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「荒祭宮」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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本項は「荒祭宮」という神社に関する項目で、天照大神荒魂の扱いに関する解説は別項。御霊神社は特筆性に欠けるとして除く。
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* [[伊勢市]]
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* [[廣田神社]] - 同じく天照大神の荒御魂を祀る。祭神名は「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」と伝える。昭和31年、荒祭宮の旧社殿を譲り受けて本殿を竣工。
* [[廣田神社]] - 同じく天照大神の荒御魂を祀る。祭神名は「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」と伝える。昭和31年、荒祭宮の旧社殿を譲り受けて本殿を竣工。
* [[瀬織津姫]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2013年12月14日 (土) 06:48時点における版

荒祭宮
荒祭宮
所在地 三重県伊勢市宇治館町
位置 北緯34度27分22秒 東経136度43分30秒 / 北緯34.45611度 東経136.72500度 / 34.45611; 136.72500
主祭神 天照大神荒魂
社格 式内社
皇大神宮別宮
創建 804年以前
本殿の様式 神明造
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荒祭宮(あらまつりのみや)は三重県伊勢市宇治館町にある内宮(皇大神宮)の境内別宮である。

祭神は天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)。

概要

参道の神宮杉
荒祭宮遥拝所
踏まぬ石

荒祭宮は内宮正宮北方にある。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。荒祭宮を「荒魂を祭る宮」の意味とするのが定説である。

天照大神荒魂を祀る内宮の別宮は境外に瀧原竝宮(たきはらならびのみや)があるが、荒祭宮は内宮に月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、瀧原宮、瀧原竝宮、伊雑宮風日祈宮倭姫宮と、あわせて10ある別宮の中で第1位とされる。他の別宮よりも社殿が大きく、神御衣祭(かんみそさい)は外宮(豊受大神宮)では行なわないが、内宮正宮と荒祭宮では毎年5月と10月に行なわれる。

内宮正宮参拝後に参拝するのが正しいとされ、正宮石垣の角の籾種石(もみだねいし)を右手に見ながら右へ進み、稲を納める御稲御倉(みしねのみくら)、古い神宝を納める外幣殿(げへいでん)を左手に見ながら進んだ先の石段を一度降り、次の石段を上った先に荒祭宮がある。この時に降りる石段には4つに割れ「」の字のように見える石がある。この石は踏まぬ石と呼ばれ、避けて通らなければならないとされる。踏まぬ石は天から降って来たと伝えられるが定かではない。

荒祭宮に参拝できない場合のため、籾種石の近くに石畳の荒祭宮遥拝所が設けられている。

籾種石

籾種石

籾種石は、天明年間の第51回内宮式年遷宮1781年-1789年)に、楠部郷(現在の伊勢市楠部町)の住民が五十鈴川上流から苦労して運び奉納した石と伝えられている。この時、農作業よりも石の運搬を優先したため食料不足に陥り、を食べるしかなくなったことから籾種石と名付けられたという。ここでの五十鈴川は、現在の五十鈴川本流ではなく現在の島路川であろう。

御稲御倉

御稲御倉

御稲御倉は御稲御倉神を祀る内宮所管社で、神宮神田で収穫された稲を納める倉でもある。社殿は高床式倉庫に近い神明造で、社殿に垣がないため神明造の特徴を観察することができる[1]

祭神

天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)。天照大神荒魂である。804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』において、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 神宮の荒御魂宮と称う」とあり、また、927年(延長5年)成立の『延喜式』において、「荒祭宮一座 大神の荒魂」と記載されている。  

祭事

皇大神宮に準じた祭事が行なわれ、神饌の種類や数量は正宮とほぼ同等である。祈年祭、月次祭、神嘗祭新嘗祭の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)があり、皇室の勅使は正宮に続き、内宮別宮のうち荒祭宮のみに参行する。また、神宮式年遷宮の際は、内宮別宮のうちでは荒祭宮だけが正宮とほぼ同時期に遷宮を行う。なお、外宮別宮も本宮の荒魂を祀る多賀宮だけが同様の扱いを受けている。

社殿

荒祭宮の社殿は内宮に準じ内削ぎの千木と、6本で偶数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している。遷宮のための古殿地(新御敷地)は、東西に隣接している。幅6.42m(行2丈1尺2寸)、奥行4.24m(妻1丈4尺)、高さ4.48m(1丈4尺8寸)と、他の別宮よりも大きく定められている。

交通

関連項目

脚注

  1. ^ 『お伊勢まいり』

参考資料

  • 『伊勢の大神の宮』(桜井勝之進著、堀書店、昭和48年3月25日発行)
  • 『お伊勢まいり』(発行:伊勢神宮崇敬会)

外部リンク