「正定県」の版間の差分
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2013年9月16日 (月) 00:07時点における版
中華人民共和国 河北省 正定県 | |
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臨済寺 | |
簡体字 | 正定 |
繁体字 | 正定 |
拼音 | Zhèngdìng |
カタカナ転写 | ヂェンディン |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 河北 |
地級市 | 石家荘市 |
行政級別 | 県 |
面積 | |
総面積 | 468 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 44 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0311 |
郵便番号 | 050800 |
行政区画代碼 | 130123 |
公式ウェブサイト: http://www.zd.gov.cn/ |
中国地名の変遷 | |
建置 | 秦代 |
使用状況 | 正定県 |
秦 | 東垣県(恒山郡) |
---|---|
前漢 | 真定県(真定国) |
後漢 | 真定県(常山国) |
三国 | 真定県(常山郡) |
南北朝 | 真定県(恒州) |
隋 | 真定県(常山郡) |
唐 | 真定県(鎮州) |
北宋/遼 | 真定県(真定府) |
元 | 真定路 |
明 | 真定県(真定府) |
清 | 正定県(正定府) |
中華民国 | 正定県 |
現代 | 正定県 |
正定県(せいてい-けん)は中華人民共和国河北省石家荘市に位置する県。滹沱河(こだか)の北岸にある。臨済宗発祥の地である臨済寺などが有名な古都で、国家歴史文化名城の一つに指定されている。
歴史
前475年、鮮虞国が晋国滅亡させられ晋国の版図に組み込まれたが、戦国初期の前475年、鮮虞人により中山国が建国され、東垣邑が設置された。前296年、中山国は趙国に滅ぼされ、その版図とされた。
秦朝による中国統一が達成されると東垣邑は東垣県と改編され、治所が現在の石家荘市古城村附近に設置され、鉅鹿郡の管轄とされた。漢初は東垣県とされていたが、前196年に真定県と改称され恒山郡(後に常山郡に改称)に属した。前113年(元鼎4年)、常山郡の北部に真定国が設置され、藁城県、肥塁県、綿曼県と共に真定県がその管轄とされた。後漢が成立した37年(建武13年、真定国は廃止となり真定県は常山国へと移管された。
三国時代、真定県は魏常山郡の管轄とされ、続く晋代には常山郡治所が元氏県より真定県に移転したことより、河北中部の政治、経済、文化の中心地としての地位を確立している。
578年(宣政元年)、北周は定州及び常山郡の一部に新たに恒州を設置し、真定県を管轄するようになった。596年(開皇16年)、真定県より常山県が分割されている。唐代も真定県が沿用されていた。689年(長安元年)、武則天により一時中山県と改称されたが、705年(神龍元年)に真定県に名称が戻され清初まで沿用されている。1723年(雍正元年)、真定県は正定県と改称され現在の名称が誕生している。
歴史上、真定国、恒山郡、常山郡、恒州、鎮州、真定府などが置かれてきた古都であり、河北中部の中心地であったが、近代に滹沱河南岸の石家荘の村に京広線の駅が開設されると、石家荘の経済的地位が高まり、政治経済の中心もやがて石家荘(一時、石門市と称された)へと移っていった。
行政区画
下部に1街道4鎮5郷を管轄する
- 街道:城区街道
- 鎮:正定鎮、諸福屯鎮、新城鋪鎮、新安鎮
- 郷:南牛郷、南楼郷、西平楽郷、北早現郷、曲陽橋郷
経済
経済は農業中心で、食品工業、製薬工業、化学工業などの工場もある。
交通
観光地
河北省の古都であるため県城城郭や文廟が保全されているほか、隋代に建立された隆興寺などの古跡が位置する。また東魏の540年(興和2年)に県城東南の滹沱河岸の臨済村に建立された臨済寺は、臨済義玄が臨済宗を興した寺院として有名である。その他、広恵寺、天寧寺、開元寺、福慶寺など東魏から唐にかけての仏教寺院の建物や跡が存在する。