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「中村直 (DJ)」の版間の差分

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[[1981年]]、第一次[[ディスコ]]ブームを代表するディスコ『[[ツバキハウス]]』(東京・[[新宿区|新宿]])にてDJ活動を始める。
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[[1984年]]に単身[[ニューヨーク]]に渡り、Frankie Knuckles ら当時のシーンのアーティストらと交流を深め、そのあきらかな音楽性を認められ、『TRACKS』や、当時N.Y.で 「Paradise Garage」と人気を二分していた伝説的な巨大ディスコThe SaintのレジデントDJとして日本人で初めて抜擢されることになった。その後、約10年間をN.Y.クラブカルチャー シーンの最前線で活躍し、[[1988年]]『The Saint』の閉店に伴い、[[港区 (東京都)|港区]][[芝浦]]の巨大ディスコ『GOLD』の創立メンバーとして企画に携わるために帰国。
[[1984年]]に単身[[ニューヨーク]]に渡り、その一年後より、拠点をNYに移し、[[Frankie Knuckles]]([[フランキー・ナックルズ]])ら当時のシーンのアーティストらと交流を深め、そのあきらかな音楽性を認められ、『TRACKS』や、当時N.Y.で 「Paradise Garage」と人気を二分していた伝説的な巨大ディスコ『[[The Saint]]』のレジデントDJとして日本人で初めて抜擢されることになった。その後、約10年間をN.Y.クラブカルチャーシーンの最前線で活躍し、[[1988年]]『The Saint』の閉店に伴い、[[港区 (東京都)|港区]][[芝浦]]の巨大ディスコ『GOLD』の創立メンバーとして企画に携わるために帰国。


以降、『CLUB LOVELY』『THE PRIVATE PARTY』『HITS』など数々のモンスター・パーティの看板DJとして活躍し、日本のクラブシーンの中心人物となり、日本のクラブシーンは急速に加熱していった。その独創的なプレイスタイル、ハウス~テクノ~ポップ~歌謡曲~ロック~ディスコといった幅広いジャンルの上を自由自在に行き来しつつ、 それら全てを「中村直的ダンスミュージック」として昇華させる手腕は 芸術的とも言えるほどに秀逸で、彼が90年代以降の日本のクラブシーンに与えた影響は計り知れないものがある。
以降、『CLUB LOVELY』『THE PRIVATE PARTY』『HITS』など数々のモンスター・パーティの看板DJとして活躍し、日本のクラブシーンの中心人物となり、日本のクラブシーンは急速に加熱していった。その独創的なプレイスタイル、ハウス~テクノ~ポップ~歌謡曲~ロック~ディスコといった幅広いジャンルの上を自由自在に行き来しつつ、 それら全てを「中村直的ダンスミュージック」として昇華させる手腕は 芸術的とも言えるほどに秀逸で、彼が90年代以降の日本のクラブシーンに与えた影響は計り知れないものがある。

2014年4月13日 (日) 12:18時点における版

中村 直
別名 NAO NAKAMURA、BAD ATTITUDE
生誕 4月11日(生年未記載)
出身地 日本東京都世田谷区
死没 2014年1月17日
ジャンル ハウス
職業 DJプロデューサー
活動期間 1981年-2014年

中村 直 (なかむら なお、4月11日 - 2014年1月17日)は、東京都世田谷区出身のハウス・ミュージックDJ、音楽プロデューサーである。

来歴

1981年、第一次ディスコブームを代表するディスコ『ツバキハウス』(東京・新宿)にてDJ活動を始める。

1984年に単身ニューヨークに渡り、その一年後より、拠点をNYに移し、Frankie Knucklesフランキー・ナックルズ)ら当時のシーンのアーティストらと交流を深め、そのあきらかな音楽性を認められ、『TRACKS』や、当時N.Y.で 「Paradise Garage」と人気を二分していた伝説的な巨大ディスコ『The Saint』のレジデントDJとして日本人で初めて抜擢されることになった。その後、約10年間をN.Y.クラブカルチャーシーンの最前線で活躍し、1988年『The Saint』の閉店に伴い、港区芝浦の巨大ディスコ『GOLD』の創立メンバーとして企画に携わるために帰国。

以降、『CLUB LOVELY』『THE PRIVATE PARTY』『HITS』など数々のモンスター・パーティの看板DJとして活躍し、日本のクラブシーンの中心人物となり、日本のクラブシーンは急速に加熱していった。その独創的なプレイスタイル、ハウス~テクノ~ポップ~歌謡曲~ロック~ディスコといった幅広いジャンルの上を自由自在に行き来しつつ、 それら全てを「中村直的ダンスミュージック」として昇華させる手腕は 芸術的とも言えるほどに秀逸で、彼が90年代以降の日本のクラブシーンに与えた影響は計り知れないものがある。 2011年にDJ活動30周年を迎えた[1]リミキサーとしても、BAD ATTITUDE名義で「PUFFY」、「Every Little Thing」、「HΛL」などの楽曲を手がけた。

また、ゲイであることをカムアウトしたオープンリーゲイとして知られ、 GOLDで開かれた『PRIVATE PARTY』は1000人以上の箱としては初のゲイパーティーだった。90年代ゲイブームの端緒でもあった「クレア」1991年2月号の「ゲイ・ルネッサンス’91」にもオープンリーゲイとして登場していた[2]

2014年1月17日午前2時40分過ぎに心筋梗塞により死去[3]

参照文献

  1. ^ NAO NAKAMURA “DJ 30th Anniversary Party””. クラブミュージック情報サイト HigherFrequency. 2013年5月5日閲覧。
  2. ^ 2014年1月20日gladxx「【訃報】DJの中村直さんが急逝」。
  3. ^ 伝説的DJの中村直さんが心筋梗塞により死去 とれたて!ニュース解析 2014年1月20日。

外部リンク

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