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== 音楽 ==
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[[ギブソン・フライングV]]を使用している。
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音楽マニアであり、ロック以外にも様々なジャンルの音楽に精通している(インディーズ時代に既に2000枚のCDを所有していた)<ref name="ukprojectnewrelease">[http://www.ukproject.com/newrelease/artschool.html UK PROJECT/new release/ART SCHOOL]</ref>。


音楽シーンの中でのART-SCHOOLの位置づけについて「日本初のオルタナバンド<ref>[http://www.ukproject.com/ukproject/htdocs/artist.php?code=1581 ukproject.com]Artist Information</ref>」、「バンドとしてはダークネス〈負〉を表現してポピュ ラリティーを得たい。いまの主流を否定したい<ref name="bounce238">[http://web-beta.archive.org/web/20021220015924/http://www.bounce.com/interview/article.php/504/ ART-SCHOOL - bounce.com インタビュー]『bounce』誌、238号のインタビューより(2002年12月20日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])</ref>」、「[[MO'SOME TONEBENDER|モーサム・トーンベンダー]]や[[Syrup 16g]]などの新しい流れ・価値観を持ったバンドのひとつでありたい<ref name="bounce238" />」と発言している。
音楽シーンの中でのART-SCHOOLの位置づけについて「日本初のオルタナバンド<ref>[http://www.ukproject.com/ukproject/htdocs/artist.php?code=1581 ukproject.com]Artist Information</ref>」、「バンドとしてはダークネス〈負〉を表現してポピュ ラリティーを得たい。いまの主流を否定したい<ref name="bounce238">[http://web-beta.archive.org/web/20021220015924/http://www.bounce.com/interview/article.php/504/ ART-SCHOOL - bounce.com インタビュー]『bounce』誌、238号のインタビューより(2002年12月20日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])</ref>」、「[[MO'SOME TONEBENDER|モーサム・トーンベンダー]]や[[Syrup 16g]]などの新しい流れ・価値観を持ったバンドのひとつでありたい<ref name="bounce238" />」と発言している。
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カート・コバーンの大ファンでカートについて「カートが僕にしてくれたように、僕も傷ついたり疎外感を抱いているような人に希望を与えたい<ref>「[http://www.barks.jp/feature/?id=52279417 日本ロック界の革命]」 BARKS、2002年5月8日。」</ref>」、「世の中は糞で、大人は最悪だ。僕はいつも死ぬことばかり考えている。でも、カート・コバーンが僕に教えてくれたようにみんなにも生きる希望を感じてもらうために、音楽をやります<ref name="ukprojectnewrelease" />」などの発言をしている。
カート・コバーンの大ファンでカートについて「カートが僕にしてくれたように、僕も傷ついたり疎外感を抱いているような人に希望を与えたい<ref>「[http://www.barks.jp/feature/?id=52279417 日本ロック界の革命]」 BARKS、2002年5月8日。」</ref>」、「世の中は糞で、大人は最悪だ。僕はいつも死ぬことばかり考えている。でも、カート・コバーンが僕に教えてくれたようにみんなにも生きる希望を感じてもらうために、音楽をやります<ref name="ukprojectnewrelease" />」などの発言をしている。

=== 歌詞 ===
木下は「デビューしてからずっと成長はしていると思うけど、同じことを手を変え品を変え歌詞にしてる。自分は自分でしかないというしんどさと絶望感を感じている。でも、逆にいうとそれは強さでもあると思う」「僕自身のイノセントな季節っていうのは、25歳ぐらいにもう過ぎ去ってしまっている。ノスタルジーというよりは、イノセントな部分を失くしてしまったことを境に歌詞の世界が変わったかもしれない。オトナになることへの恐れとか。汚れてしまうことへの恐れが、それまではすごく強かったけど、それ以降は混沌とした精神状態を歌うようになっていった」「今はもう1周して逆にピュアになったような気がする」「常にアウトサイダーの視点に立っていたい。そういう視点じゃないと、弱い人たちのところまで届かない。僕は小中高と、社会との接点がなかった。家族との会話もなく、音楽とか映画とか本がすべてだった。それを助けてくれたのが、アウトサイダー的な視点をもったアーティストだった。自分らしく生きればいい、それがどんなにダメな生き方でもということは伝えたい。この世の中は地獄だ、でもそれでもいい」「すごく幸せな歌詞を書きたいと思ってもぜんぜん出てこない」と語っている<ref>[http://natalie.mu/music/pp/art-school 【Power Push】 ART-SCHOOL「The Alchemist」インタビュー(1/4)]ナタリー</ref>。


== 人物 ==
== 人物 ==

2014年5月6日 (火) 10:41時点における版

木下理樹
生誕 (1978-10-14) 1978年10月14日(45歳)
出身地 日本の旗 日本 大阪府大阪市
ジャンル オルタナティヴ・ロック
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカルギター
共同作業者 ART-SCHOOL
killing Boy
ex-KAREN

木下 理樹(きのした りき、1978年10月14日 - )は日本シンガーソングライター。ソロ活動を経て、2011年現在はART-SCHOOLkilling Boyボーカルギター担当として活動している。2010年末まではART-SCHOOLの戸高賢史らとともにKARENでも活動していた。大阪府大阪市出身。血液型はO型。

来歴

父親が好きだったビートルズビーチ・ボーイズサイモン&ガーファンクルなどを聞きながら幼少時代を過ごす[1]。小学校のときに「ミュージック・ライフ」を読んだことがきっかけで洋楽にはまっていく[2]。小学校の頃に4つ年上の兄から洋楽を聞かされるようになり、初めにプリンス[3]、小学3年生の頃にはメタリカスレイヤーといったヘヴィメタルを愛好するようになる[4]

中学1年生の頃にラジオでニルヴァーナスメルズ・ライク・ティーン・スピリットと出会ってからは、徐々にオルタナティヴ・ロックグランジなどに傾倒していく[3]。この頃聴いていたUSインディやブリットポップの「下手なバンド」から「俺にもできるんじゃないかな」と思ったことをきっかけに音楽を始め[5]、高校時代は「オレンジクラッシュ」というコピーバンドでベースを弾いた。

高校卒業後に作曲を始め後に上京、1999年にソニー傘下のインディーズ・レーベル、テレスコープ・レーベルからアルバムを発表する[6]。その後ソロライブのサポートをしていた日向、櫻井と、当時飲み仲間で専門学校生だった大山でバンドを結成し、2000年にてART-SCHOOLとしての活動をはじめる。

音楽

ギブソン・フライングVを使用している。

音楽マニアであり、ロック以外にも様々なジャンルの音楽に精通している(インディーズ時代に既に2000枚のCDを所有していた)[7]

音楽シーンの中でのART-SCHOOLの位置づけについて「日本初のオルタナバンド[8]」、「バンドとしてはダークネス〈負〉を表現してポピュ ラリティーを得たい。いまの主流を否定したい[9]」、「モーサム・トーンベンダーSyrup 16gなどの新しい流れ・価値観を持ったバンドのひとつでありたい[9]」と発言している。

またART-SCHOOLとテーマが近い日本のバンドとして、スピッツGREAT3Syrup 16gナンバーガールを挙げ、「男の暗さ、影みたいな所に理由があると思う」と書き込んだ事がある[10]

影響

影響を受けたアーティストは、ニルヴァーナ、ダイナソーJr.ペイヴメントスマッシング・パンプキンズ[11]レディオヘッドジーザス&メリーチェイン[12]マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン[12]ライドアリス・イン・チェインズサウンドガーデンシェラック[13][14]ブロック・パーティクラクソンズ、プリンス、エリオット・スミス、スピッツ、フリッパーズ・ギター、ナンバーガール等。

カート・コバーンの大ファンでカートについて「カートが僕にしてくれたように、僕も傷ついたり疎外感を抱いているような人に希望を与えたい[15]」、「世の中は糞で、大人は最悪だ。僕はいつも死ぬことばかり考えている。でも、カート・コバーンが僕に教えてくれたようにみんなにも生きる希望を感じてもらうために、音楽をやります[7]」などの発言をしている。

歌詞

木下は「デビューしてからずっと成長はしていると思うけど、同じことを手を変え品を変え歌詞にしてる。自分は自分でしかないというしんどさと絶望感を感じている。でも、逆にいうとそれは強さでもあると思う」「僕自身のイノセントな季節っていうのは、25歳ぐらいにもう過ぎ去ってしまっている。ノスタルジーというよりは、イノセントな部分を失くしてしまったことを境に歌詞の世界が変わったかもしれない。オトナになることへの恐れとか。汚れてしまうことへの恐れが、それまではすごく強かったけど、それ以降は混沌とした精神状態を歌うようになっていった」「今はもう1周して逆にピュアになったような気がする」「常にアウトサイダーの視点に立っていたい。そういう視点じゃないと、弱い人たちのところまで届かない。僕は小中高と、社会との接点がなかった。家族との会話もなく、音楽とか映画とか本がすべてだった。それを助けてくれたのが、アウトサイダー的な視点をもったアーティストだった。自分らしく生きればいい、それがどんなにダメな生き方でもということは伝えたい。この世の中は地獄だ、でもそれでもいい」「すごく幸せな歌詞を書きたいと思ってもぜんぜん出てこない」と語っている[16]

人物

マッシュルームカットがトレードマーク。

小学校、中学校時代は完全な対人恐怖症であり、学校をよく早退して家で1人で音楽や映画を鑑賞していた[17]。また18歳から23歳になるまでのインディーズ時代の約5年間、母親の仕送りだけで生活していた[18]

映画を広く愛好し、自身の楽曲に映画の題名をつけることもある。小学生の頃から映画が好きで、スティーブン・スピルバーグの作品のファンであった[18]。好きな作品は汚れた血ギルバート・グレイプ等、多数[18]。また、音楽雑誌「MARQUEE」に映画評論のコーナー「俺的映画道」を長期に渡って連載している。母親の仕送りだけで生活していた間、映画を毎日1本はレンタルして観ていた[18]。またART-SCHOOLの楽曲「Missing」「左ききのキキ」のPVを監督している。

純文学や詩を好む文学青年(特に村上春樹中島らもボリス・ヴィアン中原中也[19]などを敬愛していることが過去の日記から分かる)で、作詞にその影響(いわゆる「カットアップ」手法など)が見られることもある。

123RECORDS時代の公式サイトではIQ145と自称したり、バンドを始めた理由を「女性と付き合うため」と答えている[20]

好きな女優は宮崎あおい新垣結衣[21]上野樹里ウィノナ・ライダーなど。

FCマッコリというフットサルチームの(初代)監督をするほど海外サッカーが好き。好きなサッカークラブはマンチェスター・ユナイテッド[22]

脱原発論者である[23]

作品

ミニアルバム

  1. TEENAGE LAST (1999年10月21日)
    • 廃盤。
    • GLORIA/RASBERRY/RIVERS EDGE/SWAN DIVE/LIKE A DAYDREAM/NORTH MARINE DRIVE

他にも、木下理樹名義のデモ音源が数点ある。

参考文献

脚注

  1. ^ いつかの僕とビートルズ」 旧『狂人日記』、2005年12月12日。
  2. ^ インタビュー 夢を見ることで得られたもの ART-SCHOOLインタビューCINRA.NET 2013年3月13日
  3. ^ a b ニック・ドレイクと俺の音楽史」 旧『狂人日記』、2003年11月7日。
  4. ^ ART-SCHOOL|Skream!インタビューSkream!2010年7月号
  5. ^ ART-SCHOOL(木下理樹)インタビュー!!PLAYLIST MAGAZINE、2007年2月28日(2007年3月10日時点のアーカイブ
  6. ^ TELESCOPE_release_newsTELESCOPE_LABEL(2007年9月2日時点のアーカイブ)
  7. ^ a b UK PROJECT/new release/ART SCHOOL
  8. ^ ukproject.comArtist Information
  9. ^ a b ART-SCHOOL - bounce.com インタビュー『bounce』誌、238号のインタビューより(2002年12月20日時点のアーカイブ
  10. ^ GREAT3、あるいは男と女について」 旧狂人日記、2004年1月10日。
  11. ^ music UP's-ART-SCHOOLインタビュー-music UP's vol.70
  12. ^ a b music UP's ART-SCHOOL インタビューmusic UP's vol.95
  13. ^ killing Boy『Destroying beauty』 - TOWER RECORDS ONLINETOWER RECORDS ONLINE 2012年06月06日
  14. ^ ART-SCHOOL 『BABY ACID BABY』 - TOWER RECORDS ONLINETOWER RECORDS ONLINE 2012年07月25日
  15. ^ 日本ロック界の革命」 BARKS、2002年5月8日。」
  16. ^ 【Power Push】 ART-SCHOOL「The Alchemist」インタビュー(1/4)ナタリー
  17. ^ 中島くんと今村昌平論」 旧『狂人日記』、2003年11月6日。
  18. ^ a b c d 香港マフィアと俺の映画史」 旧『狂人日記』、2003年11月3日。
  19. ^ 中也に捧ぐ」 旧『狂人日記』、2003年11月16日。
  20. ^ as-biographyART-SCHOOL公式サイト(2002年6月4日のアーカイブ)
  21. ^ インタビュー クボケンジ(メレンゲ)×木下理樹(ART-SCHOOL)LIQUIDROOM
  22. ^ I DREAM
  23. ^ 今泉亮平さん×木下理樹×後藤正文 -Thinking about our energy vol.0.5The Future Times

外部リンク