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2014年5月1日 (木) 09:42時点における版

台湾
地理
場所 太平洋
座標 北緯23度46分 東経121度0分 / 北緯23.767度 東経121.000度 / 23.767; 121.000
面積 35,980 km2 (13,890 sq mi)
面積順位 38位
最高標高 3,952 m (12966 ft)
最高峰 玉山(日本時代称新高山)
所属国・地域
首都 台北市
最大都市 新北市(人口3,955,777)
人口統計
住民の呼称 台湾人
人口 23,377,515(2014年時点)
人口密度 645 /km2 (1671 /sq mi)
民族

98% 漢民族[1]
 70% 河洛
 14% 客家
 14% 外省人

2% 台湾原住民
テンプレートを表示
台湾
繁体字 臺灣 / 台灣
発音記号
標準中国語
漢語拼音Táiwān
ウェード式T'ai²-wan¹
国語ローマ字Tairuan
注音符号ㄊㄞˊ ㄨㄢ
呉語
ローマ字[d̥e uɛ]
客家語
客家語拼音Thòi-vàn
粤語
粤拼Toi4 Waan1
閩南語
閩南語白話字Tâi-oân
閩東語
福州語ローマ字Dài-uăng
ポルトガル語: (Ilha) Formosa
繁体字 福爾摩沙
文字通りの意味beautiful island
発音記号
標準中国語
漢語拼音fúěrmóshā
注音符号ㄈㄨˊ ㄦˇ ㄇㄛˊ ㄕㄚ
粤語
粤拼fuk1ji5mo1saa1
台湾
人口 - 経済
教育 - 交通
言語 - 軍事
政治
文化
遺跡 - 映画
芸術 - 文学
演劇 - 舞踊
宗教 - 民俗
世界遺産候補地
歴史建築百景 - 台流
地理
温泉 - 国立公園
歴史
先史時代
オランダ統治時代
鄭氏政権
清朝統治時代
台湾民主国
日本統治時代
中華民国時代
カテゴリ
政府機構 - 社会 - 文化
生物 - 博物館 - 台湾人
スポーツ - 原住民 - 古跡
行政区分 - メディア - 交通
食文化 - 教育 - 経済
組織 - 言語 - 地理
歴史 - 政治

台湾(たいわん、: 臺灣: Tâi-oân / ダイワン、: Taiwan)は、アジア大陸の東南沿海、太平洋の西岸に位置する島嶼である。別称または美称としてフォルモサポルトガル語: Formosa, 麗しの島)がある。また台湾という呼称にはいくつかの使われ方があり、その歴史や政治状況を反映して、広義には地域または政治実体としての呼称としても用いられる[2]

オランダ統治時代鄭氏政権時代清朝統治時代日本統治時代を経て、1945年10月15日に、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) が発した一般命令第1号に基いて中華民国軍が進駐し、同年10月25日以後は中華民国政府が実効支配している。

1949年10月1日中華人民共和国成立に伴い瓦解した国民党が政府機能を台湾に移転してからは、中華民国政府の実効支配範囲とほぼ重複するため、国共内戦後の中華民国の通称としても用いられている。

正体字を標準字体とする台湾では「臺灣」が正式な表記であるが、一般的には簡略化した「台灣」の表記が使用されている。

この項目では、地理内容以外に、1945年以後の広義の台湾についても記載する。

定義

島嶼としての台湾
台湾本島、または台湾島を中心として蘭嶼など77の付属島嶼からなる。面積は合わせて 35,873 平方キロメートル[2]
地域としての台湾
1885年清朝が新設した台湾省に属していた地域を指しており、具体的には台湾本島、付属島嶼、および澎湖諸島から範囲が構成されている。
政治実体としての台湾
中華民国の政府が実効支配している全地域を指しており、具体的には台湾本島、付属島嶼、澎湖諸島に福建省沿岸の馬祖列島烏坵島金門島、および東沙諸島南沙諸島の一部(太平島中洲島)を加えた範囲から構成されている。公式には「中華民国自由地区(台湾地区)」。この範囲は、国民政府が1955年に浙江省大陳列島の領有権を喪失したことで確定した。なお、福建省沿岸にある諸島を台湾、澎湖と区別して金馬地区(金門島と馬祖列島の頭文字に由来)と呼称することもある。
これは、国共内戦を経て1949年社会主義陣営中国共産党率いる中華人民共和国が成立した後に発生した地域概念である。本来、「中国を統治する唯一の合法(正統)な国家」は中華民国のみであったが、中華人民共和国が成立したことにより、「中国を統治する唯一の合法(正統)な国家」を自称する2つの政治的存在が並立し、それぞれ台湾に対する権利を主張する事態となった。
その後、冷戦下における微妙な軍事・政治バランスの中、1971年国際連合で中華人民共和国が「中国」の代表権を取得してからは多くの国が中華人民共和国を「正統な中国政府」として承認したが、それ以降も資本主義陣営の中華民国との非公式な関係維持を望むアメリカ合衆国や日本国などの多くの国では、中華民国が実効支配している地域を中華人民共和国の統治地域とは別個の「地域」と判断して、「台湾」という地域名称で呼称し始めた。

名称の由来

台湾の語源は不明確で、原住民言語の「Tayouan(ダイオワン)」(来訪者の意)という言葉の音訳とも、また、「海に近い土地」という意味の「Tai-Vaong」や「牛皮の土地」という意味の「Tai-oan」などの言葉に由来するとも言われる。大員(現・台南)が ダイワンと呼ばれており、そこにオランダ人が最初に入植したためとも見られている。いずれにしても原住民の言葉が起源と見られ、漢語には由来していない。中国の文献に台湾が台湾と呼称されるようになったのは清朝が台湾を統治し始めてからのことである。

別称

台湾島には、フォルモサ (Formosa) という別称が存在し、欧米諸国を中心に今日も使用されることがある。これは、「美しい」という意味のポルトガル語が原義であり、16世紀半ばに初めて台湾沖を通航したポルトガル船のオランダ人航海士が、その美しさに感動して「Ilha Formosa(美しい島)」と呼んだことに由来するといわれている。なお、フォルモサの中国語意訳である美麗(之)島や音訳である福爾摩沙を台湾の別称として用いることもある。

ちなみに、日本では高山国(こうざんこく)または高砂(たかさご)、高砂国(たかさごこく)と呼んだ。高山国や高砂などは「タカサグン」からの転訛という。これは、商船の出入した西南岸の「打狗山」(現・高雄)がなまったものと思われる。正式の使節ではないが、タイオワン事件に関して、原住民が「高山国からの使節」として江戸幕府3代将軍徳川家光に拝謁したこともある。

中国による呼称の変遷

漢書地理志』の中に「会稽海外有東鯷人、分為二十余国、以歳時来献見……」との記載があり、一部の学者は東鯷とは台湾を指す名称であると主張している。しかし漢代の中心地は中原と呼ばれる、長安および洛陽を中心とする地域であり、福建省広東省の沿岸地帯(河洛)に至ることは非常に稀であった。ゆえにその東岸にある島嶼を正確に記録したとは考えにくく、東鯷とは海上の島嶼群を漠然と示した名称であると考えられ、台湾の呼称と即断することは困難である。

三国時代には、『臨海水土志』と『三国志』呉書の孫権伝の部分に記述が見られる。 『臨海水土志』に、「夷州在浙江臨海郡的東南、離郡二千里、土地無霜雪、草木不枯、四面皆山、衆山夷所居。山頂有越王射的正白、乃是石也。」「部落間互不相属、各号為王、分割土地……」、および

夷洲在臨海東南、去郡二千里。土地無霜雪、草木不死。四面是山谿。人皆髡髮穿耳、女人不穿耳。土地饒沃、既生五穀。又多魚肉。有犬、尾短如麕尾状。此夷舅姑子婦臥息。共一大牀、略不相避。地有銅鐵、唯用鹿格爲矛以戰闘、摩礪青石以作(弓)矢鏃。取生魚肉雜貯大瓦器中、以鹽鹵之、歴月所日、乃啖食之、以爲上肴[3]

とあり、『孫権伝』には、

二年春正月,魏作合肥新城。詔立都講祭酒,以教學諸子。遣將軍衛溫、諸葛直將甲士萬人,浮海求夷洲及亶洲。亶洲在海中,長老傳言:秦始皇帝遣方士徐福將童男童女數千人入海,求蓬萊神山及仙藥,止此洲不還。世相承有數萬家,其上人民。時有至會稽貨布,會稽東縣人海行,亦有遭風流移至亶洲者。所在絕遠,卒不可得至,但得夷洲數千人還。[4]

とある。これらの場合の夷州は台湾島の特徴に合致する。またこのような島嶼は中国南部の沿岸には台湾島以外に見当らないため、この時代には中国文明が台湾を認識していたと考えられている。

王朝の603年に書かれた文献には、台湾への探検の記録が記載されている[要出典]が、当時の中国の文献において、台湾は琉球留仇流虬琉求瑠球と呼ばれていた。その後末からまでの600年間、中国の文献の中で台湾の記事が出現しない空白期間を迎える。代になると再び記録に台湾が出現するようになる。明代の記録である『東西洋考』、『閩書』、『世法録』では台湾を東蕃、と呼んでいる。周嬰在が表した『東蕃記』では台員、何喬遠が表した『閩書島夷誌』では大員、張燮の『東西洋考』では大円、何喬遠の『鏡山全集』では台湾、沈鉄的奏折の中では大湾のように様々な呼称が与えられている。また福建沿岸の民衆は台湾南部を毗舍耶、中原の漢族は台湾北部を小琉球と呼んでいる。

明王朝の太祖・朱元璋の時代になると、琉球という呼称は沖縄・台湾双方を指す語として使われ続けたため、両者の区別に混乱が生じ、沖縄を大琉球、台湾を小琉球と呼ばれるようになるが、その後名称に混乱が生じ、小東島小琉球雞籠北港東番のような名称が与えられていた(地理そのものが知られていなかったので、これらが台湾全島を含んだとは限らず、台湾を中心とした概念だったかもわからない)。明末に鄭成功が台湾に建てた鄭氏政権時代になると、鄭氏政権は台湾を「東都」、「東寧」などと呼ぶようになった。なお、「大員DaiUan/ダイワン」の呼称が用いられるようになると、いつしか台湾近くにある琉球嶼(屏東県琉球郷)を指して「小琉球」と呼ばれるようになり、台湾と琉球嶼との間で両者の区別に混乱が生じている例もある[5]

このような名称の変遷を経て、清朝が台湾を統治し始めた後に、原住民の言語を語源とする台湾が使われるようになった。

歴史

地理

台湾地域の略図(東沙諸島南沙諸島は除く)
台湾島の標高図。

台湾は、台湾本土とその周辺諸島(澎湖諸島蘭嶼など)、および金馬地区東沙諸島南沙諸島から構成されており、面積は約3万5980km²と日本の九州と同程度(日本の約10分の1)の大きさである。

台湾北東部は日本琉球諸島の西方海上に位置しており、最も近い与那国島との距離は110km以下である。また、台湾地域西端の金馬地区は台湾海峡を隔てて中国と接しており、最南端の岬である鵝鑾鼻(がらんび)は、バシー海峡を隔ててフィリピンと接している。

台湾最大のである台湾島は、南北の最長距離が約394km、東西の最長距離が約144kmで木の葉のような形をしている。島の西部は平野、中央と東部は山地に大別されるが、島をほぼ南北に縦走する5つの山脈中央山脈玉山山脈雪山山脈阿里山山脈海岸山脈)が島の総面積の半分近くを占めており、耕作可能地は島の約30%にすぎない。台湾最高峰の山は玉山山脈の玉山(旧日本名:新高山、海抜3,952m)であり、富士山よりも高く、同様に雪山など標高3,000mを超える高山が多数連なっている。また、このほかの重要な地勢としては丘陵台地高台盆地などが挙げられる。

なお、台湾はフィリピン海プレートユーラシアプレートの交差部に位置するため、日本と同様に地震活動が活発な地域である。また日本と同じ火山帯に属し、温泉も豊富にある。

台湾の国家公園

台湾の国家風景区

気候

台湾はほぼ中央部(嘉義市付近)を北回帰線が通っており、北部が亜熱帯、南部が熱帯に属している。そのため、北部は夏季を除けば比較的気温が低いのに対し、南部は冬季を除けば気温が30度(摂氏)を超えることが多くなっている。台湾の夏はおおよそ5月から9月までで、通常は蒸し暑く、日中の気温は27度から35度まで上り、7月の平均気温は28度である。冬は12月から2月までと期間が短く、気温は総じて温暖であり、1月の平均気温は14度である。ただし、山岳部の高標高地帯では積雪が観測されることもある。

平均降雨量は年間およそ2,515mmであるが、降雨量は季節、位置、標高によって大きく異なっている。台湾は台風の襲来が多く、毎年平均3~4個の台風に襲われている。台湾は台風で給水の大きな部分を賄っているが、同時に損壊、洪水、土砂流などの災害も発生している。1996年台風9号2009年台風8号などは、豪雨をもたらした。また、台風以外にも、夏季には台湾語「サイパッホー (sāi-bak-hō)」(普通は西北雨と表記、正しいのは夕暴雨)と呼ばれる猛烈な夕立が多い。

政治

台湾を統治する中華民国総統府。旧台湾総督府の建物を流用。
台湾を実効支配している中華民国の国旗
中華民国総統馬英九

今日の台湾における重要な政治的問題としては、台湾問題が挙げられる。

台湾問題とは、台湾の最終的な政治的地位および主権帰属を巡る中華民国と中華人民共和国と台湾未定論の問題である。1945年9月2日調印のポツダム宣言第二次世界大戦終結)に伴い、中華民国南京国民政府は、連合国軍の委託を受けて駐台湾日本軍の武装解除を行うために台湾へ軍を進駐させ、1943年カイロ宣言に従い(ただし、同会談後に報道関係者向けに配布されたニュース・リリースであり無効という説もある)、1945年10月25日に台北で日本側の安藤利吉台湾総督・第十方面軍司令官が降伏文書に署名し、中華民国は台湾の実効支配を開始した(台湾光復)。ただし、この時点では行政権を中華民国に移譲しただけであり、国際法上、台湾島地域は依然として日本国の領土であった。1949年10月1日国共内戦で勝利した中国共産党中華人民共和国を樹立し、中華民国政府が国共内戦下で一旦崩壊した上で「台湾国民政府」として再始動してからは、両党間で「中国を代表する正統な政府」としての権利を巡る対立が生じるようになり(→中華民国の歴史)それと同時に台湾の政治的地位と主権帰属も対立の一要因となっていった。なお、日本国政府は、1951年サンフランシスコ講和条約および1952年日華平和条約において台湾島地域に対する権原を含める一切の権利を放棄したが、それらの帰属先が明言されていないため、台湾島地域の国際法上の領有権は現在でも未確定であるという見方(台湾地位未定論)もある[6]

21世紀初頭では、国際政治上の駆け引きの結果から「中国を代表する正統な国家」として中華人民共和国を承認する国が大勢を占めている。ただし、ほとんどの国は、中華人民共和国を「承認」しながら、半官半民の組織を介して中華民国と実務関係を維持している。現在も中華民国憲法は、大陸統治時代に制定された条文を維持し、中華民国が中華国家であることの象徴としている。その一方で憲法追加修正条項の制定以後、中華民国が台湾地域のみを統治するとの前提により民主化が進められてきた。しかし、中華民国の反独立派や中華人民共和国政府は、こうした動きを法理独立と非難してきた。その一方で、台湾独立運動(台独運動、または台独)の一部は、中華民国体制が長年に渡り台湾住民の国政参加を拒み、差別と弾圧を行ってきた歴史(二・二八事件と呼ばれる台湾人大虐殺と、中国国民党による長期間の高圧独裁)を忘れるべきではなく、中華民国支配からの解放と異なる新しい国家を自ら建設すべきであると主張している。このように、現在も台湾問題に関する様々な意見が存在し、第三者による理解を困難にしている。

しかし、台湾世論の大勢は、台湾が中華人民共和国の主権に帰属するものではなく、中華民国という国家であるという点で一致している。その上で中華民国の立法府たる立法院の議員などの政治家は今なお、「台湾も中華人民共和国も同じ中華民族の国家である」とみなす泛藍連盟派と、「台湾と中国は別々の国である」とする泛緑連盟派(台湾本土派および独立派)のいずれかに大別される。

ただし、世論調査では、早急な統一も独立も望んでおらず、実質的に中華人民共和国とは分離している現在の状態を維持することを望む声が多い。そのため、中華民国の世論は基本的には現状での安定志向にあると言え、各党も世論を配慮しながら政治活動を行なっている。2008年8月末には、中華民国からの独立デモが発生している。

地方行政区分

かつての中華民国による行政区分は、台湾を2台湾省福建省)、5直轄市台北市高雄市新北市台中市台南市)に区分し、更に省内を3省轄市基隆市新竹市嘉義市)、15に区分していた。だが、1996年に福建省が、1998年に台湾省がそれぞれ行政機能を「凍結」(事実上の廃止)された。今日では省轄市と縣が直轄市と並んで地方行政を担っているが、直轄市との間には地方交付税の配分や人事権限の格差が残されたままである。

主要都市

アジア屈指の世界都市である台北市の夜景

台湾最大の都市は北部盆地に位置する台北市であり、1949年以降は中華民国の首都機能を果たしている。遷台以前の中華民国の首都は南京市とされていたが(ただし中華民国憲法および法律などによって明文化はされていない)、遷台以降の台北市は「臨時首都」および「中央政府所在地」という扱いになっている。なお、台湾省の省都も当初は台北市であったが、1957年に台北市から台湾中部にある南投県南投市中興新村に移された。後に台湾省が凍結され、現在では省都として機能していない。

地方の主要都市としては、台北市の東北部に港湾都市である基隆市が、台湾本島南西部に工業・港湾都市である高雄市(台湾第二の都市)がそれぞれあり、両都市の間に新竹市台中市(台湾第三の都市)、嘉義市台南市(台湾の古都にして第四の都市)などの主要都市が集中している。これらの主要都市は全て台湾西部に位置しており、台湾東部の主要都市としては花蓮市台東市がある。

主要都市の人口は、新北市は387万人、高雄市は277万人、台中市は263万人、台北市は260万人、台南市 187万人となっている。

経済

台北市台北国際金融センター (Taipei 101)

日本統治時代には、日本の食糧補給基地としての役割を与えられていた台湾地域では、その食料を保管・加工する軽工業が芽生えていた。第二次世界大戦後の中央政府の台湾移転後、中華民国政府は台湾を「反攻大陸」(武力による大陸部の奪還)の基地とした。これにともない軍事最優先の政策がとられ経済政策は後回しにされたが、そのような中で政府は、軽工業を発展させ、次第に重工業化する政策をとる。経済特区や政府主導による経済プロジェクトが全国に展開され、特に日本とのコネクションを利用した日本の下請け的な工業が発達する。

蒋経国の代になり、十大建設をはじめとする本格的な各種インフラ整備が始まり、また、ベトナム戦争の際、アメリカは戦略物資を台湾から調達し、そのため台湾経済は飛躍的に発展し(台湾の奇跡)、この頃より主な輸出先は日本からアメリカへシフトしていった。また、中華民国政府は軽工業から重工業への転換を図り、積極的な産業政策を打ち出した。しかし、中国鋼鉄や台湾造船、台湾石油などの国営企業を主体としての重化学工業化であり、必ずしも強い国際競争力を伴ったわけではない。しかし、在米華僑台湾系アメリカ人中国系アメリカ人)の技術者の協力により行った半導体産業の育成は成功を収め、後の台湾積体電路製造(TSMC・台積電)や聯華電子 (UMC) を生み出す。

1980年代、電子工業の発展は民間中小企業にも波及し、パソコンマザーボードシェアでは世界一になった。中華民国はアジアNICsの一員に選ばれ、NIEsにも引き続き含まれた。さらに、外貨準備高世界上位に入るなど、経済発展は目覚しかった。さらに1990年代IT景気に乗り、1997年-1998年のアジア経済危機も乗り越えた。そのため、中小企業が多い点が日本と似ていることや、政府主導の産業政策や財閥主体の韓国との違いなどが強調されたのである。

1980年代後半は、台湾の現在の自転車工業への転換点でもある。1986年のプラザ合意前までは日本が自転車の生産において大きなシェアを占めていたが、プラザ合意後は日本の自転車産業・特に完成車の輸出は大幅に減少して、台湾が自転車輸出大国に成長した。現在では世界最大の自転車メーカーとなったジャイアント・マニュファクチャリング等の現在の台湾自転車業界の主要企業は1970年代後半から欧米メーカーのOEM・ODMを引き受け、現在に繋がる設計・生産の基礎を築いた。この頃からOEM・ODMの受注だけでなく、台湾の自転車企業は自社ブランドの販売にも乗り出した。

しかし2000年代に入ると、製造業中華人民共和国への投資による空洞化の進行が目立ち、2001年のITバブル崩壊の影響を受け、2002年には中華民国の台湾移転後初のマイナス成長を記録した。台湾の電子工業はOEMODMなど先進国企業からの委託生産に特化し、独自のブランドを持たなかった。そのため、先進国市場での知名度が低く、知名度の高い大企業も存在しない。中華民国政府は、自国企業による中華人民共和国への投資を未だ完全には開放していない。また、中華人民共和国市場での利益の自国回帰も呼び掛けているが、目立った効果は見られない。一方、陳水扁政権は新十大建設を打ち出し、新たなインフラの整備と次世代産業の育成を掲げた。政府はライフサイエンスも重要視しているが、ライフサイエンスがITほどの経済規模を見込めるのかどうか、疑う声も強い。

日本経済との強い関連下で発展してきた台湾経済は、日本経済と互換性のある面が強い。即ち技術力、工業生産力を利用し、世界市場で優位に立てる製品を開発提供することによって、外貨を獲得する加工貿易が基本である。しかし日本と異なる面も多い。それは漢民族の伝統やアメリカの影響によるものと考えられるが、代表的なものは起業指向であろう。台湾では有能な人ほど起業を志し、それが経済に活力と柔軟性を与えている。個人主義的なのであるが、反面、社会道徳の弱さという弱点も持つ。また、華僑ネットワークに支えられた、全世界ネットを駆使した世界戦略も中華民国独特の強みである。アメリカや日本で注文を取り、中華人民共和国やベトナムに製造させる仲介的戦略も、この華僑ネットを利用している。

2010年には台湾と中華人民共和国との間で両岸経済協力枠組協議 (ECFA) が締結された。

通貨

台湾の通貨ニュー台湾ドルである。

日本との経済関係

台湾は旧日本領であり歴史的に関係が深く、地理的に近く自由主義陣営の国家であり、貿易を始めとした経済的交流が強い。

民間貿易以外に台北国際金融センタービルや台湾高速鉄道(台湾新幹線)の建設など、台湾の主要公共事業も日本企業によるものがあり、台湾経済における日本への依存は大きいものがある。また日本企業による台湾進出以外にも、古くは衣料業関連、現在では電子工業関連を中心に日本進出を果たす台湾企業もある。

台湾証券取引所における主要な上場企業

順位 企業名 2013年2月時点の時価総額(億台湾ドル)
1 TSMC(台積電) 84241
2 Foxconn(鴻海) 30073
3 Formosa Petrochemical(台塑化) 24441
4 Chunghwa Telecom(中華電) 22244
5 Formosa Plastics(台塑) 14277
6 MediaTek(聯發科) 13996
7 Nan Ya Plastics(南亞) 13895
8 Formosa Chemicals & Fibre(台化) 13379
9 China Steel(中鋼) 12919
10 Cathay FG(國泰金) 12706
11 Fubon FG(富邦金) 11847
12 Taiwan Mobile(台灣大) 11011
13 Mega FG(兆豐金) 8706
14 ASUSTeK(華碩) 8428
15 Uni-President(統一) 8393
16 Delta(台達電) 8278
17 Quanta(廣達) 7573
18 HTC(宏達電) 7341
19 CST(正新橡膠工業) 7065
20 Far EasTone(遠傳) 6962

台湾に本拠地を置く代表的な大企業

エバー航空のボーイング747貨物機

エレクトロニクス関連

  • 鴻海精密工業 (Foxconn) 台湾資本として最多となる120万人のグループ従業員数を誇る。
  • ASUS(華碩)パソコンメーカー。マザーボードを始めとするパソコンパーツ、周辺機器などの開発、販売。
  • エイサー(宏碁・Acer)ゲートウェイブランドも持つ、パソコンメーカー。
    • AOpen(エーオープン)マザーボード、ビデオカードメーカー。
  • BenQ(明基・ベンキュー)2001年、エイサーグループから独立した。
  • AU Optronics(友達・AUO)台湾最大の液晶パネルメーカー。会長がBenQの会長を兼務。
  • Realtek(リアルテック)コンピューター用半導体メーカー。カニのマークでお馴染み。
  • GIGABYTE(技嘉)パソコンメーカー。マザーボードを始めとするパソコンパーツ、周辺機器などの開発、販売。
  • クアンタ・コンピュータ(広達)ノートパソコンの製造台数が世界で最も多い。
  • HTC(宏達国際電子・High Tech Computer)世界的なスマートフォンメーカー。
  • Micro-Star International(微星・MSI)パソコンメーカー。マザーボードを始めとするパソコンパーツ、周辺機器などの開発、販売。
  • デルタ電子(台達電子工業・Delta Electronics)世界最大の電源装置メーカー。
  • TSMC(台湾集成電路製造公司)世界最大の半導体製造ファウンドリ
  • D-Link(友訊)ルーターなどインターネット関連製品における世界的企業。
  • トランセンド (Transcend) DRAMメモリなど半導体製品の開発、販売。
  • トレンドマイクロ(趨勢科技)ウイルスバスターなどを開発するパソコンソフトメーカー。
  • CyberLinkzh:訊連科技PowerDVDなどを開発するパソコンソフトメーカー。
  • ASRock(華擎科技)パソコンメーカー。マザーボードを始めとするパソコンパーツ、周辺機器などの開発、販売。

交通・輸送関連

その他

交通

台湾は道路鉄道航路ともに発達しており、日帰りで台湾を一周することも可能である。

道路

中山高速公路

高速道路は基隆・台北と高雄を結ぶ中山高速公路と、フォルモサ高速公路を中心に整備され、更に主要国道・省道が台湾全土にネットワークを構成している。これらの道路網を利用し、多くのバス会社が高速バスを運行し都市間輸送を担っている。都市間交通は台北や高雄という大都市以外に、地方都市間を連絡する路線も整備されており、鉄道輸送が整備されていない地区の主要交通手段である。

バス輸送はかつては国営の「台湾汽車客運」(中国語の汽車は自動車の意味)が高速バス事業を担っていたが、2001年の民営化に伴い「国光汽車客運」に再編された。それと同時に高速バス事業の自由化が進み、複数事業者による競合の結果、二列シート・軽食・飲物のサービス付き・カーテン・トイレ完備などの豪華なバスが大都市間で24時間運行されるようになっている。このために、民営バス会社は台湾における旅客輸送の重要な地位を占めているが、台北や中などでの慢性的、連休期間中の渋滞などによる遅延が発生している。

都市部では市内バス路線が整備されている。以前は旧型車両が多用され、慢性的な市内渋滞や乗客の乗降がスムーズでないなどの理由で利用頻度は高くなかったが、近年は台北市を中心に新型車両への更新、バス専用レーンの設置などで輸送能力に大幅な改善が見られ利用者も増加傾向にある。

これら交通網が整備されているが、特に市内交通での交通網が未完成であり利便性に問題があるため、タクシーや自家用車の利用が多く、簡便に移動可能なスクーターの利用が多いのも台湾の特徴である。これら各種車両が入り乱れる市内地域では激しい渋滞と、運転マナーに起因する交通事故が多発している。

国際運転免許証に関しては、中華民国がジュネーブ条約に加盟していないため、外国人が台湾で運転する場合(台湾人が外国で運転する場合も)には現地での運転免許取得が必要であったが、日台間に関しては、2007年9月19日より日本と中華民国両政府の間で短期旅行者に限定して免許証の相互承認が認められるようになり、短期旅行者がレンタカーなどを運転できるようになり、2008年10月1日からは、現地の免許への切り替えも出来るようになった。ちなみに、日本以外の多くの国では、二国間の取り決めにより、早くから国際運転免許証の相互承認や、現地免許への切り替えが行われていた。

2011年8月1日から小型車(車両総重量が3,500kg以下で乗車定員が9人以下の乗用車)において、運転席、助手席だけでなく後部座席もシートベルト着用が義務付けられた。違反すれば罰金を科せられる。タクシーにおいても例外ではなくなった。

鉄道

ファイル:Zhōngzhèngjīchángjiéyùn.JPG
台湾高速鉄道桃園駅

台湾の鉄道は、国営の台湾鉄路管理局(略称は台鉄)の路線が台湾を一周しており、自強号(日本の特急に相当)、莒光号(日本の急行に相当)、復興号(日本の準急に相当)、区間車、区間快車、普快車(共に日本の普通列車に相当)が各都市を繋いでいる。以上は機関車(電気・ディーゼル)が客車を牽引する編成であるが、これとは別に通勤電車と呼ばれる電車が大都市近郊を走っている。なお、台湾では列車のことを「汽車」ではなく「火車」と呼ぶ。

市内や近接地区を結ぶ鉄道交通ネットワークとしては日本の地下鉄新交通システムに相当する捷運 (MRT) が運行されている。1996年台北市政府による最初の捷運として台北文山線が、翌年には淡水線の一部区間が開業した。2008年3月には高雄市において高雄捷運が開業し、他の都市でも捷運路線の建設または計画がされている。

台湾を代表する台北・高雄を連絡する都市間鉄道として、2007年1月に両都市を最高速度300km/hで運行する台湾高速鉄道が開通した。日本の新幹線車両700T型)を導入し、台湾初の大型BOTとして建設・運営が行なわれている(台鉄の路線ではない)。日本の新幹線技術の初めての海外輸出となったが、受注の混乱や、各国の技術が混在する折衷型システムにより開業までに様々な問題が発生した。開業後は既存の縦貫線で最速3時間59分であった所要時間を87分に大幅に短縮し、また料金も自強号と航空機の中間に設定するなど大きな競争力を有している(台鉄捷運化を参見)。

高速鉄道の整備計画のない台湾東部の東部幹線に関しては車両の高速化と高速化に対応した軌道改修を行なっている。車両に関しては2004年に日本から885系新型車両を導入し太魯閣号の運行が開始された。

またかつては34路線の軽便鉄道として糖業専用鉄道があったが、1980年代にそれらの旅客営業は全廃された。林業鉄道は1914年開業の阿里山森林鉄路が現在も運行されている。

海運

台湾本島と澎湖諸島、金門島などの離島との間は船便によっても結ばれており、航空路線が発達した今日でも利便性がある。台湾本島と澎湖諸島を結ぶ船便は高雄港台華輪)・台南安平港今日之星)・嘉義布袋港満天星客輪)から毎日出ている。

尚、台湾本島と緑島蘭嶼を結ぶ船便は台東富岡港から、台湾本島と金門島を結ぶ船便(金門快輪というフェリー)は高雄港から、台湾本島と馬祖列島を結ぶ船便(台馬輪および合富輪)は基隆から、それぞれ出航している。

日本からは沖縄・那覇新港から、宮古島石垣島を経由し、基隆高雄へ向かう航路が有村産業により運航されていたが、会社破産により運休(実質廃止)となっている。

空運

航空機は台湾本島と金門島などの各離島を結んでいる他、主要都市を結んだ高頻度運航サービスを提供しており、料金も割引チケットを使えば鉄道やバスと遜色ないので人気は高い。また日本各地や香港、フィリピンのマニラなどとの間には高密度な国際線が運航されている他、アジア圏内やヨーロッパ、アメリカなどとの間にも多くの国際線が運航されている。

台湾の航空会社としては、日本では成田空港中部国際空港福岡空港などに乗り入れているチャイナエアライン(中華航空)が有名であるが、最近では成田空港や関西国際空港仙台空港などに乗り入れているエバー航空(長栄航空)も日本に浸透してきている。これらの航空会社以外にも、トランスアジア航空(復興航空)、立栄航空華信航空などがある。なお、立栄航空エバー航空(長栄航空)の子会社、華信航空チャイナエアライン(中華航空)の子会社である。

国際空港としては、台湾桃園国際空港高雄国際空港台中清泉崗国際空港があり、最近では、花蓮空港を国際空港に昇格させる計画もある。

住民

台湾地域の住民は、混血民族中国系に大別される。原住民族は平地に住んで漢民族と同化が進んだ「平埔族」(ケタガラン族パゼッヘ族バブザ族など)と高地や離れ島に住む「高山族」14民族(アミ族タイヤル族パイワン族ブヌン族プユマ族ルカイ族ツォウ族サイシャット族タオ族サオ族タロコ族クバラン族サキザヤ族セデック族。クバラン族とサオ族は平埔族に分類されていたこともある。なお、「高砂族」は日本統治時代の呼び名)に分かれる。台湾の漢民族は、戦前(主に明末清初)から台湾に居住している本省人と、国共内戦で敗れた蒋介石率いる国民党軍と共に台湾に移住した外省人に分かれる。本省人が台湾で85%を占めており、本省人は福建(南)系と客家系に分かれる。外省人13%、原住民2%(タイヤル、サイシャット、ツォウ、ブヌン、アミなど14民族)。 平均寿命は女性81歳、男性75歳で年々上昇の傾向にある。65歳以上の比率は10パーセントを記録するようになった[7]

少子化が進んでおり、2009年出生率は8.29を記録、合計特殊出生率は1と世界最低となった[8]2010年の合計特殊出生率は干支の影響もあり0.895とさらに低下した[9]

2005年民国94年)現在、在台外国人は約51万人で、うち在台ベトナム人が約15万人と30%を占める(民国94年の台湾の内政部統計処調べ)。

台湾移民署の2011年07月の調査によると、台湾在住の日本人は男性6578人と女性3573人、合計1万0151人である。そして、職業別のアンケート調査によれば、ビジネス=男性2031人-女性110人、エンジニア=男性668人-女性12人、会計=男性2人-女性1人、レポーター=男性3人-女性2人、教師=男性291人-女性273人、医師=男性10人-女性3人、宗教=男性59人-女性8人、木工=男性60人-女性0人、失業=男性150人-女性58人、主婦=1335人、学生=男性344人-女性350人、その他=男性2269人-女性861人である。また、15歳以下の人数=男性592人-女性551人である。

台湾での総資産が500万ニュー台湾ドルを超えるか、あるいは仕事の技能や専業を例証すれば、台湾移民署に永住を申請することができる。

言語

台湾の公用語中国語北京語)であり、国内では国語と呼ばれている。国語は中華人民共和国の公用語である普通話と基本的に同一言語であるが、現在では語彙などの細かい部分に多少の相違点が生じている。他にも日常生活では台湾語(ホーロー語、河洛話、福語)、場所によっては客家語台湾原住民の諸言語が使用される。台湾語は伝統的区分では福建方言()の一種である南語に含まれるが、平埔族の言語や日本語の影響を受けており、その意味でも南語とは分化し台湾語、福語などと呼称される[10]

また、台湾原住民の諸言語はオーストロネシア語族の言語であり、多くは台湾諸語に属する(タオ語のみマレー・ポリネシア語派に属する)。その数は、1622年にオランダ人入植者がやって来た時には少なくとも30はあった。その後、2度中国語の配属下にあったことで、その数は10程度に減ってしまった。また、その話者も2000人以下ということから、土着語は絶滅する危険にさらされている[11]

中華民国の実効支配地域の言語としては、金門島では南語台湾語)が話されているが、日本語の影響をほとんど受けていないなど、台湾本島の台湾語とは相異がある。馬祖島では東語が話されている。では本来は莆仙語が話されていたが、現在は南語台湾語)が話されている。

音声言語の他、日本の手話と類似点の多い台湾手話を母語とする人たちがいる。

文字

国語は普通話と同様に漢字で表記されるが、中華人民共和国で使用されている簡体字ではなく、伝統的な繁体字(正字体)が用いられている。ただし、日常生活ではある程度略字の使用が行われている(「臺灣」を「台灣」と表記)。

また発音記号としては注音符号という発音記号を現在でも教育現場で使用しており、小学生向けの教科書にルビとして振られている他、鉄道貨車の形式を表したりするのに使われている。それ以外にもラテン文字系の通用ピンイン注音符号二式ウェード式のような発音表記方式も存在している。

日本統治時代に教育を受けた世代ではひらがなカタカナを利用している例もあるが、21世紀初頭では仮名文字を使用して台湾語を表記(台湾語仮名)している台湾人は極めて限定的となっている。

電子機器の文字入力

台湾式キーボードの例

パソコン等の文字入力方法は、マイナーなものも含めれば十数種類の入力方法が存在しているが、習得が容易なことから日本のかな漢字変換に似た注音輸入法がもっとも一般的である。注音輸入法はパソコンだけでなく携帯電話での文字入力にも利用されている。また、習得が困難だが入力速度の速い倉頡輸入法嘸蝦米などもプロ向けの入力方法として人気がある。

言語教育

高齢者や農村部では台湾語または客家語日本語のみで北京語が話せない者がいる。民主化以降になって、国語以外の言語、即ち台湾語客家語原住民語の教育が義務付けられたが、日本統治時代は日本語で、中国国民党による戒厳令時代は北京語で教育することが定められていた。若い世代では基本的には「国語」と台湾語の両方とも話せるが、在中年世代以下では北京語のみで台湾語を「聞いて理解できるが話せない」という者も少なくない。外省人が人口に占める割合の多い都市部でその傾向は大きい。従って、同じ「台湾人」であるはずなのに世代間でコミュニケーションが成り立たないということも珍しくない。

この他、英語の教育熱が高く、幼稚園時代から英語のみ使用する施設などに子供を預ける者も多い。アメリカへの修士号への取得、学士号の取得を目標とする留学者も多い。

宗教

台北市の龍山寺

台湾では政教分離を基本とし、また中華民国憲法(第二章第十三条)により宗教信仰の自由が保障されているため、国内では各種宗教が自由に存在し、布教されている。

台湾における宗教は、道教キリスト教仏教が特に盛んであり、人々は今日でも宗教と深く結び付いている。道教は二大系統のうち、正一教(天師道)の系譜に連なる。キリスト教は、プロテスタントが多数派であり、なかでも長老派教会が最も信徒の多い教派である。仏教は、1980年代頃から信徒数が急増し、なかでも仏光山・慈済・法鼓山・中台禅寺・霊鷲山の台湾仏教五座山の諸派が盛んである。

台湾の宗教人口(内政統計年報2009年)
宗教名 信徒数 宗教施設数 聖職者数
道教 792,664 9,249 -
基督教(プロテスタント) 384,576 2,539 4,362
天主教(カトリック) 177,641 746 1,785
仏教 168,331 2,308 -
一貫道 17,634 201 -
イスラム教 5,952 5 21
バハーイー教 2,265 2 12
天理教 1,659 22 80
サイエントロジー 1,000 1 30
儒教 790 14 -
軒轅教 314 8 -
弥勒大道 267 2 -
天徳教 242 5 -
理教 212 6 -
真光教 100 1 1
黄中 39 1 -
天帝教 33 1 -
その他 957 ≧ 6 ≧ 15

政府統計で正式に分類されている主な宗教は、以下の通り。

教育

国立台湾大学
国立台湾師範大学

現在の台湾の教育制度は、中華民国憲法の規定(第二十一条、第百六十条)と各種の教育関連法に基づいて体系化されている。学制は6・3・3・4制が採用され、国民小学6年、国民中学3年、高等中学3年、大学4年となっている。ただし大学の教育、建築学部は5年、歯学部6年、医学部は7年となっている。普通学校と並行して特殊学校(盲学校聾学校養護学校など)と補習学校(専科学校や語学学校など)がある。義務教育(台湾語では国民敎育)は、当初は国民小学の6年のみであったが、今は国民中学3年も含めて9年制となる[12]。2001年より小中一貫教育が全国的に実施されるようになり、2006年、幼稚園の義務教育化が始まった[13]。 学年度は9月1日~8月31日まで、日本の4月1日~3月31日とは異なる。中華民国には20歳の男子国民に兵役の義務があるが、大学と専科学校の在学生は卒業まで徴兵延期が許されている。

一般に台湾人は教育に熱心であり、国語(中国語識字率は98.29%(2012年度)に達する。しかし教育熱心な人が多いゆえに台湾は学歴社会となっており、就職では日本以上に学歴が重視される傾向にある。大学への進学率は70.07%(1997年度)。特に有名高等中学校・大学への入試は熾烈を極める。大学進学・卒業後に海外の大学・大学院へ留学する学生も多く、台湾には日本アメリカの大学・大学院が出した学位・博士号を持つ者も多い。

大学には総合大学のほかに短期大学(2年制)、工科大学、文科大学、国立空中大学(日本の放送大学に相当)があり、2012年度時点で大学総数162校、学生総数は約136万人に及ぶ。このような大学増設の影響から、最近では大学合格率が100%を超える問題も生じている。

文科系進学者よりも理科系進学者が、優秀とみなされる[要出典]。理科系における名門大学は、台北市の国立台湾大学(台北帝国大学,昭和3年)(1945年改編)、新竹市の国立清華大学(1955年復校)・国立交通大学(1958年復校)、台南市の国立成功大学(1961年創立)である。理科系に比べて落ちるものの、文科系では台湾大学のほか、台北市の国立台湾師範大学(台北高等学校 (旧制), 大正11年)(1946年改編)や台北市の国立政治大学(1954年復校)が、一流の進学先とみなされている。

国外には華僑子息・子女のための教育機関として、約3750校の華僑学校(日本での名称は中華学校)が設置されており、日本には横浜中華学院、東京中華学校、大阪中華学校の3校がある。日本の華僑学校は歴史が古く、1897年明治30年)に孫文が設立した私塾に由来する。華僑学校は中国語教育および中華文化の普及を目的としている。教育対象の年齢は各学校によって異なる。

婚姻

台湾は伝統的には夫婦別姓であるが、相手の姓に変更することも可能となっている。また、1985年民法において、冠姓が義務づけられていたが、当事者が別段の取り決めをした場合はその取り決めに従うとされていた[14]。その後1998年の改正で、原則として本姓をそのまま使用し、冠姓にすることもできると改められた。職場では以前から冠姓せず本姓を使用することが多かったという[15]。子供の姓は、原則的に父系の姓が適用されていた(入婿の場合は逆)が、1985年の改正で、母に兄弟がない場合は母の姓にすることもできるようになった。この結果、兄弟別姓が可能である[16]。これも男女平等原則の違反とされ、2008年の戸籍法改正で父の姓か母の姓か両親が子供の姓を合意し、両方の署名を入れ役所に提出することとなった。合意に至らない場合は役所が抽選で決める[17]

文化

頼和は台湾新文学の父と呼ばれている(1919年撮影)。

台湾住民の大部分の文化的基盤は漢民族文化である。しかしその内容は豊富であり、ホーロー系住民は福建南部系のホーロー文化に、客家系は客家文化に、外省人は出身省それぞれの文化に属し、近年は通婚などにより相互影響や融合が深まっている。なお原住民族マレー・インドネシア文化に属しているが、これも漢人文化の影響を受けている。

台湾におけるいずれの文化においても顕著な現象として、伝統的要素が色濃く残っている点が挙げられる。社会主義化に伴う文化表現の規制、弾圧により中国では廃れていった漢人の伝統民俗が今日まで数多く残存している他、ヤミ(タオ)族を始めとする各原住民でも民族独自の文化が保持・継承され続けている。

漢民族の間では、各出自の共通概念として家族が社会組織の重要な社会単位となっており、祖先崇拝などの伝統家庭行事が現在でも重要な役割を担っている。また二十四節気を基とした旧正月や、清明節(ただし客家人の一部などは祝わない)、中秋節などの季節行事も毎年盛大に行なわれている。この他にも出身地ごとの伝統文化が存在しており、例を挙げれば福建系の伝統文化としては布袋劇(人形劇)や歌仔戯(台湾オペラ、コアヒ)などがある。また、外省系移民が台湾に与えた文化としては、中華民国政府のイデオロギー的影響や中国各地の料理などが挙げられる。

中国以外の外来文化としては日本アメリカの影響が大きい。日本に関しては過去に日本による統治を受けていたため温泉演歌日本酒おでん武士道などの伝統的な日本文化が残留する以外に、戦後の日台関係の中で新たに流入したカラオケJ-POP漫画アニメテレビゲームファッションも台湾で根付いており、1990年代後半には日本文化に傾倒する台湾青年層を哈日族と特に称すようになった。また古くから日本からのテレビ番組を多数放送しているため、日本人の芸能人の認知度が高い。

現在は台湾固有の文化、外来文化を総称して台湾文化と捉える傾向が強くなってきている[要出典]

食文化

台北市のナイトマーケット

元来の台湾郷土料理に、中国大陸の泉州漳州に由来する福建料理が混ざったものが伝統的に作られており(例えば料理に芋粥が添えられる点を福建系の人々の食習慣の反映として指摘している資料がある[要出典])、一般にはこれらの様式の料理を指して「台湾料理(台菜)」と呼ぶ場合が多い。

また、福建省出身の開拓民と同時期に台湾に渡ってきた、中国大陸の広東省北部出身の客家湖西地方出身者の料理も今日の台湾料理根底の一部をなしていること、さらには過去約50年間に及ぶ日本の台湾統治時代の日本文化の影響や、第二次世界大戦後の中華民国政府の台北遷都に伴い中国各地から来た人々からの影響を受けたことなどが、現在の多様性に富む台湾料理の形成につながっている点なども指摘されている。食材ではカラスミや新竹地方の米粉(ビーフン)、また料理では台南地方の担仔麺などが著名であり、台湾茶と総称される独自の文化も存在する。

また、これらの台湾料理を出す料理店は、本格的な店舗を構える高級料理店だけでなく、ナイトマーケットなどに出される屋台がポピュラーな存在として親しまれており、これらの屋台を目当てに各国から観光客が訪れるほどである。

文学

音楽

映画

世界遺産候補

候補のひとつである太魯閣渓谷

世界遺産は、1972年ユネスコ (UNESCO) 総会で採択された通称「世界遺産条約」に基づいて、世界遺産リストに登録された普遍的な価値を持つ遺跡のことである。しかし、中華民国は1971年国際連合における「中国の国家」としての代表権を喪失し、以来ユネスコへの加盟を認められていないことから、中華民国政府の統治下にある台湾地域では世界遺産が一つも登録されていない。

「世界遺産条約」成立以来、永らく中華民国は国内遺産の世界遺産登録に向けた行動を起こしてこなかった。しかし、2000年台湾総統選挙民主進歩党陳水扁政権が発足すると、中華民国行政院・文化建設委員会は「中華民国は世界遺産条約を締結はしていないが、地球村の構成員であり、遺産を継承・保護しなければならない」との方針を打ち出し、2003年に国内で世界遺産登録の候補地を募集した。その結果、世界遺産登録の基準を満たす可能性がある遺産として12か所の遺産が選定され、現在では、将来の世界遺産登録に向けた資料作成や住民向けの講座開設等の教育活動、考古学、地理、建築などの専門家で組織する世界遺産諮問委員会の設置等の活動、およびに国際的なPRを進めている。

なお、世界遺産登録候補の内訳は、自然遺産が6か所、文化遺産が9か所、複合遺産が3か所となっている。

自然遺産候補

文化遺産候補

複合遺産候補

スポーツ

台湾で人気のあるスポーツとしては、プロリーグが存在する野球、準プロリーグが存在するバスケットボールが挙げられる。政治的な問題から、オリンピックなどの国際大会には通常チャイニーズ・タイペイとして出場する。台湾は、その経済水準の割にスポーツのレベルは高くなく、国際舞台で活躍する台湾人選手は目立たなかったが、2004年アテネオリンピックではテコンドーで台湾に史上初の金メダルがもたらされた。

野球
野球は日本統治時代に日本から台湾へ伝えられた。台湾のチームが夏の甲子園で準優勝したことがある。野球は台湾で最も盛んなスポーツのひとつである。野球は台湾の事実上の国技であり、国内の500圓紙幣の絵柄に少年野球チームが採用されているほどである[35]
1990年には国内初のプロリーグ、中華職業棒球大聯盟が発足した。近年では米国や日本のチームに在籍する台湾人選手が増えている。2006年MLBで19勝をあげて最多勝を獲得した王建民は台湾の英雄的存在である。日本球界では、かつては郭泰源郭源治大豊泰昭らが活躍し、現在はボルチモア・オリオールズチェン(本名:陳偉殷)が有名である。また、中華民国籍である王貞治は台湾での知名度も高く、2002年には王が監督を務めるダイエー主催のNPB公式戦が台湾で開催された。ただし、昨今では日本で活躍している選手は少なく、日本ハムの陽ぐらいである。2013年には、大量に台湾人の選手が解雇され、どの選手にも日本の球団は獲得意思を示さなかった。
一方で、台湾でのプロ野球人気は1990年代後半に起きた八百長問題をきっかけに低迷が続いている。2008年には八百長問題が再発し、2球団がリーグから除名され、4球団のみのリーグ構成となった。観客動員も平均2千人を切るまでに低迷し、有望選手の海外流出、経営難も相まってプロリーグは存続の危機に陥っている[36]
野球チャイニーズタイペイ代表1992年バルセロナオリンピックでは銀メダルを獲得した実績を持つが、日本韓国がプロ選手を五輪に派遣するようになってからは、メダルから遠ざかった。
また、ワールド・ベースボール・クラシックの参加国の1つでもある。2009年第2回大会では、辞退者が相次いだこともあり苦戦を余儀なくされ、1次ラウンドの初戦で韓国に大敗し、2戦目では格下と思われた中国にも敗れ、2連敗で姿を消した。2013年第3回大会では、1次ラウンドを1位通過し、初めて2次ラウンドに進出した。2次ラウンドでは、日本に善戦したものの土壇場で勝利を逃し延長戦で敗れ、敗者復活戦でキューバに敗れたため、2次ラウンドで敗退した。
バスケットボール
バスケットボールは野球に次いで盛んなスポーツである。2003年には準プロリーグの超級籃球聯賽が発足した。競技レベルは、世界的に見るとまだ発展途上ではあるが、アジアでは比較的上位に位置し、バスケットボールチャイニーズタイペイ代表は過去にオリンピックバスケットボール世界選手権に出場した経験がある他、近年でも2009年バスケットボール男子アジア選手権で5位に入る健闘を見せた。両親が台湾出身のジェレミー・リンNBAで活躍するアジア系選手の人気にも触発され、国内では特に若者の間で人気がある。日本とのかかわりとしては曾文鼎bjリーグ大阪エヴェッサでプレーしたことがある。
ソフトボール
男子の野球と同様に女子のソフトボールも台湾で盛んなスポーツのひとつである。1982年に世界選手権が自国開催され準優勝。オリンピックも4回中シドニーを除いた3度出場している国際大会の常連である。
サッカー
歴史的に日本と米国の強い影響を受けてきたため、台湾におけるサッカー人気は他のアジア諸国と比べると見劣りするが、2007年に、競技力の向上と人気の拡大を図り、それまでの企業リーグから地域を重視する2部リーグ制のインターシティフットボールリーグへ移行するなど、中華民国足球協会の指導の下、国内リーグの改革が進められている。代表チームは、男子女子も国際大会で苦戦が続いている。
テニス
テニスは台湾においても人気のあるスポーツの1つである。1990年代までは国際試合で活躍する選手には女子が多かったが、21世紀初頭には男子の強豪選手も現れ始め、盧彦勳王宇佐がシングルスにおいて世界ランキング100位以内に入る活躍を見せている。
バレーボール
バレーボール2004年中華民国排球協会によって国内リーグが設立されるなど発展傾向を見せているが、競技レベルは他国に比べるとあまり高くはない。ただし、チャイニーズ・タイペイとして出場した2006年の世界選手権では、日本から初めて勝利を挙げるという大金星。第1セットは18-25で日本に先取されたが、その後25-18、25-19、25-23と3セット連取し、見事な大逆転勝利を収めている。また、アテネ五輪の世界最終予選に於いても、日本相手に1セットを奪う健闘を見せた。
ボクシング
台湾ではボクシング=流血とみなされ、敬遠される傾向にあったが、2011年より普及促進を目的として台北市カップ国際ボクシングトーナメントを創設した[37]。著名な選手としては日本に渡り世界タイトルにも挑戦した経験を持つロッキー・リンが挙げられる。

通信とメディア

台湾では新聞テレビ雑誌インターネット等のメディアに対する政府検閲は存在せず、また諸外国メディアによる報道も原則的に自由に行われている。

テレビは中国電視公司台湾電視公司中華電視公司などの全国ネット地上波局のほかに、ケーブルテレビ局も多数存在し、各種専門チャンネルによる放送が24時間行われている。

新聞は『聯合報』や『中国時報』、『自由時報』の三大紙のほかに、近年は香港資本による全面カラー『蘋果日報』や英字新聞の『Taipei Times』や『Taiwan News』などが発行され、各新聞ごとの独自論調を展開した読者獲得競争が行われている。近年ではインターネットの普及により新聞メディアの低調が目立つようになっているが、人口当たりの発行部数は世界有数のレベルを現在でも保持している。

政府系ニュースサイトとして、Taiwan Todayが存在する。

著名な出身者

出典・脚注

  1. ^ The Republic of China Yearbook 2009 / Chapter 2: People and Language”. 2010年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月31日閲覧。
  2. ^ a b 岩波『現代中国辞典』
  3. ^ 『太平御覽』が次の記述を再録している。(ウィキソース [1]
    《臨海水土志》曰:夷州在臨海東南,去郡二千里。土地無雪霜,草木不死。四面是山,眾山夷所居。山頂有越王射的,正白,乃是石也。此夷各號為王,分畫土地,人民各自別異。人皆髡頭穿耳,女人不穿耳。作室居,種荊為蕃鄣。土地饒沃,既生五谷,又多魚肉。舅姑子歸男女,臥息共一大床。交會之時,各不相避。能作細布,亦作班文布,刻畫其內,有文章,以為飾好也。其地亦出銅、鐵,惟用鹿矛以戰斗耳。磨礪青石,以作矢鏃、刃斧,環貫珠。飲食不潔。取生魚肉,雜貯大器中,以鹵之,曆日月乃啖食之,以為上肴。呼民人為「彌麟」,如有所召,取大空材,材十余丈,以著中庭。又以大杵,旁舂之,聞四五里,如鼓,民人聞之,皆往馳赴會。飲食皆踞相對。鑿木作器,如狶槽狀,以魚肉腥臊安中,十十五五共食之。以粟為酒,木槽貯之,用大竹筒長七寸許飲之。歌似犬嗥,以相娛樂。得人頭,斫去腦,駁其面肉,留置骨,取大毛染之,以作鬢眉發編,具齒以作口,自臨戰斗時用之,如假面狀。此是夷王所服。戰得頭,著首。還,於中庭建一大材,高十余丈,以所得頭差次掛之。曆年不下,彰示其功。又甲家有女,乙家有男,仍委父母往就之居,與作夫妻,同牢而食。女以嫁,皆缺去前上一齒。
    又曰:安家之民,悉依深山,架立屋舍於棧格上,似樓狀。居處飲食,衣服被飾,與夷州民相似。父母死亡,殺犬祭之,作四方丞以盛尸。飲酒歌舞畢,仍懸著高山岩石之間,不埋土中作冢槨也。男女悉無履。今安陽羅江縣民,是其子孫也。皆好猴頭羹,以菜和中,以醒酒;雜五肉,霍不及之。其俗言:「寧自負人千石之粟,不願負人猴頭羹霍」。
  4. ^ ウィキソース『三国志』[2]
  5. ^ 林田芳雄「ラメイ島原住民族討滅の記 -蘭領台湾時代の悲劇-」(所収:『山根幸夫教授追悼記念論叢 明代中国の歴史的位相 下巻』(汲古書院、2007年) ISBN 978-4-7629-2814-7 P182-183)
  6. ^ 【日々是世界 国際情勢分析】「地位未定」発言で日台膠着状態 - 産経ニュース 2009年7月28日(2009年7月31日時点のアーカイブ
  7. ^ 亜州奈みずほ著『現代台湾を知るための60章』 明石書店 2008年 185ページ
  8. ^ 出生率が世界最低、17年から人口減少 NNA.ASIA 2010年1月15日
  9. ^ 出生率が世界最低の0.895、加速する超高齢化 Taiwan Today
  10. ^ 片倉佳史「台湾の言葉について」『旅の指さし会話帳8:台湾』第2版、情報センター出版局、2004年、p82-86、ISBN 978-4-7958-2593-2
  11. ^ クロード・アジェージュ「絶滅していく言語を救うために —ことばの死とその再生—」、白水社、2004年、p222、ISBN 4-560-02443-X
  12. ^ 小学校から高校まで12年間を義務教育とする措置が執られるようになった(亜州奈みずほ著『現代台湾を知るための60章』 明石書店 2008年 170ページ)
  13. ^ 亜州奈みずほ著『現代台湾を知るための60章』 明石書店 2008年 170ページ
  14. ^ 林秀雄「台湾の家族法」黒木三郎(監修)『世界の家族法』敬文堂、1991年、239頁。
  15. ^ 清水秋雄「台湾の家族法の改正について」『二松学舎大学国際政経論集』13、2007年。
  16. ^ 清水秋雄「台湾の家族法の改正について」『二松学舎大学国際政経論集』13、2007年。
  17. ^ 笠原俊宏・徐瑞静「中華民国戸籍法の改正(下)」『戸籍時報』634、2008年。
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参考文献

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  • 若林正丈 『台湾抗日運動史研究』(研文出版, 1983年/増補版, 2001年)
  • 若林正丈 『台湾——分裂国家と民主化』(東京大学出版会, 1992年)
  • 春山明哲 『近代日本と台湾 -霧社事件・植民地統治政策の研究』藤原書店、2008年 ISBN 4894346354
  • 酒井亨 『「親日」台湾の幻想』扶桑社 2010年
  • 三澤真美恵 『「帝国」と「祖国」のはざま——植民地期台湾映画人の交渉と越境』岩波書店 2010年
  • 松永正義 『台湾文学のおもしろさ』研文出版 2006年 ISBN 9784876362615
  • 王徳威・廖炳惠・松浦恒雄・安部悟・黄英哲編 『帝国主義と文学』2010年 ISBN 9784876363100
  • 松浦恆雄・垂水千恵・廖炳惠・黄英哲編 『越境するテクスト 東アジア文化・文学の新しい試み』2010年
  • 和泉司 『日本統治期台湾と帝国の〈文壇〉—〈文学懸賞〉がつくる〈日本語文学〉(ひつじ研究叢書〈文学編〉5)』ひつじ書房 2012年 ISBN 9784894765900
  • 齋藤正憲 『土器づくりからみた3つのアジア—エジプト・台湾・バングラデシュ—』創成社 2012年 ISBN 9784794450500
  • 松岡格 『台湾原住民社会の地方化——マイノリティの20世紀』研文出版、2012年 ISBN 9784876363421
  • 龍應台著、天野健太郎訳 『台湾海峡一九四九』白水社 2012年 ISBN 9784560082164
  • 川上桃子 『圧縮された産業発展 台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム』名古屋大学出版会 2012年 ISBN 9784815807030
  • 豊島与志雄 『台湾の姿態』未来社 1967年(昭和42年)11月10日

関連項目

外部リンク

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