「アントニオ・ストラディバリ」の版間の差分
m →生涯: typo |
m編集の要約なし |
||
28行目: | 28行目: | ||
== 生涯 == |
== 生涯 == |
||
1644年に生まれたとされているが、正確な誕生月日は不明。父はアレサンドロ・ストラディバリ(Alessandro Stradivari)、母はアンナ(Anna née Moroni)。[[1667年]]から[[1679年]]まで、ニコロ・アマティの[[アトリエ|工房]]で弟子として楽器の製作技術を学んだ。[[1680年]]、クレモナのサン・ドメニコ広場(Piazza San Domenico)に工房を構えると、若くして楽器製作者としての名声を得た。その生涯で1,116挺の楽器を製作したとされ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、[[マンドリン]]、[[ギター]]を含む約600挺が現存している<ref>[http://www.cnn.co.jp/showbiz/35035364.html ロンドンで盗まれたストラディバリウス、2年半ぶりに発見](cnn.co.jp 2013年7月31日)</ref>。ストラディバリの独創性はアマティの様式の変更を通じて発揮され、ばらつきのあった木の厚みをより厳密に制御し、ヘッドスクロールの概念を確立し、[[音色]]を締めるための[[ニス]]はより色濃くなった。 |
|||
1737年12月18日、イタリアのクレモナにて死去し、サン・ドメニコの[[バシリカ]]に埋葬された。この教会は[[1868年]]に解体されたため、ストラディバリの遺骸は失われた。 |
|||
== ストラディバリウス == |
== ストラディバリウス == |
||
:''[[:w:Stradivarius]]を参照'' |
:''[[:w:Stradivarius]]を参照'' |
||
[[Image:PalacioReal_Stradivarius1.jpg|thumb|250px|[[マドリード]]の王宮に展示されているストラディバリウス。1687年頃のもの。]] |
[[Image:PalacioReal_Stradivarius1.jpg|thumb|250px|[[マドリード]]の王宮に展示されているストラディバリウス。1687年頃のもの。]] |
||
ストラディバリの製作した弦楽器には、18世紀の[[法令]]に基づき[[ラテン語]]にて''Antonius Stradivarius Cremonensis''というラベル( |
ストラディバリの製作した弦楽器には、[[18世紀]]の[[法令]]に基づき[[ラテン語]]にて''Antonius Stradivarius Cremonensis''というラベル(クレモナのアントニオ・ストラディバリ作、の意)が貼られている。ここから、彼の手による弦楽器は「ストラディバリウス」あるいは省略して「ストラド」と呼ばれる。 |
||
ストラディバリウスはヴァイオリニストや収集家の羨望の的であり、しばしば[[オークション]]において高額で落札される。現存する真作で最も高値をつけたのは[[2011年]][[6月21日]]に1589万4000ドル(約12億7420万円)で落札された[[1721年]]製の[[ストラディバリウス]]「[[:en:Lady_Blunt|レディ・ブラント]]」である<ref>[http://realtime.wsj.com/japan/2011/06/22/%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%87%e3%82%a3%e3%83%90%e3%83%aa%e3%82%a6%e3%82%b9%e3%80%81%e9%81%8e%e5%8e%bb%e6%9c%80%e9%ab%98%e3%81%ae127%e5%84%84%e5%86%86%e3%81%a7%e8%90%bd%e6%9c%ad%e2%94%80/ ストラディバリウス、過去最高の12.7億円で落札─震災復興支援に](JAPAN REAL TIME 2011年6月22日)</ref>。それ以前は[[2006年]]に約4億円で競り落とされたものが最高記録だった<ref>[http://j.peopledaily.com.cn/2006/05/17/jp20060517_59840.html ストラディバリウス、4億円で落札 楽器の最高記録に asahi.com]([[人民日報]]社)</ref>。また、[[1699年]]製(愛称不明)が2億1700万円で落札されている。日本人では[[高嶋ちさ子]]がルーシーを2億円で購入、[[千住真理子]]がデュランティを2-3億円(正確な金額は非公表)で購入している。 |
ストラディバリウスは[[ヴァイオリニスト]]や収集家の羨望の的であり、しばしば[[オークション]]において高額で落札される。現存する真作で最も高値をつけたのは[[2011年]][[6月21日]]に1589万4000ドル(約12億7420万円)で落札された[[1721年]]製の[[ストラディバリウス]]「[[:en:Lady_Blunt|レディ・ブラント]]」である<ref>[http://realtime.wsj.com/japan/2011/06/22/%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%87%e3%82%a3%e3%83%90%e3%83%aa%e3%82%a6%e3%82%b9%e3%80%81%e9%81%8e%e5%8e%bb%e6%9c%80%e9%ab%98%e3%81%ae127%e5%84%84%e5%86%86%e3%81%a7%e8%90%bd%e6%9c%ad%e2%94%80/ ストラディバリウス、過去最高の12.7億円で落札─震災復興支援に](JAPAN REAL TIME 2011年6月22日)</ref>。それ以前は[[2006年]]に約4億円で競り落とされたものが最高記録だった<ref>[http://j.peopledaily.com.cn/2006/05/17/jp20060517_59840.html ストラディバリウス、4億円で落札 楽器の最高記録に asahi.com]([[人民日報]]社)</ref>。また、[[1699年]]製(愛称不明)が2億1700万円で落札されている。日本人では[[高嶋ちさ子]]がルーシーを2億円で購入、[[千住真理子]]がデュランティを2-3億円(正確な金額は非公表)で購入している。 |
||
=== ストラド・モデル === |
=== ストラド・モデル === |
||
[[ファイル:Stradivarius_violin_front.jpg|thumb|left|150px|ベルリンの楽器博物館に展示されているストラディバリウス。1703年のもの。]] |
[[ファイル:Stradivarius_violin_front.jpg|thumb|left|150px|ベルリンの楽器博物館に展示されているストラディバリウス。1703年のもの。]] |
||
ストラディバリのヴァイオリンやチェロの寸法などをコピーして作られた楽器は「ストラド・モデル」と呼ばれる。ストラド・モデルは、ヘッドスクロールやF字孔の形状などが主たる模倣の対象で、[[グァルネリ#グァルネリ・デル・ジェス|グァルネリ・デル・ジェス]]の模倣と並び、ヴァイオリン属のデザインの古典となっている。これらストラド・モデルは、名前がつけられている特定の楽器の(傷や左右非対称といった)忠実な外的模倣から、現存するストラディバリウスの最大公約数に基づいたコピーまで多様である。 |
ストラディバリのヴァイオリンやチェロの寸法などをコピーして作られた楽器は「ストラド・モデル」と呼ばれる。ストラド・モデルは、ヘッドスクロールや[[f字孔|F字孔]]の形状などが主たる模倣の対象で、[[グァルネリ#グァルネリ・デル・ジェス|グァルネリ・デル・ジェス]]の模倣と並び、[[ヴァイオリン属]]のデザインの古典となっている。これらストラド・モデルは、名前がつけられている特定の楽器の(傷や左右非対称といった)忠実な外的模倣から、現存するストラディバリウスの最大公約数に基づいたコピーまで多様である。 |
||
ストラディバリのヴァイオリンはその有する特徴から、三つの時期に分類できるとされる。このうち最後の時期においては、ヴァイオリンのボディ長の設計を約3mm拡大し355mm前後とした楽器(後にロングモデル、ロングストラドなどと呼ばれる)を主に製作している<ref>18世紀初頭における標準であったオールドイタリアンヴァイオリンのボディ長は352mm前後であった。</ref>。現代の寸法標準は、ストラドのロングモデルから形式的に取られており、世界中の職人がそれに則っている。 |
ストラディバリのヴァイオリンはその有する特徴から、三つの時期に分類できるとされる。このうち最後の時期においては、ヴァイオリンのボディ長の設計を約3mm拡大し355mm前後とした楽器(後にロングモデル、ロングストラドなどと呼ばれる)を主に製作している<ref>18世紀初頭における標準であったオールドイタリアンヴァイオリンのボディ長は352mm前後であった。</ref>。現代の寸法標準は、ストラドのロングモデルから形式的に取られており、世界中の職人がそれに則っている。 |
||
=== 製造技術 === |
=== 製造技術 === |
||
1737年ストラディバリの死後、ストラディバリ・ファミリーの純然たる後継者はおらず、[[1745年]]、ほとんどの楽器職人がクレモナから逃避したことを機に、楽器製作の伝統は途切れた。その間のクレモナ市の参事会を構成する地元の貴族や有力者は、外国の王侯貴族の庇護で裕福になる楽器職人の存在を快く思わなかった。そのためストラディバリの死後、三男のパオロ・ストラディバリは父アントニオと二人の兄から相続した楽器の製作道具を「クレモナ市内で使用しないこと」を条件に売却した<ref>横山進一『ストラディバリウス』(アスキー新書)アスキー・メディアワークス、2008年 ISBN978-4-04-8674</ref>。 |
|||
また、ストラディバリの時代のヴァイオリンは[[バロック・ヴァイオリン]]と呼ばれるものであり、主に[[室内楽]]に用いられた。市民革命後、王侯貴族の音楽である室内楽から、劇場における演奏会へと演奏形態が変化した。19世紀になって楽器製作の中心はパリに移り、より大きな華やかな音が出るヴァイオリンが求められ、[[ヴィヨーム]]や[[ルポー]]らによって、ネックの傾斜や指板の長さ・傾きとコマの高さのバランスが改造された。このような音楽のヴァイオリンに対する要請の変化の中で、最高峰の音色・音量を堅持して現在まで生き残っているのが、ストラディバリウスを頂点とするオールドイタリアンヴァイオリンである。 |
また、ストラディバリの時代のヴァイオリンは[[バロック・ヴァイオリン]]と呼ばれるものであり、主に[[室内楽]]に用いられた。[[市民革命]]後、王侯貴族の音楽である室内楽から、劇場における演奏会へと演奏形態が変化した。[[19世紀]]になって楽器製作の中心は[[パリ]]に移り、より大きな華やかな音が出るヴァイオリンが求められ、[[ヴィヨーム]]や[[ルポー]]らによって、ネックの傾斜や[[指板]]の長さ・傾きと[[駒 (弦楽器)|コマ]]の高さのバランスが改造された。このような音楽のヴァイオリンに対する要請の変化の中で、最高峰の音色・音量を堅持して現在まで生き残っているのが、ストラディバリウスを頂点とするオールドイタリアンヴァイオリンである。 |
||
かつては楽器の表面につかわれたニスがストラディバリウスの音色の鍵だとされていたが、21世紀に入ってこれは否定された<ref>[http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2671336/4995259?utm_source=yahoo&utm_medium=news&utm_campaign=txt_link_Wed_p1 ストラディバリウスの音色の秘密は「ニス」にあらず、仏独研究] AFP 2009年12月05日</ref>。現代の弦楽器製作の技術は、楽器そのものに対する科学的な研究や技術開発が進んだこともあり、ストラディバリの時代の木工製作技術より優れている<ref>佐々木朗『これ1冊ですべて分かる 弦楽器のしくみとメンテナンス マイスターのQ&A』音楽之友社、2000年 ISBN4-276-12457-3</ref>。 |
かつては楽器の表面につかわれたニスがストラディバリウスの音色の鍵だとされていたが、21世紀に入ってこれは否定された<ref>[http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2671336/4995259?utm_source=yahoo&utm_medium=news&utm_campaign=txt_link_Wed_p1 ストラディバリウスの音色の秘密は「ニス」にあらず、仏独研究] AFP 2009年12月05日</ref>。現代の弦楽器製作の技術は、楽器そのものに対する科学的な研究や技術開発が進んだこともあり、ストラディバリの時代の木工製作技術より優れている<ref>佐々木朗『これ1冊ですべて分かる 弦楽器のしくみとメンテナンス マイスターのQ&A』音楽之友社、2000年 ISBN4-276-12457-3</ref>。 |
||
=== 入手可能性 === |
=== 入手可能性 === |
||
海外では著名オークションを経由して手に入れることが可能である<ref>[http://www.christies.com/LotFinder/lfsearch_coa/SearchResults.aspx?SN=sale+%23&LN=lot+%23&entry=Stradivarius+&searchbtn.x=51&searchbtn.y=8 items found for Stradivarius](競売会社[[クリスティーズ]]公式サイトにおける「Stradivarius」の検索結果)</ref>。日本国内では、特定の老舗弦楽器商で仕入れられることがある。また、資産家や所有団体、関係団体から演奏家へ |
海外では著名オークションを経由して手に入れることが可能である<ref>[http://www.christies.com/LotFinder/lfsearch_coa/SearchResults.aspx?SN=sale+%23&LN=lot+%23&entry=Stradivarius+&searchbtn.x=51&searchbtn.y=8 items found for Stradivarius](競売会社[[クリスティーズ]]公式サイトにおける「Stradivarius」の検索結果)</ref>。日本国内では、特定の老舗弦楽器商で仕入れられることがある。また、資産家や所有団体、関係団体から演奏家へ期間限定あるいは終身契約で貸与される場合がある。日本では、[[公益法人]]や企業の保有しているストラディバリウスが音楽家に貸与されている<ref>[[日本音楽財団]]、[[サントリー]]、[[宗次エンジェルヴァイオリンコンクール]]</ref>。特に[[日本音楽財団]]は複数のストラディバリウスを保有し、国内外の演奏家に無償貸与している。 |
||
=== ストラディバリウスにまつわるエピソード=== |
=== ストラディバリウスにまつわるエピソード=== |
||
72行目: | 72行目: | ||
| ドラゴネッティ || Vl || [[南紫音]] || 貸与:日本音楽財団 || 貸与終了--> |
| ドラゴネッティ || Vl || [[南紫音]] || 貸与:日本音楽財団 || 貸与終了--> |
||
|- |
|- |
||
! 1703年 |
! [[1703年]] |
||
| ディクソン・ポインダー(Dickson-Poynder) || Vl || [[辻久子]] || 自己所有 || 自宅を売却し、購入資金に充てた。名称は以前の所有者{{仮リンク|ジョン・ディクソン=ポインダー|en|John Dickson-Poynder, 1st Baron Islington}}に由来する。 |
| ディクソン・ポインダー(Dickson-Poynder) || Vl || [[辻久子]] || 自己所有 || 自宅を売却し、購入資金に充てた。名称は以前の所有者{{仮リンク|ジョン・ディクソン=ポインダー|en|John Dickson-Poynder, 1st Baron Islington}}に由来する。 |
||
|- |
|- |
||
! 1707年 |
! [[1707年]] |
||
| ステラ(Stella) || Vl || [[二村英仁]] || 自己所有 || オランダの貴族が所有していたもの |
| ステラ(Stella) || Vl || [[二村英仁]] || 自己所有 || オランダの貴族が所有していたもの |
||
|- |
|- |
||
81行目: | 81行目: | ||
| カンポセリーチェ(Camposelice) || Vl || [[竹澤恭子]] || 貸与:日本音楽財団 || |
| カンポセリーチェ(Camposelice) || Vl || [[竹澤恭子]] || 貸与:日本音楽財団 || |
||
|--> |
|--> |
||
! 1713年 |
! [[1713年]] |
||
| レディ・レイ || Vl || [[浦川宜也]] || 不明 || 一時的に所有し、モーツァルトソナタ集の収録に使用。その後この楽器は日本ヴァイオリン経由で香港のヴァイオリニスト {{仮リンク|姚珏(ジュエ・ヤオ))|zh|姚珏}}に渡る(彼女はそれによって中国人初のストラディヴァリウス弾きとなる)<ref>中澤宗幸『ストラディヴァリウスの真実と嘘』世界文化社、2011年。</ref>。 |
| レディ・レイ || Vl || [[浦川宜也]] || 不明 || 一時的に所有し、モーツァルトソナタ集の収録に使用。その後この楽器は日本ヴァイオリン経由で香港のヴァイオリニスト {{仮リンク|姚珏(ジュエ・ヤオ))|zh|姚珏}}に渡る(彼女はそれによって中国人初のストラディヴァリウス弾きとなる)<ref>中澤宗幸『ストラディヴァリウスの真実と嘘』世界文化社、2011年。</ref>。 |
||
|- |
|- |
||
! 1714年 |
! [[1714年]] |
||
| [[ドルフィン (ヴァイオリン)|ドルフィン]](Dolphin) || Vl || style="white-space:nowrap"|[[諏訪内晶子]] || 貸与:日本音楽財団 || [[ヤッシャ・ハイフェッツ]]が所有していたもの。三大ストラディヴァリウスの一つ。[[アラード]]([[1715年]])は個人のコレクターが所有、[[メサイア]]([[1716年]])は[[イギリス]]の[[オックスフォード]]の[[アシュモリアン美術館]]に展示中。 |
| [[ドルフィン (ヴァイオリン)|ドルフィン]](Dolphin) || Vl || style="white-space:nowrap"|[[諏訪内晶子]] || 貸与:日本音楽財団 || [[ヤッシャ・ハイフェッツ]]が所有していたもの。三大ストラディヴァリウスの一つ。[[アラード]]([[1715年]])は個人のコレクターが所有、[[メサイア]]([[1716年]])は[[イギリス]]の[[オックスフォード]]の[[アシュモリアン美術館]]に展示中。 |
||
|- |
|- |
||
! 1715年 |
! [[1715年]] |
||
| エクス・ピエール・ローデ || Vl || [[五嶋龍]] || style="white-space:nowrap"|貸与 |
| エクス・ピエール・ローデ || Vl || [[五嶋龍]] || style="white-space:nowrap"|貸与:[[宗次徳二|NPO法人イエロー・エンジェル]] || - |
||
|- |
|- |
||
! 1715年 |
! 1715年 |
||
| 不明 || Vl || [[川井郁子]] || style="white-space:nowrap"|貸与:大阪芸術大学|| - |
| 不明 || Vl || [[川井郁子]] || style="white-space:nowrap"|貸与:[[大阪芸術大学]]|| - |
||
|- |
|- |
||
! 1717年 |
! [[1717年]] |
||
| ハンマ1717 || Vl || [[中澤きみ子]] || style="white-space:nowrap"| 不明 || ストラドにしては男性的<ref>中澤宗幸『ストラディヴァリウスの真実と嘘』世界文化社、2011年、53頁。 </ref>と言われ、「ストラドの中では音が出にくい“強い楽器”で弓をきちっと弦に吸い付かせてひかないと音が出ない」。コレクターのハウエ家が所有した後、[[シュトゥットガルト]]のハンマ商会が所有していたことが名前の由来。(ハンマ商会は他のストラドも所有していたことがあり、それらは「ハンマ1716」などと呼ばれる)。元ベルリンフィル第1コンサートマスターのコリヤ・ブラッハーやアルバン・ベルク四重奏団のギュンター・ピヒラーが奏した。 |
| ハンマ1717 || Vl || [[中澤きみ子]] || style="white-space:nowrap"| 不明 || ストラドにしては男性的<ref>中澤宗幸『ストラディヴァリウスの真実と嘘』世界文化社、2011年、53頁。 </ref>と言われ、「ストラドの中では音が出にくい“強い楽器”で弓をきちっと弦に吸い付かせてひかないと音が出ない」。コレクターのハウエ家が所有した後、[[シュトゥットガルト]]のハンマ商会が所有していたことが名前の由来。(ハンマ商会は他のストラドも所有していたことがあり、それらは「ハンマ1716」などと呼ばれる)。元ベルリンフィル第1コンサートマスターのコリヤ・ブラッハーやアルバン・ベルク四重奏団のギュンター・ピヒラーが奏した。 |
||
<!--|- |
<!--|- |
||
99行目: | 99行目: | ||
| ジュピター エックスゴーディング || Vl || [[五嶋みどり]]、[[樫本大進]] || 日本音楽財団 || 五嶋みどりへの貸与を経て、ベルリン・フィルコンサートマスターの樫本大進が使用。--><!--貸与終了--> |
| ジュピター エックスゴーディング || Vl || [[五嶋みどり]]、[[樫本大進]] || 日本音楽財団 || 五嶋みどりへの貸与を経て、ベルリン・フィルコンサートマスターの樫本大進が使用。--><!--貸与終了--> |
||
|- |
|- |
||
! 1716年 |
! [[1716年]] |
||
| デュランティ || Vl || [[千住真理子]] || 自己所有 || 約300年間誰にも弾かれずに眠っていた。 |
| デュランティ || Vl || [[千住真理子]] || 自己所有 || 約300年間誰にも弾かれずに眠っていた。 |
||
|- |
|- |
||
106行目: | 106行目: | ||
| ウィルヘルミ || Vl || [[佐藤俊介 (ヴァイオリニスト)|佐藤俊介]] || 貸与:日本音楽財団 || 過去に日本音楽財団より数台のストラドを貸与されているが、現在はモダン楽器を使用。※川久保賜紀に倣って、「使用していた」場合につきコメントアウト。 |
| ウィルヘルミ || Vl || [[佐藤俊介 (ヴァイオリニスト)|佐藤俊介]] || 貸与:日本音楽財団 || 過去に日本音楽財団より数台のストラドを貸与されているが、現在はモダン楽器を使用。※川久保賜紀に倣って、「使用していた」場合につきコメントアウト。 |
||
|--> |
|--> |
||
! 1727年 |
! [[1727年]] |
||
| レカミエ || Vl || [[庄司紗矢香]] ||貸与:上野製薬(株)名誉会長 || [[ミッシャ・エルマン]]が所有・使用していたもの。 |
| レカミエ || Vl || [[庄司紗矢香]] ||貸与:[[上野製薬]](株)名誉会長 || [[ミッシャ・エルマン]]が所有・使用していたもの。 |
||
|- |
|- |
||
! 1727年 |
! 1727年 |
||
115行目: | 115行目: | ||
| 不明 || Vc || [[岩崎洸]] || 不明 || - |
| 不明 || Vc || [[岩崎洸]] || 不明 || - |
||
|- |
|- |
||
! 1736年 |
! [[1736年]] |
||
| ルーシー(Roussy) || Vl || [[高嶋ちさ子]] || 自己所有 || - |
| ルーシー(Roussy) || Vl || [[高嶋ちさ子]] || 自己所有 || - |
||
|} |
|} |
2014年1月13日 (月) 05:44時点における版
アントニオ・ストラディバリ Antonio Stradivari | |
---|---|
生誕 |
1644年 スペイン帝国 ミラノ公国 クレモナ |
死没 |
1737年12月28日 神聖ローマ帝国 ミラノ公国 クレモナ |
業績 | |
専門分野 | 弦楽器製作 |
成果 | ストラディバリウスの製作 |
アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari、1644年 - 1737年12月18日)は、イタリア北西部のクレモナで活動した弦楽器製作者。弦楽器の代表的な名器であるストラディバリウスを製作したことで知られる。ニコロ・アマティに師事し、16世紀後半に登場したヴァイオリンの備える様式の完成に貢献した。ヴァイオリンやヴィオラやチェロなど約1,100挺の楽器を製作したとされ、約600挺の存在が確認されている。
生涯
1644年に生まれたとされているが、正確な誕生月日は不明。父はアレサンドロ・ストラディバリ(Alessandro Stradivari)、母はアンナ(Anna née Moroni)。1667年から1679年まで、ニコロ・アマティの工房で弟子として楽器の製作技術を学んだ。1680年、クレモナのサン・ドメニコ広場(Piazza San Domenico)に工房を構えると、若くして楽器製作者としての名声を得た。その生涯で1,116挺の楽器を製作したとされ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、マンドリン、ギターを含む約600挺が現存している[1]。ストラディバリの独創性はアマティの様式の変更を通じて発揮され、ばらつきのあった木の厚みをより厳密に制御し、ヘッドスクロールの概念を確立し、音色を締めるためのニスはより色濃くなった。
1737年12月18日、イタリアのクレモナにて死去し、サン・ドメニコのバシリカに埋葬された。この教会は1868年に解体されたため、ストラディバリの遺骸は失われた。
ストラディバリウス
ストラディバリの製作した弦楽器には、18世紀の法令に基づきラテン語にてAntonius Stradivarius Cremonensisというラベル(クレモナのアントニオ・ストラディバリ作、の意)が貼られている。ここから、彼の手による弦楽器は「ストラディバリウス」あるいは省略して「ストラド」と呼ばれる。
ストラディバリウスはヴァイオリニストや収集家の羨望の的であり、しばしばオークションにおいて高額で落札される。現存する真作で最も高値をつけたのは2011年6月21日に1589万4000ドル(約12億7420万円)で落札された1721年製のストラディバリウス「レディ・ブラント」である[2]。それ以前は2006年に約4億円で競り落とされたものが最高記録だった[3]。また、1699年製(愛称不明)が2億1700万円で落札されている。日本人では高嶋ちさ子がルーシーを2億円で購入、千住真理子がデュランティを2-3億円(正確な金額は非公表)で購入している。
ストラド・モデル
ストラディバリのヴァイオリンやチェロの寸法などをコピーして作られた楽器は「ストラド・モデル」と呼ばれる。ストラド・モデルは、ヘッドスクロールやF字孔の形状などが主たる模倣の対象で、グァルネリ・デル・ジェスの模倣と並び、ヴァイオリン属のデザインの古典となっている。これらストラド・モデルは、名前がつけられている特定の楽器の(傷や左右非対称といった)忠実な外的模倣から、現存するストラディバリウスの最大公約数に基づいたコピーまで多様である。
ストラディバリのヴァイオリンはその有する特徴から、三つの時期に分類できるとされる。このうち最後の時期においては、ヴァイオリンのボディ長の設計を約3mm拡大し355mm前後とした楽器(後にロングモデル、ロングストラドなどと呼ばれる)を主に製作している[4]。現代の寸法標準は、ストラドのロングモデルから形式的に取られており、世界中の職人がそれに則っている。
製造技術
1737年ストラディバリの死後、ストラディバリ・ファミリーの純然たる後継者はおらず、1745年、ほとんどの楽器職人がクレモナから逃避したことを機に、楽器製作の伝統は途切れた。その間のクレモナ市の参事会を構成する地元の貴族や有力者は、外国の王侯貴族の庇護で裕福になる楽器職人の存在を快く思わなかった。そのためストラディバリの死後、三男のパオロ・ストラディバリは父アントニオと二人の兄から相続した楽器の製作道具を「クレモナ市内で使用しないこと」を条件に売却した[5]。
また、ストラディバリの時代のヴァイオリンはバロック・ヴァイオリンと呼ばれるものであり、主に室内楽に用いられた。市民革命後、王侯貴族の音楽である室内楽から、劇場における演奏会へと演奏形態が変化した。19世紀になって楽器製作の中心はパリに移り、より大きな華やかな音が出るヴァイオリンが求められ、ヴィヨームやルポーらによって、ネックの傾斜や指板の長さ・傾きとコマの高さのバランスが改造された。このような音楽のヴァイオリンに対する要請の変化の中で、最高峰の音色・音量を堅持して現在まで生き残っているのが、ストラディバリウスを頂点とするオールドイタリアンヴァイオリンである。
かつては楽器の表面につかわれたニスがストラディバリウスの音色の鍵だとされていたが、21世紀に入ってこれは否定された[6]。現代の弦楽器製作の技術は、楽器そのものに対する科学的な研究や技術開発が進んだこともあり、ストラディバリの時代の木工製作技術より優れている[7]。
入手可能性
海外では著名オークションを経由して手に入れることが可能である[8]。日本国内では、特定の老舗弦楽器商で仕入れられることがある。また、資産家や所有団体、関係団体から演奏家へ期間限定あるいは終身契約で貸与される場合がある。日本では、公益法人や企業の保有しているストラディバリウスが音楽家に貸与されている[9]。特に日本音楽財団は複数のストラディバリウスを保有し、国内外の演奏家に無償貸与している。
ストラディバリウスにまつわるエピソード
ストラディバリウスは、優れた楽器の代名詞として、さまざまなフィクションに登場する。コナン・ドイルの創作した名探偵シャーロック・ホームズは劇中でストラディバリウスを弾くシーンがある。
輸送中のストラディバリウスが航空事故に巻き込まれ、人物や高価な美術品と同様に大きな話題となることがある。天才ヴァイオリニストと謳われたジネット・ヌヴーが死亡した墜落事故、そのヌヴーの師であるジャック・ティボーが来日途上に巻き込まれ死亡した墜落事故などで、それぞれの愛用の一挺が巻き込まれている。ティボーの楽器はその残骸すら発見されていない。
ストラディバリウスと演奏家
ストラディバリウスにはその所有者や演奏者の来歴が明らかなものがあり[10][11]、たどってきた軌跡に由来する二つ名(通称)が付けられている。たとえば、イツァーク・パールマンのヴァイオリンは「ソイル」、ジャクリーヌ・デュ・プレやヨー・ヨー・マが使用したチェロは「ダヴィドフ」の名で知られる。
日本人演奏家が使用するストラディバリウス
製造年 | 愛称 | 種別 | 使用者 | 自己所有/貸与団体 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1703年 | ディクソン・ポインダー(Dickson-Poynder) | Vl | 辻久子 | 自己所有 | 自宅を売却し、購入資金に充てた。名称は以前の所有者ジョン・ディクソン=ポインダーに由来する。 |
1707年 | ステラ(Stella) | Vl | 二村英仁 | 自己所有 | オランダの貴族が所有していたもの |
1713年 | レディ・レイ | Vl | 浦川宜也 | 不明 | 一時的に所有し、モーツァルトソナタ集の収録に使用。その後この楽器は日本ヴァイオリン経由で香港のヴァイオリニスト 姚珏(ジュエ・ヤオ))に渡る(彼女はそれによって中国人初のストラディヴァリウス弾きとなる)[12]。 |
1714年 | ドルフィン(Dolphin) | Vl | 諏訪内晶子 | 貸与:日本音楽財団 | ヤッシャ・ハイフェッツが所有していたもの。三大ストラディヴァリウスの一つ。アラード(1715年)は個人のコレクターが所有、メサイア(1716年)はイギリスのオックスフォードのアシュモリアン美術館に展示中。 |
1715年 | エクス・ピエール・ローデ | Vl | 五嶋龍 | 貸与:NPO法人イエロー・エンジェル | - |
1715年 | 不明 | Vl | 川井郁子 | 貸与:大阪芸術大学 | - |
1717年 | ハンマ1717 | Vl | 中澤きみ子 | 不明 | ストラドにしては男性的[13]と言われ、「ストラドの中では音が出にくい“強い楽器”で弓をきちっと弦に吸い付かせてひかないと音が出ない」。コレクターのハウエ家が所有した後、シュトゥットガルトのハンマ商会が所有していたことが名前の由来。(ハンマ商会は他のストラドも所有していたことがあり、それらは「ハンマ1716」などと呼ばれる)。元ベルリンフィル第1コンサートマスターのコリヤ・ブラッハーやアルバン・ベルク四重奏団のギュンター・ピヒラーが奏した。 |
1716年 | デュランティ | Vl | 千住真理子 | 自己所有 | 約300年間誰にも弾かれずに眠っていた。 |
1727年 | レカミエ | Vl | 庄司紗矢香 | 貸与:上野製薬(株)名誉会長 | ミッシャ・エルマンが所有・使用していたもの。 |
1727年 | 不明 | Vl | 神尾真由子 | 貸与:サントリー(株) | ヨーゼフ・ヨアヒムが所有・使用していたもの。 |
1727年 | 不明 | Vc | 岩崎洸 | 不明 | - |
1736年 | ルーシー(Roussy) | Vl | 高嶋ちさ子 | 自己所有 | - |
脚注
- ^ ロンドンで盗まれたストラディバリウス、2年半ぶりに発見(cnn.co.jp 2013年7月31日)
- ^ ストラディバリウス、過去最高の12.7億円で落札─震災復興支援に(JAPAN REAL TIME 2011年6月22日)
- ^ ストラディバリウス、4億円で落札 楽器の最高記録に asahi.com(人民日報社)
- ^ 18世紀初頭における標準であったオールドイタリアンヴァイオリンのボディ長は352mm前後であった。
- ^ 横山進一『ストラディバリウス』(アスキー新書)アスキー・メディアワークス、2008年 ISBN978-4-04-8674
- ^ ストラディバリウスの音色の秘密は「ニス」にあらず、仏独研究 AFP 2009年12月05日
- ^ 佐々木朗『これ1冊ですべて分かる 弦楽器のしくみとメンテナンス マイスターのQ&A』音楽之友社、2000年 ISBN4-276-12457-3
- ^ items found for Stradivarius(競売会社クリスティーズ公式サイトにおける「Stradivarius」の検索結果)
- ^ 日本音楽財団、サントリー、宗次エンジェルヴァイオリンコンクール
- ^ 楽器貸与事業(日本音楽財団)
- ^ ヴァイオリンの銘器と演奏者リスト(クラシック・データ資料館)
- ^ 中澤宗幸『ストラディヴァリウスの真実と嘘』世界文化社、2011年。
- ^ 中澤宗幸『ストラディヴァリウスの真実と嘘』世界文化社、2011年、53頁。
関連項目
- クラシック音楽の演奏家一覧#ヴァイオリン奏者
- ベヒシュタイン:「ピアノのストラディヴァリウス」と呼ばれるピアノ。
- ヴィンセント・バック:金管楽器メーカー。「バック・ストラディヴァリウス」というブランド名を使用している。