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「乙部館」の版間の差分

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'''乙部館'''(おとべだて)は、岩手県盛岡市乙部に所在した城郭
'''乙部館'''(おとべだて)は、[[岩手県]][[盛岡市]]乙部に所在した[[城郭]]。


== 概要 ==
== 概要 ==
乙部館は[[陸奥国]][[紫波郡|志和郡]]乙部村に所在し、乙部川と[[北上川]]の合流点にあった。
乙部館は[[陸奥国]][[紫波郡|志和郡]]乙部村に所在し、[[乙部川]]と[[北上川]]の合流点にあった。
現在は、宅地や畑地になっている。
現在は、宅地や畑地になっている。


== 歴史・沿革 ==
== 歴史・沿革 ==
<!--館主は乙部義説とも大萱生氏ともいわれている。-->
<!--館主は乙部義説とも大萱生氏ともいわれている。-->
築城年代は不明であるが、古館は[[天正]]年間([[1573年|1573]]-[[1592年|92年]])の頃、[[斯波氏|斯波氏家臣]]乙部兵庫の拠ったとこで、同16年、同氏族滅亡後、[[南部藩|南部家臣]]福士右衛門尉の居城となったが、同20年に破却された。
[[築城]]年代は不明であるが、古館は[[天正]]年間([[1573年|1573]]-[[1592年|92年]])の頃、[[斯波氏|斯波氏家臣]]乙部兵庫の拠ったとこで、同16年、同氏族滅亡後、[[南部藩|南部家臣]]福士右衛門尉の居城となったが、同20年に破却された。


天正20年([[1592年]])の[[南部大膳大夫分国之内諸城破却共書上|諸城破却書上]]には、「乙部 平城 破 福士 右衛門 持分」とある。
天正20年([[1592年]])の[[南部大膳大夫分国之内諸城破却共書上|諸城破却書上]]には、「乙部 平城 破 福士 右衛門 持分」とある。
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|title=日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名
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2013年7月19日 (金) 15:18時点における版

乙部館(おとべだて)は、岩手県盛岡市乙部に所在した城郭

概要

乙部館は陸奥国志和郡乙部村に所在し、乙部川北上川の合流点にあった。 現在は、宅地や畑地になっている。

歴史・沿革

築城年代は不明であるが、古館は天正年間(1573-92年)の頃、斯波氏家臣乙部兵庫の拠ったとこで、同16年、同氏族滅亡後、南部家臣福士右衛門尉の居城となったが、同20年に破却された。

天正20年(1592年)の諸城破却書上には、「乙部 平城 破 福士 右衛門 持分」とある。

脚注

参考資料

  • (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年7月13日。ISBN 4-582-91022-X 

関連項目

外部リンク