利用されたと考えられている[2]。富士講の衰退により、碑塔の建設は1964年以降は行われていない[1]

史跡など

人穴浅間神社
主祭神はコノハナノサクヤビメ、角行、徳川家康である[2]。創建は1648年及び1665年で前身である光侎寺が富士講二世日珀、三世珀心により再興されたことに始まるという[2]
  • 人穴
富士山の噴火でできた溶岩洞穴である。現在は、崩壊の恐れがあり入洞禁止である。
碑塔群の一部
  • 碑塔群(233基[3]
    碑塔の中で建立年代のわかるものが89基ある。富士講が隆盛した18世紀末から19世紀前半に建立されたものが一番多く、銘にみられる地名は6割近くが江戸下町のものである[4]。逆に静岡県内の地名がみられるものは1基のみである[5]。その89基の中で一番古い年代に作成されたとされる碑塔は、洞穴内に位置する1664年(寛文4年)建立のものである[6]。この碑塔は富士構成立以前のものである[7]。また碑塔群には角行の供養碑などが含まれる。祈願奉納碑に区別されるものが35基、顕彰祈念碑に区別されるものが7基、墓碑供養碑に区別されるものが188基、道標が1基である。祈願奉納碑は「富士仙元」等の銘が彫られた祈願を主としたもので、顕彰祈念碑は講名や笠印などを記した記念碑であり、祈願奉納碑は戒名や行名を記したものである[8]
  • 宝篋印塔

脚注

参考文献

  • 富士市立博物館編『人穴浅間神社の碑塔と拓影』富士市立博物館、1999年。 

関連項目