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「岡崎宏美」の版間の差分

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*日本社会党中央総支部女性対策部長
*日本社会党中央総支部女性対策部長
*新社会党副委員長
*新社会党副委員長

== 政策・主張 ==
* 選択的[[夫婦別姓]]制度や[[婚外子]]差別撤廃などに賛成し、[[民法改正]]を主張していた。「女性差別撤廃条約も批准された、そして国内でもいろいろな運動も展開された、そしてその中で女性の生き方を束縛するような問題で速やかに解決するべき」と述べている<ref>第122回国会 法務委員会 議事録 第2号 平成三年十二月四日(水曜日)</ref>。


== その他 ==
== その他 ==
旧社会党では左派に属していたため、党内多数を占めていた右派の前に苦杯を舐めることが多かった。
*旧社会党では左派に属していた。
*選挙などでは「岡崎ひろみ」という表記をよく使っていた。

選挙などでは「岡崎ひろみ」という表記をよく使っていた。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*1998年6月 岡崎ひろみ著『国会に窓はない 土井たか子さんへの訣別宣言』教育史料出版会、ISBN 487652341X
*1998年6月 岡崎ひろみ著『国会に窓はない 土井たか子さんへの訣別宣言』教育史料出版会、ISBN 487652341X

== 脚注 ==
<references />


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2013年9月6日 (金) 10:07時点における版

岡崎 宏美(おかざき ひろみ、1951年 - )は、日本の政治家新社会党所属の元衆議院議員(2期)。

来歴

兵庫県立明石南高等学校卒業。社会党員であり、第39回総選挙に旧兵庫1区から立候補しようとした。しかし、当時の県本部を掌握していた右派の推す土肥隆一に公認争いで破れ無所属での立候補を余儀なくされるものの最下位ながら初当選を果たした。

選挙後社会党会派入りするも、第40回総選挙においても同様に公認争いで破れ無所属での立候補となる。再選は果たしたものの、左派右派の調整に動こうとしない土井たか子委員長の姿勢に疑問を抱きつつあった。そして、社会党そのものが右傾化していく流れの中、岡崎は矢田部理参議院議員らとともに1996年1月1日、新社会党に参加した。そのため社会党員を除名されることとなる。その後、第41回総選挙には比例近畿ブロックの新社会党名簿第1位として立候補したが落選し議席を失った。その後、総選挙、参議院選挙でも落選を経験し、原和美ら後進に道を譲る形で新社会党副委員長も辞任したが、政治家としての活動は続けている。

政歴

過去に経験した役職

  • 日本社会党中央総支部女性対策部長
  • 新社会党副委員長

政策・主張

  • 選択的夫婦別姓制度や婚外子差別撤廃などに賛成し、民法改正を主張していた。「女性差別撤廃条約も批准された、そして国内でもいろいろな運動も展開された、そしてその中で女性の生き方を束縛するような問題で速やかに解決するべき」と述べている[1]

その他

  • 旧社会党では左派に属していた。
  • 選挙などでは「岡崎ひろみ」という表記をよく使っていた。

参考文献

  • 1998年6月 岡崎ひろみ著『国会に窓はない 土井たか子さんへの訣別宣言』教育史料出版会、ISBN 487652341X

脚注

  1. ^ 第122回国会 法務委員会 議事録 第2号 平成三年十二月四日(水曜日)

外部リンク