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* 2013年度シーズン終了時
* 2013年度シーズン終了時
* 括弧内はリーグ平均<ref>数値は[http://www.baseball-reference.com/ Baseball-Reference.com]を参照。</ref>


=== 記録 ===
=== 記録 ===

2014年3月2日 (日) 06:31時点における版

岡田 俊哉
中日ドラゴンズ #21
2013年4月21日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県日高郡美浜町
生年月日 (1991-12-05) 1991年12月5日(32歳)
身長
体重
179 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 ドラフト1位
初出場 2013年3月30日
年俸 3,000万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岡田 俊哉(おかだ としや、1991年12月5日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

1991年に和歌山県日高郡美浜町で生まれる。小学2年から松原少年野球クラブで外野手として野球を始める。松洋中学時代は日高マリナーズに所属し、2年から本格的に投手としてプレーする。3年春にはボーイズ関西選抜に選ばれ、筒香嘉智らとともに世界大会に出場した。

智弁和歌山高では1年春からベンチ入りし、夏には県大会準決勝・決勝、甲子園に出場し、1年生で唯一のベンチ入りを果たす。初戦の対仙台育英高等学校戦で先発し、佐藤由規と投げ合って3回1/3を投げて被安打3・奪三振3・四死球2・2失点(自責点)で敗戦。その後も2年春・夏と三季連続で甲子園に出場。背番号10ながらもエースとして活躍し、連続8強入り。2年夏の甲子園では3回戦まで自責点0。4試合を投げて防御率1.40と好投し、チームのベスト8入りに貢献した。

3年夏は予選で32回1/3イニング無失点、44奪三振という内容で甲子園に出場したが、甲子園では体調不良により本来の投球が出来なかった。しかし初戦を完封で飾るなど、不調に苦しみながらも甲子園では3試合37奪三振と存在感を見せ付け、その後の全日本選抜チームに選ばれた。日米親善高校野球派遣前に練習試合で大学生相手に3回無安打7三振無失点で好投し、全日本選抜のエースに選ばれた。 智弁和歌山高校時代は異例の「絶対的エース」としてマウンドを守った。監督の高嶋仁が例年複数投手制を採用するなか、岡田のみは絶対的エースとして君臨した。そのためか、メディアから下級生時には「高嶋監督の秘蔵っ子」、最後の夏は「夏の申し子」と呼ばれた。スカウトも「岩瀬仁紀2世」と絶賛していた。

2009年10月29日ドラフト会議中日ドラゴンズから菊池雄星の外れ1位として指名を受ける。背番号は、オフにアトランタ・ブレーブスに移籍した川上憲伸が着用していた「11」に決定。入団会見で、「エースとして活躍したいので、少しでも近づけるように、技術を磨いてしっかりやっていきたい」と意気込みを語った。

プロ入り後

ルーキーイヤーの2010年ウェスタン・リーグで12試合に出場。7月19日に昇格したものの、登板なく降格。そのまま一軍での登板は無くシーズンを終えた。翌2011年は春季キャンプで一軍組に抜擢され完走はしたものの、一軍昇格はなし。同じく一軍キャンプを完走した小川龍也は、シーズン後半に一軍昇格し初ホールドを記録し、結果的に先を越される形となった。

2012年、川上の中日復帰に伴い背番号を同年にボルチモア・オリオールズに移籍したチェン・ウェインが着用していた「21」に変更。5月23日、同い年(20歳)の保育士の女性と入籍したことが、球団より報告された。10月29日、夫人が女の子を出産した事が球団より報告された。シーズン中はファームでリリーフとして好投していたが、夏ごろに故障して以降実戦登板はなく、一軍登板はまたしてもお預けとなった。

2013年はオープン戦から積極的に起用されながら結果を出し、自身初の開幕一軍入りを果たす。開幕2戦目となる3月30日のDeNA戦(ナゴヤドーム)で一軍初登板を果たし、2回を被安打1奪三振2の無失点に抑えた[1]。4月3日の阪神戦(京セラドーム大阪)では先発した中田賢一の乱調により、5回にリリーフ登板して1回を三者凡退に抑えた。チームはその後逆転したため勝利投手となり、プロ入り初勝利となった[2]。 7月15日にプロ初先発。6回2失点の好投も敗戦投手となる。

プレースタイル

平均球速約140km/h[3]、最速146km/hのストレートと微妙に沈むツーシームを駆使し[4]、変化球はスライダーを中心にテンポ良く投げ込む投球スタイルである。

人物

家族は実家に父、母、兄、妹がおり、父と兄はともに和歌山・紀央館高で右投手。父は公式戦でPL学園戦に登板し、清原和博を抑えたことがあるという。14歳年下の妹がいる。

高校時代に甲子園に合わせて4回出場している。 甲子園での成績は07年夏初戦敗退、08年春ベスト8、08年夏ベスト8、09年夏三回戦敗退である。

自身は20歳で既に結婚しており[5]、2012年10月29日に第1子となる長女が誕生した[6]

趣味は電話である。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2013 中日 66 3 0 0 0 7 5 2 15 .583 362 87.0 67 6 37 0 2 67 4 0 27 27 2.79 1.20
通算:1年 66 3 0 0 0 7 5 2 15 .583 362 87.0 67 6 37 0 2 67 4 0 27 27 2.79 1.20
  • 2013年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 11 (2010年 - 2011年)
  • 21 (2012年 - )


登板時登場曲

  • 「Charge&Go!」AAA(2013年~)

脚注

  1. ^ “岡田、速球でグイグイ!2イニング無失点デビュー”. CHUNICHI web (中日スポーツ). (2013年3月31日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201303/CK2013033102000091.html 2013年5月10日閲覧。 
  2. ^ “中日 岡田 4年目初勝利「“行け”と言われるところで喜んで投げるだけ」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年4月4日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/04/kiji/K20130404005543140.html 2013年4月12日閲覧。 
  3. ^ 『2014 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、156頁頁。ISBN 978-4-905411-17-8 
  4. ^ 中日・ブラッドリー先発も1回で降板”. デイリースポーツonline (2013年6月26日). 2013年6月28日閲覧。
  5. ^ 【中日】3年目岡田が保育士と結婚 日刊スポーツ 2012年5月23日閲覧
  6. ^ 中日岡田が20歳でパパ! 妹は6歳で叔母 日刊スポーツ 2012年11月4日閲覧

関連項目