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'''ジョー・ボナマッサ'''(Joe Bonamassa、[[1977年]][[5月8日]]-)は、[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク州]]出身の[[ギタリスト]]、[[シンガーソングライター]]である。
'''ジョー・ボナマッサ'''(Joe Bonamassa、[[1977年]][[5月8日]]-)は、[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク州]][[ユーティカ (ニューヨーク州)|ユーティカ]]出身の[[ギタリスト]]、[[シンガーソングライター]]である。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[ニューヨーク州]][[ユーティカ (ニューヨーク州)|ユーティカ]]で生まれた。11歳のとき、[[カントリー・ミュージック|カントリー・ミュージシャン]]の[[ダニー・ガットン]]の下で、カントリー[[ジャズ]]、さらには[[ハードロック]]について学んだ。ガットンのバンドに加わることもたびたびあった。12歳で[[B.B.キング]]の前座を務めるようにもなった。14歳になって、[[フェンダー_(楽器メーカー)|フェンダー]]ギターのイベントに参加して、その時にベリー・オークリー・ジュニアと出会った。ボナマッサとオークリーは、[[マイルス・デイヴィス]]の息子であるエリンと、[[ロビー・クリーガー]]の息子であるウェイロンを誘って、[[ブラッドライン]]を結成した。彼らは[[アルバム]]1とヒット・シングルを2発売すると、すぐに解散した。
11歳の、[[カントリー・ミュージック|カントリー]]・ミュージシャンの[[ダニー・ガットン]]の下で、カントリー[[ジャズ]]、[[ハードロック]]について学び、度々ガットンのバンドに加わっていった。翌年には[[B.B.キング]]の前座を務めるようにもなった。14歳になって、[[フェンダー_(楽器メーカー)|フェンダー]]ギターのイベントに参加して、その時にベリー・オークリー・ジュニアと出会った。ボナマッサとオークリーは、[[マイルス・デイヴィス]]の息子であるエリンと、[[ロビー・クリーガー]]の息子であるウェイロンを誘って、[[ブラッドライン]]を結成した。彼らは[[アルバム]]1とヒット・シングルを2発売、すぐに解散した。


[[2000年]]にボナマッサは[[トム・ダウド]]によるプロデュース作品、[[ア・ニュー・デイ・イエスタデイ]]と共にソロデビューを果たした。すぐに、[[ドラマー]]のケニー・クラーム、及び[[ベーシスト]]のエリック・ザー共に、プロモーションツアーを行った。
[[2000年]]に[[トム・ダウド]]によるプロデュースの下、[[ア・ニュー・デイ・イエスタデイ]]と共にソロデビューを果たした。すぐに、[[ドラマー]]のケニー・クラーム、及び[[ベーシスト]]のエリック・ザー共に、プロモーションツアーを行った。


ツアーを終えるとすぐに2目のアルバムとなる、[[ソー・イッツ・ライク・ザット]]をクリフ・マグネスプロデュースの下でった。このアルバムは、前作よりも古いロックの要素を取り入れ、[[ビルボード]]のブルース・チャートでは1位となった。
ツアーを終えるとすぐに2目のアルバム[[ソー・イッツ・ライク・ザット]]をクリフ・マグネスプロデューサーに迎え、制に取り掛かる。このアルバムは、前作よりも古いロックの要素を取り入れたこのアルバムは、[[ビルボード]]のブルース・チャートでは1位となった。


2003年に発売した3作目の[[ブルース・デラックス]]は、好意的な評価を得た。この年は[[アメリカ合衆国議会]]によってブルースの年と定められており、このアルバムはこの事実を支えるために発売された。収録されたうち9曲が古いブルースの曲であり、ボナマッサの自作曲は3作のみであった。前作と同じく、ビルボードのブルース・チャートで1位を得た。
2003年に発売した3作目の[[ブルース・デラックス]]は、好意的な評価を得た。この年は[[アメリカ合衆国議会]]によってブルースの年と定められており、の事実を支えるために発売された。収録されたうち9曲が古いブルースの曲であり、ボナマッサの自作曲は3作のみであった。前作と同じく、ビルボードのブルース・チャートで1位を得た。


2005年に発売した[[ハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイ]]では、ソー・イッツ・ライク・ザットのような古いロックの要素を改めて取り入れた。2005年後半になり、それまで共にしてきたバンドと決別して、新たにベーシストとしてマーク・エプスタイン、そしてケニー・ウェイン・シェパードのドラマーであったボギー・ボウルズと組んだ。
2005年に発売した[[ハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイ]]では、ソー・イッツ・ライク・ザットのような古いロックの要素を改めて取り入れた。2005年後半になり、それまで共にしてきたバンドと決別して、新たにベーシストとしてマーク・エプスタイン、そしてケニー・ウェイン・シェパードのドラマーであったボギー・ボウルズと組んだ。


2006年には、5目のアルバムとして[[ユー・アンド・ミー]]を発売した。このアルバムでは、有名な[[スタジオ・ミュージシャン]]を数名起用した。[[ジョン・ボーナム]]の息子である[[ジェイソン・ボーナム]]その一人である。ビルボードのブルース・チャートで1位を獲得した。
2006年には、5目のアルバム[[ユー・アンド・ミー]]を発売した。このアルバムでは、[[ジョン・ボーナム]]の息子である[[ジェイソン・ボーナム]]など著名な[[スタジオ・ミュージシャン]]を数名起用した。ビルボードのブルース・チャートで1位を獲得した。


[[スロー・ジン]]は、2007年8月の発売から10週以上に渡って、ビルボードのブルース・チャートに残った。今までのアルバムとは異なり、ここではアコースティック・ギターを使用した楽曲が増えている。この時期には、ツアーバンドのベーシストがカルミネ・ロハスへと変わり、リック・メリックがキーボードとして加わった。彼らは、ユー・アンド・ミーとスロー・ジンの録音にも参加した。
[[スロー・ジン]]は、2007年8月の発売から10週以上に渡って、ビルボードのブルース・チャートに残った。今までのアルバムとは異なり、ここではアコースティック・ギターを使用した楽曲が増えている。この時期には、ツアーバンドのベーシストがカルミネ・ロハスへと変わり、リック・メリックがキーボードとして加わった。彼らは、ユー・アンド・ミーとスロー・ジンの録音にも参加した。


2008年11月9日、ボナマッサはイギリスのラジオ局でDJをつとめた。この中は、[[B.B.キング]]、[[マディ・ウォーターズ]]、[[ロリー・ギャラガー]]、そして[[エリック・クラプトン]]などをかけた。
2008年11月9日、イギリスのラジオ番組「ポール・ジョーンズ・ラジオ・アワー」が放送された。番組では、[[B.B.キング]]、[[マディ・ウォーターズ]]、[[ロリー・ギャラガー]]、そして[[エリック・クラプトン]]などを流した。11月、ボナマッサは翌年5月4日に[[ロイヤル・アルバート・ホール]]でのコンサートを発表し、チケットは1週間で完売した。彼はこのコンサートを「20年間のキャリア総括」と表現した。


このロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートで、ボナマッサは初めて学んだ曲が「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」であったと話して、エリック・クラプトンと共に演奏した。またボナマッサは、自分の曲をかけてくれた番組への讃辞を送り、[[マンフレッド・マン (バンド)|マンフレッド・マン]]のメンバーであった[[ポール・ジョーンズ]]が1曲にハーモニカで参加した。ボナマッサはこの日が人生最良の日であるとして、共に過ごした観客へ感謝の念を示した。
同じ年の11月、ボナマッサは翌年5月4日に[[ロンドン]]の[[ロイヤル・アルバート・ホール]]でコンサートを行うことを発表した。チケットは1週間で完売した。彼はこのコンサートを「20年間のキャリア総括」と表現した。

このロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートで、ボナマッサは初めて学んだ曲が「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」であったと話して、エリック・クラプトンと共に演奏した。またボナマッサは、自分の曲をかけてくれたラジオ番組「ポール・ジョーンズ・ラジオ・アワー」への讃辞を送り、[[マンフレッド・マン (バンド)|マンフレッド・マン]]のメンバーであった[[ポール・ジョーンズ]]が1曲にハーモニカで参加した。ボナマッサはこの日が人生最良の日であるとして、共に過ごした観客へ感謝の念を示した。


2011年3月11日に起こった[[東日本大震災]]に伴い、同年5月10日に東京で予定されていたコンサートを中止した。後に9月19日に振替公演が行われた。
2011年3月11日に起こった[[東日本大震災]]に伴い、同年5月10日に東京で予定されていたコンサートを中止した。後に9月19日に振替公演が行われた。
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*2009年
*2009年
:9月12日(土)福岡 Gate's7
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:9月14日(月)大阪 BIGCAT
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:9月15日(火)東京 ブルース/ロック・ギター・スペシャル・セミナー<ref>[http://www.tokyobandsummit.jp/2009/915sp.html Tokyo Band Summit]</ref>
:9月15日(火)東京 ブルース/ロック・ギター・スペシャル・セミナー<ref>[http://www.tokyobandsummit.jp/2009/915sp.html Tokyo Band Summit]</ref>
:9月16日(水)東京 UNIT
:9月16日(水)東京 UNIT
*2010年
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:4月7日(水)東京 LIQUIDROOM
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:4月8日(木)大阪 BIGCAT
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*2012年
*2012年
:9月19日(水)東京 日本青年館 大ホール
:9月19日(水)[[日本青年館]] 大ホール


== ディスコグラフィー ==
== ディスコグラフィー ==
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*ア・ニューデイ・イエスタデイ ライヴ - ''A New Day Yesterday, Live''(2002年)
*ア・ニューデイ・イエスタデイ ライヴ - ''A New Day Yesterday, Live''(2002年)
*ブルース・デラックス - ''Blues Deluxe''(2003年)
*ブルース・デラックス - ''Blues Deluxe''(2003年)
*ハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイ - ''Had To Cry Today''(2004年)
*ハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイ - ''Had to Cry Today''(2004年)
*ユー・アンド・ミー - ''You & Me''(2006年)
*ユー・アンド・ミー - ''You & Me''(2006年)
*スロー・ジン - ''Sloe Gin''(2007年)
*スロー・ジン - ''Sloe Gin''(2007年)
*シェパーズ・ブッシュ・エンパイア - Shepherds Bush Empire''(2007年)
*シェパーズ・ブッシュ・エンパイア - Shepherds Bush Empire''(2007年)
*ライヴ・フロム・ノーウェア・イン・パティキュラー - ''Live From Nowhere In Particular''(2008年)
*ライヴ・フロム・ノーウェア・イン・パティキュラー - ''Live from Nowhere in Particular''(2008年)
*ザ・バラード・オブ・ジョン・ヘンリー - ''The Ballad Of John Henry''(2009年)
*ザ・バラード・オブ・ジョン・ヘンリー - ''The Ballad of John Henry''(2009年)
*ザ・ベスト・オブ・ジョー・ボナマッサ - ''The Best Of Joe Bonamassa''(日本のみ)(2009年)
*ザ・ベスト・オブ・ジョー・ボナマッサ - ''The Best of Joe Bonamassa''(日本のみ)(2009年)
*ライヴ・フロム・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール - ''Live From The Royal Albert Hall''(2009年)
*ライヴ・フロム・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール - ''Live from the Royal Albert Hall''(2009年)
*ブラック・ロック - ''Black Rock''(2010年)
*ブラック・ロック - ''Black Rock''(2010年)
*ダスト・ボウル - ''Dust Bowl''(2011年)
*ダスト・ボウル - ''Dust Bowl''(2011年)
*ドント・エクスプレイン - ''Don't Explain''([[ベス・ハート]]との共作)(2011年)
*ドント・エクスプレイン - ''Don't Explain''([[ベス・ハート]]との共作)(2011年)
*ドライビング・タワーズ・ザ・デイライト - ''Driving Towards The Daylight''(2012年)
*ドライビング・タワーズ・ザ・デイライト - ''Driving Towards the Daylight''(2012年)


'''ブラック・カントリー・コミュニオン'''
'''ブラック・カントリー・コミュニオン'''

2013年7月25日 (木) 07:40時点における版

ジョー・ボナマッサ
ジョー・ボナマッサ
基本情報
生誕 (1977-05-08) 1977年5月8日(47歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ユーティカ
ジャンル ブルースロック
職業 ギタリストシンガーソングライター
担当楽器 ギター
共同作業者 ブラッドライン
公式サイト http://www.jbonamassa.com

ジョー・ボナマッサ(Joe Bonamassa、1977年5月8日-)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ユーティカ出身のギタリストシンガーソングライターである。

来歴

11歳の頃、カントリー・ミュージシャンのダニー・ガットンの下で、カントリーやジャズハードロックについて学び、度々ガットンのバンドにも加わっていった。翌年にはB.B.キングの前座を務めるようにもなった。14歳になって、フェンダーギターのイベントに参加して、その時にベリー・オークリー・ジュニアと出会った。ボナマッサとオークリーは、マイルス・デイヴィスの息子であるエリンと、ロビー・クリーガーの息子であるウェイロンを誘って、ブラッドラインを結成した。彼らはアルバム1作とヒット・シングルを2作発売し、すぐに解散した。

2000年に、トム・ダウドによるプロデュースの下、ア・ニュー・デイ・イエスタデイと共にソロデビューを果たした。すぐに、ドラマーのケニー・クラーム、及びベーシストのエリック・ザー共に、プロモーションツアーを行った。

ツアーを終えると、すぐに2作目のアルバム『ソー・イッツ・ライク・ザット』をクリフ・マグネスをプロデューサーに迎え、制作に取り掛かる。このアルバムは、前作よりも古いロックの要素を取り入れたこのアルバムは、ビルボードのブルース・チャートでは1位となった。

2003年に発売した3作目の『ブルース・デラックス』は、好意的な評価を得た。この年はアメリカ合衆国議会によってブルースの年と定められており、その事実を支えるために発売された。収録されたうち9曲が古いブルースの曲であり、ボナマッサの自作曲は3作のみであった。前作と同じく、ビルボードのブルース・チャートで1位を得た。

2005年に発売したハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイでは、ソー・イッツ・ライク・ザットのような古いロックの要素を改めて取り入れた。2005年後半になり、それまで共にしてきたバンドと決別して、新たにベーシストとしてマーク・エプスタイン、そしてケニー・ウェイン・シェパードのドラマーであったボギー・ボウルズと組んだ。

2006年には、5作目のアルバム『ユー・アンド・ミー』を発売した。このアルバムでは、ジョン・ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムなど、著名なスタジオ・ミュージシャンを数名起用した。ビルボードのブルース・チャートで1位を獲得した。

スロー・ジンは、2007年8月の発売から10週以上に渡って、ビルボードのブルース・チャートに残った。今までのアルバムとは異なり、ここではアコースティック・ギターを使用した楽曲が増えている。この時期には、ツアーバンドのベーシストがカルミネ・ロハスへと変わり、リック・メリックがキーボードとして加わった。彼らは、ユー・アンド・ミーとスロー・ジンの録音にも参加した。

2008年11月9日、イギリスの冠ラジオ番組「ポール・ジョーンズ・ラジオ・アワー」が放送された。番組では、B.B.キングマディ・ウォーターズロリー・ギャラガー、そしてエリック・クラプトンなどを流した。11月、ボナマッサは翌年5月4日にロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートを発表し、チケットは1週間で完売した。彼はこのコンサートを「20年間のキャリア総括」と表現した。

このロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートで、ボナマッサは初めて学んだ曲が「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」であったと話して、エリック・クラプトンと共に演奏した。またボナマッサは、自分の曲をかけてくれた冠番組への讃辞を送り、マンフレッド・マンのメンバーであったポール・ジョーンズが1曲にハーモニカで参加した。ボナマッサはこの日が人生最良の日であるとして、共に過ごした観客へ感謝の念を示した。

2011年3月11日に起こった東日本大震災に伴い、同年5月10日に東京で予定されていたコンサートを中止した。後に9月19日に振替公演が行われた。

日本公演

  • 2008年
12月16日(火)東京 ヤマハ・アコースティックギター・クリニック[1]
  • 2009年
9月12日(土)福岡 Gate's7
9月14日(月)BIG CAT
9月15日(火)東京 ブルース/ロック・ギター・スペシャル・セミナー[2]
9月16日(水)東京 UNIT
  • 2010年
4月7日(水)LIQUIDROOM
4月8日(木)BIG CAT
  • 2012年
9月19日(水)日本青年館 大ホール

ディスコグラフィー

2008年までの作品は邦盤が発売されていないので、それまでの作品に関しては公式の邦題は存在しない。

ブラッドライン

  • ブラッドライン - Bloodline(1994年)

ジョー・ボナマッサ

  • ア・ニューデイ・イエスタデイ - A New Day Yesterday(2000年)
  • ソー・イッツ・ライク・ザット - So, It's Like That(2002年)
  • ア・ニューデイ・イエスタデイ ライヴ - A New Day Yesterday, Live(2002年)
  • ブルース・デラックス - Blues Deluxe(2003年)
  • ハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイ - Had to Cry Today(2004年)
  • ユー・アンド・ミー - You & Me(2006年)
  • スロー・ジン - Sloe Gin(2007年)
  • シェパーズ・ブッシュ・エンパイア - Shepherds Bush Empire(2007年)
  • ライヴ・フロム・ノーウェア・イン・パティキュラー - Live from Nowhere in Particular(2008年)
  • ザ・バラード・オブ・ジョン・ヘンリー - The Ballad of John Henry(2009年)
  • ザ・ベスト・オブ・ジョー・ボナマッサ - The Best of Joe Bonamassa(日本のみ)(2009年)
  • ライヴ・フロム・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール - Live from the Royal Albert Hall(2009年)
  • ブラック・ロック - Black Rock(2010年)
  • ダスト・ボウル - Dust Bowl(2011年)
  • ドント・エクスプレイン - Don't Explainベス・ハートとの共作)(2011年)
  • ドライビング・タワーズ・ザ・デイライト - Driving Towards the Daylight(2012年)

ブラック・カントリー・コミュニオン

  • ブラック・カントリー - Black Country(2010年)
  • 2(2011年)
  • ライヴ・オーヴァー・ヨーロッパ - Live Over Europe(2012年)

脚注

外部リンク