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* [[上原徹]]([[ボーカル]]、[[ギター]])
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* [[志賀正浩]]([[ベース (弦楽器)|ベース]])- 第1期は宮川昌浩名義で活動。
* [[志賀正浩]]([[ベース (弦楽器)|ベース]])- 第1期は宮川昌浩名義で活動。
* [[ダニー石尾]](ボーカル、[[バンジョー]]、ギター)- その後も活動を続け、1993年から鹿[[鹿島アントラーズ]]のホームゲームのスタジアムDJを[[2013]]年まで勉めた。 [[2014年]][[4月15日]]没。
* [[ダニー石尾]](ボーカル、[[バンジョー]]、ギター)- その後も活動を続け、1993年から[[鹿島アントラーズ]]のホームゲームのスタジアムDJを[[2013]]年まで勉めた。 [[2014年]][[4月15日]]没。
* [[荒木しげる]]([[ドラムセット|ドラムス]]) - 第1期は荒木生徳名義で活動。[[2012年]][[4月14日]]没。
* [[荒木しげる]]([[ドラムセット|ドラムス]]) - 第1期は荒木生徳名義で活動。[[2012年]][[4月14日]]没。



2014年4月17日 (木) 07:43時点における版

フォー・セインツ
出身地 日本の旗 日本
ジャンル フォークソング
活動期間 1968年 - 1973年
2006年 -
レーベル ユニバーサルミュージック
メンバー 上原徹ボーカルギター
志賀正浩ベース
ダニー石尾(ボーカル、バンジョー、ギター)
荒木しげるドラムス
旧メンバー 加賀一兄ピアノ

フォー・セインツは、1968年から1972年に活動し、2006年に活動を再開した日本の音楽バンド

概要

1960年代後半に一世を風靡したカレッジ・フォーク・グループの草分け的存在。成蹊高等学校文化祭で結成された。ラジオ番組『フォーク・ビレッジ』で実力派として注目され、1968年のデビュー・シングル「小さな日記」が20万枚[1]の大ヒット。しかし直後に加賀一兄が脱退。

後に、レコード会社の移籍に伴い、フォー・クローバースと改名するが、1973年に解散。

2006年、NHK BS-2「BSまるごと日本のフォーク&ロック大全集」にて33年ぶりにメンバーが集まり、「小さな日記」「希望」を披露。翌年11月にはデビュー40周年を迎えたことをきっかけに、東京・六本木のライブハウスでコンサートを開催。そして2008年には新曲「この街で」をリリースし、本格的に再結成を果たす。2010年1月には、ミニアルバム・「共に見し夢を 〜『仰げば尊し〜』より」をリリースした。

メンバー

元メンバー

楽曲

  1. 小さな日記 (1968.10.10) - デビュー曲。5人時代唯一のシングル。
    c/w ふりかえらないで
  2. 希望 (1969.5.1) - 翌1970年、岸洋子カバーして大ヒット(元々のオリジナルは倍賞千恵子)。
    c/w お前だけはギター
  3. 涙の手紙 (1970.1)
    c/w 嵐の丘に立つとき
  4. この道は暗いけど (1970.11)
    c/w 夕陽と少年
  5. 僕たちの夢 (1971.6) - このシングルからフォー・クローバーズへ改称。
    c/w 少女
  6. 黙示録 (1971.9)
    c/w 明日になれば
  7. あなたへの讃歌 (1972.1)
    c/w 赤いアネモネ
  8. 冬物語 (1972.10.10)
    c/w 時のいたずら
  9. 悲しい童話 (1972.4)
    c/w ぼく
  10. ツバメの自由を求めて (1973.6)
    c/w 風に聞いてごらん
  11. 異人館 (1974.6) 
  12. この街で(2008.5.7)
    c/w 小さな日記

脚注

  1. ^ 富澤一誠『フォーク名曲事典300曲〜「バラが咲いた」から「悪女」まで誕生秘話〜』ヤマハミュージックメディア、2007年、49頁。ISBN 978-4-636-82548-0

外部リンク